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二つの誓約

 鈴歌は思わぬ助っ人に驚いて、会話に入り込めなかった。誠勇は怒りを葉師にまでぶつけて、言うことを聞いていない。が、葉師は落ち着いたもので、誠勇を叱ったり、窘めたりはしなかった。からかうような言葉が時折出てはいるが、葉師と話している時によく聞いた口調だったので、鈴歌はさほど驚かなかった。

――冷や冷やするけどね!

 鈴歌は強く握られた手が痛いのを我慢して、誠勇を見上げた。前から人の話を聞かない所のある人ではあったけど、今は本当に怒りで耳がふさがっているみたいだった。

 誠勇の高い声が静かな住宅街に響く。今まで聞いたことのない声だった。実家や鈴歌の邸で会う誠勇という男性は、静かな口調でいろんなことを好き勝手にしゃべる人で、激しく否定することや、声を荒げることだけはしない人だった。話が盛り上がる――一人で話して勝手に――と声色が高くなることはあったが、今の声はそれとは違う高さだ。

 そのがなるような高い声とは対照的に、葉師の低く清廉な声が響いた。

「そいつは、俺の弟子だ」

 聞き間違えようのない、はっきりとした口調と発音は、もはや美しいとさえ思わされた。鈴歌は階段を上がってから初めて、葉師を仰ぎ見た。堂々とした態度、凛とした表情、その言葉が事実なのか、威嚇や牽制なのか、わからないほどに、いつも通りの葉師だった。

「こちら側としても知らぬことが多々あるようなのでな、一度そいつとも話し合わねばならない。今日はいったん宿へ腰を落ち着けてもらえないだろうか」

 葉師が平然とした態度でつらつらと並び立てる。

「そちらに婚約者という立場がおありのように、私には師匠という立場がある。お互い立場のある身だ。身の振り方を誤ってはいけない、というのはわかっているだろう?」

 カツカツと踵を鳴らして、葉師が降りてくる。悪い笑み、挑発するような問いかけに誠勇は乗るかと思ったが、そうはならなかった。

「ふん。立場を踏まえぬのは子供のすること。……いいだろう、俺も調べねばならないことができたからな。今日の所は引いてやる」

喜びが驚きの中に隠れていたのに気付いたのは、葉師の邸へ上がった頃だった。

――主にわたしが悪いんだけど

 葉師に手間をかけさせてしまったこと、誠勇が乗り込んで来ることになった原因、葉師を騙していたこと、鈴歌に責任があることばかりだ。鈴歌は改めて自分が修行をしたい一心でやったことが、どれだけ自分勝手だったか気づいた。

――誠勇さんと変わらない

 自分の好きなように、勝手なことを言って、人を困らせる。まるで子供だったんだと、鈴歌は葉師に深く詫びたくなった。

「酒家、だったな。案内しろ」

 葉師の有無を言わさぬ強い視線に、鈴歌は頷くしかなかった。たぶん、話し合う時間を貰うために、女将さんに話に行くつもりなのだろう。

 鈴歌は謝るのは、訳を全て話してからだと、一人喉を鳴らした。


「ありがとうございました」

 葉師と繰珠へ向けて、鈴歌は頭を軽く下げた。

「いやぁ……お前もいいことをすることがあるんだな」

 繰珠が葉師をからかう。

「うるさい。他人事だと思ってるだろ」

 葉師が眉間にしわを寄せ、繰珠を睨んだ。声音が低い。鈴歌は葉師の向かい合わせに長椅子に腰かけている。葉師の隣で肘掛に体を投げかけるようにして繰珠が座っている。繰珠はにやにやと口許を緩めている。

「初めから知ってたくせして、俺に黙ってやがって」

 女将さんに一日暇を貰って、邸へ招き入れられてから、何から話そうか戸惑っていた鈴歌の代わりに、繰珠が鈴歌の状況を説明してくれた。それが見事に当たっていて、さらに驚くことになった鈴歌は、改めて繰珠を恐ろしいと思った。

 誠勇との川辺での出来事を、繰珠も邸から見ていたらしい。そうでなければ、すんなりと鈴歌が立たされている危機的状況を、知り合って二日目の繰珠が語れるはずがない。李老師から鈴歌のことは一通り聞いていたようだ。

 葉師は繰珠が鈴歌のことを隠していたこと自体よりも、その態度が気に入らないようだった。

「お前まで俺を騙していたわけだ。……お前の祖父さんの弟子でもあるんだぞ」

「祖父さんのことはどうでもいいだろ。それに、俺は鈴歌ちゃんのことを喋らなかったけど、聞かれてもないぜ? 聞かれていないことなんだから、隠していたことにも、騙していたことにもならないだろ」

 恨めしげに隣を睨み続ける葉師に、繰珠は片目をつぶって平然と返している。鈴歌はその肝の据わり様に、驚かされる。話は鈴歌を少し置き去りにしながら進んでいた。

「婚約者が乗り込み……噂が広がれば宴には出られないだろうな」

「ああ……上の方々はそういうのうるさいしなぁ。しかも、その婚約者は職業婦人嫌いで有名だぞ?」

 鈴歌は聞き捨てならない葉師の言葉に身を乗り出した。

――宴に出れない!?

 悪い噂から、有権者に嫌煙されるということだろうか。鈴歌の心配を察してか、繰珠が柔らかく微笑みかけてきた。

「まぁ、もう決まった仕事の話だ。そう簡単には無しにならないさ。君は『黄林』なんだから」

 本当にそうだろうか、と思う反面で、繰珠が言うと本当のような気がしてくる。

「……あの坊っちゃんの方は、自分でなんとかしろ」

 葉師はそれだけ言うと、席を立った。

「なんとかって……あれが話を聞いてくれるかね?」

「それをなんとかしろと言ってるんだ」

 繰珠は少し不安げな表情で言ったが、室を出て行こうとする葉師は平坦な調子で素早く言い返した。鈴歌は言葉が出なかった。誠勇のことは自分の一家が抱えている問題だ。葉師も、本来なら老師も、繰珠も関係がない話だ。自分でなんとかするしかないのは、わかっている。

「おい」

 後ろから声がした。振り返ると、金の瞳が冴え冴えと輝いていた。

「あれをなんとかしたら……少しくらい教えてやってもいい」

 言葉がよく理解できなかった。葉師は不機嫌そうに目を細めた。見えなくなったのに、瞳の光はより澄んで強くなったような気がする。

「お前が『黄林』として舞台に立つなら、ご指導してやる」

 自分が戸を叩きながら繰り返した言葉だと、鈴歌は繰珠の笑い声が聞こえてきて気づいた。葉師はさっさと室を出て行った後だった。


 ついこの前、値段を調べに歩き回った宿屋が並ぶ通りに立ち、鈴歌はその建物を見上げた。同じ宿屋でも鈴歌が見ていた建物とは、まず見た目が違う。夜でも光りそうな金銀の飾りがぶら下がっている。鈴歌がはなから値段を調べなかった宿屋の前に立つ羽目になったのは、ここに誠勇が泊まっているからだ。

 宿屋の裏には軒が止めてある。色鮮やかな飾りが付けられた、派手な軒だ。見間違えようもない。門をくぐるのが億劫になるような、豪奢な造りに、鈴歌は胸がドキドキとした。

「『お坊ちゃんの機嫌取りがうまくいったら、弟子にしてもいい』って、言ってるんだよ」

 繰珠が葉師のいなくなった室で笑って言った。やけに楽しそうな様子だった。葉師の言葉を代弁しているような言い方だったが、「ご指導」の意味が本当にそうなるのかは疑問だった。

 それでも希望にはなっている。誠勇を説得しなくてはいけないのは変わりないが、弟子になれるかはともかく、あの葉師に教えてもらえる。ようやく、自分の願っていたことに近づけた。

 自分の幼さと勝手さに反省はしたが、やはり願いは消えない。初仕事への期待も、葉師に認めてもらえたかもしれない喜びも、まだ胸の中で飛び跳ねていて、落ち着かない。

 これから先の苦労が、眼前に迫っているのもよくわかるが、それでも龍笛を吹きたかった。黄林として、仕事がしたかった。自分で仕事をして、その証を残したかった。父と母が残した仕事の証は、畑でとった野菜であり、それを食べて育った鈴歌と、弟妹たちだった。

 それを素晴らしく思うように、老師が自分へくれた龍笛の音色を、心を動かされるものに出会った喜びを、これから自分が誰かの心へ届ける笛の音を誇らしく思う。だから、証を残したい。ここで生きていたことを、老師や葉師、繰珠の親切を、一欠けらだけでも残したい。

 鈴歌は宿屋の戸を開けた。この一歩が未来を拓く一歩になることを願って。


「お前が誓えると言うなら、許してやる」

 誠勇は金色のふわふわとしたすわり心地の良い長椅子に、ゆったりと身を横たえながら、渋い顔で言った。それが彼なりの最大の譲歩だということらしい。すぐには、その条件を飲めなかった。

 飲み込むには大きく、固く、重たかった。とても飲める条件ではなかった。

 それでも、飲まなければ宴には出られない。仕事をすることも出来ずに、ただ誠勇に連れて帰られ、鳥の籠行き。飲む以外の選択肢は用意されていない。

 ここへ来る時に持ってきた夢も、老師に習った笛も、これまでの時間さえもが、無駄になってしまう。それはどうしても飲まなくていけない毒薬だった。

「本当に俺の言うことを聞くなら、待ってやる」

 鈴歌を急かすように、誠勇が念を押す。本当は条件を飲ませても仕事をさせたくないに違いない。追い込まれているのは鈴歌の方なのに、彼の方がずっと不機嫌で、嫌いな物を間違えて食べてしまった時のような顔をしている。

 室にあつらえられた調度品が輝く中、鈴歌はその眩しさに慣れねばならないことを思った。近くの壁に置物のように直立で立ち続けている従者にも、自分が今腰かけている椅子の立ちあがるのが億劫になるほどの沈み込みにも、慣れなければならない時が来る。それは決してずっと先の未来の話ではない。

 鈴歌は誠勇の気が変わらぬ内に返事をしなくてはならなかった。

「わかりました」

 ただ、深くうなずき、俯いた。

 誠勇は何も言わず、置物のように立っていた従者は後ろ手から、一枚の紙を卓の上へ滑らせるように置いた。鈴歌が視線を上げると、誠勇は口を開いた。

「誓いの証だ」

 重たげに口を動かして出てきた、低い声だった。紙には鈴歌が黄林として新年祭の宴で仕事をすること、それまでの期間を自由に過ごさせることを許す代わりに、鈴歌が飲まねばならない条件が、簡素に書かれていた。

 金の細い流線に縁どられた、光沢のある紙だった。用意された筆を、綺麗な硝子細工のされた墨壺へ入れ、紙へ筆を下ろした。

『以上の条件を承諾し、この誓いを破らないことを証明する。朱鈴歌』


 宿屋への道を一人とぼとぼと歩く。いつかの日の夕暮を思い出す。一人ぼっちで見知らぬ町を彷徨い歩いた、泣きたくなるような綺麗な星空の日。葉師と会った始まりの日。

 鈴歌は今、あの日とは違うことを考えている。

 誠勇を説得するために葉師の邸を出ようと意気込んだ鈴歌を、繰珠がそっと引き留めた。

「鈴歌ちゃん」

室には鈴歌と繰珠と、仁がいるだけ。優しい声音が響く。仁は立ち上がって、庖厨へ消えていく。

「これ、あいつには言わないで欲しいんだけどさ」

 繰珠は穏やかな顔で、ゆっくりと話し始めた。

「たぶん、鈴歌ちゃんみたいなのは、珍しくないし、珍しいのは、それに抗おうとしてここまで来ちゃった鈴歌ちゃん自身の方だと思う」

 ふっと、それが婚約の話だとわかった。

「俺らは、どっちかって言ったら王誠勇の方だけど」

 鈴歌は黙って聞いていた。繰珠がすっと、鈴歌と目を合わせた。茶色い瞳が澄んでいて、綺麗だった。

「恍は、鈴歌ちゃんの気持ち、わかってるはずだから」

 真剣な表情と声音。鈴歌はどういうことなのか、意図が読めなかった。葉師と繰珠は、選ぶ、命令する、誠勇と同じ側の人間だ。繰珠もさっきそう言ったばかりだ。けれど、鈴歌の気持ちが、選ばれる方の気持ちがわかっているはずだと、繰珠は本気で伝えようとしているのがわかる。

「王誠勇は、たまたま、自由だっただけだ。俺も恍も一人っ子でさ。自然と後継ぎになることを求められながら生きてきた」

 ゆっくりと語られるそれらは、じわじわと鈴歌の心に刺繍針を刺して行った。

「しかもアイツは、早くに両親が死んでる。伯父様と伯母様に育てられてる。外から見てても、結構口うるさい家だった」

 繰珠が俯く。初めて聞く、葉師の家庭事情。

「だから、アイツにはガキの頃から、婚約者がいた。けど、本人が全部ぶち壊した」

 鈴歌は、不意に納得した。身分がある人は選べると思い込んでいた。選べない立場だから、強いられるのは仕方ないのだと。けど、選ぶのが本人じゃなかったら? それは鈴歌が思っていたような、自由な高貴な方々じゃない。

「十五、六の頃かな。そろそろって再三念を押されてた婚礼を、アイツは無視して、俺んとこに来て『お前の祖父さんに龍笛を習いたいから、紹介してくれ』ってさ。そんなことしてる場合じゃねぇだろって、言ったんだけどな」

 老師は葉師のことを、孫が連れてきた友人だったと言っていた。今の葉師のように、老師もまた、弟子をとらない主義を三十年以上貫いていた。そんな老師が、葉師を弟子にした理由を、知らないし、聞いたこともなかった。自分を弟子にしてくれたように、自然な流れで気づいたら、そうなっていたんだろうと思っていた。

「なんて言ったと思う? アイツ」

 繰珠がにっと口角を上げた。見慣れたいたずらっぽい笑み。鈴歌は首を傾げた。

――婚礼をしないで、龍笛を習いたい理由?

 ぱっと浮かんだのは、今の自分の本心だった。だから、言えなかった。

「『そうしないと、生きていけない』って、それだけ。……まあ、それでなんとなく意味が分かっちまった俺も俺だけど」

 溜息を吐く、繰珠の顔はどこか嬉しそうだった。

――『そうしないと、生きていけない』

 頭の中に言葉が満ちて行く。絶望を孕んだ言葉だと思った。けど、それと同じぐらい、希望を含んでいるとも思う。

「結局、アイツは龍笛奏者になって、婚礼も婚約者も、家業もほっらかし。俺も、それに付き合っちまってる。……俺も祖父さんも、アイツの家族には嫌われたもんだよ」

 繰珠が喉の奥の方でくつくつと笑った。仁が茶杯を二つ持ってきた。

「アイツの言い分に感化されて、俺も婚礼上げてねぇし、人のこと言えねぇけど……悪いばっかりじゃない、はずだぜ、婚礼上げんのも。説得力ねぇな、って俺も思うけど」

 優しい花の香りが鼻をくすぐる。下を見ると可愛らしい桃の花が、堂々と花びらを広げて、咲いていた。

「好きなところに納まれれば、それが一番なんだろうけどな。手の中に入れてみねぇとわからないこともある。俺と恍は、納まろうとしなかっただけで、納まったからって不幸になるわけでもないだろ」

 繰珠を見上げると、まぶたを閉じて、茶杯を傾けている所だった。鈴歌も茶杯に口づけた。甘苦い、桃の香りがする。

――そうしないと、生きていけない

 目を閉じると、村の桃の木が見えた。赤く熟して、甘く、柔らかな、ちょっとしたことで傷がついて、痛んでしまう桃。優しく触れて採るのは、女たちの仕事だった。

――そうすれば、生きていける。傷だらけの痛んだ桃でも

 鈴歌は鐘が鳴ったのを聞いて、葉師の邸を出た。繰珠は柔らかく笑って、見送ってくれた。


 鈴歌は帰らなかった。と言っても、彼女の住処はここではない。誠勇と交渉後、世話になっている酒家へ帰ったのだろう。

 恍はそう思いながらも、憤然とした思いが消えなかった。そのためか、疲れのせいなのか、寝つきは悪かった。

 もたもたと寝台から這いずり、衣を着替える。今日は一段と寒いな、とかじかむ指先の痛みに吐息を吹きかけた。まだ日は登らず、外は薄暗い。寝つきが悪かったのに、目覚めるのが早い。

――最悪だな

 別段急いでやることがあるわけでもないのに、早く起きすぎてしまった。体は重たいのに、目は冴え冴えとしていて、頭は昨晩のことをはっきりと思い出している。

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