誘拐された婚約者を救うために、第一王子は剣で戦い、妹はヴァイオリンを弾く
赤い夕陽に照らされる森に沿った街道を、2頭の馬に曳かれた箱馬車がゆっくりと進んでいる。その進路に突然、1つの人影が森から歩き出して来て立ち止まる。それは黒い三角帽子を頭に被り、黒いローブを身に纏い、手に長い杖を持つ老婆、老魔法使いであった。
馬車の御者が慌てて馬車を止めると、老魔法使いが杖を掲げて、長い呪文を詠唱する。すると、森から黒い霧が湧き出して来て馬車を包み込み、御者はガクンと首を落として眠りに落ちる。
老魔法使いはニタリと薄気味悪い笑いを浮かべると、箱馬車のドアを開ける。中を見て満足そうに頷くと、再び長い呪文を詠唱する。すると、箱馬車の中から豪華なドレスを着た美しい令嬢の身体がフワリと中空に浮かび、箱馬車の外へ出て来る。
令嬢は寝ているのだろう、その身体はピクリとも動かない。老魔法使いがクルリと後ろを向き、黒い霧に包まれた森の中へ入って行くと、フワフワと空中に浮かぶ令嬢の身体もその後ろに従って森の中へと消えて行った。
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翌朝、王宮の執務室で第一王子セドリックは書類に目を通していた。ドアからノックの音がして、返事も待たずに1人の騎士が飛び込んで来る。
「殿下、プラム公爵家から至急の使者が来ました。昨日セリナ様が王宮からの帰りに誘拐されたとのことです」
騎士の言葉に第一王子セドリックは、顔色を変えてイスから立ち上がり騎士に問う。
「なに、どういうことだ。詳しく報告せよ」
「詳しいことは公爵家にて、とのことらしいです」
それを聞いた第一王子セドリックは、イスの後ろに置いてあった剣を取り執務室から飛び出した。
公爵家令嬢セリナは第一王子の婚約者であり、2人は周囲も認める相思相愛の仲である。半年後、セリナが成人すると結婚する予定なのだ。
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第一王子が公爵家屋敷に到着して応接室で待っていると、公爵と10才くらいの少女が入って来た。定型の貴族の挨拶を交わした後、公爵が口を開く。
「王子殿下にお越しいただき恐れ入ります。こちらはセリナの妹のジュリアです。この件には我が公爵家の秘密の魔法が関わりますので、手紙や王宮で話すことができないのです」
公爵の言葉に婚約者のことしか頭になく心配な第一王子は、謝罪を受け入れ先を促す。
「そうか、わかった。それでセリナ嬢はどうなっているのだ」
「昨夕、王宮にセリナを迎えに行った箱馬車がいつまで経っても帰って来ませんでした。屋敷の者を探しに行かせたところ、魔女の森横の街道で箱馬車が発見されました。セリナの姿は無く、眠っていた御者を起こして事情を聞いたところ、黒い霧に包まれて気を失ったとのことでした」
聞き慣れない言葉に第一王子は首を傾げて尋ねる。
「魔女の森とは聞いたことのない言葉だが、……」
「人々が西の森と呼ぶ森のことを、我が家に残る言い伝えでは魔女の森と呼んでいます。理由は、あの森に魔女が住んでいると伝えられているからです。その魔女は50年に一度森から出てきて若い女性を誘拐するのです」
「なぜ若い女性を誘拐するのだ?」
「寿命を延ばすために、あの魔女は現在の身体が老いると新しい若い身体を手に入れるのです。そうやって魔女は永遠の生命を手にしているのです。今回は我が家のセリナが、魔女の新しい身体として誘拐されたのです」
にわかに信じられない話だが、第一王子は、とりあえず信じることにする。
「そうなのか。それで私は彼女を取り戻したいのだが、どうすればいいのだ?」
「森は黒い霧に覆われていて、森の中は1メートル先しか見えません。しかし、我が家に伝わる魔法を使えば、セリナのいる場所に辿り着けます。ただし、セリナと殿下との愛が真実の愛であれば、ですが」
その問いに、第一王子は即座に胸を張って答える。
「もちろん私とセリナの愛は真実の愛だ」
それを聞いて、公爵は微笑んで説明を続ける。
「知っておりましたぞ、第一王子。これ以上の説明はセリナが誘拐された現場で説明します。さあ、行きましょう」
*
公爵家の箱馬車に第一王子と公爵、妹のジュリアが乗り誘拐現場に着くと、ジュリアは一辺が2メートルほどの布を地面に広げる。布には直径1メートルの円型魔法陣が描かれている。
「王子、魔法陣の中央に立ってください。そして、演奏が終わるまではそのまま動かないでください。演奏される曲は『愛の夢』です。真実の愛で結ばれている2人は、いつでも夢の中で会える、という言い伝えを曲にしたものです」
頷いた第一王子が魔法陣の中央に立つと、ジュリアがヴァイオリンの演奏を始める。すると、魔法陣が眩しく光り、第一王子の左手の薬指からキラキラ光る赤い糸が森の中へ伸びていく。演奏が終わるまで糸は伸び続けた。。演奏が終わると公爵が説明をする。
「この赤い糸はセリナの左手の薬指と繋がっていますから、この赤い糸がセリナへと導いてくれます。途中で2人の真実の愛を邪魔をしようとする者が現れば、周囲を赤く照らします。無事にセリナと会えたなら、2人の左手の薬指を合わせてください」
「わかった。では行ってくる」
「王子殿下、無事のお帰りをお待ちしております」
「王子様、どうかお姉様を救ってください」
2人の言葉に送られて、第一王子は森へと足を進めた。
*
第一王子が森に入ってしばらくすると、赤い糸が光った。照らし出された周囲に浮かび上がったのは、2本の角がある牛の頭を持つ魔人間だった。それが言う。
「愛なんてものに振り回される情けない男はここを通さん」
吐き捨てるように言うと、それは手に持つ剣を上段に構える。次の瞬間、第一王子に向かってウリャーの掛け声とともに剣が振り下ろされる。第一王子も剣で受け止めるが、身体がぐらつき後ろに倒れそうになる。
奥歯を食いしばって耐えた第一王子は、自分の指から伸びている赤い糸がそれの胸を貫いているのを見た。そして、セリナへの思いを強くする。決して負けない、相手を倒してここを突破すると。そして、力を込めて相手の剣を跳ね返し、それの胸に剣を真一文字に横に振る。すると、それは煙となって消えた。
第一王子が再び歩き出し、次に赤い糸が光った時目に入ったのは、全裸に透明な薄い布を纏っただけの若くて胸が大きい美女だった。美女が口を開く。
「お兄さん、ちょっと寄って行かない? 私の体を使って男の本能を爆発させると気持ちいいわよ」
第一王子は全く興味を引かれなかったのか、美女をチラッと見ただけで、表情を変えずに通り過ぎようとする。すると、美女が言う。
「ねえ、お兄さん、あなた、私の美しい顔と見事な体を見て何も思わないの? お兄さんは男なの? 男の本能はないの?」
第一王子は何も聞こえなかったかのように、そのまま歩き続ける。それを見て焦ったのか、美女は左から手を伸ばして第一王子の腕を捕まえようとする。第一王子が左手でその手を払いのけようとした時、第一王子の薬指から伸びている赤い糸が美女の手に触れた。その瞬間、美女は煙となって消えた。
その後、赤い糸を頼りに進み続けた第一王子は、かなり古い家を発見する。その家から黒い三角帽子を頭に被り、黒いローブを身に纏い、手に長い杖を持つ老婆、老魔法使いが出て来る。赤い糸が第一王子の指から出ているのを見た老魔法使いが憎々しげに言う。
「赤い糸で儂の魔法を邪魔したのはあんたかい? 左手の薬指から赤い糸が出ているあの娘の体には儂の魔法がかからない。この体の寿命はもうすぐ尽きるのじゃ。新しい体を手に入れないと儂は死んでしまうのじゃ。早く赤い糸を消すが良い」
第一王子は即座に返答する。
「断る。私はセリナ嬢を助けに来たのだ。そこをどけ」
「フェフェフェ、馬鹿な男じゃのう。お前を殺せば赤い糸も消えるのじゃろう。ここで死ぬが良い」
そう言って老魔法使いは杖を掲げ、長い呪文を詠唱し始める。その瞬間、第一王子は剣を抜いて走り始める。魔法使いと戦う時は、呪文の詠唱を終わる前に倒すのが定石なのだ。
トォー、掛け声をかけて第一王子は老魔法使いに斬りかかり、一撃で倒す。地面に倒れた老魔法使いの身体は、徐々に黒い煙になって消滅していく。老魔法使いの身体が消滅し終わると、森を覆っていた黒い霧が薄れていく。やがて森の上に青い空が広がった。
第一王子が家に入ると、ベッドの上にセリナが寝ている。第一王子は慌ててベッドに駆け寄り、セリナが息をしているのを見てホッとする。その時、赤い糸に曳かれるように、第一王子の左手の薬指がセリナの左手の薬指に触れる。すると、赤い糸が消えて赤い光がピカッと輝いてセリナの目が開く。第一王子が喜んでセリナに呼びかける。
「セリナ、セリナ、大丈夫か?」
セリナは目をキョロキョロさせて周囲を見てから口を開く。
「ここはどこ? 私はどうしたの?」
「悪い魔法使いの家だ、誘拐されたのさ。でも、もう大丈夫だ。悪い魔法使いはもう倒した。さあ、家に帰ろう」
そう言って、第一王子が手を差し伸べると、セリナはその手を取り起き上がる。しばらく部屋の中をゆっくりと歩いて身体に以上がないことを確認する。それで2人は安心したのか、抱き合って喜ぶ。そして、2人は家から出て帰路に着いた。
*
半年後、第一王子セドリックと公爵令嬢セリナの結婚式が、『愛の喜び』の曲が流れる中、国中の人々に祝福されて行われた。
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参考
「愛の夢 第3番」 作曲 リスト
「愛の喜び」 作曲 クライスラー