運命の相棒
11月から通い始めた予備校の授業は通常授業ではなく俗に言う最終の追い込みの冬季集中講座であった。
1年のブランクはあったが、正義はそれを埋めるべく早朝と帰宅後と寝る前まで勉強に励んだ。
家事は一途が心の面倒を見ているということで
「分担にしよう」
何もかも一途さんにおんぶにだっこじゃ俺が心苦しいし
「自動掃除機のトンボと洗濯機がほとんどしてくれるから大丈夫」
料理も気分転換になるから
ということで正義が行うことにしたのである。
一途はそれにあっさり
「わかったわ、ありがとう」
と答え
「でも、勉強に差し障るようになったら言って」
今まで家の事を全部任せていたんだもの
「お互いに何か優先しないといけない時は協力しましょ」
と告げた。
心も何かを感じているように一途の職場でも大人しく、どうやら弟の各務と父である進のアイドルとなっているようであった。
一途はそれを笑って
「父も弟も相当の祖父バカ叔父バカになりそうね」
と告げた。
長い冬の雪が解けて一途の心にも春の風が流れ始めたようで正義はその事が凄く嬉しかったのである。
専業主婦の探偵推理
予備校の冬季集中講座に参加する浪人生は多かった。
その殆どは講座が終わるとそそくさと帰宅の途について帰っていくのである。
正義も例にもれず講座で使っているタブレットの電源を落とすと
「ふぅ」
と息を吐き出し
「今日の夜は何にしよう」
とぼやいて立ち上がった。
「それはやっぱりすき焼きだな」
と後ろの席から声が響いた。
驚いて振り向くと
「毎日夕飯作ってるの?」
すげーな
と声の主がにっこり笑って告げた。
「ここのところ後ろの席になることが多くて授業終わったら飯テロされてた」
アハハと笑って告げたのである。
「俺、白露真理」
君は?
言われて正義は
「あ、俺は神楽正義」
と答え
「そんなに俺毎日言ってたかな?」
と呟いた。
真理は笑って
「言ってた言ってた」
昨日はハンバーグで一昨日は天津飯
とICレコーダーを取り出すとそれを流した。
正義はギョッとすると
「……いや、その……俺の独り言なんてとっても意味ないよ」
しかも夕食のメニュー
と呟いた。
真理はそれを切りながら
「悪い、ついつい癖でね」
と言い
「でも、意味ないことなかったろ?」
君と話すきっかけになった
と席を立ちあがった。
正義は驚いて目を見開くと
「……そうだね」
と答えにっこり笑うと
「面白いね、白露君は」
と告げた。
真理はそれに
「そうか? よく言われる」
と答え
「けど、正義も面白いよ」
切り換え早いし
「タブレット切りながら夕食のメニューだからな」
と笑った。
「俺のこと真理でいいよ」
正義は笑みを深め
「じゃあ、真理」
これからよろしくね
と告げた。
真理は笑って
「ああ、よろしく」
と答え、足を踏み出しかけた。
その時、講義室の扉の向こうから悲鳴が響き渡った。
正義と真理は顔を見合わせるとそれぞれ頷いて鞄を手に駆け出した。
扉を開けた向こうに丁度帰ろうとした学生たちが屯しており、塾の建物のフロントに繋がる廊下にある男子トイレに集まっていた。
正義と真理は人の間を縫って男子トイレの前へ行って開け放たれた扉の向こうの光景に息を飲み込んだ。
正義はトイレで腰をさされて倒れている学生の横に屈み
「ごめん、真理」
と叫んだ。
真理は携帯を手に
「いま救急と警察に連絡してる」
と返した。
そして、同時に
「外へ出たら犯人とみなされるから出るなよ!」
と叫んだ。
全員がビシッと固まった。
正義は止血しながら
「……真理、凄い」
これで犯人も動けなくなるよね
と心で呟き
「しっかりしてください」
返事だけで良いので聞こえていたら名前を言ってください
と呼びかけた。
凶器のナイフは刺さったままで背後よりは斜め向かいから刺されているような感じであった。
トイレ消臭のラベンダーの香りが広がり正義は鼻をクンクン鳴らした。
「……結構きつい匂いだよね」
そう心で呟き救急車の到着を待ったのである。
少しして救急車が到着し被害者の男子学生・山田修次を乗せて立ち去った。
パトカーもほぼ同時に到着して渡井武と久守晴馬が姿を見せた。
渡井武はトイレのところで立っていた正義を見ると
「お?」
神楽君か
と言うと
「詳しく聞こうか」
と告げた。
正義は頷いて
「あ、はい」
と答え、隣に立っている真理を見て
「講義が終わって帰宅しようとしたら悲鳴が聞こえて駆けつけたら先の人が刺されて倒れていたので手当てをしました」
と告げた。
「救急と警察には心理が連絡をしてくれました」
あと学生などの足止めも彼が
武は真理を見ると
「君が?」
名前を
と聞いた。
真理は頷いて
「白露真理」
俺が連絡して正義が手当てを
「一応、ビルから出ると犯人にみなされるので出るなとは言っておきました」
と答えた。
久守晴馬は真理の名前を聞くと目を見開いた。
「……あの推理作家探偵で有名だった白露允華の孫か」
真理はそれに
「あ、と言っても俺は次男で自由人なんで」
こうやって予備校生
と笑った。
周囲の学生たちは全員立ったまま武たちを見つめていた。
武は頷いて
「わかった」
と言い、周囲に立っていた学生たちの方を見た。
「すみませんが、ご協力お願いします」
そう言って全員を並ばせて一番狭い講義室で聴取と持ち物検査を行うことになった。
とにかく人数が半端ないのだ。
晴馬は正義に
「すみませんが、神楽さんもお付き合い願えますか?」
と告げた。
正義は頷いて
「はい」
と答えた。
真理も「じゃ、俺も」と正義について進んだ。
晴馬は驚いて
「え?」
と声を零した。
正義は晴馬に
「彼は俺と一緒にいたのでアリバイはあります」
と告げた。
「それに彼は良い探偵です」
と付け加えた。
それに真理は笑って
「あ、アシストな」
とフォローした。
2人も講義室に入り持ち物検査と事情聴取に付き合うことになったのである。
真理は正義に
「けど、犯人は刺してそのまま帰るとか……してないか?」
と囁くように聞いた。
正義はそれに
「無いよ」
と答えた。
「恐らく刺されたのは講義中だから……刺して途中で帰ったら犯人ですって言っているようなものだろ?」
フロントにはカメラがあるし
「だから、トイレに行く振りをして戻ってると俺は思うけど」
真理と話を聞いていた武と晴馬は
「「「なるほど」」」
と同時に心で呟いた。
当時の冬季集中講座に参加していた塾生は60人ほどであった。
2クラス30名ずつである。
ただ、その中でも一番重要視されるのが途中で席に立って講義室を出た人間である。
講義中一度も退座していない人間はある意味犯人ではない。
あと、被害者の男子学生が中座する前に戻ってきてその後出て行っていない人間も、である。
正義はその事を頭に入れて学生たちの話を聞き5人ほどの人間を注視した。
一人は途中でトイレに行った男子塾生の加田友一で被害者の男子学生・山田修次が席を立って少ししてトイレへ向かった。
彼は直ぐに戻ってきており
「確かに山田がいましたが、俺は用を足して直ぐに出て行きました」
と告げた。
持ち物はノートに筆箱に極々普通の学生鞄の中身であった。
血も何処にもついていなかった。
次に白嵜亜夫である彼も山田修次の後に席を外した人間である。
彼はその後の行動に
「俺はトイレには行っていません」
と言い
「喉が渇いたのでジュースを買いに出たんです」
と答えた。
持ち物はノートに筆箱とその時に買ったペットボトルであった。
先の加田友一とあまり変わりがなかった。
三人目は鎌田美樹と言う女性であった。
一応、山田修次の出たしばらく後に席を立った人間であった。
彼女はさっぱりと
「私、トイレには行きましたが女子トイレなので」
男子トイレになんてはいりません
と答えた。
持ち物はノートと筆箱は先の二人と一緒だったが他にもファンデーションに口紅に下地クリームなどが入った化粧バックが入っていた。
正義は不意に
「あの、匂いがするんですけど」
と告げた。
彼女は服を匂い
「あ、多分トイレの消臭剤の匂いかも」
キンモクセイ意外とすきなんですけど
と答えた。
もちろん、血の跡はなかった。
4人目は浅野真純という女子塾生で彼女も山田修次が出た後少しして席を立った人物であった。
彼女は席を立った後の行動に
「トイレです」
と答えた。
「直ぐに戻りました」
正義は彼女を見て
「匂い……しないんですけど」
と告げた。
彼女は消臭瓶を置くと
「トイレの匂いがキツイので消臭しました」
キンモクセイは嫌いじゃないけど
「服についてるとトイレ行ったこと分かるので」
とプンッと答えた。
荷物はノートと筆箱だけでさっぱりとしていた。
勿論、血はついていなかった。
最後の5人目は友水由子であった。
彼女は浅野真純が出た後少しして席を立った人物であった。
彼女は「トイレに立ったんですけど、男子トイレには行っていません」と言い
「女性の私が男子トイレで山田修次さんを刺すなんてできないですよね」
と付け加えた。
正義は鼻をクンッと鳴らすと
「あの、匂いがするんですけど」
と聞いた。
友永由子は服を手に鼻で嗅ぐと
「この匂い……ラベンダーかしら」
と答えた。
持ち物もノートと筆箱と彼女の場合は鎌田美樹と違って化粧品バックではなくソーイングセットが入っていた。
全員の話と持ち物検査を終えると武は正義を見て
「誰も血もついていなかったし」
と呟いた。
正義はそれに
「一人だけ矛盾している人が居ます」
と言い
「少し確認してきます」
と動きかけた。
が、それに真理が
「あ、調べるのは俺な」
と言い
「何を調べて欲しいんだ?」
と聞いた。
正義は心理に男女のトイレに行くように告げた。
真理は「了解」と応えると部屋を出てトイレを回り
「なるほどな」
と言いながら戻ってきた。
正義は武と晴馬の視線を受けながら真理の写してきた携帯を見て
「やっぱり」
と告げた。
「犯人は彼女です」
それに武は
「彼女?」
男子トイレで?
と聞いた。
正義は頷いた。
「だからこそです」
そう言い真理の携帯の写真を見せて
「男子トイレの消臭剤と女子トイレの消臭剤が違うんです」
男子トイレはラベンダー
女子トイレはキンモクセイ
と告げた。
晴馬はハッとすると
「あ、友永由子はトイレに行ったと言い且つラベンダーの匂いを」
と告げた。
武は腕を組むと
「つまり、トイレはトイレでも彼女は男子トイレに行ったってことか」
と告げた。
正義は頷いた。
真理は正義を見ると
「けど、凶器はあったけど指紋が出るとは思えないけど」
と告げた。
正義は頷いて
「多分ね」
と言い
「あれだけ堂々としているってことはね」
と告げた。
「そう考えると持ち物をルミノール検査して調べるしかないかなぁと思ってる」
真理は「出ると思ってるのか?」と聞いた。
正義は笑顔で
「出るんじゃないかなぁと思ってる」
と答えた。
武は息を吐き出し
「どちらにしても彼女を呼んで匂いの件を問いただしながら検査だな」
と告げた。
「痕跡をこれ以上隠滅される前にな」
晴馬は頷いて部屋を出ると友永由子を連れて戻った。
彼女は彼らを見て
「あの、どうして私を?」
と聞いた。
武は彼女を前に
「君はトイレに行ったと言っていたが男女のどちらのトイレに行ったのかと思ってな」
と告げた。
彼女はそれに
「勿論、女性トイレです」
女ですから
と答えた。
武は「だとしたら君の身体からしたラベンダーの香りはおかしいんだが」と言い
「男子トイレの消臭剤は君の身体からしたラベンダーだが」
女子トイレはキンモクセイなんだ
と告げた。
それに彼女は驚いて
「あ、あの」
と言い淀みながら
「間違えて……そう、少し間違えて入ってしまったので匂いが移ったんだと思います」
と告げた。
それに関して武は
「……そうか」
と言い
「間違えたとしても女子トイレにその後入ったのならキンモクセイの匂いがするとは思うが」
詳しくは署で話を
と告げた。
友水由子は唇を噛みしめた。
そのとき、荷物のルミノールを調べていた鑑識が
「出ました」
と告げた。
正義は渡されたモノを見て
「やはり」
と言うと友永由子に視線を移した。
由子は深く息を吐き出し
「まさか、ソーイングセットの中までルミノール反応を調べるなんて」
何故?
と聞いた。
正義はソーイングセットの中の小さなハサミを見て
「凶器は残っていたのに指紋が無かったということはハンカチとか手袋とかで掴んで刺したのだと判断しました」
と言い
「けれど犯人は怪しまれないために恐らくトイレで凶器を掴んで血の付いたものを流したのではないかと思い、その場合に必要なモノを考えればハサミとかカッターかなぁと」
と告げた。
「けれど、何故こんなことを?」
由子は視線を伏せたまま
「……彼氏に持ちかけられて美人局をしているところを彼に見られて……」
犯罪だからやめた方が良いとやめなければ警察に話をすると言われて
と告げた。
武は大きく息を吐き出し
「それはそのまま彼の言う通りだな」
その話も詳しく話してもらう
と逮捕すると由子を連れてビルを後にした。
真理は見送り
「自分を助けようとした相手を害しようとするなんてな」
全く自業自得だな
「捕まって良かったぜ」
と告げた。
正義は頷いて
「そうだね」
と言い
「引き返せたらまだ罪は軽く済んだのに」
と告げた。
真理はそれに
「もう言っていることが正しいのか過ちなのかよりも」
ただただ
「自分を邪魔するモノかそうでないかの判断しかできなかったんだろ」
自分が間違っているのにな
と言い
「そんな人間が法を司る職に着いたらそれに関わる人間が不幸になるから同情の余地もないし同情をしてはいけない」
と厳しい口調で告げた。
正義は自分の言葉の中のその感情を見透かされたのだと理解すると
「……そうだね」
と答え、手を出した。
「ありがとう」
真理はそれを見ると
「いや、でもこれは俺の意見だからな」
と告げた。
正義は笑顔で
「真理は正しいよ」
と言い
「俺が流されてしまいそうなところをビシッと食い止めてくれた」
と告げた。
真理は首を振り
「でも正義はそれに流されないだろ」
と答えた。
そして
「じゃ、帰るかな」
と解放されてビルを出て帰宅の途に付いた塾生たちと同じように足を踏み出した。
正義も一緒に歩き出しながら
「あ、今日の夜……すき焼きにするかな」
と呟いた。
真理は笑って
「やっぱり、正義は切り換え早いぜ」
とビシッと指摘して
「じゃあ、また明日な」
と言うと駆け出した。
正義は手を振って見送り
「すき焼きか」
と呟きながら、夕暮れの朱に染まる町の中を家に向かって足を進めた。
刺された男子生徒は助かり友水由子のことを全て話した。
友水由子の彼氏もまた他でも同じように美人局をさせて荒稼ぎをしており、逮捕されたのである。
正義と真理は冬季集中講座では隣に座るようになり、正義が大学の法学部を受けて将来探偵になろうと思うと告げると真理はあっさり
「だったら、俺は正義のアシスタントな」
宜しく
と相棒宣言をしたのである。
実はこれが探偵として有名になる二人の出会いであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。