vision:Ⅰ 私を呼ぶ聲 ~廻り始めた歯車~
すべての始まりは、そう。
いつからか思い出せないほどに
繰り返し繰り返し見る夢だった。
それがどんな意味を持つのかは、この時はまだ、わからなかった。
けれど、たぶんきっと。
その時にはもう、全ては決まっていたのかも知れない。
これからの運命の裁定として。
その歯車が、廻り始めたんだと言うことを、告げるために…。
―――――ごめんなさい。
…ねぇ、何をそんなに謝っているの?
―――――もう、いい子になるから。
…ねぇ、誰に謝っているの?
―――――赦して下さい。
…ねぇ、もう泣かないで。
―――――ごめんなさい。
―――――ごめんなさい。
―――――赦して下さい。
―――ズキッ―――
ひたすら泣き続ける子供。
その泣声が、耳障りな雑音-noise-となって。
次第に耳の奥から、ズキズキとした頭痛が拡がっていく。
―――――ごめんなさい。
(…煩いな。)
―――――ごめんなさい。
(……消えてしまえばいいのに…。)
―――ズキッ―――ズキッ―――
酷くなっていく頭痛に、苛立ちも強くなって。
もうその雑音を聞きたくなくて。
耳を塞ぎ、目を閉じた。
すると、あんなにも耳障りだった声が、ふいに聞こえなくなって。
そして、再び目を開いた時…。
目の前には
鈍く光る大鎌と
紅い滴に染められた 黒い影
微かに錆びついた鉄のような匂いが、漂って。
紅に染まる視界の中に、その黒い影が揺らめく。
(………誰?)
ぼんやりとその姿を見つめていると、影がこちらへ振り向いて。
けれど、同時に目の前の大鎌が降り下ろされ、その瞬間―――。
―――カシャン…ッ―――
(………えっ?)
一瞬、鎖のような音が聞こえた気がして。
けれど、気付くとそこは私の部屋だった―――――。
テーブルに置かれた時計に目を向けると、もうすぐ夜明けを告げる時間。
微かに聞こえる鳥の囀りや、黎明な光がほんのりとカーテンの隙間から射し込んでいた。
(―――また、夢…。)
最近になって、夢を見るようになった。
それは、くり返される同じ夢。
泣いている子供。
その子供を見つめる自分。
そして、―――――。
あの影が現れた直後に、いつも目が覚める。
(…誰なんだろう?あれは、…。)
(私、“あの人”を、知っている気がする…。)
(でも、…。)
思い出そうとすると、夢の中で泣いていた子供の泣き声が、耳鳴りの様に聞こえて。
謂い様のない恐怖に身を震わせた。
この時、私・織笠千紗都はまだ、気付けずにいた。
これが、“始まり”であることに―――――。
市外から高校まで電車で通っている友人の緋村有希那とは、帰りの電車が来るまでの時間、その最寄り駅の近くにあるデパートへ一緒に遊びに行っていた。
1階には喫茶店、2階には遊戯コーナーなどの店舗が入っていて、電車を待つ学生達にとって、とっておきの場所だった。
私と有希那も、いつも遊戯コーナーで時間まで一緒に遊んでいた。
その中で、最近私がはまっていたのは、プリクラ機の隣に深紅のカーテンで囲われた、いかにも占いの館を思わせるような、タロット占い遊び。
自分の名前・生年月日・性別を入力し、占いたい事を選んでいき、その選択に応じて決められた枚数のカードを引いていき、運命を診断していくのだ。
最近はずっと、同じ事を占っていた。
それは、繰り返し見続ける、あの悪夢の事…。
『カードを一枚、選んでください。』
ゲーム機から流れるアナウンスに従いながら、カードを選んでいき、順に引いたカードの絵柄と位置を確認して行く。
その後も何枚かカードを引いていき、最終的な結果としてプリントされた用紙を取って、書かれた内容を見ていた。
その一部に、次のような文面が記されていた。
『今のあなたは真実から目を逸らしている状態です。それ故、思い通りにならない現実から逃避したいと思う事が多いでしょう。そして問題となっているものに対し、あなたは積極的に解決させようとしていません。今のあなたに欠けているのは、問題に立ち向かう為の強い意志を持つことです。その意志を持たない限り、現状は変わりません。
問題の解決となるのは、あなた自身の過去に有ります。なぜなら、その問題は過去からの因果に置いて現在のあなたに降りかかって来ているからです。過去に起きた出来事をもう一度思い出してみてください。きっとあなたを導くための鍵が眠っています。
問題を解決したあなたには輝かしい世界が待っています。あなた自身が過去の出来事をきちんと受け止め、現実から目を逸らさなければ、あなた自身が描く最高の舞台を手にすることが出来るでしょう。』
「―――過去に起きた出来事…。」
その言葉に、私は表情を曇らせた。
自分の過去にあった出来事が関係しているという事は分かっている。
だけど、それはもう自分の中で封印され、二度と思い出したくない事でもある。
「あれ?どうかした?」
「っ!?」
横から有希那が覗き込んでいて、思わず私は用紙をクシャクシャにしてしまった。
それを見て何を思ったのか、有希那は面白そうに無邪気な笑顔をしながら、私の顔を窺っている。
「もしかして、理想の恋人の事で望みが無かったとか?」
「ちっ違う!そんなんじゃないって!!」
「大丈夫っ。千紗都は可愛いから、いつかきっと、理想の恋人と出会えるよ。」
「む~…。」
「ほら、そんな顔しない。千紗都の笑顔は最高に可愛いんだから!ねっ!」
何でもすぐに恋愛と結び付けたがる有希那。
それは、私達がごく普通の女子高生で在るからこそ、交わす会話。
そんないつもと変わらぬ日常。
ずっと、こんな平穏な日々が続けばいいと、当たり前に思い過ごしていた。
けれど、ほんのささいなきっかけで、その当たり前な日々が壊れてしまう事も、私は知っていた。
そう…“あの日”から、ずっと…。
『………。』
(えっ?)
他愛も無い会話に夢中になっていた私は、ふと誰かに呼ばれた気がして、その声が聞こえた方を振り向いた。
視線の先にあるのは、エスカレーターとこの遊戯コーナーを繋ぐ通路。
でもそこには、誰の姿もなくて…。
「千紗都?」
急に誰もいない通路を見る私の行為に、有希那は不思議そうに首をかしげた。
「…あ、ごめん。なんか今、誰かに呼ばれた気がして…空耳かな?」
「それって、もしかして…。」
「~っ!!だから違うってばっ!もう!」
「はいはい。」
そう言いながら、私に抱きつく有希那。
周りに居た大人たちは、そんな仲睦まじそうな私達を見て、微笑んでいた。
それからもしばらく遊んでいた私達は、電車の来る時間が近付くとともに、その遊戯コーナーから出て、駅へと足を向けた。
デパートを出ればすぐ、駅前の噴水広場に出ることができ、ちょうど、その噴水の前を通り過ぎようとした時…。
『………。』
「―――っ!」
また誰かに呼ばれた気がして、振り返っても、駅に向かい足早に通り過ぎていく人たちがいるだけで…。
立ち止まっている私を邪魔そうに、怪訝そうな表情をしながら通り過ぎていく人々。
夕刻を知らせるメロディーと共に、外灯に明かりが点り、スポットライトに彩られながら湧き上がる噴水。
いくら見渡しても、誰も私の名を呼ぶ人の姿は、見えなかった。
制服の袖をツンツンと有希那に引っ張られ、私は我に返った。
「千紗都…?どうしたの、さっきから変だよ?」
「…また、誰かに呼ばれた……。」
「…う~ん?」
さすがに有希那も不思議そうに首をかしげ、一緒に周りを見るが、「そんな人、誰もいないよ?」と言うのと、電車がホームに入ってくるのが同時で…。
「ありゃ、来ちゃったよ…じゃあ、またね!」
有希那は心配しながらも、急いで改札を通りホームに出ると、振り返って叫んだ。
「あんまり考え込んじゃ駄目だよ!千紗都ってばすぐに無茶するからっ!」
「っ!無茶なんかしてないもん!」
「えへへ。じゃねっ!!」
電車の中へと入っていく有希那を見届け、改札の外から手を振ると、有希那も手を振り返し、電車はホームからゆっくりと発車して行った。
電車から降りてきた人たちが、次々に改札口を通り、私の横を通り過ぎていく。
その人ごみの中に紛れる様に、私も駅から離れた。
「はぁっ」と息を吐けばほんのりと白く霞み、既に日が暮れ、ふと空を見上げた。
本来ならば、星が見えるのだろうけど…、駅前通りの商店街で照らされる外灯に遮られ、薄暗い闇にしか見えなかった。
もう少しでクリスマス、そして、その後に私の18回目の誕生日を迎える。
私がまだ幼い頃…だいたい幼稚園か小学校低学年位だっただろうか…。
毎年、誕生日には近隣市のデパートのレストランで、バースデーケーキを前にして記念写真を取ってくれる店員さんと、私の横で幸せそうに微笑む家族と共に、小さな誕生会を開いていた。
今となっては、それはあまりにも純粋で、綺麗過ぎた過去の思い出。
歳を重ねるにつれ、次第に家族で揃って出かける事もなくなり、いつしか、誕生会をする事も無くなっていった…。
そんなに裕福でもなく、ごく一般的な家庭。
そこが帰るべき場所だと、誰もが当たり前のように思うだろう。
私もそう思っていたのだ…そう、3年前までは、ずっと。
(……ダメ。また思い出しちゃう…。)
(さっき有希那に言われたじゃない。もう考えるのは、やめよう…。)
目と閉じ、ゆっくりと深呼吸してから、私はある場所へ足を向けた。
有希那と別れた後、駅の近くにある小さな森林公園へ寄って行くのがいつもの帰り道。
神社がある地元の小さな山の入り口に、大きな噴水のある池の畔を囲うように砂利の敷かれた道が続き、少し坂を登ったところにその広場があり、公園の入り口には子供たちが遊ぶ遊具が設置されていた。
坂の途中には外灯の傍に人物や球体、様々な形に曲がり組み合わさる柱など、いろんな彫刻が置かれていて、夜になると外灯の光に照らし出され、どこか異世界へ迷い込みそうな雰囲気のその場所が、私は気に入っていた。
(さすがにこんな時間に遊んでいる子供なんて、居ないよね…。)
夜の静寂に包まれ、夜風がブランコを揺らし、その錆びついた微かな音だけが、誰もいない児童公園の中に響いている。
自分以外の人影は、どこにも見えない。
今、この場所に居るのは、自分一人だけなのだと、静かに目を閉じた。
それはまるで世界中でたった一人、置き去りにされたような感覚にさせる。
けれど、なぜかこの場所へ来ると、沈んでいた気持ちが、ほんのりと和らいでいき、心が穏やかに成って行くのだ。
ゆっくりと目を開き、先の道へと足を進める。
坂を上って行くと、屋根付きの休憩所が在り、その脇には春になると開園するリス園の入り口の門がある。
毎年、このリス園にはたくさんの観光客が訪れ、小さな体で動き回るリス達をよく子供が追い掛けて遊んでいた。
今は冬場で、リスが冬眠している為、「冬季休園中」と書かれた看板が入り口の門に掛けられていた。
その先には、長く連なるローラー滑り台が設置されている。
その滑り台の脇を辿りながら、急斜面に木で組まれた階段を上って行くと、滑り台の登り口に辿り着く。
その登り口へ続く道の途中に、私が住む小さな町並みを見渡せる、展望台がある。
私はいつも、この展望台から、この町の夜景を見るのが一番のお気に入りスポット。
すぐ目の前に聳える木々の合間から、点々と見える、色とりどりに灯る外灯や住宅の明かり。
そして何より一番好きなのは、澄んだ空に煌く満天の星空。
この展望台の周りには、この夜景を引き立てる様に、山道を登る時の外灯が在るだけで、この高台に上がるまでの橋にだけ、小さな電球が足元を照らす為だけに付いている他は設置されていない。
夜の闇に包まれたこの森は、まさに幻想的な場所でもあった。
昔から、気分的に落ち込んだり、嫌な事があったりした時は、この場所に来ていた。
此処から見える景色は、全てが小さく、その中に生活している私達人間が、いかにちっぽけな存在かを、気付かせてくれるから。
そして、今まで心の中にモヤモヤしていた事が、ス~ッと霧が晴れていく様に消えていくのだ。
それは心の中に渦巻いていた闇が、この場所から見える景色に浄化されていくかのようで…。
ゆっくりと深呼吸して、澄んだ空気を肺いっぱいに入れ、静かに吐き出して行く。
この山に祀られている小さな神社の神様に、祈るような気持ちで。
神聖な儀式のように、ここに来た時はいつも、こうして深呼吸して、心を浄化させる。
そう、嫌な事は全て、記憶から葬りさせる為に。
目を閉じて
ゆっくりと深呼吸して
また目を開けば
もう
嫌な事は全て消えているから。
「………。」
木の柵に寄り掛かり、その後も私は、展望台から見る町の夜景を見下ろしていた。
しばらく夜景を見つめていたが、さすがに冬の夜風は冷たく、吐く息もだんだんと白さを増して行く。
だいぶ夜も更け、この森林公園に居るのは、もう誰一人としていないだろう。
その場を離れ、登って来た道を戻って行くが…坂の途中にある、風をイメージした彫刻の鏡の前を通り過ぎようとした時、夜風が私の頬を掠めた。
そして、その夜風に運ばれて来るように、また先程と同じく、私を呼ぶような声が聞こえてきて…。
『………。』
周りを見渡しても、すぐ傍に彫刻の鏡が在り、その鏡に映る自分の姿が在るだけ。
でも…なぜだろうか。
違和感を覚えて、私はもう一度、その鏡の彫刻に視線を向け、思わず息を詰まらせた。
なぜなら、そこに映って居るのは…。
中学の頃の
私自身だったから…
最初は、鏡に映った自分だと、そう思った。
けれどその姿は、肩にかかるほどの髪を耳の脇ほどで二つに結い、前髪で顔を隠しながらも、僅かに見えるその面影は、まぎれもなく、3年前の自分の姿で…。
そしてその瞳には、強い憎しみが込められているような、けれどどこか悲しそうに揺れていて、ただ静かに私を見つめていた。
(うそ…、でしょ…?なんで…?!)
『……。』
無言のまま、ただ冷やかに真っ直ぐと向けられるその視線が、心にまで突き刺すようで。
まるで、過去の自分に、今の自分を見られているような感覚。
その痛いほどの視線に、自ら封印した筈の忌わしい過去の記憶が甦ってくるのを感じて。
目を瞑り、うつむきながら心の中で、何度も「消えてっ!」と、繰り返し願い続けた。
そんな私を見ている、もう一人の私は、悲しみに満ちた顔をさせ、静かに囁いた。
『…そうやって、まだ逃げ続けるのね。』
『でも、そんな事をしても、あなたが犯した罪は消える事はないわ。』
『そして、その罪から逃げ続ける貴方を、私は絶対に赦さない。』
「っ!?」
彼女のその言葉と共に、突如鏡の中から炎が燃え上がり、一瞬にして私の周りに火柱が囲われてしまった。
なおも強い憎しみを込めた瞳で私を睨み続ける、もう一人の私。
此処からなんとか逃れる術はないか…そんな私の考えを、彼女は見通すように、薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと鏡の中から手を伸ばして来て…。
『もう、逃がさない。』
伸ばされた手が私の腕を掴み、そのまま強い力で、鏡の中へと引き摺り込もうとする。
引き込まれまいと、必死に足を踏ん張り耐えるが…さらに追い打ちを駆ける様に、鏡の中から竜のような姿をした炎が体に巻きつき、黒い影と成って私を縛り付けた。
さすがにそこまでされると、私の抗う術もなくて…。
『―――捕まえた。』
「っいやあああぁぁぁぁっ!!!」
その叫び声と共に、私の体は炎に包まれ、鏡の中へと呑み込まれていった―――。
その刹那―――。
虫の知らせを受ける様に、何かに弾かれる様に、その気配を感じ取る者達がいた。
ある者は仄暗い森の中、その視線を闇が支配する先を、無言のまま見据えて…。
ある者は月明かりが射しこむ窓辺に座り、窓の外を眺め、「現れたようですね…。」と呟く。
その人物に抱かれるように、優しく頭をなでられながら眠っていた者の瞳が、ゆっくりと開かれて。
虚ろなその瞳が、月明かりに照らされ、どこか悲しげに揺れた―――。




