第八話 姉妹
あたしは石のベッドの上で膝を抱えていた。
このベッドは「寒玉床」っていうんだけれど、その名前の通り、うっすらと冷気を発している。
今日から始まった織女派の修行。無事初日を終えたあたしは、寒玉床の上でぼんやり物思いに耽っていた。
芙蓉は洞窟の外で剣術のおさらい。芳槿は奥の泉で黒髪を梳かしている。
断崖での修行を終えたとき、尼さんーー師娘はあたしに「織女派」の諸々について教えてくれた。
修行が終わって、洞窟に帰ってきて、それからずっとあたしは織女派の「しきたり」について考えている。
それは、「食事を一切摂らない」こと。
軽功を何よりも重視する織女派では、体から不純物を洗い流すために霊薬を服用する。
日常的に霊薬を服用することで、あの鳥のように宙を駆け、滑空する軽功を身に付けることができる。
世俗の食べ物は害にしかならない。師娘はそう言って、にこりと微笑んだ。
大好物の料理やおやつ。それを全然口にできないだなんて、あまりのショックに目の前が真っ暗になった。
でも、あたしは頑張らないといけない。
父さまも母さまも、あたしのことを応援してくれているし、強くなったあたしを見たら、きっと老三だって鼻が高いに違いない。剣術ごっこ、よくしてくれたもの。
そうよ、隠娘。あたしは強くなるの。そうして「剣仙少女聶隠娘」って呼ばれるようになって、江湖で行われている不正を正して回るんだ。義侠の行いに比べたら、おやつなんて大したことない。
そうだわ。あの憎たらしい小宝をこてんぱんに懲らしめてやって、お供の一人にしてあげたら面白いかも。西遊記の猪八戒のような感じにね。強くて頼りにされる剣仙少女には、おっちょこちょいな従者がきっとよく似合うわ。こういうの、引き立て役っていうのよ。
何だか少し楽しくなった。でも、ヘンテコな想像ばかりしてもいられない。
剣仙になるためにも、今日師娘から教わったことはきちんと復習しておかなくちゃ。
まず、軽功について。身体を極限まで軽くして、思いのままに宙を駆ける技。達人の域になれば、ホコリ一つたてることなく、向かい合っている相手の背後に回ることさえできるようになる。そして、織女派の軽功こそ天下無双。影さえ踏ませない、その身のこなしはあらゆる他流派を凌駕する。
次が内功。これはおへその下にある丹田で気を練り上げて、全身に行き渡らせ、身体を内部から強化する技。この気を内力と呼び、極めると内力をあらゆる物に流し込んで補強ができるようになる。例えば、髪の毛一本でも人を殺せる凶器になるし、紙の剣でもたやすく岩石を両断できる。そして、最も恐ろしいのは、内力を相手の体内に流し込み、中からズタズタに破壊すること。ただ、内力を応用すれば体内の傷を治すことも可能になる。少しだけ安心した。
三つ目が外功。これは気を身体の表面に行き渡らせることで、皮膚を鋼鉄のように強化し、外からの攻撃を弾くもの。でも、いくら鍛えても内力を防ぐことはできないから、身につけなくてもいいって言われた。外功に頼ると軽功を疎かにする心が芽生えて、動きが鈍くなることがあるらしい。最優先は軽功だから、理にかなっていると思えた。
四つ目が点穴。指先や剣の先などに内力を集めて、人体にあるツボーー経絡に気を通す技。気の流れを遮断して行動不能にしたり、流れを変えて治療したりする。これも達人がその気になれば、容易く命を奪うことができる恐ろしいもの。あたしが初めて霊薬を飲んだとき、師娘がしてくれたのがこの点穴で、暴れ出した気を静めてくれたのだった。傷を癒やせるところは内力と同じで、要は使い方次第だといえる。
そして暗器。これは隠し武器で、小さな刀でもいいし、石ころでも何でもいい。闇討ちに使うちょっと卑怯な感じの技だけど、内力と点穴との合わせ技が強力で、例えば、石ころに内力を流して、それを相手の経絡目がけてなげうつ。上手く決まれば、そのまま行動不能にできるし、もちろん命を奪うことも可能だった。
最後に剣術。
師娘が言うには、剣術こそあらゆる武芸の頂点に君臨する、最も優れたもの。
「織女派」の剣術は「織女素心剣」と言い、女の子専用の武功だった。
その名の通り、純真無垢な心と体を持つ少女だけがその奥義を極めることができる。
織女素心剣の技は華麗にして優美、かつ繊細。
剣術は剣だけが大切なのではない。右手で剣を舞わせながら、左手は剣訣として相手を牽制する。左手の人差し指と中指を立てて、あとの三本は軽く握り込む。この剣訣で点穴をしたり、相手の剣を挟み取ったり。攻撃にも防御にも積極的に使えて初めて「剣術」を身に付けたと評価される。
「隠娘。今日の復習でもしているの?」
芳槿姉さまだ。梳ったばかりの黒髪は、まるで夜空に輝く天漢のようだった。
「はい、姉さま。新しいことをいろいろ教わったので、忘れないようにと」
「そう。熱心でいいと思うわ。芙蓉は外かしら」
「そうだと思います。先程、剣を持って出て行きましたから」
あたしは洞窟の入り口を見ながらそう言った。芳槿姉さまはクスリと笑みをこぼすと、
「きっと気持ちを引き締めているのね。可愛らしい妹ができて、あたしも嬉しいもの」
「姉さま」
改めて妹と言われて、心がきゅうっとなった。
織女派の門人となったあたしの序列は三番目だった。
一番が芳槿姉さま。二番目が芙蓉姉さま。三番目の妹弟子があたし。
一人っ子だったあたしには、それがもの凄く新鮮で、とにかくドキドキするものだった。
いつの日か、あたしにも妹分ができて、「隠娘姉さま」とか呼ばれるようになるのかしら。
入門したばかりなのに、そんなことをつい想像してしまうくらい、あたしの心はウキウキしていた。




