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剣仙聶隠娘 ー剣仙少女project01ー  作者: 吉野川泥舟
第四章 後継
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第六話 織女真経

 あの日。師娘が姿を現したあの日から、すでに十日以上が経っていた。


 それはあたしが師娘から全てを受け継いだ日でもあった。


 襲撃は深夜だったため、烏衣鏢局にほとんど被害が出ていなかったことは不幸中の幸いといえるだろう。


 深手を負った空児と精児も随分と回復し、ちょうど今あたしたち五人は旅立ちの準備を進めている。


 白い壁に映された影絵。そのお話をあたしは四人に語って聞かせた。そして、影絵の後に見せられた織女派の真実も。知り得た情報は余すところなくみんなで共有することにした。


 そうすべきだと思ったから。それがあたしに担わされた新たな役割でもあるから。


 織女派には所謂秘伝書は存在しない。掌門から後継者に伝えられるものは「織女真経」と呼ばれる織女派の全ての秘奥や記録が集積された白玉の球である。


 その情報量は膨大だった。開祖である織女星から代々の掌門へと受け継がれていく織女派の秘奥と歴史、そしておもい。ただ、ところどころに青黒い濁りが発生して、あたしに伝わったのはおそらく断片的なものに過ぎないのだろう。


 その証拠に、あたしには「あたし」――聶隠娘としての意識がはっきりと残っている。


「ちょっとアンタ、何もたもたしてんのよ。高い所に手が届かないのは仕方ないんだからさ、せめて荷造りくらいはチャチャッとやってよね」


 芙蓉姉さまだ。あたしは「はぁい」とだけ返し、興行で使うだろう派手目の衣装を急いで包んだ。


 あたしが服用していた霊薬の秘密。それは心を漂白するためのものだった。雪が大地を覆い尽くすように、霊薬の効果によって記憶と感情がどんどん漂白されていく。そして不純物など一切存在しない、真っ白な心が完成した暁に、「織女真経」の伝承が行われる。


 いや、行われるはず、だった。


 「織女真経」に記録されているのは開祖・織女星の心。後継者の心を漂白し切ることによって、それを受け継がせることが可能になる。織女星の心を完璧に近い形で引き継ぐために、霊薬による漂白が必要不可欠とされた。


 しかしあるときを境にして、継承される「織女真経」――織女星の心に異変が生じる。何度も繰り返される伝承により、図らずも異物が混入するようになったのである。「異物」とは漂白しきれなかった後継者の心に他ならない。そして伝承は程なくして「融合」へと姿を変えた。


「隠娘、膝の上に荷物を乗せて。空児さんの所まで運びたいの」


 包みを三つ持ち上げる。少しだけ背伸びをしながら芳槿姉さまの膝に乗せると、芙蓉姉さまは「やればできるじゃない」とあたしに労いの言葉をかけ、荷馬車の方へ車椅子をカラカラと押して行った。


 ひょんなことから起こった「融合」。小さなボタンの掛け違えは、やがて大きなうねりへと変化していった。融合を繰り返すことで、織女星の心は異物の影響を受けながら少しずつ上書きされていく。かつての織女星だったものは徐々に失われていき、同時に情緒も不安定で一貫性のないものへと変貌を遂げた。


 そして自分が何者であるのかさえはっきりと分からなくなった掌門の心に強く残されたのは次の三つ。


 「後継者」を育て、「織女真経」を授け、そして「復讐」を成し遂げること。


 しかし、織女星の自我はそのほとんどが失われてしまっている。なぜ彼女が「復讐」に固執し続けたのか、それが分かる者はこの世に存在しないといえた。


「いやいや、芙蓉さん。今の隠娘ちゃんは掌門なんだから、もう少し礼を尽くしたらどうかな」


「まー、確かにそうかもしんないですけど。あたしたちにとってあの子はただのいち妹ですから、今更堅ッ苦しいのもねえ。他人行儀に接したりして、またピーピー泣かれでもしたらウザったいし。ね、芳槿」


 笑い声を立てる四人の方へ足を向ける。精児も風になびく包帯の奥で目を細めていた。


 確かにあたしは「織女真経」を受け継ぎ、断片的ではあるがあらゆる情報やおもいを閲覧することはできた。でも結局、「あたし」は融合されなかった。融合はされなかったけれど――


 新たな織女派の掌門になったあたし。そして、それは同時にかつての織女派が滅んだことを意味した。織女星の残滓による人格の乗っ取りは失敗に終わったから。このとき、空児が以前言っていた「織女派を根絶やしにする」という目標は違う形ではあるが達成されたのだった。


 空児はどこまで事情を知っていたのだろう。見上げると彼女は相変わらず涼しそうな笑みを湛え、新調した荷馬車を眺めている。


「しかし、アンタってばほんとに愛くるしくなったわね。初めて会ったときの世間知らずな田舎のお嬢さまそのまんまじゃない」


 そう言いながら腰を曲げてくる芙蓉姉さま。あたしはプクッと頬を膨らませて、


「仕方ないじゃないですか。あたしだって、こんなことになるだなんて」


 「織女真経」を受け継いだあたしはかつての織女星と同じく不老長生の体になっていた。しかも「変化」はそれだけではない。もう一つ、あり得ないような変化があたしの体に起こっていた。


「いいじゃない、隠娘。あなたのその姿を見ていると、島で一緒に暮らしたあの頃がありありと蘇ってくるわ」


 そう――初めて霊薬を飲んだ、十歳の頃の姿になってしまったのである。


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