第一話 開かれる扉
闇の中にいる。
夜の帳がすっぽりと覆い被さったような漆黒の闇。
上も下も左も右もまるで分からない。
ふわふわと浮いているような奇妙な感覚。
まるで闇そのものに抱かれているようだった。
そこでふと気づいた。
体が少しずつ解け始めている。
先端の方から少しずつ。
解けて溶けて闇と混じり合う。
闇の中へあたしの体が溶け出していく。
でも不思議と痛みは感じない。
むしろ心地いいような気がした。
※
まぶたに微かな光を感じて目を開くと、灰色にくすんだ天井があった。
しばらくそれをぼんやり眺める。
あたしはどうも寝ていたみたいだった。
柔らかな布団の感触があたしにそれを気づかせてくれた。
上体を起こし、所在なく辺りを眺め回す。
頭が回らない。どうにも意識がぼやけている。
あたしがベッドの上でしばらく途方に暮れていると、不意に扉の開く音がした。
「やあ、ようやく目が覚めたんだね」
声の主は女性だった。すらりとした長身で、腰まで伸びた黒髪が目を惹く。その女性は顔に微笑みを浮かべたままあたしの方へ近づいて来た。後ろには女の子だろうか、背丈の低い、顔や腕を包帯でぐるぐる巻きにした人が続いている。
あたしは二人を交互に見比べた。長身の女性は驚くほどの美人で、穏やかな微笑みから優しそうな印象を受けた。背の低い包帯の子はただ片目を晒しているだけで、どんな顔立ちなのかは全然分からない。
ただ、あくまでなんとなくだが、あたしはこの二人を知っているような気がした。
「気分はどうだい」
「えっと……よくわかりません」
今の気持ちを率直に口にした。ふわふわするような、くるくるするような。
頭の中がぼんやりしている。靄がかかっているような、そんな感覚。
でも、不快感は全くなかった。
「そっか」
長身の女性がため息を漏らした。包帯の子は小さく頷いている。
「意識が混濁しているのかもしれないね」
彼女は誰に言うともなくそう呟くと、
「ね、君。君、自分の名前はわかるかな」
そう言いながら腰を曲げ、あたしの顔を覗き込んできた。長い睫毛、煌めく瞳。間近で見ていると、何だかそのまま吸い込まれてしまいそうだった。
「あたしは」
彼女の瞳から目を逸らし、ベッドの上へと視線をさまよわせる。
「あたしは……えっと」
頭の中がまとまらない。どうにもちぐはぐで頼りない。目を閉じてしばらく考える。
「あ」
「うん?」
そうだ。そうだった。あたしは――
名前を告げる。すると長身の女性は満面の笑顔でそれに答えてくれた。その横で腕組みをしていた包帯の子の瞳にも笑みの細波が揺れていた。
※
驚いたことに、あたしは一ヶ月ほど眠っていたらしい。
その昏睡状態ともいえる間、あたしの面倒を見てくれたのがこの二人ということだった。
二人の名前は空児、精児といった。長身が空児で、包帯が精児。
旅芸人の姉妹らしいが、意外にも精児が姉で空児が妹ということだった。しかも実は双子だというから尚のこと驚かされた。
そうしてあたしは少しずつ記憶を取り戻していった。
島のこと。武芸のこと。大好きだった姉さま方のこと。村のこと、父さまと母さまのこと。
心から慕っていた師娘のこと。
そして、島を出てからずっと、あたしが手に染め続けていたことも。
空児はあたしに少しずついろんなことを教えてくれた。精児はそれにただ黙って耳を傾けているだけ。
あたしが過ごしているこの場所は、あの烏衣鏢局の地下室だった。そして二人は鏢局の用心棒というか協力者として活動していて、以前あたしを烏衣鏢局に誘き寄せたのも、暗器対策を宇文瑞蘭に教えたのも、全てこの二人が画策したことだった。
空児はあたしに頭を下げてくれた。騙すようなことをして申し訳ない、力づくで取り押さえにかかってすまなかった、そう一生懸命謝ってくれた。
でもあたしには疑問があった。どうしてあたしの身柄を拘束しようとしたのか。烏衣鏢局の件、それとあの吹雪の夜の襲撃の件。
その疑問を二人にぶつけると、
「君を救う。私はあの夜、確かにそう言ったね。なぜならば、君を救うことが」
あたしは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「私たち二人の復讐を果たすことになるからだよ」
そして。
あたしはようやく精児が話せないことを知ったのだった。




