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剣仙聶隠娘 ー剣仙少女project01ー  作者: 吉野川泥舟
第三章 替天行道
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第十一話 死闘

 横殴りの雪を体に感じながら数回とんぼを切って着地。


 足の裏にサクリとした感触。容赦なく雪が吹き付けてくる。


 視界は悪い。雪を連れた風の音が耳朶を掠め続けるその中に、あたしの前後で雪を踏む音が二つ聞こえた。


 距離はどちらも十歩ほど。確認するまでもなくあの二人組――空児と精児で間違いない。


 あたしは素早く飛びすさった。挟み撃ちでは分が悪い。二人を視界に捉えながら大きく間合いを取り直す。


「咄嗟の機転だったね。でも」


 空児の声が響く。張りのある声は吹き荒ぶ風の音にもまるで負けていない。それは空児の内力が人並み外れていることを如実に物語っていた。


「君にはここで大人しく捕まってもらうよ。会わせたい人がいるんだ」


 左から精児がゆっくりと近づいてくる。やや遅れる形で空児が距離を詰めてきた。


 素早く地形を確認。雪に遮られているが四阿が一棟、それを囲むように奇岩や背の高い木がいくつか見えた。


 暗器は通用しない。至近距離からの投擲でさえ難なく躱された。後は持てる剣技と功力を振り絞って立ち向かうだけ。それに師娘は無事。それさえ分かれば恐れるものなんてない。


 精児が剣を抜き放った。背格好にはそぐわない長剣だ。それを二本も構えている。明らかにアンバランス、懐に入ってしまえば匕首が圧倒的に有利。しかしコイツは師娘を退けている。取り回しの悪い武器とはいえ、気を引き締めてかからねば。


 一方の空児の得物は笛。殺傷力は低いだろうが、おそらくは内力が流されている。屋内の攻防で匕首を弾き返したことがその証拠だ。擦りでもすればひとたまりもないだろう。


 あたしの間合いは十歩の距離。精児の方がやや近く、空児は遅れること数歩といったところ。それなら。あたしはすぐさま心を決めた。


 奥歯を噛み締め地面を蹴って精児へ向かう。包帯がゆらりとしたその瞬間、精児の姿は忽然と消え去っていた。素早く左右を確認。姿はない。すぐに身を翻して四阿へ跳ぶ。屋根瓦に着地するところを見計らったかのように、笛が横薙ぎにあたしの足を襲った。足裏に内力を集中させ笛の先端を思い切り踏みつけ、そのままもう一度中空へ身を躍らせる。


「姉さん、そっちへ行ったよ」


 こめかみに走った痛みを堪えながら前方を凝視する。四阿のはすかいに聳える奇岩の上に包帯はいた。空児同様着地を狙った刺突が繰り出される。咄嗟に右足で剣尖を蹴り飛ばしそのまま後方宙返り、置き土産とばかりに髪の毛を擲つ。着弾も確認せず身を大きく捩って雪の降り積もる地面へ着地、息する間もなく飛び退って距離を大きく取り直す。


 四阿と巨岩の上から二つの影がするりと降りてきた。少しずつこちらへ歩みを寄せてくる。横殴りだった風が少しずつ勢いを収め、頬を打つ雪もそれにつれて次第に弱まりを見せていた。


 この二人は一体何者だ。あたしの軽功を上回るかのような身のこなし。そして雪上には歩いた跡がほとんど見えない。二人は足跡をつけることなく雪の上を歩いている。音もなく舞い落ちる粉雪のように。


 逃げられない。それは直感だった。これほどの軽功の遣い手に出会ったことなど――


 駆け抜ける白い影。


「うっ」


 弾けた。頭の中で、何かが。火花が。雷光が。


 それは軽功。影も踏ませない、あの軽功。


 それは、島で。


 白い、かげが。


 はしる。はねて、ちゅうを、まう。


 お、おお、おきれいな、


 ね、ねえさ……。


「ぐうっ」


 頭痛がする。頭が割れるように痛い。今、あたしは何を口走ろうとした? 分からない。


 分からない、分からない。


「まずいね、副作用だ。姉さん、ここは」


 頭が痛い。頭の中に釘を何本も突っ込まれてそれをかき混ぜるような。


 く、薬はどこだ。どこに。


 膝が震える。足取りが覚束ない。頭を押さえる。体の穴という穴から血が吹きこぼれそう。


 でも。でも、でも。ここで斃れるわけにはいかない。右手の匕首を無我夢中で振り回す。


「隠娘ちゃん、落ち着いて! とにかく落ち着くんだ。そうしないと内力が暴走してしまう」


 誰? だれ? だれがあたしをよんでいるの?


「私たちは味方なんだよ。君を救いに来たんだ」


 あたしを救う? それは何? なぜあたしを救うの? どうして救われなければならないの?


 味方? そんなはずはない。狂言だ。でたらめだ。あたしを油断させるための。


 右手の匕首を確かめる。手のひらに馴染んだ感触。それが現実を教えてくれ――


「がああっ」


 何かが逆流しようとしている。胸の中、いや丹田の方から。熱い奔流が体をバラバラにしようとしている。 


 立っていられない。ドサリと膝をつく。その拍子に懐から何かがこぼれ落ちた。古びた布包が解ける。火照った体。冷たい感触。


 二本の短剣に雪がちらちらと舞い落ちた。


 錆のこびりついた、不揃いな二本の短剣の上に。


 あたしは黙って、それを見つめる。


 止まっていた時間。それが少しずつ動き出す。そんな感覚。


 そう……だ。そう、だった。


 なぜだろう。なぜ、だろう。


 すっかり、あたしは忘れてしまっていた。


 心に、いいや、魂に刻み込んだはずのそのおもいを。


 これは、罰だ。この痛みは罰なんだ。


 二人の短剣を掴み、立ち上がる。軋む体に鞭打ちながら。


 匕首を構え、左手には短剣を握り込む。


 目の奥で星が踊っていた。


「ダメか。姉さん、二人がかりだ。点穴で押さえ込もう」


 嘆息混じりのその声が雪の上で跳ねた瞬間、あたしは無心で精児に突っ込んだ。


 精児は晒した片目でこちらを一瞥すると、手早く両手の剣を構え直した。


「ええいっ!」


 裂帛の気合いが漏れた。颯颯と匕首を舞わし、包帯の巻き起こす剣風をかい潜りながら、必殺の一撃を叩き込む機会を窺う。


 頭が熱い。目の底が熱い。血管が、心臓が、熱い。


 包帯の双剣はまるで生き物のように自在に動き、あたしの急所を的確に抑えようと間断なく伸びてくる。


 初めこそ攻勢に立っていたが、気が付けばスルスルと攻撃がいなされ、あたしは防戦一方になっていた。


 通用しない。あたしはついにそう悟った。繰り出す剣技の全てが、この包帯に見切られてしまっている。織女素心剣が全く用をなさなかった。そして、織女派が誇る無双の軽功も同じだった。


あたしは双剣によって完全に封じ込まれている。これでは絶体絶命だった。上下左右、どちらへ身を翻しても、精児の剣陣から逃れられない。


 水も漏らさぬ剣撃の輪に空児が押し入ってきた。笛が空を切るたびに、夜の空気が振動する。軽やかで鋭い風切り音に、あたしは思わず首をすくめた。笛には雄渾な内力が流されている。ひと擦りでもすればたちまち点穴を決められてしまう。


 目から、耳から、鼻から。


 今にも血が噴き出しそうな感覚。


 視界が赤い。


 ただひたすら、体が叩き込まれた剣技をなぞり続ける。


 考えるより先に体が動く。動き続ける。


 しかし。


 じりじりと、敗北が確かな足取りで迫ってくる。


 双剣と笛が、変幻自在の動きであたしを捉えようと迫ってくる。


 まだ。


 まだよ。


 まだ、こんなところで。


「あたしは!」


 気合とともに、遮二無二匕首を右へ薙ぎ払う。


「仇を取るんだ!」


 虚空へ向かって、あたしは吠えた。


「姉さま方の!」


 喉の奥から。肚の底から。


「仇を討つんだ! それまでは絶対に!」


 絞り出すように。吐き出すように。


「うわあああっ!」


 剣訣で精児の双剣を弾き返す。


 精児の足がほんの少し乱れた。その一瞬の隙をついて、あたしは無心で匕首を繰り出した。


 届け。


 第九手「盈盈(川に遮ら)一水間(れたままの二人は)」、そして最終手「脈脈(視線を交わ)不得語(して黙するだけ)」。


 この連続技で、その体まで。


 精児が小さく身を捻る。匕首は狙い通り、真っ直ぐにその首筋へ。


 微かに布を裂く音が響く。


 匕首の先端は、精児の頬のあたりを掠めながら、そのまま夜空へ放たれた。


 右腕に痺れが走る。あたしの右腕を、空児の笛がしたたかに打ち据えていた。


 遠くの方で、金属の跳ねる音がした。


 微かなその音が夜気に溶けて消えたころ、あたしは全身を引き裂く痛みも忘れて、精児の顔に見入っていた。


 匕首で切り裂かれ、白い包帯がハラハラとずり落ちていく。


 その下から現れたのは暗灰色の肌だった。


 肌はゴツゴツとしていて、まるで岩石のようだった。


 左目は白く濁り、唇はひび割れ、鼻梁も頬も額もでこぼこしていた。


 到底、人間の顔だとは思えない。


 唯一、右目だけが、潤いを保って雪の光を反射していた。


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