第十話 脱出
跳躍。肉迫。連撃。
第一手「迢迢牽牛星」。同じように躱される。
左に空児の影。
踏み込んだ右足に体重をかけながら影を目がけて左薙ぎの一閃。
第二手「皎皎河漢女」で首筋を狙うがまたも匕首は虚しく空を切り裂いた。
空児は匕首の軌道に沿うようにしてあたしの側背から後背へ回り込んでくる。
すぐさま体を旋転させ左後ろ回し蹴り。
当然のように手応えはないがこれは牽制だ。
蹴りを放ちながら匕首を左手に持ち替え第三手『繊繊擢素手』、第四手『札札弄機杼』で奇襲。
剣訣に握るはずの左から刃を突き出して幻惑し本命の右手で点穴を浴びせ行動不能に。
左手に軽い衝撃が走り金属音が小さく響く。
笛で匕首の軌道が逸れるのも構わず右の剣訣で腰の経絡を狙う。
しかし突き出した剣訣は空児の袖で柔らかくいなされた。
長袖が弧を描いて翻る。
四手。これで四手だ。
全て躱された。
空児はあたしと距離を取るようにして部屋の中心へ。いつしか二人の位置は入れ替わっていた。背には扉。後ろへ跳躍すればすぐにでも師娘を探しに行ける。
「さすがは次期掌門と目されているだけのことはあるね。流麗にして苛烈な攻撃だ」
しかし。ここで必ず息の根を止める。障害は速やかに排除せねば。
それに見方を変えればこれはチャンスでもある。今は一対一。苦戦は必至だが死力を尽くせば倒せるはずだ。師娘に向かったというもう一人が加勢してくると厄介だが−−あたしはその可能性を即座に否定した。師娘が遅れを取ることなどあり得ないのだから。
空児の視線がわずかに左へ逸れた。釣られてあたしも視線を追う。先には風に震える窓があった。
「姉さんかい」
その言葉に心臓がびくりと跳ねた。ピシリとこめかみに鈍痛が走る。
空児の呼びかけに応えるようにして窓がバタンと開かれた。吹雪が部屋の中へ舞い込んでくる。
開かれた窓枠に膝をついていたのは包帯をぐるぐるに巻いた少女。
精児だった。
「首尾はどうだった?」
精児は左肩を押さえていた。そして小さく首を左右に振った。
「そうか。逃げられたんだね。片腕の割によくやる」
その言葉にあたしは希望を見出した。師娘はやはり無事だった。凶刃を凌ぎ、うまく逃げおおせて下さったのだ。となれば、あたしもぐずぐずしていられない。すぐにでもここから脱出せねば。そうして師娘と合流し、この二人を迎え撃つ。
あたしはそっと髪の毛を数本引き抜き内力を込めて補強する。
「まあ仕方ないさ。二兎を追う者は、とも言うしね。今夜は彼女を確保すれば上出来だよ」
目眩しでいい。ほんの僅かでもこの二人の気を逸らせれば。屋外へ出てしまえば後は軽功がものをいう。広い空間なら。織女派の軽功を存分に発揮できる。
「隠娘ちゃん。そういうわけだから、まずは大人しくしてもらうよ」
吹き込んでくる風に煽られて窓がガタピシ音を立てている。
一歩後ずさった。床を踏み締め両膝にためを作り、後ろへ跳躍する素振りを見せてやる。それと見た精児が窓枠を蹴った。後背へ回り込み退路を断つつもりだ。その動きを読んでいたあたしは間髪入れず左手の髪の毛を正面の空児目がけて擲ちそれを追いかけるようにして飛びかかった。
至近距離からの暗器に空児の体が僅かに左へ流れ、刺突に対応するつもりだろう、笛を斜に構え直すのが見えた。仕掛けを受けようと守りの構えを取ったその隙をついて、思い切り右へと跳躍する。
そこには開け放たれたままの窓。
「そっちか!」
驚きの声を後ろに聞きながら、あたしは吹雪く夜の底へと身を躍らせた。




