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剣仙聶隠娘 ー剣仙少女project01ー  作者: 吉野川泥舟
第三章 替天行道
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第九話 白い世界

「師娘!」


 叫んで駆け出そうとしたあたしの前に空児が立ち塞がった。


「君にはもう少しここで私の話を聞いてもらいたいんだ」


 淡い笑みを浮かべたまま空児は笛を弄んでいる。


 あたしは咄嗟にうなじの匕首を抜き放った。瞬間、空児の白磁のような眉間に縦皺が走る。


「そうか。やはり仕上げが近いようだね。なら問答は無用、と」


 空児はそこで言葉を切った。無言で匕首の切っ先を空児の鳩尾にピタリと向ける。


「いや、不可能、といったところかな」


 廊下からはびゅうびゅうと雪が吹き込んでくる音が聞こえる。師娘の居室の窓も扉も破壊されてしまったのだろうか。さっきの轟音。師娘の身に危険が迫っているに違いない。間断なく流れ込んでくる吹雪の音があたしの焦りを加速させた。


「君は一体なんのために、人を殺しているんだい」


 落ち着いた声音。おそらくこの女は武芸を身につけている。片割れの精児はあれだけの演舞をこなしていたのだ、それならコイツも相応の技量を持っていると考えるべきだ。


 一度鼻で大きく息を吸い、口から静かに吐き出す。焦るな。心を落ち着けなければ。師娘は手負いとはいえあたしの師娘なのだ。そう簡単に遅れをとるはずがない。そう考えると、自然に心が軽くなった。落ち着いて状況を確認する。室内は狭い。軽功での撹乱には不向きだが、取り回しの点でなら匕首が圧倒的に有利だ。しかもコイツは丸腰。身に帯びているのはさっきから手の中で転がしている笛くらいだ。


 空児の問いかけを無視する。次にコイツが口を開いたときが狙い目だ。鵲歩で距離を一気に詰め、瞬き一つする間も無く血煙を吹かせてやる。


「だんまりかい」


 空児の胸郭が小さく波打つ。それを逃すことなく一息で肉迫、予備動作なしで織女素心剣第一手「迢迢(牛飼いの煌め)牽牛星(きは限りなく)」を繰り出す。


「おっと」


 手応えがない。空を切った。磨き上げた織女素心剣が虚しく空を切る。空児の姿は一瞬で視界から消え去っていた。転瞬、伸び切った右腕目がけて横薙ぎに笛が迫る。慌てたあたしは右腕を大きく斜め上へ振り上げ、その勢いのまま体を捻り上げて後方宙返り。部屋の真ん中まで飛びすさり、空児と距離を取った。


「うん、迷いのない一手だった。さすがはあの女が掌中の珠とばかり大切にするだけのことはある」


 空児は何事もなかったかのように、扉の前で微笑んでいた。「迢迢(牛飼いの煌め)牽牛星(きは限りなく)」は必殺の一手だ。夜空で瞬く星々のように、刹那の閃きで肺腑を抉る。その軌道はまさに一瞬、何が起こったのか気づく間もなく絶命させる初見殺しの手。しかも鵲歩との合わせ技だった。万に一つも避けられるはずのない奇襲だったのに。


 風の音が強くなった。廊下を引き裂く甲高い風切り音、ごうごうと唸る重くて低い音。耳を澄ます。吹き荒れる風の音しか聞こえない。もう一度耳を澄ます。やはり何も聞こえない。剣戟の音も、人の呼吸音も。吹雪に揉まれた廊下は恐ろしいまでに無音だった。


 匕首を空児に向けたまま、あたしはジリと一歩下がった。背後には窓がある。


「さて、さっきの話の続きだよ。殺す理由はやっぱり替天行道にあるのかい」


 悔しいが空児は強敵だ。あの一手を完璧に避けられたのだ。やり合って敵わないとは思わないがコイツにかかずらっている時間はない。今最も優先するべきは師娘の安否を確認すること。牽制の一手を仕掛けてその隙にここから脱出する。そして師娘と合流する。


「君は全く人の話を聞かないね。そうなってしまったんだろうけれど」


 空児から目を離さない。呼吸を、タイミングを計りながらもう一歩下がる。匕首を半身に構え重心を下げ床をしっかり踏み締めて、間合いを確認し頃合いを見計らう。


 牽制の仕掛けは。暗器で不意打ちすべきか。それとも目眩しの第四手「札札(機を織る手)弄機杼(は虚ろに揺れる)」で飛び込み、数手を交える中で隙を見出すか。


 さっきの身のこなし。おそらく暗器は通用しないだろう。ならば織女素心剣の全てをもって抑え込む。あたしは織女派第一席、封じ込めに全力を注げば脱出など造作もない。


 頭の中で技の展開、流れを反芻する。相手の反撃、回避行動、あらゆる可能性を予測し、流れるようにそして舞うように技を繋げる。天漢に煌めく星々の瞬きのように。連綿と途切れることなく。


 匕首の先には空児。相変わらず微笑んでいる。


「確かに君の武功は抜きん出ている。第一席の証であるその匕首に恥じないくらいにはね。でも、君にはまだまだ経験が足りない。街のゴロツキ連中ばかり暗殺して、それで無双の武芸を身につけたと胸を張れるのかい」


 体の中を電流が流れた。


「黙れ」


 あたしは静かに言い返す。


 替天行道をなし心を鍛え上げる。目指すのはただ一つ、素心という境地。それを示してくれた、あたしに辿るべき道を示してくれた師娘。大恩人の師娘。その師娘を−−。


「否定する者は断じて許さない」


 怒りがぞわりと這い上がってくる。


 殺すか。


 封じ込めるなんてきっと生ぬるい。


 それに、ここを凌げたとしてもコイツらは再びあたしたちの前に現れるだろう。


 後顧の憂いだ。


 排除すべき障害だ。


 そうだ。天を駆け、宙を舞い、最強の剣術を操るあたしに敵う者などいるはずがない。


 全力だ。全力で殺す。


 そう決めた途端、世界から音がなくなった。


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