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剣仙聶隠娘 ー剣仙少女project01ー  作者: 吉野川泥舟
第三章 替天行道
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第六話 痛み

 狙いを定める。変わらず、標的は笑みをその顔に貼り付けたままだ。あたしも僅かに口元を緩めた。一歩を踏み出そうとした瞬間、胴間声が堂内に轟いた。


「兄貴、俺はやっぱり納得できねえ!」


 声のした方に首を向けると、額に青筋を浮かべて仁王立ちしている男が目に入った。腰に巻いた艶のある虎皮の腰巻きが印象的だった。男は手にした槍で床板を力の限り突くと、


「こいつは、仇なんだぜ! 兄貴、三弟の無念はどうでもいいってのかよ!」


 ズシリと堂内が大きく震えた。


「それに! ……それに、いくら呼び寄せるためだとはいえ、してもいねえオレたちの悪行を餌にするなんてよ! その得体の知れねえガキに、どんな価値があるってんだよ!」


 その叫びはまるで呼水だった。奔流となった怒声や罵声があっという間に連中の間を駆け巡り、そして堂内を満たしていった。


「そうだ、そうだ! 仇を忘れるな!」


「兄いの霊前にこいつの生肝を供えるんだ!」


「コイツは、オレたちの誇りを踏み躙ったんだ! 生かして返すな!」


 雑音が耳にうるさい。取るに足らない連中の、つまらない雑音につい気を逸らしてしまったあたしは、心の奥底から沸々と怒りが湧き起こるのを感じた。


 もういっそ、全方位に髪を擲って、一網打尽にしてやろうか。以前村の近くで潜んでいた山賊連中を全滅させたみたいに。そうだ、アイツの首は確か父さまに……そう思っていると、男たちの罵声の間を縫うようにして金切り声が響き渡った。


「人殺し!」


 それは女性の声だった。武装した男連中を押し退けるようにして、一人の女性があたしの前に立ち塞がった。そいつはあたしを睨みつけ、唇の両端が裂けそうな勢いであたしを罵った。


「あんただ! あんたが、あの人を殺したんだ! あたしたちが、あんたに何をしたっていうのさ! あの晩、あの山で……ただ野営をしていたあたしたちを、あんたは問答無用で」


 その後も女は罵声を重ね続けたが、声にならない叫びに、あたしには何のことを言っているのかまるでわからない。やがてその女は糸が切れた人形のように地面に突っ伏した。


 辺りを再び静寂が支配する。さっきまで勢い込んで口角飛ばしていた連中は、ぐったりと動かなくなった女性を眺めているようだった。


「怨恨とはすべからく」


 瑞蘭の声だ。男はゆっくりと椅子から立ち上がると、女の傍らに膝をついた。手の仕草だけで周囲の男どもを引き退らせ、同時に小間使いを二人呼び寄せると、倒れ伏した女性を担がせて退出させた。


「双方の主張を客観的に分析し、ことの起こったところまで巻き戻して考えた上で、話し合いによって解くものなのですよ」


 おかげであたしとこいつとの距離は僅か五歩にまで迫った。自ら望んで死地に足を踏み入れるとは。もしここで外そうものなら、間違いなく姉さまにグーパンされてしまう。


「あなたのことはよく存じ上げていますよ。だから本日はこういう形ではありますが、ご招待させていただきました」


 瑞蘭は眉をピクリとも動かさず言葉を継いだ。


「替天行道を掲げ、人身売買を行う闇商人を片っ端から粛清する少女がいる。その手並みは神出鬼没、不思議なことに血痕は残っているが肝心の遺体は消え失せたようにして全く見つからない。しかも最近では女性にちょっかいを出す酔漢までも標的にしている。手口は繁華街の裏路地などの人目につかない場所を選び、夕方から夜にかけて殺害、然るのち証拠の隠滅」


 あたしは驚きに目を見張った。なぜ、コイツはここまで詳細にあたしのことを知っている?


「不思議ですか? ことは簡単ですよ。あなたは派手にやりすぎたんです。それだけの数をこなせば、目撃者や情報なども自ずと集まってくるもの。それを利用させてもらいました」


 なるほど、そういうことか。ならば、次からはもっと上手い手を師娘に教えて頂かねば。もたついていては姉さま方に、


「私たちと手を組みませんか?」


 あたしはつい眉を顰めた。瑞蘭の言うことがまるで飲み込めない。


「先ほども申しましたように、怨恨とは解くものです。どんなにもつれようともね。それに固執していては、まあ私は商人ですから、利を逃してしまうのですよ。あなたが我が鏢局に合力してくれれば、莫大な利を生み出すことができる。もちろん、私も三弟のことは残念ですし、理不尽にも思える。しかし、死んだ人はもう還らない。ならば、過去の怨恨をのみ見るのではなく、未来をこそ見届けるべきではありませんか」


 コイツ。いけしゃあしゃあと何を言うのか。天に替わって道を行い、大義を果たそうとするこのあたしに、薄汚い商人の片棒をかつげと? 恥を知るがいい。その舌の根が乾く間もなく、義侠の刃でその首を捻じ切ってやろうか。


「あなたは私に担がれたんですよ。もたらされた情報から分析した結果、あなたが狙っているのは、とにかく女性に手を出す輩だということがわかりました。従って、あなたとつなぎをつけるために、こちらも不名誉ではありますが、烏衣鏢局は人身売買の黒幕だ、という噂があなたの耳に入るよう工作したんです。もちろん、その噂はうちの連中同士で囁かせたものですがね。ああ、ついでですが、うちの商いは主に荷駄の運搬と護衛なんですよ。信用第一の商売です」


 何が言いたい? 散々御託を並べ立てたところで、何が信用第一だ、一毫も信用するには値しない。なぜならば、コイツの話に耳を傾けること自体、貴重な時間の損失なのだから。早く、あたしは成し遂げないといけない。心に誓った、仇討ちを。憎い仇を滅ぼすんだ。そのための地ならしの、なぜ邪魔をする−−?


 反射的に体が動いた。長口舌を終えた、瑞蘭の鳩尾目がけて音もなく匕首を繰り出す。


 とった! そう思った刹那、瑞蘭の鳩尾に命中したあたしの切っ先は、まるで氷にでも滑ったかのように、勢いよく先端を逸らされていた。


「ぐっ」


「兄貴! 畜生、兄貴を守るんだ!」


 沸き起こる怒号とともに迫り来る無数の剣戟。弾かれた瑞蘭はというと、椅子の背もたれに盛大に体を打ち付けたようで、体をくの字に曲げてうずくまっている。


 あたしは地を蹴って跳躍した。体を旋転させ、その勢いで盾を構えた男めがけて蹴りを繰り出す。男が身を守ろうとしたその盾を思い切り踏み台にし、一気に横っ飛び、壁を両足で踏み締めると、一段高く舞い上がった。


「暗、器が……来ます。 総員、心して下さい」


 素早く髪を両手で数本引き抜き、内力を巡らせ、下でひしめく男どもに狙いをつけた。投げれば当たる。避けられるはずもない。


 目に映ったのは、びっしりと敷き詰められた傘の水も漏らさぬ密集陣形。その無数の傘の背後に他の連中を匿っている。だがそんな薄い紙でできた傘などであたしの内力を込めた髪を防ごうだなんて哀れを通り越して滑稽にさえ思えた。


 情けも容赦もいらない。当たるを幸い、地に倒れ伏すがいい。髪を擲ったあたしの目に、ところが信じられないものが映った。傘に命中した髪たちは、その全てが不自然に軌道を曲げ、次々と床に突き立ったのだ。


 今のはなんだ。落下するあたしめがけて突き出された槍の穂先を蹴り飛ばし、その勢いを駆ってもう一度壁へ跳躍、反動をつけて今度はさっきと反対の方向に体を躍らせ、髪を抜いて内力を回転させる。


 しかし、今度も同じだった。雨の如く降り注がせたあたしの髪たちは、その全てが傘によっていなされ、無効化されてしまった。床に突き立った髪を見る限り、内力が相殺されたわけではない。では一体何が起こったのか?


 目の前に迫った壁を蹴り、密集した傘の集団から距離を置いて着地する。百人ほどいた男どもは、その半数が傘、残りはその後ろに身を潜めている。集団の最後方には瑞蘭。広い堂内の半分を占める形で布陣していた。


 床を見ると、髪が穴を開けたあたりが薄く光っている。素早く近寄って改めてみると、光っているものは油だった。


「ええ、油を使ったんです。それを特別になめした動物の皮を貼った傘に塗りましてね。武芸の達人が使う内力は恐るべきものですが、暗器に込めて使う場合はあくまでも対象の補強、高硬度を持たせるのが役割だと教わりまして。それならば、まともに防ぐのではなくいなせばよい、とこういうわけで。もちろん、これも受け売りですが」


 瑞蘭は自分の胸元を指差した。縦に裂けた胸元から、鈍色の胸当てが顔を覗かせている。


「まあ私も命は惜しいですから、獣皮の裏には鋼を仕込んでおきました。あつつ……内力が込められてなかったのは幸運でしたが、骨にヒビが入ったようですね」


 あたしは愕然とした。目の前がくらくらするような気持ちに襲われた。


 仕損じたのだ。あたしは失敗したのだ。


 どんな鋼鉄金属をもまるで泥のようにたやすく両断する匕首。


 どんなぶ厚い岩盤でもひび割れ一つ出さずに貫通する髪の毛。


 これまで全く疑わず、恃みにしてきた匕首も暗器も−−必殺とはならなかったのだ。


 では、どうする? ここは一旦退いて仕切り直した方が?


 しかし、織女派の矜持が、果たすべき崇高な使命が、あたしにそれを認めさせない。


 それともやはり、目の前の百人相手に、匕首だけで渡り合うべきか?


 こんなお粗末な連中に、我が織女素心剣が遅れをとるはずがない。技が破られたわけでもない。軽功を駆使すれば。いくらでも上手い立ち回りはある。できる。やれる。だって、あたしは織女派第一席、聶隠娘なのだから。ここで退いては、姉さま方に顔向が、芙蓉姉さま、芳槿姉さま、あたしに力を、


 目頭が熱くなった。刹那、あたしの心がドクンと跳ね上がった。同時に、割れるような頭痛があたしを襲った。


「ぐうっ」


 これは、この痛みは、姉さま方からの叱責。お二人からの、激励、鼓舞。あたしに、立て、戦えと、


「聶隠娘!」


 女性の声。声が耳に届くや否や、あたしめがけて影が一つ飛び込んできた。夢中で影に向かって匕首を突き出す。匕首は涼やかな金属音をなびかせながら、右へといなされた。視界が霞むあたしの目の端に、細い筒のような武器が映る。点穴される、そう危機を感じた瞬間、あたしは体を地面すれすれにまでかがめて、影に向かって足払い。その回転の勢いのまま、思い切り地面を踏み締めて入口の扉めがけて突っ込んだ。


 鈍い轟音が辺りの空気を震わせる。扉を体当たりでぶち破り、勢いのついたあたしの体はそのまま石畳の上を数度転がった。全身が軋む。体が悲鳴を上げた。だが、すぐに起き上がってここから逃走せねば。さっきの影、女性の声。匕首を受け流した腕前。間違いない。手練だ。


 頭が重い。視界が揺れる。体に負ったダメージは大したことない。頭痛さえ止めば、これさえなければ。早く、急げ。あたしはこんなところで斃れるわけにはいかないの。


 歯を食いしばる。己を叱咤する。立ち上がり、中庭を疾駆し、そのまま鏢局の入口まで、素早く塀に駆け登り、息もつかせず向かいの楼上まで一気に跳躍。慌てて背後を確認したが、追手のかかった様子はない。


 でも、ここで一息ついているわけにはいかない。急いで師娘の元へ帰還しないと。本当に、心から安堵するのは、師娘に今日の首尾をきちんと報告してから。


 あたしは止まない頭痛に身も心も千切られる思いをしながら、煌々と照らす月明かりの中をひた走りに走って師娘の待つ我が家へと帰還したのだった。


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