第三話 旅芸人の姉妹
その日も、あたしは汚らわしい男どもを屠ってやった。
師娘に教わった「釣り」の成果だ。
ここのところ、悪行をなす連中の数がグッと減ってしまい、そのおかげで替天行道に支障をきたすようになってしまった。そのことに心を痛めた師娘は、あたし自身を囮りにする方法を考え出してくれた。
建康の繁華街はいつも明るい。たくさんの人が往来し、実に賑やかだ。しかし、一歩路地裏へ足を運べば、そこには異臭漂う薄暗い界隈が広がっている。
そこを、あたしは一人でウロウロする。師娘の言いつけ通り、建康の呉服屋で仕立てた薄物の衣を着て。
そうすると、十中八九、酒臭い男どもがゆっくりと群がってくるのだ。
「姉ちゃん、誘ってんのかい」
「へへ、こいつは上玉だぜ」
「ああ。さて、兄弟。順番はどうするね?」
今日は三人だった。髭もじゃ、痩せぎす、書生風の男。あたしは教わった通り、やや顔を斜に向け、ヒラヒラする袖で顔を覆った。
「大丈夫だ、姉ちゃん。オレたちは優しいからよ」
「無論。全てを委ねてくれたまえ。あっという間に意識は桃源郷、いや九天の彼方まで飛翔すること間違いない」
「全く、科挙に落第した秀才さまは、いちいち言うことが面倒くさくていけねえや」
下品な笑い声を浴びながら、あたしはその場にしゃがみ込む。近づいてくる三人の気配。やがて、あたしの上に影が重なった。
「どうだろう、兄弟。たまには趣向を変えて、この場で楽しむというのは」
「おいおい、犬や猫じゃねえんだからよ」
「もちろん、我らは知恵を備えた霊長だ。だからこそ、獣の如き交わりに、至高の悦楽を垣間見ることができる。熟れた果実を欲望のままに貪り喰らう己が浅ましさを、客観的に眺めることができるのだ。それこそが背徳の快楽。愉悦なのだよ。違うかね」
「けっ、ちっともわかんねえが、要するにここでやっちまうってことだろ? そいつには賛成だ、何しろオレはここのところご無沙汰でよ。今にも破裂しちまいそうなんだからよ」
もういいだろう。あたしはそっと匕首をうなじから抜き取った。
「さあて、姉ちゃん。お待たせしたな。姉ちゃんもよ、こんな場所でしたことねえだろ? しかもこっちは三人だからよ、たっぷり味わえるってもんだ、なあ?」
空気の動きで、腕が伸ばされてきたのがわかる。あたしは素早く匕首で弧を描いた。微かな感触が手のひらに伝わる。瞬間、男の悲鳴が空気を裂いて響き渡った。
「ぐあああっ! なんだ、痛え、痛ええええ」
「お、お前、腕が、腕があっ」
皆まで言わせない。煩わしいから。
顔面蒼白で後退りする書生風の男が目に入った。あたしは素早く髪の毛をなげうつ。暗器は眉間をするりと貫通し、そいつは黙ってくずおれた。
地べたに這いつくばって命乞いをする髭もじゃと痩せぎすの首をすらりと跳ね飛ばす。二つの体はガクガクと小刻みに震えると、ドサリと地面に倒れ伏した。できた血溜まりは少しずつ黒くなり、やがて路地裏に元の静けさが返ってくる。
表通りの雑踏から人々の明るい笑い声が流れてくる。あたしは例の粉薬を動かなくなった外道たちに振りかけた。やがて白い煙が三条、音も立てずに空へと吸い込まれていった。
それを見ていると、心が軽くなるのが実感できる。
そして、自分の心が鍛えられていくのがわかる。
必要なのは、大切なのは、感覚を常に研ぎ澄ませておくことだ。
頻繁に匕首を使わないと、技量が落ちてしまうような気がする。
師娘はそこまでお見通しなのだ。
だから、あたしに気づかせて下さる。導いて下さる。
ああーー
ほんとうに、師娘は見識が深くていらっしゃる。
そのおかげで、あたしは着実に、確実に、仇討ちに近づいているのだ。
実感できる。
小さな積み重ねが、やがて大きな成果に結びつくと、信じて。
替天行道には一点の曇りも迷いも、ためらいもない。
これこそが、織女「素心」剣の真髄なのだから。
※
そして、その夕刻のこと。
あたしは目抜き通りで芸を売る、二人組の女性を見かけた。
通りには舞台が設られている。旅芸人などがこの舞台に上がり、さまざまな芸を披露して、見物客から幾ばくかの銭を投げてもらう。建康ではよくある光景だった。
舞台の周りには黒山の人だかりができており、舞台の上で立つ人影に熱心な視線を送っている。
日はすでに西へと大きく傾き、屋台や居酒屋の軒先には赤い提灯がずらりと並んでいた。
「皆々さま、本日はお集まり頂きまして誠にありがとうございます。私たちは長安より参りました、しがない旅芸人の姉妹でございます」
つい興味を惹かれたあたしは、軽功を使って近くにあった楼の屋根に飛び上がった。
舞台にいたのは二人の女の子だった。一人は腰まで伸びた黒髪が見事な長身痩躯。もう一人は顔も腕も包帯でぐるぐる巻きにした子だった。背は低く、黒髪の胸ほどもない。姉妹というからには、長身が姉で包帯が妹なのだろう。
話しているのは黒髪の方だった。
「恨むらくは、私たち姉妹に降りかかった不幸でございます。まだ物心のつかぬ幼少の折、私たちは人攫いに連れ去られ、人跡未踏の山奥で筆舌に尽くせぬ重労働を強いられたのでございます」
その話を聞いた途端、嫌悪感で胸がいっぱいになった。ここにも、無道の輩によって辛い目に遭わされた女の子がいる。持ち合わせのないことが悔やまれた。
「食べる物も、着る物も、満足に得ることができません。私たちは天を仰いで涙しましたが、広大な蒼天はただ黙っているばかり。しかし、あるとき、私たち二人に幸運が舞い降りたのです。なんと、諸悪の根源である人攫いの王が、急な病で寝込んだのです。これぞ天佑と小躍りした私たちは、千載一遇の機会をものにして、ついに牢獄から脱出することができたのです」
人だかりから大きな拍手が聞こえてきた。あたしもつい喝采を送ってしまう。
舞台上には次々と銭が投げ入れられていた。
「ありがとうございます。皆さま方のお志のおかげで、私たち姉妹は儚い命を今日も繋ぐことが叶います」
そう言うと、黒髪は深々と腰を折った。たちまち見物客の中から感嘆の溜息が漏れる。
「自己紹介が遅れまして申し訳ございません。私は空児、笛を吹かせていただきます。こちらは精児、剣舞を担当いたします」
空児と名乗った黒髪は、おもむろに笛を取り出すと、薄桃色の唇にあてがった。やがてか細い音が連綿と流れ出す。悲しくなるような、切なくなるような、そんな音色だった。
あたしはつい眉を顰めた。後頭部にちくりと痛みが走ったからだった。もしかして、疲れているのだろうか。なら、霊薬をもっともっと舐めなければ。替天行道――いや、姉さま方の仇討ちに支障をきたしてしまっては、元も子もない。
そこで大きな拍手喝采が起こった。見ると、包帯――精児が二本の剣を颯颯と舞わすのが目に入った。
その低い身長では取り回すのに苦労しそうな長剣を二本、精児は慣れた手つきで自在に操っている。右に払い、左を突き、体をくるくると旋転させたかと思えば、何度もトンボを切って、まるで全方位の敵を切り刻むかのような、水も漏らさぬ剣舞を披露していた。
空児の笛も勢いを増していき、さっき感じたような寂寞さは微塵もない。笛の音は剣舞を励ますように、どんどん苛烈に、速度を上げて、舞台上を駆け回った。
やがて精児が二本の剣を空中へと投げ上げた。合わせるように、笛が一際鮮烈な響きを発する。手を離れた剣は弧を描きながら、精児の持つ二つの鞘に、吸い込まれるようにして納められた。
同時に、観客席からどよめきが起こった。少し遅れて、天地を震わすほどの大喝采が辺りを包み込む。人間離れしたような、並外れた剣舞――いや、武功を目の当たりにして、あたしも例に漏れず、盛大な拍手を送り続けていた。




