第三話 比武
あたしたちが日々磨く武功。
その中で最も大事なもの、それは剣術だった。
あらゆる功力は全て――剣術の威力を上げるための基盤に過ぎない。
織女素心剣。無垢なる少女にのみ扱うことを許された、天下無双の剣技。
技の数々は、天漢を隔てて思慕の情を募らせる、織女星と牽牛星の伝説を想起させる。
しかし、その威力は絶大そのもの。
飛翔する鳥の首をはね飛ばし、疾駆する獣の胴を寸断する。
その気になれば、地を割ることすら可能だった。
愛用の剣は使うほどに削れてどんどん短くなる。
長い剣を振っているうちは半人前とさえ見做されない。
機織りに使う杼くらいに錬磨されて、初めて一人前になれるのだ。
※
ここ断機島での生活もすでに四年目を迎えようとしていた。今のあたしは、以前のあたしとはまるで違う。いくら獣を屠っても心は少しも痛まなくなったし、家族のことを思い出して寂しくなることもなくなった。いや、むしろ、家族のことなどほとんど忘れ去っていた。
弱かった心が鍛え上げられている。
あたしは、一意専心、ひたすら己の武功を磨くことだけに没頭していた。
なぜならば。
あたしにとって、この薄暗い洞窟で生活を共にする姉さま方こそが、かけがえのない家族になっていたから。
だから、あたしは心から願った。
ーーずっとみんなと暮らしていきたい。いつか四人で世に正義を行うんだ。
身に付けた武功で江湖を渡り、苦しみに喘ぐ人々を救って回る。
義侠の行いで世の中を明るく照らすんだ。
ずっと、四人で。
師娘を筆頭に、芳槿姉さま、芙蓉姉さま、そしてあたし。
この四人で、ずっと江湖を渡っていくんだ。
そう考えるだけで、震えが起こるくらいの歓喜に包まれた。
※
「姉さま方、いよいよ比武が来月に迫りましたね」
ある日の夕刻。修行を終えた後、あたしたちはいつも通り、洞窟の中でおしゃべりに花を咲かせていた。
「そうね。早いものだわ」
芳槿姉さまは奥の泉で豊かな黒髪を梳っている。ときおり聞こえる水滴の音が、洞窟の静寂を際立たせた。
比武。この催しが行われることを師娘から聞いたのは、ちょうど半年ほど前のことだった。
かつては、数年に一度、断機島に籠る織女派と、内陸部に勢力を構える「牽牛派」との間で武芸比べが行われていたらしい。
期日は七月七日。七夕の節句、または乞巧の日とも呼ばれる。裁縫や書法の上達を願う娘たちが、天漢に祈りを捧げる日だ。
その七夕の日に、織女派と牽牛派が武芸比べを行うのだ。
師娘の話では、もともと織女派と牽牛派は一つの流派だったらしい。その流派の名は「天漢派」といった。織女派に伝わる伝説によると、かつて天界に居を構えていた織女星と牽牛星の二人は、天漢で共に武芸の修行に励んでいた。そうして天漢派を作り上げたが、やがて二人は天帝の怒りに触れ、年に一度しか会えなくなってしまう。そのとき、天漢派は織女派と牽牛派の二つに分かれ、七夕の日にお互いの武芸を比べて研鑽を積むことをそれぞれの伝統行事として据えた、という。
無双を誇った二つの流派だったが、時と共に衰退を余儀なくされたらしい。織女派も後継者不足に悩まされ、この催しは数百年の間行われることはなかった。しかし、織女派が久しぶりに後継に恵まれたことにより、ついに伝統行事が復活する運びになったのだ。
方法はとても簡単だった。
それぞれの流派から代表選手二名を選抜し、二対二で戦わせる。もちろん、命を取るまではやらない。お互いの武功の研鑽を積むのが目的なのだから、当然のことだった。
その報酬は破格だった。勝利を得た方が、相手流派の秘奥を一つだけ教わることができるのだ。その意図するところは、両流派の統合を目指すことにあった。技を研究し、研鑽を重ねながら、失われた天漢派の深奥に迫る。これが両流派の悲願であるらしい。
「姉さま方。比武で見事結果を出して、無事剣仙になれたら……」
今回の比武において、もし牽牛派を圧倒できた暁には、師娘から織女派の秘奥を全て伝授してもらえることになっていた。それはつまり、師娘と同じ「剣仙」になれるということを意味している。ここ断機島で修行に励むあたしたちの目指す最終目標地点でもあった。
「師娘にも入ってもらって、断機島織女派四大剣仙を名乗りましょうよ」
口にした途端、頬がかあっと熱くなった。興奮がふつふつと湧いてきて、居ても立ってもいられなくなる。
「ぷっ、あはは。アンタってほんとに頭がお花ね」
芙蓉姉さまだ。寒玉床の上で足を組んで寝そべったまま、クツクツと笑い声を立てている。
「……姉さま! 笑わなくったって」
あたしは寒玉床に飛び乗った。
「あはは……四大何とかって、ありきたりだし、微妙に講談チックで幼稚な感じ。それにね」
子どもっぽいとかって馬鹿にされて、あたしは下を向いて唇を噛んだ。
「アンタはまだ剣仙にはなれないでしょ? 三大剣仙と荷物持ちならわかるけどさ」
その揶揄を聞いて、あたしは息が止まりそうに感じた。
空気が凍りついて、そのままパリンと割れてしまうような。
一気に奈落に突き落とされたかのような。
「そんな。……そんなこと」
言わないでください。切なくて、悲しくて、そして何より寂しく感じた。
冗談なのはわかってるつもりだった。でも、あたしだけのけ者にされたみたいで、手や足が、意思に反してガクガク震える。
「もう、意地悪言わないの。隠娘、気にしないでね。明日からしばらくお別れだから、芙蓉も寂しく感じてるのよ。とことんからかっておきたいのね」
芳槿姉さまはそう言うと、忍び笑いを漏らした。芙蓉姉さまは天井を見上げたまま、何も答えない。
その言葉に、不安と寂しさがすうっと遠のいて行った。それに代わるようにして、遅れて安堵がやってきた。そうして、その安堵は同時に小さな怒りを引き連れてもいた。
芙蓉姉さまの意地悪には十分慣れていたつもりだったけれど、さっきの冗談はあまりに酷い。気持ちを踏み躙られたような気がした。それに、いつもやられっぱなしでは面白くない。
「芳槿姉さまはやっぱりお優しいわ。素直になれないひねくれ者の芙蓉姉さまとは大違い」
煽ってやろう。
「へえ。弱虫のくせにいっちょ前に煽ってくるじゃない?」
わかっているじゃないですか。
「それはいつのお話でしょうか? 今日の実戦訓練では、わずか数手であれ、芙蓉姉さまを圧倒しましたが。後進に影を踏まれて焦っておいでなのでは?」
「……やろうっての?」
きちり、と芙蓉姉さまの剣のつばが音を立てた。
「望むところ。姉さまこそ、あたしの足下にひれ伏して許しを請わないで下さいね?」
こうなったらあたしも退けない。手元に愛用の剣を引き寄せる。




