第二話 異変の兆し
不戦敗扱いで、記念すべき十三連敗を喫したあたしのところに、姉さま方がやってきた。
「ねえ。さっきの仕掛け、まあまあ面白かったわよ。ふん、笑わせてくれてありがと」
芙蓉姉さまだった。
「まー、それでも? アンタのその剣じゃ、取り回しに難があったわね」
姉さまからもそう言われて、嬉しいような、やっぱり悔しいような、そんな複雑な気持ちになった。
「そうね。でも目の付け所は良かったと思う。芙蓉もヒヤリとしたみたいだったし」
「いやいや、してないから」
「そう? ふふ」
二人のおどけたやりとりを聞いていると、なんだかあたしまでおかしくなってしまう。
「でも、このままじゃ悔しいですから。いつかきっと、あたしの剣を姉さま方に届かせてみせます」
「へえ、さっきまでしょげてたのに、早速元気じゃない? でもね、あたしたちはアンタと年季が違うの。簡単にはいかないわよ? そうでないと、姉さま張ってらんないでしょ」
確かにそうだ。あたしと姉さま方との間には、絶対に越えられない時間の壁があった。
「そうね。あたしたちが断機島に来てから、六年だもの」
芳槿姉さまは薄く微笑むと、視線を眼下に広がる海原に向けた。遠くの方からは海鳥の鳴き声がまばらに聞こえてくる。
「あたしが十歳、芙蓉が九歳だった。あなたと初めて出会ったのは、三年前だから、ちょうど十三歳のころね」
「あたしは十二歳か。どこからどう見ても、使い物にならなそうな頼りないお子さまが来てさ。はは、お嬢さまに剣なんて握れんのかって思ったよ」
その言い草にムッとしてしまったけれど、芙蓉姉さまの横顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「あたしたちは、師娘に大きな恩があるの。一生かかっても返せそうにない、大きな恩」
「ああ。師娘はあたしたちを救ってくれた。そして、住まいを与えてくれ、おまけに武芸まで教えてくれる。あたしたちは、たとえ死んだとしても、師娘に恩返しをするんだ」
二人はずうっと海原を見つめている。潮風は優しく、あたしたちの髪を撫でた。
まるで独り言のようだった。海は二人の語りを、ただ黙って受け止めている。ときおり聞こえる潮騒が、より一層二人の声を際立たせるような気がした。
「ねえ、隠娘」
唐突に芳槿姉さまが顔を向けた。あたしは首を傾げて、それに答える。
「あなた、もう三年目だけれど、体に異常はない?」
「はい、特に何も。ここに来てから、風邪も引かないですし、きっと霊薬のおかげだと思います」
昔、故郷にいたころ、あたしはよく風邪を引いて父さまや母さまを心配させていた。
外で遊ぶのが好きで、冬でも走り回っていたけれど、あの小憎らしい……。
あれ。誰だったかしら。確かもの凄く嫌な子がいて、それで。
「隠娘?」
「あ、いいえ。なんでもないんです。それに、怪我をしても芳槿姉さまが治してくれますから」
そう言うと、芙蓉姉さま得意の舌打ちが聞こえた。ことさらにおどけた声で、
「心配しなくても、今度はあたしがチャチャッと治してあげるからさ、いつでも見せに来たらいいよ」
「内力が逆流したらどうするんですか」
あたしもふざけてやり返す。芙蓉姉さまのグーパンが迫るのを、あたしはひらりひらりとかわし、芳槿姉さまの背後に逃げ込んだ。
「こら芳槿。背後に隠した悪戯っ子を引き渡しなさい」
「ふふ、そうね」
芳槿姉さまは肩に置いたあたしの手にそっと手のひらを重ねると、
「あなたはかけがえのない、あたしたちの姉妹だからね。それを忘れないで」
あたし、顔から火が出そうになった。いきなり芳槿姉さまにそんなことを言われて、もの凄く嬉しくて、くすぐったくて、とにかく全身から喜びが溢れそうになってしまう。
「アンタ。確認しとくけど、体調に変化はないのよね」
今度は芙蓉姉さまだった。一回だけならまだしも、こうも聞かれると何だか気にかかる。しかも芙蓉姉さまに心配なんかされた日には、それこそ調子が狂ってしまいそうだった。
「はい。あの、でも……どうしてそんなに気にするんですか?」
芳槿姉さまの手に力がこもった。そうして、雲ひとつない青空を見上げながら、
「実は、あたしたちにも姉弟子がいたの。双子のね」
あまりのことに、咄嗟に言葉が出てこない。
「そういうワケ。あたしは幼かったから、はっきりとは覚えていない。でも、二人とも病気にかかって亡くなったって、師娘に教わった」
「あたしは……少しだけ覚えているわ」
芳槿姉さまは少し口ごもった。躊躇うような、言葉を探すような、そんなふうにしばらく俯いたあと、
「あれは……とても怖い症状……いいえ、病気だった。体がまるで鉱物のようになってしまう奇病なの。そのまま息ができなくなって、それで」
体が鉱物化するだなんて、そんな病気初めて聞いた。でも、そこには少しだけ疑問がある。
「ですが、師娘は仙人の秘薬を持っています。それを使えば、どんな病気だってたちどころに」
治りそうなものだーーあたしはそう言葉を続けようとした。
「そうよ。でも、どうにも治しようがなかったの」
そんな。そんなことがあるなんて、にわかには信じることができない。だって、師娘は神仙で、剣仙なのだから。あたしが師娘に会って三年が経つけれど、師娘の容色にはなんの変化もない。不老不死で間違いない、と思えるのに。
「もちろん、師娘は神仙よ。あたしたちが救ってもらったときから、お姿はまるで変わっていないから」
「だから、あたしは師娘を尊敬して、そして信じている。あたしたちの姉弟子は、きっと運がなかったんだ。そんな奇病にかかるなんて」
確かにそうだ。姉さま方の言う通りだと思った。師娘は神仙で、あたしたちにもの凄い武芸を授けてくれる。普通の人が口にできないような、貴重な霊薬も与えてくれる。少し悲しいけれど、会えなかった姉弟子のお二人には、やっぱり運がなかったんだ。
でも、それなら。同じ織女派の弟子として、その姉弟子のお墓参りをしなくては。三年も経ってしまって、ご挨拶が遅れて失礼しました、と墓前に額づいて、改めて入門を告げなければ。
その気持ちを二人に告げると、驚きの言葉が返ってきた。
「ないわ。お墓はどこにもないの」
芳槿姉さまの口から漏れたその言葉。あっという間に、流れる潮風に押されて消えた。
「え……?」
「断機島には神様を祀る廟はあるけれど、死者を弔うお墓はないの。だから、お二人の亡骸は師娘が島外に埋葬したって」
その話を聞いて、あたしは無性に寂しくなった。それなら、お名前だけでも教えてもらって、廟の前でお祈りを捧げよう。そう思った。
しかしーー
「お名前? あら、そういえば……何だったかしら」
「そういえば、あたしも……何ていったのか、まるで覚えていない」




