第十話 剣の「真実」
あたしは織女素心剣の魅力に取り憑かれ、夢中で技を磨いていった。十の基本形をことごとく身に付け、軽功の実力もメキメキ上達するあたしを見て、師娘はことあるごとに褒めてくれた。芳槿姉さまは言わずもがな、あの芙蓉姉さまだって、あたしの腕前に目を見張って、少しは認めてくれるようになった。
何よりできなかったことができるようになるのはとても嬉しいことだった。
それは快感でもあった。
ーーでも、あたしにはどうしても苦手なものが一つだけあった。
島には密林がたくさんあって、洞窟から離れると猛獣たちの姿をよくみかけた。虎、熊、ええと、他にもたくさんーー天を衝くぐらいの大きな猿もいた。
その動物たちを相手にして、教わった剣術を試す。
そしてやっつける。
ーーううん、違うわ。
殺すの。
剣術を使って、獣たちを殺す。
あたし、本当にいやだったわ。
あたし、何よりも怖かったわ。
あたしの剣が血を吸うの。
あたしの手が血に濡れていくの。
初めて、姉さま方が獣を斬り殺すところ見たとき。あたしはあまりの恐怖に気絶するかと思った。
それは白い額をした虎だった。
芙蓉姉さまが剣を抜いて、地を蹴った瞬間、血煙が舞い上がった。あたしの前で、首を失った虎が、ガクガクと身を震わせて、やがて鈍い音を立てながら、地面に倒れ伏した。
姉さまは左手に虎の首をさげると、ゆうゆうと師娘の所に帰ってきた。顔に得意そうな表情をうっすらと浮かベて。そして跪くと、その首を師娘に捧げた。
芳槿姉さまも苛烈だった。いつも白い服を着ているのだけど、その影が閃いたかと思うと、空を飛んでいた鷲や鷹が何羽も落ちてきた。皆同じように首を刎ねられていた。その軽功もおそるべき腕前だけれど、容赦なく動物たちを狩る姿には鳥肌が立った。
あたし、バカだったの。わかっていなかったの。武術を教わることはかっこいいことだって思ってた。剣術を極めたいとも思ってた。でも、でも、剣術ってーー人を効率よく殺すための技だった。その練習台として、姉さま方は動物を斬り殺している。あたしには、とてもできそうにない。生き物の命を奪うなんて、怖くて、罪深くて、とにかく吐き気がするくらいにイヤだった。
でも、それは許されなかった。
ある日、実戦訓練を課せられたあたしは、泣きながら師娘に取り縋った。
嫌がるあたしを見下ろす師娘の顔からは、いつもの優しい笑顔が消えていた。
そのときの師娘の剣幕は、今までに見たことがないくらいに激しくて、怖いものだった。
やがてあたしは業を煮やした師娘に襟首を掴まれ、猛獣たちの輪の中に無理矢理放り込まれてしまった。
相手は虎の群だった。五頭もの大きな虎が、じりじりと距離を詰めてきた。牙も爪も鋭くて、擦るだけでも死んでしまいそうに思えた。師娘と姉さま方を振り返っても、三人ともじっとあたしを見つめるばかりで、とうてい助けてくれそうには見えない。
そのうち、一番大きな一頭が、地面を蹴ってあたしに飛びかかってきた。軽功も内力も高まっていたあたしは、その一撃を難なくかわしたけれど、着地と同時に別の二頭が襲ってきた。足下をすくわれそうになって慌てたあたしは、地面に転がって必殺の攻撃から逃れた。ところが、転がっていった先にはまた別の二頭が爪を光らせて待ち受けていた。
あたしは悲鳴を上げながら、背中の剣を抜き放った。次の瞬間、虎の咆吼が響いてきて、目の前にいた二頭は前足を失って地面に倒れた。返り血があたしの顔を濡らす。
「い、いやっ!」
「隠娘、何を情けないことを。そんなことでは義侠の行いで世を照らすことなど不可能ですよ。これはその予行演習のようなもの、さっさと始末してしまいなさい」
顔にかかった暖かい液体。その生臭さがあたしをさらに混乱させた。
訳のわからない叫び声を上げながら、手にした剣をぶんぶんと振り回す。
「いや、こないで! お願い、来ないで、近寄らないで!」
剣術も何もあったものじゃなかった。身に付けたはずの織女素心剣。
華麗に、優美に、そして繊細に。
そんなものはあっという間に雲散霧消した。
低いうなり声を上げながら、残り三頭が一斉に飛びかかってくる。
「う、うわああああん!」
あたしの手には、肉を切り裂く鈍い感触だけがあった。それが何度も繰り返される。断末魔の叫び、血のほとばしる音。真っ赤な血は容赦なくあたしの頭から足の先まで濡らしていった。
「いやだよ、いやだよう! こ、殺したくなんか、ないのに!」
叫び疲れ、剣を振り疲れたあたしの前には、さっきまで虎だったものの残骸がうずたかく積まれていた。胃の中が逆流する。何にも食べていないのに、吐くのが止まらなかった。




