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醜い女

作者: いろは

 カツカツというヒールの音を聞きたくて、今日はイヤホンをつけずに歩いてる。おろしたてのパンプスは、エナメル素材のピンクベージュ。2ヶ月前から欲しくてようやく手にしたものだ。この靴のためにメイクもあわせてばっちりだ。駅の改札を出て、夏の日差しが目にしみる。それさえもこの靴のおかげで愛おしく感じる。勤め先のビルは、20階建てで、オフィスは10階。この時間に混み合うエレベーターで足を踏まれないように慎重に乗り込んで上がっていく数字を眺める。

 「このプロジェクト、高橋さんやってみない? 期待しているよ」

 3週間前の部長の言葉。今でも思い出すと口元がゆるんでしまうほど嬉しかった。私の勤めている会社で女性を中心に行われた化粧品の新作をプロデュースする新プロジェクト。そのリーダーが私。入社4年目にして初めてのリーダー。今回プロデュースするリップは、働く女性だけでなく、主婦やシニアと幅広い年齢層をターゲットにしている。今日はその試作品が会社に届くことになっている。到着はお昼頃になるだろうから、営業先へのメールや他の業務を片付けている間に12時になった。

 お昼は他の会社と共同の休憩室。コンビニ弁当のおにぎりを片手にスマホでネットサーフィン。至福のひととき。ふと前に誰かが座る気配がしてちらりと目をやり、思わずスマホを落としかけた。ビルの受付の女性だろうか。制服のベストが、はちきれんばかりに悲鳴をあげている。同じ女性として恥ずかしくなるくらいのだらしない体型で、化粧っ気のない顔はにきびだらけだった。彼女はカップラーメンを手にしてずるずると音を立てて食べ始めた。白いテーブルにラーメンの汁が飛び散る。彼女のメガネは蒸気で曇り、ごわついた髪には白髪がまざっていた。

 恥ずかしくないのだろうか。痩せようとはおもわないのか。良かった。あんな女に生まれなくて。席を立って彼女を視界に入れないようにオフィスへ戻った。


 お昼から戻ると、後輩で同じプロジェクトの浅田さんが白い顔で小走りに近づいてきた。

「高橋さん、リップ届きましたが」

「あ、届いた? どうだった?」

「それが、これ」

浅田さんが差し出した新作のリップを見て絶句した。色味が全く違う。ターゲットを広めに、どんなシーンにも使えるようアイデアを出し合ったリップのはずだが、届いたリップはつけないでもわかるくらいの真っ赤なリップだった。

すぐに注文書を確認すると、色味の注文番号が1桁間違っている。この色は違う仕事で使っているリップの番号だった。私の確認ミスだ。明日には営業先に試作品を持っていくことになっている。目の前がチカチカしてきた。

「すみません、私が」

浅田さんが震えた声で頭を下げた。

「違う、私の確認漏れだから。先方に連絡する」

心臓がドキドキして受話器を持つ手が震えている。浅田さんに気づかれないように大きく深呼吸して営業先の番号を押した。


「わかった。もういいから」

部長はミスの顛末と私の謝罪を無表情に聞いて一言言った。

怒られた方がよっぽどマシだと思った。期待したこちらが間違いだった、と言われているような気がした。

営業先には改めて商品を届けることになった。もともとスケジュールも余裕があったため、大事にはいたらなかった。「わかりました」とだけ言われた。

誰も私を責めなかった。


部長も先方も。だから私は自分で自分を責めて楽になるしかなかった。

簡単な波に乗れて自分を過大評価していたから、こうなったのだ。定時を過ぎたオフィスのエレベーターの前に列ができている。足をとめたくなくて、階段を目指す。

 ミスがわかったとき、私は何を思った?

 真っ先に頭をよぎったものは何だった?


階段の扉を、少し前を歩く人が押さえててくれた。小さな優しさが今は心にしみた。会釈して俯いた顔を上げる。

 押さえていてくれた人は、お昼に私の前に座ってカップ麺を食べていた太った女性だった。私の会釈に小さく口角を上げてすぐに前を向いて階段を登っていった。

 私は何を見ていたのだろう?


 ミスがわかったときに、私は自分のミスではない証拠を必死に探してなかったか?

 そのときに、営業先の人やお客の顔が少しでもよぎったか?


 私は何を醜いと思っていたのだろう?

ピンクベージュのパンプスが涙でぼやけた。


 私は私みたいな人間になりたくない。下を見て安心して、自分の靴が汚れていないかばかり気にする私が嫌いだ。

 階段を降りていく。

でも、これが今の私だ。醜い私だ。

 ドアノブに手をかける。ドアの向こうには小柄な女性が1人立っていた。体を避けて道を先にゆずる。女性はぺこりと頭を下げてから小走りで通り抜けた。


今まで私は、自分に必死だった。自分さえよければそれでよかった。自分のために人に優しくした。就職してから、私は誰にありがとうと言ったか、何に対して謝ってきたか思い出せない。

誰とどんな話をどんな気持ちでしていたかわからない。

表面的に生きてきた。それでできているつもりだった。成長しているつもりだった。人を見下すことも、自分の気持ちだけを考えることも当たり前になっていた。


 少しずつ、変わろう。

 すみません、で済ませた今日を明日は誰かにありがとうと言われる日にしてみよう。

 

良い服を着る前に、良い姿勢でいよう。醜いと思う前にきれいなものを見つけよう。

下をみなくていい、上を向きすぎなくていい。周りをみてみよう。自分の視線にいるものを、人とちゃんと向き合おう。

誰かを憎んでいても、自分を嫌いになっても、誰かのために必死になっても、一息ついても、

明日はやってくる。

今を見つめよう。どうせ人生は、完璧な人間になるには短すぎるだろう。

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― 新着の感想 ―
[一言] この作品は。。。身に積まされて怖い(>_<)
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