一章 神子への改変
――どうしてこんな目に。
水口有紗は、血を吐くような思いでうめく。
こんな非道なこと、許されるはずがない。
少なくとも、ほんの数十分前までいた日本では、絶対にありえないことだった。
あの場所がどれだけ平穏だったか。こんな形で思い知らされるとは。
「もたもたするな!」
両手には鉄の枷を付けられ、兵士に両腕を抱えられて、崖の上に引きずりだされる。赤色の着物と黒い袴、ブーツなのは幸いしたが、この強引な動作で有紗は足をひねってしまう。
有紗が痛みにうめいたところで、目の前にいる人々はお構いなしだ。
白と青の装束を着た兵士と、白一色のローブを身に着けた神官達の眼差しは、とても人に向けるものではない。道端の石ころみたいに関心が無いか、異臭を放つ生ごみへ向けるような侮蔑的なものだ。
有紗は耐え切れずに叫ぶように言う。
「私は人間よ!」
ごく当たり前のことを言ったつもりだった。
これで少しは正気に戻らないかというかすかな望みも、彼らが意表を突かれた顔をした後、笑い出したことで無になった。
「ははは、人間? まさか! 神子を招く儀式で呼ばれたのがお前だ。だが、我らが呼びたかったのは光神の神子だ。邪神の神子には用は無い!」
「神が遣わした者とはいえ、器は人間に過ぎない。ここから突き落とし、貴様の魂ごと浄化してやろうと言っているのだから、いっそ我らに感謝してもらいたいくらいだ」
有紗にとっては理解しがたい理屈を口にして、神官は嘆かわしげに溜息をつく。
「よいか、高貴な者は斬首刑だが、下賤なる重罪犯はここから落とすと決まっているのだ。お前のような者には、武器を使うのももったいない」
斬首刑と聞いて、おぞけが走る。しかしここから突き落とされるのとどちらが良いのか、有紗には分からない。震える声で問う。
「私がどんな罪を犯したっていうの?」
「邪神の神子として現われることで、我々の聖なる儀式の邪魔をした。大罪だ」
なんて勝手な言い分だ。
有紗は息を飲み、周りに誰も味方がいないという現実に打ちのめされる。
――怖い。
人の悪意が、骨の髄まで凍らせる。恐怖にとりつかれて手足を震わせても、彼らは一向に気にとめない。
「さあ、これで終わりだ」
「やれやれ、また儀式の準備をしなくては」
まるで、食事を零したから作り直そうとでもいうような態度で、彼らはあっけなく有紗を意識から葬り去った。
有紗は兵士に引きずられ、切り立った崖の端まで連れて行かれる。
「いやっ、やめて! 死にたくない! やめてっ」
無我夢中で暴れたところで、手枷が邪魔をして動きが取れない。
そして崖の先に立った有紗は、夜空を見た。月が三つ浮かんでいる。大きな白い月と、小さな青い月と赤い月だ。地球ではありえない空が、ここが異世界であることを容赦なく突き付けてくる。
足元には針葉樹の森が広がっていた。
そこで初めて、有紗はさっきまでいた建物が、高い丘の上にあったのだと知る。
「邪神の神子、来世では救われますように」
「魂に平穏と浄化あれ」
神官達がいっせいに祈りの声を上げる。有紗にはなんの救いにもならない、いっそ呪いの言葉だ。
無慈悲にも、兵士は有紗の背中を強く押した。
「いやっ、ああ――っ」
樹海へと投げ出され、有紗の体はあっけなく落ちていく。
そして遠のく意識の端で、有紗の頭に、走馬灯のようにほんの数十分前のことが浮かんで消えた。
数十分前。
有紗は大学の卒業式を終え、講堂を出てきたところだった。
この日のためにレンタルした着物と袴にブーツを合わせ、帰宅しようと急いでいた。
遠方から卒業式に駆けつけてくれた両親とは、朝のうちに記念撮影をした。有紗はこれから着替え、夜には、サークル仲間との送別会に出る予定だ。
準備のために朝が早かったので、それまで少し寝ておきたい。
(明日は、お父さん達とお昼を食べて、引っ越し準備をしてしまわなきゃ)
観光ついでにと来てくれた二人は、明後日の引っ越しを手伝ってくれることになっている。
大掃除もしなくてはいけないし、レンタルした衣装を段ボールに詰めて、返送しなくてはいけない。するべきことは山積みだ。
そして急いでいたら、卒業証書の入った黒い筒を落としてしまった。
「あっ、待って!」
歩道から車道へと転がりそうだったので、有紗は慌てて筒を拾い上げ、紙袋に押し込みなおす。
その時、ついと着物の袖を引っ張られた気がした。
「はい?」
誰かに呼び止められたのだと思い、有紗は振り返った。その瞬間、足元が大きく揺れた気がしてよろめく。
「え? 何、地震?」
とっさに何かにつかまろうとした手の先は、真っ暗な闇だった。
訳が分からないまま、浮遊感とともに、暗闇を下へ落ちていく。
そして、誰か――青白い手が有紗の手を取った。
――遠き世界より遥々、よくぞ参った。私の神子。愛しい子。そなたに闇の祝福を。
金銀の飾りがついた黒いローブを着ている誰かは微笑んだ。嬉しくてしかたないという、緩い笑み。
顔は見えないが、細くとがった顎と笑みをはいた口元は美しいと感じた。
有紗は瞬きをして、気付くと白い石で造られた祭壇に座り込んでいた。魔法陣のようなものの上で、有紗は何が起きたのかと呆然とする。
だが、周りを取り囲んでいる白服の男達の存在に気付くと、有紗は身をすくめた。
彼らはまるで中世にでもタイムスリップしたかのような、古めかしいローブ姿をしていたのだ。
「神子よ、よくぞいらっしゃいました。我々は神の信徒。敬いあがめる者にございます」
老人の言葉に、神官みたいなものだろうかと、有紗は心の中で考える。それにしてはこの老人は、金細工の飾りを付け、手には宝石のついた指輪を多くはめてと、俗物に見えるのが違和感がある。
「――して、なんの祝福を授かりました?」
恭しく頭を下げる老人に、有紗はまだぼんやりした頭のまま、あの暗闇の中で会った美しい人のことを思い出した。
「闇……と」
その瞬間、彼らの態度が一変した。
チッと舌打ちしたかと思うと、兵士を呼んで、有紗を引きずり立たせる。その強い痛みに、有紗はここが現実だと思い至った。
「あの、私、なんでここに? ――えっ」
驚いている間に、手首に鉄の枷をはめられる。犯罪者のような扱いに、二十二年、善良に生きてきた有紗の心は、少なからず衝撃を受けた。
「やってくれたな。我らの聖なる儀式を邪魔しおって」
「邪神の神子とはついていない。光とはいわぬでも、水や地でも良かろうに」
彼らの声は悪意に満ちている。
だが、有紗には訳が分からない。呼ばれて振り向いて、暗闇に落っこちて、そしてここに出た。
「神罰の崖から突き落とせ!」
「処刑だ!」
有紗は波のように広がっていく悪意にたじろぎ、身を震わせるだけだ。こんな大人数相手――しかも男相手に、か弱い女の身で何ができるというのだ。
(どうか今すぐ目が覚めて。これは悪夢よ。お願い、起きて!)
心の中で必死に叫びながら、引きずられるようにしてどこかに連れて行かれる。
温かい茶と菓子を出されて、心和やかに談笑とはとても期待できない。
(崖? 突き落とす? なんで?)
誰も説明してくれぬまま、有紗は神殿のような建物を出て、数十分ほど歩かされた。建物の裏から小道を歩いていくと、目の前に崖の端が見えた。
そして抵抗もむなしく、有紗は崖から落とされた。
たしか、以前もなろうにのせたと思うんですが、体調不良とスランプでメンタル病んでたので削除したんだと思います。再掲。
行間あけはしません。
アルファである程度たまったら、こちらにまとめてアップします。
ハードモードでしんどい話と思いますが、四部までは構想があるので、ぼちぼちのんびり続けます。わたしは好きなんです、この話~。
ところでなろうだと恋愛のところに選択肢が少なくて、「ヒストリカル」を選びましたけど、あってたんでしょうかね……?