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序章 『鳴かず翔ばず』

「おいおい、灰夢かいむ。また焼き鳥かよ」

 焼き鳥といっても、別に飯の話じゃない。

 俺の眼前にある机に載っているのは飯ではなく、百三十六枚の小さな直方体の物体といくつかの小道具だ。


 その物体には、数字や漢字やら、何かの模様やら描かれている。

 まあ、一目見れば大体の人が何かわかるだろう。


 そう、麻雀牌マージャンぱいである。

 特に俺の前に立ててある十三枚は手牌てはいといい、カードゲームにおける手札のようなものである。

 同席している他の三人の前にも同様に手牌がある。

 その内の一人だけが、手牌を倒していた。


 手牌というものは自分だけが見えるように立てておき、周りのヤツ等には見えないようにするのは基本中の基本。

 それをさらすのはポンやチーなどで鳴いた時。そしてもう一つは。

混一色ホンイツ、役牌、ドラ三で12000だ。早く出せよ灰夢」


 川を見やる。今しがた捨てられたペーが川の最後尾にぽつねんと置かれていた。

 俺はため息を吐いて全ての点棒を差し出した。

字牌ツーパイ直撃か……」

「へへっ、毎度あり……おや?」


 ヤツはわざとらしく怪訝そうに眉をひそめて言う。

「おいおい、足りねえぞ」

「わかってんだろ? マイナスだよ、マイナス」

 投げやりに言うと、見るからに愉快そうに笑いだした。

「ハハハ! そうか、マイナスか。マイナス何点だ?」

「やめなさいよ、ニーちゃん。カイちゃんはもう、五連続で最下位なんだから」

「うわっ、ツイてねえな。麻雀って、アマチュアでもプロに勝てることだってあるのによ」


 麻雀は戦略性もあるが、運の要素も大きい。

 たまたま高めの役で上がれれば、素人がプロ雀士に勝つことだってある。

 ただし、それはごく平均的な運を持っている人間の話だ。


 俺の後ろで試合を眺めていた男、伊知郎いちろうがヒュウと口笛を吹いて言った。

「コイツ、ある意味スゲーぜ」

「何がだ?」

九種九牌きゅうしゅきゅうはいだよ、ほぼ全局」

「九種九牌……って、なんだっけ?」


 左隣に座ってる太った男、周克しゅうかつが首を傾げると、俺の向かい側にいる紅一点の祈里いのりが言った。

「確か、一と九、字牌で手札がほぼ埋まってる状態でしょ?」

 江里子の向かい側、彼女の幼馴染の新人にいとが付け加える。

「正式名称は九種么九牌倒牌チュウシュヤオチュウハイトウハイだ」


 周克はわかったような、わかってないような曖昧な表情で頷く。

 伊知郎が生き生きとした口調で語る。

「九種九牌ってのは、いわば最悪の手牌だ。何せまったく種類の違う、しかも順子シュンツを作ることができない牌が集まっちまったわけだからな」

「要するに、もっとも役から遠い手牌ってこと。九種だから、数牌シュウぱい萬子マンズ索子ソーズ筒子ピンズってわかれてるし、刻子コーツにすらならない。他家ターチャ……他のプレイヤーに比べて、すごく出遅れてるってことね」


 祈里が話し終えると、新人が無駄にテンション高めに言葉を足す。

「みんなが百メートル走をしてるのに、一人だけ五百メートル走らされてるみたいなもんだよな」


 伊知郎が顔を下に向けて一笑する。

「まあ、そういう表現もできなくはないな。もっとも、麻雀は真っ直ぐで素直な道が続くわけじゃない、いわば障害物走のようなものだが……」

「つまり俺の道は前途多難、ってわけだ」

祈里がぽんと肩を叩いて慰めてくれた。

「まあ、いいじゃない。無難な道より、そういう難のある運命の方が」

「そりゃ、ありがたいな」

 俺がやけっぱち気味に言うと、場が笑いに包まれた。


 伊知郎が笑いながらも訊いてくる。

「しかし、九種九牌は申し出ればもう一度配牌できるだろう? なぜしなかったんだ?」

「時間の無駄だからだ。全自動卓じゃないしな」

「ただでさえ手牌が悪いんだから、せめて鳴いて手を進めればいいじゃない」

 祈里の言葉に新人がうなずく。

「そうだよな。灰夢って、ほとんどダマばっかだし」

 俺は黙って肩をすくめた。


 つまらなそうに牌を弄んでいた周克「フン」と鼻を鳴らした。

「所詮、運ゲーだろ? 麻雀なんて」

 伊知郎はやんわりとした口調で「そういう側面もあるな」と返した。

 調子づいて周克は言う。

「だったら灰夢は、どうしようもなく運のないヤツってことだ」

「そうとも限らないんじゃない?」

「なんでだよ?」

「だって、九種九牌は――」

 祈里が言いかけたところで、伊知郎が「あっ、ヤベ」と言いながら立ち上がった。


「すまない、これからバイトなんだ」

「お、セブムのか?」

「いや、今は周克の実家の菊沢きくさわ書店だ」

「また、店長とケンカしたの?」

 呆れたように言う祈里に、伊知郎は頭を掻く。

「麻雀の話で盛り上がって打ちに行こうって話になってな。数局やったらイカサマやってるだろうって難癖つけられて、思わずかっと」

「頭に血が上っちゃったわけね。男って本当……」


「おっと、それ以上はセクハラだ。まあでも、明日はローソムの面接に行くからさ。それまでの繋ぎだ」

 新人は牌やら小道具を片付けながら、伊知郎にからかい口調で言う。

「コンビニ好きだな。将来はコンビニ王にでもなるのか?」

「いや、プロ雀士になりたいんだ」

「プロ? おい、初耳だぞ」

「今、言ったしな。じゃあ、また」


 伊知郎はそれ以上詳しいことは述べずに去っていった。

 残された俺達は呆気にとられた表情を見合わせた。


「おい、プロだってよ」

「……バカバカしい。麻雀なんて運ゲー、マジになる方がどうかしてるってーの」

 周克はずっと弄んでいた牌を新人に放って立ち上がった。


 俺が「帰るのか?」と訊くと、ヤツは首を横に振った。

「いや、ちょっと寄っていくところがある」

「どうせパチンコでしょ」

 祈里が言うと、舌打ちを残して足早に周克は去っていった。


「結局周克だって、運が絡むゲームが好きなのよね」

「じゃなきゃ、麻雀なんてやらんだろうよ」

 新人は牌をしまった後、落ち着きなさそうに祈里の方をちらちらと眺めやっていた。

 祈里はきゅっと拳を握り、頬を染めて俯く。


 俺は笑いをどうにか飲みこんで立ち上がった。

 新人がそれに気付いて訊いてくる。

「おっ、もう帰るのか?」

「ああ。馬に蹴られるようなドMじゃないんでな」

「べっ、別に夫婦じゃないわよ!」

 祈里の言葉に、新人がかっと顔を赤くする。


 場の気温がサウナぐらいまで上昇してきた。

 長居したら脱水症状で倒れてしまいそうだ。

 おれはそそくさとその場を後した。


   ●


 街に出てぐるっと周囲を見やる。

 人、人、人。数えきれない人間が入り乱れる雑踏。都会の名物。

 全ての者から名を奪い、不特定多数の一人にしてしまう。大抵のヤツ等は映画やアニメみたいに、こんな場所で偶然知り合いをみつけることなんてできやしないだろう。

 俺はその中に入ることで、ほっとすることができた。

 手と脇にじっとりと汗をかいていた。

 麻雀をやっていた時から、ずっとこうだった。


 俺はため息を突き、ショルダーバッグの中に手を突っ込んで、ある封筒を取り出した。

 それはとある競技麻雀のプロ団体の名が書かれた封筒だ。

 そこから紙を取り出し、眺める。

『不合格』

 真っ先に眼に入る単語。この紙が意味するものはそのたった三文字に集約される。他の言葉はただの飾りに過ぎない。


 まあ、それはいい。

 不合格。大いに結構である。

 それならば足りないところをおぎない、また再挑戦すればいい。

 しかし。俺の場合は、その限りではない。


 重なっていた、二枚目の紙を見やる。


 それは普通の不合格者には渡されない。

 俺にだけ送られた、特別な紙だった。


貴方あなたの牌譜は常軌を逸している』


 書類を作ったヤツは、この一文をひねり出すのに相当苦労したことだろう。

 常軌を逸している。

 実際、そうなのだろう。


 九種九牌。

 それが立て続けに起こったのだ。

 きっとイカサマを疑われたに違いない。

 超能力者でも無ければ、そんなことは起こりうるはずがないのだから。


 俺は周りの人間が足を止めたので、それに合わせて立ち止まった。

 顔を上げると、歩行者用の信号が赤になっていた。

 車道にいる人間が心持ち早足で歩道へ向かう。


 その中の一人に、小さな女の子がいた。

 彼女は母に手を引かれて歩いていたが、ポケットからはみ出ていた人形みたいなものがぽろっと落ちた。

 それを慌てて拾いに行く。


 突如、彼女の前のトラックが動き出した。

 ロケットスタートばりの、全速力。

 ちらっと見えた運転席では、ドライバーが振り子のように頭を前後に動かしていた。


「……っクソ!」

 俺は歩道を飛び出した。

 一目散に女の子の元へ駆ける。

 悲鳴が至る所から飛んでくるが、構っちゃいられない。


 女の子の元へ辿り着いた時には、もうトラックの影が被さってきていた。

 反射的に俺は女の子を突き飛ばす。

直後。

 バンッという音が体中に響いた。

 ふわっと浮遊感に包まれる。

 熱と冷気が混然となって、体の中で争っている。


 地面に叩き付けられる。

 トラックに撥ねられたのだ、そう気付いて初めて激痛が体を苛んだ。


 掠れつつある視界の中、無償の女の子が母親に抱きしめられているのを見た。

 よかった、無事だったのだ。

 死にかけているというのに、なぜかほっと安堵を覚えた。


 トラックは斜めになっており、腹の部分をこちらに向けていた。

 今はもう動いていないが、停車する時も随分無茶なことをしたのだろう。


 後部に積まれた直方体のコンテナが、ふいに麻雀牌に見えてきた。

 こんな時にも自分は、とつい呆れてしまう。

 そのコンテナに書かれた絵やら文字の中で、『北』の一字が目についた。


 北……か。

 そういや、最後の一局で、北のせいで飛んだっけ。

 しかも焼き鳥だ。


 ……鳴かず翔ばず。笑えない言葉だ。


 麻雀はやっぱり、飛ばされるより、びたいよな……。


 意識が、どんどん薄れていく。

 もう何も……考えられない。


 ……もっと、打ちたかったな。

 麻雀……。


 ……………………。

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