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残念な戯言的散文

そして、神を殺す為に必要な賽子の出目

作者: 残念な戯言遣い

 脳内に電流が流れる秒数は、計測できてしまう。

 そんな時代だ。

 電気交流電流の、小さななその信号の塊でしかない、吾という自己=精神はなんとも脆弱なのだろうか。いや、書き言葉として記述してしまうから脆弱に思えるのだろうか。

 その脆弱さは絶望につながるのだろうか?それとも、その事実自体に絶望するのだろうか?

 たった数秒の電気信号の集合体でしかないという事自体に絶望するのかもしれない。


 どこかの島の端っこで誰かは言った。

 それは、死に至る病なのだと。


 絶望という苦痛から逃げるために死に至る。

 では、我々は何に絶望するのだろうか?



 なんとも悶々とする日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 自主的な自宅監禁状態の残念な戯言遣いアルファタウと申します。どーも。

 あ、ちなみに世界的な流行り病ではないです。

 こうも、世界というか“日常”が壊されている状態になると、“物語”という“非日常”を紡ぐことに集中が出来ない、もしくはそがれることが体感しとるですが、皆様はどうでしょうか?

 あぁ疑問符ばかりで、申し訳ないです。

 僕の場合、習慣というか環境と言いましょうか、書くための「決まった手順」が崩れると、どうしてもキーボードに向かう時間が減る、いや、そもそもキーボードにすら向かわない状態になります。

 しかし、物語や思考を文章として定期的に外に出力できないと苛々がたまっていくという厄介な輩であります。


 さて、トンデモ理論で憂さ晴らしをするために筆をとりました。極論するとリハビリですね。

 文章を書けないから、文書を書くというのは意味不明というか色々破綻してると思いますが、そんなことは、さておいて。

 あれです、どうせいつものトンデモ理論です。内容はガバガバです、それっぽいことを書いてますが適当です、一日で書いた荒唐無稽な主張です。よって気楽に、「此奴なんか言ってんなー草」程度にお読みください。

 お暇を潰すために、お読みください。では。



 結論を先に言おう。我々を絶望に陥れる最大の原因は、「退屈」だ。

 我々人間は退屈で簡単に死ぬのだ。

 それを回避するために、仕事をしたり、友人たちと語らい、趣味を作ろうとするのだ。

 退屈だと、寂しくなる。

 退屈だと、もの悲しくなる。

 退屈だと、空虚になる。

 退屈だと、誰かを求める。

 己の時間と空間を退屈で埋めないように何かをしよとするのだ。博打をし、小説を綴り、誰かを愛し、絵を描き、飯を作り喰い、歌を詠い、芝居をして、映像を撮って、それらを観て笑い泣き、歓声をあげまた非難をするのだ。そして、批評するのだ。

 人の悪意とは退屈によって生み出され、その悪意は退屈によって淘汰され、そして別の負の感情生み出す。

 昔話に書かれた楽園追放された本当の理由は、「知恵」と「退屈」という名の林檎を手に入れたのだとさえ、思える。考えることを覚えた人類は、同時に退屈を手に入れたのだ。何も考えることがなければ、退屈はあり得ないのだから。

 ただ生物としてあるだけなら、それらは必要がないのだ。ただ「退屈」という概念を手に入れてしまった人類は、それと共生するしかないのだ。

 今日も一秒一分、すこしでも「退屈」をなくすためにTVを観て、新聞を読み、情報を仕入れ、政府を批判するのだ。空間的な「退屈」を潰そうとして、働いて金を稼ぎ、物品を買いあさり、自分はあれこれを手にしていると安心したいだけだ。

 だが、それでいい。

 いや、それしか出来ないのだ。

 所詮、我々は「退屈」と共生を運命づけられた少し賢いだけの猿なのだから。


 故に、「退屈」と戦うために小説を綴り、絵を描き、歌を詠い、芝居をして、映像を撮って、それらを観て笑い泣き、歓声をあげまた非難し、批評するのべきなのだ。TVを観て、新聞を読み、情報を仕入れ、政府を批判すべきなのだ。働いて金を稼ぎ、物品を買いあさり、自分はあれこれを手にしていると安心するべきなのだ。

 「退屈」と戦い「退屈」を殺すことが、それだけが我々の幸せだ。

 そして、それに勝ち続けなければならない運命をかせられている。でなければ、「退屈」はすぐに我々に絶望をもたらす。

 残念なことに「退屈」を殺す術を幾らでも知る我々だが、絶望には多くの手段を持っていない。

 絶望は、たった一つしか我々に与えない。

 死だ。

 しかし、「退屈」=死ではない。


 そのことは、救いだろう。

 何故なら死ななければ、「退屈」を殺し続けれるのだ。幸せであれるのだ。

 これは終わりのない死合だ。人生とは退屈を殺し続けるゲームなのだ。

 戦っていることにすら気づかずに死んでいく人の方が殆どだ。無闇に剣を降り続ける様なものだ。

 さも滑稽な様に思える。もしかしたら、神様たちも、その死合をみて「退屈」を殺しているのかもしれない。


 いや、所詮は戯言。


Thank you for reading this far.

An impossible story.

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