王太子殿下はヒロインを婚約者へ贈りました
王宮のある一室では、茶番が繰り広げられていた。
その部屋は王太子の婚約者用にと整えられたものだったが特に家具が置いてあるわけではなく、部屋を照らすための明かりと炎が赤々と燃えている暖炉以外は窓さえもなかった。
「ライアン様、メアリー様が……。あ、あたし何もしていないのに……水をかけられたり、つい昨日はドレスを破られたんですぅ」
アンナは隣にいるライアンの腕にしなだれかかって甘ったるい声でメアリーの非を訴えた。
「さて? こやつはこう言っているが我が婚約者殿どう思う?」
「ふふ、面白いことを言うお方ですわね。ですが罰を受け――」
「るべきでしょうっ? メアリー様があたしをいじめたんだから!」
メアリーの言葉に被せるようにアンナが叫んだ。
そうあるべきだと言わんばかりにライアンの方を自信満々に振り返った。
しかし、ライアンがアンナに返したのは冷笑のみであった。
「馬鹿なことを」とでも言うような顔だった。
それが信じられなくて振り向いたアンナはそのまま固まった。
目の前で音を立てて何か細長いものがはじけたからだ。
「これはね、調馬索用の鞭でございますのよ。このしなり方、美しいでしょう?」
そう言って、この国の王太子の婚約者たる公爵令嬢メアリーは白魚の手で鞭をゆっくりと撫でた。
「普段は当てたりはしませんけど……それはよく言うことを聞いてくれる子にであって、言うことを聞かない子にはお仕置きが必要だと思いませんこと?」
コトリと首をかしげ、片手を振るとアンナの足に当たるすれすれで盛大に音が鳴った。
――ヒュッ―パッチーン――
「ねぇ、私の婚約者たるライアン様そうでしょう?」
否やは認めぬという声色だった。
ライアンはため息を一つ。
「あなたの好きにしたらよいだろう。たかが男爵令嬢ふぜいだ。私に聞かなくてもよいだろうさ」
「そんなっ! ライアン様?!」
アンナの瞳が驚きで見開かれる。
「まさか。ライアン様に助けてもらえるとでも思っていましたの? 愚かですわね。おまえごときライアン様が本気で気にかけているとでも?」
メアリーはライアンに取りすがろうとするアンナを見下した目で眺め、今度こそ容赦なく鞭が飛んだ。鞭が肌を打つ音を響かせ、アンナは床に倒れ込んだ。足には鞭が絡みつき逃がしてはくれなかった。むしろもがけばもがくほど締め付けがキツくなる始末だ。
「な、なぜ?!」
「なぜ? それは何に対しての質問かしら? ライアン様が助けてはくれぬこと? それとも私が今、あなたを傷つけようとしても誰も止めようとしないこと?」
「全部よ! なんでライアン様も、レオン様もセドリック様も……誰も! そこにいるのに! なんであたしを助けてくれないの? ねぇ、みんなあんなに優しかったのに?! ライアン様も婚約者がわがままで困るって……あたしが婚約者だったら良かったのにって言ってたじゃない?」
その叫びを聞いた王太子の後ろの立っていた側近の二人、レオンとセドリックは顔を青ざめさせながらもアンナに救いの手を差し伸べようとはしなかった。
叫び続けるアンナの口を押さえつけるようにメアリーがアンナの頭を躊躇いなく踏みつけた。
「なぁんてマナーのなっていない愚図ですこと。そうね、色々と言いたいことはあるけれど……まずはたかが男爵令嬢に王太子殿下たるライアン様のファーストネームで呼ぶ権利はありませんわ。その権利を持つのは両陛下と次期王太子妃たる私だけですわよ? その他の貴族子息の名もまたしかり。身分が違いすぎる上にあなたの婚約者というわけではないのですからね」
言い終わったメアリーは鞭を放り投げた。
「まぁでも、これからのあなたに説教は必要ありませんわね」
メアリーは暖炉から焼き印を取り出しアンナへと向ける。
踏みつけていた足でそのままアンナを蹴り飛ばし、仰向けにさせると胸元の肌が出ている部分にそれを押しつけた。
肉の焼ける匂いと音。
アンナの断末魔。
それでも誰も止めようとしなかった。
「だって、私に殺されるんですもの」
アンナが抗おうとしたのかメアリーへと手を伸ばす。
その手さえもメアリーは焼き印で振り払って楽しそうに笑った。
「ほぉら、この印なんだと思います? 答えはねぇ、罪人の証よ! とってもあなたにお似合いよ!」
アンナが焼かれた痛みで答えられないのを承知で言う。
「次は爪を剥がしてみる? それとも指を折って差し上げましょうか? この私直々にやってあげるのだからありがたく思いなさいな!」
ふっあはははははははははははは
婚約者のご機嫌良く高笑いをする様にライアンの口の端がつり上がっていた。
*****
「ねぇライ。この間のヒロインと悪役令嬢ごっこはなかなかに面白かったけれど……ヒロインちゃんを拷問してたら一日も持たずに壊れちゃったの。私、もうちょっと生きのいい玩具がいいわ」
「そうか。やはりもともと気がおかしい個体だと壊れるのも早いんだな。善処しよう」
「今度は……そうね。あなたの妃の座を狙ってよりにもよって私に毒を盛ってきた西の辺境伯のご令嬢はどうかしら? 遊んでもいいでしょう?」
「この間の毒入り紅茶はそういうわけか。俺じゃなかったら死んでるぞ」
「だってあのときのご令嬢の顔! あの子の目の前でカップを入れ替えてあなたに飲ませたかいがあるってものよ? 好きな相手が自分のせいで死ぬところだったんだから。そもそももし事がうまくいって私が飲んで死んでたら自分が疑われると思ってなかったのかしら? 頭が足りないのね」
「あそこのご令嬢は甘やかされてるからな。礼儀作法も王宮に上がれるギリギリだと聞いたことがある。まぁ君の次の玩具を今仕込んでいるところだからそれまでのつなぎにはなるだろう。今度呼び出して好きに遊ぶといい」
「あら、そんなにあっさり許可を出してもいいの? 聞いた私が言うのもなんだけど一応、親があの子を可愛がってるんでしょ? 王宮に抗議がきたら面倒じゃあないの?」
「大丈夫さ。あそこの家の不正の証拠は握ってる。どうやら隣国と繋がっていたらしくてなぁ。どの道潰すつもりだったんだ。ご令嬢が君の玩具になるなら一石二鳥というものだろうさ」
「あらあら、頼もしい未来の旦那様ですこと。じゃあ来週にでも彼女には楽しませてもらうとしましょうか」
メアリーはクスクス笑ってライアンの首に手を回す。
口づけを交わす物騒な恋人たちの逢瀬は続く……
*****
そもそもこのごっこ遊びの発端は異世界について書かれた本の中に乙女ゲームというものがあるというをメアリーが読んでライアンに教えた事だったりする。
メアリー=悪役令嬢役
美女、サイコパス。拷問好き。でも動物には優しかったりする。退屈し過ぎると気に入らない者たちから殺してしまう。被害によく合うのはメアリーの悪口をこっそり広めていたりする王宮の使用人、もしくは王太子妃の地位を狙ったご令嬢。貴族を殺す時は一応ライアンの許可をとるようにしている。
ライアン=王太子役
メアリーの婚約者。メアリーを娶るという約束で王太子になった側室腹の第一王子。婚約者至上主義で婚約者を楽しませるのが趣味。アンナを婚約者の暇つぶしにと洗脳した張本人。
アンナ=ヒロイン役
男爵令嬢で転生者。そのためおかしなことを口走ることがよくあり、気が狂っていると思われていた。金に困っていた両親が王太子の側近に大金と引き換えに売られた。その後、アンナの実家の男爵家は不正が見つかって取り潰しとなっている。洗脳されて乙女ゲームという物語のヒロインだと思い込まされた。自分が世界の中心だと思っている。結果的に悪役令嬢の玩具になって拷問死した。王宮に連れてこられたのは物語通りに自分が王子に見初められたからだと思っていた。前世の乙女ゲームと王太子の洗脳が混じり、自分がヒロインだと思い込む。だがそもそもこの世界のような乙女ゲームは存在しない。王太子作の婚約者を楽しませるためのお芝居だった。
その他
王子の側近たち。メアリーの本性を知らなかったため、王太子に慣れるためにとメアリーのごっこ遊びに無理矢理参加させられた。お芝居だと思っていたら女の子が王太子の婚約者によって拷問されるのに心の傷を負った。たぶんそのうち慣れる。
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彼女の遊びは国の上層部には周知の事実で黙認されています。メアリーが拷問し、殺しているのは処刑確実の罪人が中心です。同じシチュレーションだとメアリーが飽きてきてしまいます。そのため王子がスパイスとして罪を犯しているけれど表だっての証拠が見つからない貴族やどこからか買い付けてきた気が狂った人をそのまま、もしくは洗脳してまったく新しい人格を植え付けてメアリーにプレゼントしているということです。
メアリー自身が処刑したりできないほど高貴な身分であること、彼女の趣味を知る人は彼女を恐れて手が出せません。彼女を弾劾しようとして自身が滅ぼされるより何も見なかったことにして平和に暮らす方が彼らにとって大事なのです。罪を犯していなければ殺されることはありません。ただし、罪の定義はメアリーの感覚によって決められています。
どうでもいい情報
調馬索
馬にひもをつけてぐるぐる回すこと。運動不足解消のためなど。
調馬索用の鞭(追い鞭)
長い鞭で釣り竿みたいな形をしている。