「優しい人」という低評価
あなたは優しい人ですね、そういわれたことはないだろうか?
私も以前、よく言われていた。特筆すべき点がなく、面白みに欠け、かといって真面目と言うわけでもない。
一人いなくなったところで世界に何の影響もない人間の一種である。
人生を無難に、波風を立てないよう、そういった考えで生きている人間に多い気がする。以前の私もまさしくこれだった。もらう評価は大体優しい人。苦笑いしながらも、相手との距離を結局ある程度取ってしまうものだ。
「それって、ずるい生き方だよね」
「ずるい?」
「そうそう、ずるい」
あるとき、そんなことを言われた。
「こっちは君らと違って本音でしゃべってる。でも、君らは嫌われないように言葉を選んでコミュニケーションを取ろうとしてないもん。媚び売っているのと大差ないと思うがね」
いや、世の中には私たちよりごまかし、だまして、うまく世渡りしている人たちだっている。
そんなことを言うとこう返ってくる。
「そいつはそういう考えがあってじゃん。目的っていうか、自分の欲望に素直。その点、優しい奴らは何がしたいのかわからない。他人には嫌われたくないって言うのだけが伝わるけど、自分が何をしたいってわけでもないだろ? 道に迷っている人間だよ。しかも、道に迷ったのか、教えてやろうかと聞けば、あ、大丈夫ですと愛想笑いを返してくる。そして、少し遠いところで見ているとまたうろうろし始める。愚かじゃん」
全部肯定するわけじゃないが、なんとなく、わかる部分もある。
「自分に自信がなくて、かといって他人とはある程度距離を取りたいから踏み込んだりもしない。当たり障りのない会話が続く。お前はそういう人間といて、楽しいかね?」
答えはノーだ。私の場合だが。まぁ、一緒にいて気を使わないが楽しくはない。
「話をする相手は機械じゃない。自分の人生が短くなるんなら、そういう人間とは、じきに付き合わなくなる。だがな、そういう優しい人間にも利用価値はある」
「利用価値?」
「そそ、力を持っている奴にとっては都合のいい相手だ。主体性のない人間は扱いやすいからな」
「じゃあ、そうならないようにするにはどうすれば?」
「簡単だよ。嘘をつかなければいい。自分の心に素直になって、本音で話せばいい。勿論、それで離れていく人間はいるけど、相手に意思は伝わる。世の中に悪い人間はたくさんいるが、それと同じようにいい人間もいるからな。人と関わり続けるのなら、いろいろな人間を知っていける。そうすれば、本当に優しい人間がなんなのか、わかる日が来るさ。見つけるっていうより、気づけるんだよ」
本当だろうか。ただまぁ、そう思える気もした。
女性から男性にもらう気がしますね、「優しい人」。言葉は優しいのに、評価は決してやさしくない。御しやすい、「優しい」というよりは「易しい」。願わくば、こういわれることがこの先の人生、ありませんように。