誰かさんの自戒
「はあ、読者数増えないなあ」
ある日の朝のこと。ぐちゃぐちゃに汚れた部屋の真ん中。工場で働く労働者の桜井は、パソコンのモニターを見つめながら苦悩していた。
「何十というライトノベルと、ネット小説を読んできたぼくの書く作品だ。売れないはずがないのに……。うーむ、なんとかして読者数を増やす方法はないことか…………」
ブサイクな顔をしかめながら、彼は目をつむり、腕組して考え込んだ。随分と長く……。
「……ん?待てよ。今何時だ?」
時計は、八時半を差していた。
「マズイ!遅刻する!!」
そう叫んだ桜井は、大慌てで駆け出していった。
「うーむ。桜井君、遅いなあ。また遅刻かあ……」
その頃、彼の働く工場では、工場長がこんなボヤキを呟いていた。
「ハアハア、工場長。た、ただ今出勤しました」
「おお、桜井君。すぐにラインに行ってくれたまえ」
「はい!」
威勢だけはいい返事をすると、桜井は持ち場に向かった。
「お昼休憩でーす!」
工場中に、放送が入る。
「おっ、やっとか。さて……」
桜井は休憩室に向かうと、カバンの中から菓子パンとパソコンを取りだした。
「カタカタカタカタ……」
打ち込む音が、そこら中に響く。彼は右手でキーボードに打ち込みながら、左手で菓子パンをむさぼった。
「おい、桜井君」
しかし、そこに工場長がやってきた。
(ちえっ、いいところだったのに)
桜井は顔をしかめて、座ったまま振り返った。
「君のラインで、またミスが見つかったよ」
「えっ!?本当ですか……」
「うん。もう他の人が直してくれたけど……最近君、遅刻やミスが多すぎるよ。なにか事情があるのかい?あるなら教えてくれ」
工場長は、心配そうに尋ねた。
「はあ……事情というほどでもないのですが…………」
桜井は工場長に、パソコンの画面を見せた。
「これは……小説かい?」
「はい!1ヶ月前から書き始めたんです。近頃はアマチュア小説が大人気で、次々と書籍化されているんですよ!そのブームに乗ろうと、僕も今投稿サイトで連載をしているんです。ああ、早く誰か、ぼくの才能に気づかないかなあ……」
しかし工場長は、桜井の言葉にピンときてない様子だった。
「はあ……。うーん……夢を見るのは確かにいいことだけど、それで本業がおろそかになっていては、ダメじゃないかな。そもそも目の前の仕事をおろそかにしているのに、小説家として成功するものか……」
「なっ!?確かに最近ぼくは……ちょっとしたミスが多かったけど…………」
「うん、やっぱり地道にやるのが一番だよ。僕も20代の頃、ミュージシャンになる夢が破れ、親父にこの工場で働くよう言われた。最初はイヤでイヤで仕方なかったけど、仕事には真面目に取り組んだ。そうしているうちに仲間もでき、親父にも認められた。今は嫁さんに子どもが二人と、自分なりの幸せをつかめている。年寄りの妄言かもしれないが、僕は地に足つけて、一歩ずつずつ積み重ねることこそ、大事だと思うけどね」
「…………」
桜井は表向き、その言葉に異を唱えなかった。
(このクソジジイ……)
しかし内心では、はらわたが煮えくり返っていた。
「帰ってきたぞぼくの牙城!さああんなジジイのかび臭い言葉は忘れて、今日も執筆執筆!」
帰宅するなり桜井は、再び小説を書き始めた。
「……しかし、ぼくの小説、読者数が少ないなあ。ブックマークも閲覧数も……数えるほどしかない」
だが、今一つ調子が出ない。それどころか、ふと暗い気持ちが頭をよぎる。なんだかんだ言って、工場長の言葉は彼の不相応な自信を、揺るがす程度の力はあったのである。
「……売れてる作品は、やっぱりヒロインが人気だ。金髪巨乳とか、黒髪ロングとか……。ぼくの好きな緑髪メガネや紫髪貧乳は、どうも不人気みたいだ……」
ここで彼は、安直な判断をした。
「よし、仕方がない。こうなったら、テコ入れをしよう!」
そう言うと彼は、展開を予定してたものからガラリと変えた。
「主人公である勇者が、絶世の美人である姉妹の窮地を救って……。命の恩人ということで、色々エロイサービスを受けて、最後はベッドシーン。これでどうだ!?」
安っぽいサービスシーンほど不快なものもないと知らず、彼は自分の仕事の出来栄えに満足していた。そして身勝手な達成感に包まれた彼に、突如睡魔が襲ってきた。そのまま彼は、心地よい眠りについてしまった。
「……寝てしまったのか?よし、テコ入れの成果を見るか」
目覚めた彼は、パソコンの電源を入れた。
「…………ダメだ!閲覧数まるで増えず!クソッ!!もしかしてぼくには才能がないのか……」
自信を失いかける桜井。しかしここであることに気づいた。
「ん?珍しく誤字報告以外の連絡がきてる…………」
メールを開いた彼は、飛び上がらんほどの衝撃を受けた。
その文面は、以下のようなものだった。
<どうも始めました。〇△出版のものです。この度は、桜井様の作品、『現世で世界の不幸を一身に背負った俺がまさか神様の血統だったなんて』の書籍化をさせていただけないかと思い、連絡させていただきました。もしご承認いただけるなら、以下のメールアドレスまでご連絡ください。詳しいことをお伝えします>
「つ、ついにぼくの才能が認められたのだ!!」
大喜びした桜井は、すぐにそのアドレスへと、書籍化を認めるメールを送った。
満面の笑みを浮かべる桜井、しかしモニターの向こう側にいた、ガラの悪い小男の場合は違った。彼は邪悪な意志を感じさせる、不気味な嘲笑を浮かべていた。また、彼のいる事務所は〇△出版ではなかった。指定暴力団、〇△組のものだった。
「よう、どうだ?はかどってるか」
彼の作業室に、大柄な男が入ってきて尋ねた。
「ええ、また引っかかったバカが出ました。これで連絡先300人分。悪徳業者にまとめて売れば、中々の額になりますよ」
その言葉を聞き、大柄な男は喜んでこう答えた。
「やはりお前を引き抜いてよかったよ。近頃は同窓会名簿も警戒されがちで、仕事もやりづらかった。しかし……アマチュア小説家に出版の誘いを申し出て、アドレスを掠め取るとは…………。よく思いつくもんだ」
「お褒めの言葉どうも。オレもやりがいがあるってもんです」
「しかし、コイツらバカみたいに騙されるな。こんな都合のいい話、ちょっとくらいは疑う奴がいてもよさそうだが……」
「当然のことですよ。コイツラは……死んだら異世界に転生して、スゴイ力を授かって、人々からは尊敬され、邪魔者は皆殺し、女からはモテモテ、そういう都合のいい話が、大好きな連中なんですから。バカですよねえ。一ヶ月でプロになんて、なれるわけないじゃないですか」
小男の愉快そうな高笑いが、部屋中に響き渡った。
そんなことはつゆ知らず、桜井は工場にこんな電話をかけていた。
「もしもし?あっ、工場長ですか。ぼくこの仕事。辞めようと思います。他にもっといい仕事が、見つかっちゃいまして…………」