リバーシブルエンプティ
それは甘く、甘美な夢だった。大好きなオタクグッズに囲まれて、布団の上に寝そべりながら、アニメを見る。何もかもが気楽で、憂うことなど何一つない。そんな楽しい夢だった。
――だが、現実は真逆だった。
「……夢か」
周りを見渡すと、広がっているのは殺風景な部屋の風景だけ。壁は染みだらけだし、布団も当て布だらけ。部屋は厳しく冷え込んでいる。暖房の類がないからだ。
「あのまま、醒めなければよかったのに」
うだつの上がらない会社員、ハラシデの心は冷え切っていた。外で吹きすさぶ、木枯らしのように。
「はあ……。ちょっと前までは、祖父の遺産のおかげで、思いのまま趣味に没頭出来ていたのに……。父親の会社がつぶれたせいで、保証人のオレまで借金地獄だ」
ボヤキながら、飯をかきこむ彼の表情には、疲労のしわがくっきりと刻まれていた。
「七時のニュースをお伝えします。昨晩、今年の白紅歌合戦のメンバーが発表されました。今年は急遽参加を表明した津米玄師を加えた、以下の通りのメンバーが……」
「おっと、もうこんな時間か。とっとと行かないとな……」
彼は重たい足取りで、住処のボロアパートを発とうとした。しかし、玄関のドアを開ける際、彼はメールボックスに一枚のチラシが挟まっていることに気づいた。
「うん?」
<企業戦士の皆様へ朗報!!ブリカ海からはるばるやってきた、ドゥーブー教の魔術師が提供する、精神的鎮痛剤!!効き目は抜群!夢のような……いや、夢そのものの毎日があなたを待っている!!!>
「ブリカ海……?ドゥーブー教……?怪しさ満点じゃないか……。だけど……」
チラシの下の方に、その魔術師とやらの顔写真が載っていた。
「この娘さんは可愛いなあ。色白の肌に、赤みのある頬がよく映える……」
名は、ブンカカと言うらしい。人形のように整ったその美しい顔立ちに、シデハラはしばし見とれていた。
「……って、こんなことをしている場合じゃない。仕事だ仕事。ただでさえ最近ミスが多いんだ。遅刻なんてしたら減給されかねん」
我に返ったハラシデは、一目散に会社へと向かった。
「オイ、ハラシデ君!この書類はなんだね!?」
「か、課長……。な、何か問題でもありましたか……?」
「問題だらけだ!!どうして私に相談しなかった!!君みたいな無能社員が一人で書類作成などしたら、どんなザマになるかも分らんのかね!?
「で、でも……先日課長が『いつまでも人に尋ねていては成長できない。たまには自分一人の力でやれ』と……」
「黙れ!言い訳など聞きたくない!!今すぐこの書類、一から書き直すように!!今日中にだ!!」
「えっ!!こ、この量をですか!?ざ、残業確定じゃないですか!!」
「君の犯したミスだろう!残業くらい当たり前だ!!全く、これだから最近の若いもんは……」
(ま、マズイ……。今日の夜は追ってる深夜アニメの放送があるんだ……。普段の仕事に加え残業までしたら……間に合うかどうか…………)
いてもたってもいられなくなったハラシデは、必死で仕事に取り組んだ。
「ハア…ハア……」
吹雪の夜の中を、息を切らして駆け抜ける者が一人。ハラシデである。
「ぎ、ギリギリで仕事を終わらせたぞ……!次の電車に乗ることが出来れば……まだ放送に間に合うかも…………」
彼は死力を尽くし、かろうじて仕事を終わらせたのである。全ては、彼の生きがいである趣味、アニメ鑑賞のため。しかし、そんな彼の悲痛な願いは、あっさりと打ち砕かれた。
「誠に申し訳ございません!豪雪の影響により、丸烏線は終日運行を休止しました!!繰り返します!豪雪の影響により…………」
「そ、そんな……」
アナウンスを聞いたハラシデは、膝から崩れ落ちんほどのショックを受け、しばらくその場で立ちつくしてしまった。
「ガチャリ」
帰ってきたハラシデを待っていたのは、冷え切った部屋の空気、そして砂嵐しか移さない、オンボロテレビだけであった。
「うう…………」
ハラシデの双眸から、大粒の涙がこぼれる。
(つらい……。毎日が本当につらい……。昔からそうだった……。オレはどうにも、集団に溶け込むのがニガテで……。だからこそ一人でも楽しめる、アニメを心の拠りどころとしていたのに……。最近はそれすらも、仕事に侵されている……。ああ、夢にまで見た昔のような生活を、もう一度過ごせたらなあ……)
それは、どう考えても無理な話である。このボロアパートに住みながら、20年間働いて、ようやく返せるくらい……。彼の背負う借金の額は、それほどの膨大だった。しかしここで彼の脳裏に、ふと今朝の記憶が蘇る。
(……待てよ。夢といえば…………)
彼はテーブルの上に置かれていた、例のチラシを手に取った。
<夢のような……いや、夢そのものの毎日があなたを待っている!!!>
あの時は、うさんくさいとしか思えなかった文言が、今は救いに見える。
「……明日は、20日ぶりの休みだ。99%は詐欺だろうが、残りの1%に賭けて行ってみよう。例え詐欺だったとしても、今のオレから奪えるものなんて、ドウテイくらいだ」
最早半ばやけくそだった。しかし逆に言えば、彼はそこまで追い詰められていたわけである。とにかく彼は、そのブンカカとやらがいる、事務所へ行くことを決めた。
「思いのほか、キレイな外装だなあ」
怪しい南国の魔術師が、働いているとはとても思えない。それくらい立派な建物だった。
「まあ中に入ってみるか」
インテリアの方は、南国のものと思われる民芸品などがあれこれ飾っており、中々に華やかな雰囲気である。
「どうも、ようこそお越しくださいました!店員のミニクヒと申します」
鮮やかな調度品の数々に見とれていると、ふと声をかけられた。
「ど、どうも……」
ミニクヒと名乗った彼もまた、奇抜な恰好をしていた。宝石をジャラジャラとつけた、漆黒のローブに、鳥を模した仮面。
(う、うーむ……。スピリチュアルな服装だが……ちょっと奇抜過ぎないか?)
また色白のブンカカとは異なり、彼の肌は濃い茶褐色だった。
「ところで、今日はどういったご用件で?」
「あっ、はい。このチラシを見てきました」
ハラシデは、件のチラシをミニクヒに見せた。
「オー、これを見てきてくれたということは、現状に不満があるというわけですネ?」
「は、はい……。来る日も来る日も仕事ばかりで、趣味に費やす時間もなく…………」
「分かります分かります!この国、ボクたちの祖国よりも豊かなのに、人々は皆疲れた顔してる……。これも全部、仕事が忙しすぎるせい。でも、ダイジョウブ!ブンカカ君なら、あなたのお悩み、ちゃちゃっと解決出来ちゃうヨ!」
「ほ、本当ですか?」
「モチロン!というわけで、これ整理券ネ!アナタの番になったらお呼びするから、それまで席で待っててネ」
「わ、分かりました」
言われてみれば、すでに多くの人が先に並んでいる。誰も彼も、死んだような顔をしていたが。
(やはりうさんくさいけど、繁盛はしているんだな)
ハラシデはスマホで、アニメ関連の情報を見ながら、時間をつぶした。
(こんな内装のところでもWi-Fiは飛んでるのか……)
そして、ハラシデの出番がやってきた。
「ハラシデさ~ん!お待たせ!あなたの出番だヨー」
「おっ、意外と短かったな。行くか」
ハラシデの招かれた部屋は、さきほどまでいた待合室とは違い、やけに簡素だった。
「どうもブンカカです。本日はよろしくお願いします」
「どうもよろしく。しっかし、写真通りの美人さんですね」
やや緊張しているのか、気恥ずかし気に挨拶するブンカカの姿は、いじらしく、可愛らしいものであった。純白の肌に、朱が差す様は中々にオツなものである。それに、彼女自体が美少女である。ふんわりと柔らかそうな若草色の長髪に、整った顔立ち、華奢な体躯。道端ですれ違えば、間違いなく後ろを振り返ってしまうだろう。それほどに容姿端麗である。
「ハハ、お客さん。ブンカカ君は男の子ですヨ。変な気起こさないでネ」
「えっ、男の子……?」
言われてみれば、のどの辺りに出っ張りが見えるような……。
「こう言うと、皆喉元を見るから不思議だよネー」
「も、もう……あんまりふざけないでよ…………」
頬を膨らませて怒る姿は可愛いが、あまりにも子供っぽすぎる。大丈夫か、少し心配になってくる。詐欺の線は薄れたが。
「まっ、いいか。それよりまずは説明をしないとネ」
「そうだね。じゃあまずは、自己紹介からしましょう。僕の名はブンカカ、南国のブリカ海出身です。こう見えても、長老から認められた一人前の魔術師なんですよ」
「ボクはもう紹介したと思うけど、ミニクヒというヨ。ブンカカの助手をやってるネ」
「えーと、僕は会社員のハラシデです。今日はその、現実のつらさをどうにかしたくて、ここへ来ました」
「現実がつらいというと……」
「仕事ですよ。安月給で朝から晩まで働き、上司からはパワハラ三昧。転職しようにも、借金を背負っているせいで身動きがとれず。最近は生きがいの趣味にすら、時間を取れない。はっきり言って……もう何のために生きてるのか…………」
「そ、それは大変ですね……」
「はい……。しまいにはこの前、悠々自適な、仕事のない生活を夢で見る始末です。……どうにかこの苦痛、和らげることはできないでしょうか?」
「モチロンです!僕たちはそういった人のために仕事をしていますから!!」
「ほ、本当ですか?しかし……具体的にはどうやって?チラシには、『精神的鎮痛剤』と書かれていましたが」
「説明しますね。あなたさっき、幸せな生活の夢を見たと言ったましたよね。その時、思いませんでしたか?夢の自分ばっかり、楽してズルいって」
「うっ……。言われてみれば…………。いやしかし……別に夢ですし」
「いやいや、夢といっても、自分であることに変わりはありません。『胡蝶の夢』って知ってますか?あの逸話の中でも、賢者荘子は、夢の中で飛び回る蝶と、現実の自分自身、どちらが真か、あやふやになっていた。このように、夢と現実の狭間というものは、意外と曖昧なんですよ」
「そ、そうなのでしょうか……」
ハラシデは、無意識的に出された紅茶を啜った。
「ええ。少なくとも、僕の使う、ドゥーブー教の魔術の前では、そうなのです。現実と夢は、リバーシブル(逆転可能)なものなのです」
「えっ!?そ、そんな非科学的なこと……本当に出来るんですか!?」
「実は、出来るんですヨ。この店の繁盛具合、見たでしょ?実際に出来なければ、ボクたちみたいなカッペのよそ者は、あれほど稼げませんヨ」
「そ、そうかもしれませんけど……」
「呪術後進国の日本と違い、僕たちの祖国は、呪術の本場です。土地が変われば、常識も変わる。あなた方の非常識は、僕たちにとっての、常識なのです」
「な、なるほど……」
にわかには信じがたい話だが、彼らの言うことも、まるっきり外れているわけではない。それに、ミニクヒはともかく、ブンカカは人をだますことがいかにも苦手そうなタイプである。嘘をついてるようには見えない。
「わ、分かりました。しかし、現実と夢を逆転するって一体どうやって?何かとんでもない生贄が必要だったりして……」
「ご心配なく。この笛を使って、あなたに魔術をかけるだけです。犠牲はいりません。代わりに、お代はいただきますけど」
「た、高いんですか!?」
「ダイジョウブ。なんとたったの、一か月3万円だヨ。後払いで、効果に納得いかなければ、全額返金するヨ」
「3万ならギリギリ払えるぞ。じゃ、じゃあ早速やってもらえないか?」
「オー、ありがとネ!今まで頑張ってきたアナタと、ぬくぬくしてきた夢のアナタ……バトンタッチの時間だヨ!!」
「その通りです。夢の世界で、悠々自適な生活を満喫できますよ!」
「夢のようだ!というか、本当に夢になるのか!!」
「モチロン!さあ契約書にサインして!終わったら、リバース開始だヨ!!」
「り、了解だ!!すぐに書く」
先ほども言ったが、ハラシデは既に半ば、自暴自棄になっていた。だから、こんな都合のいいニンジンをぶら下げられると、もう我慢は出来ない。荒唐無稽な話だと頭では思っていても、心が勝手に信じがってしまうのだ。
「よし、書き終わったぞ!!」
「ドーモドーモ!」
「では、これより儀式を始めますね」
ブンカカがそう言うと、ミニクヒが部屋の奥にかかっていたカーテンを開けた。そこには巨大な魔法陣が隠されていた。
「そこの中心に立ってください」
「はい……」
おそるおそる言われた位置に進んでみると、突然魔法陣が輝き始めた。
「おおっ!」
「では、演奏を始めます」
宣言したブンカカが、笛を吹き始める。物寂しいような、妖しいような、それでいて懐かしいような、そんな不可思議な旋律。
(儀式という割には、とても落ち着いてくるなあ……。羊水で満たされた、母胎の中にいるような心地……)
気づけば睡魔に襲われ、ハラシデはまぶたを閉じていた。すると急速に、意識が遠のいていき……。
「もう、お眠りなさい」
鈴のように響く声と共に、ハラシデは夢の中へ旅立っていった。
「うん……」
「七時で~す。起きてください!」
目覚めた彼が辺りを見回すと、そこはかつて住んでいた「好きなもの」で埋め尽くされた部屋だった。
「も、もしかして……」
好きな声優のボイスの目覚まし時計を止め、布団から出ると、シデハラはカレンダーをチェックした。そこには仕事の予定など一つも書かれていなかった。ただ、イベントのスケジュールが載っているだけ。
「そ、そうだ……。親父の会社は……?」
おそるおそる電話をかけてみる。
「おはよう。こんな朝っぱらから何の用だ?」
「と、父さん……。事業は上手くいってるよね!?オレたちは……借金なんて抱えてないよね!!?」
「何を言っているんだ?当たり前だろう。万事順調だ。この前投資した会社も、ぐんぐん成長を続けているくらいだ」
「や、やっぱり!ありがとう父さん!それだけ聞きたかったんだ!!」
ハラシデはそう言って、電話を切った。
「やった!魔術は……本当だったんだ!!」
彼は感動のあまり歓声を上げた。
その後の彼の生活は、悠々自適の一言につきた。晴耕雨読という、理想の生活を表す言葉があるが、彼の場合は一切の労働をしなくて良いのだ。いつだってどんな時だって、自由に金と使うことが出来る。
「何だって、夢の世界なんだもん。オレの思い通りにいって、当然なんだ!」
寝そべりながらアニメを見て、終わったら出前で特上寿司を頼む。それに疲れて来たら、フカフカのベッドで就寝。人間の三大欲求を、自在に満たせる生活であった。
「ああ……生きてるって素晴らしい!!」
そんな風に人生を謳歌していた彼だが、そこに来客がやってきた。
「ドーモ、お久しぶり。ミニクヒです。生活は順調ですか?」
「モチロンさ!毎日が刺激的で、充実しているよ!!」
「それは良かった。ところで、ちょっと言いづらいのですが、今月の料金を支払ってもらえませんか?」
「オッケーオッケー!たった三万でこんな生活が送れるんだ!!倍払ってもいいくらいだよ。今資産運用にも手を出してみてね。儲かって儲かって、しょうがないんだ!!!」
「いえいえ、三万円で十分です。ボクたちはそれで、十分儲かっています」
「そうかそうか。リーズナブルでいいじゃない。……しかし」
「?」
「いや、確かに繁盛していたけど、本当に儲かってるのかい?多分十万円でも、百万円でも、あの魔法をかけてもらいたい人は、たくさんいると思うよ?」
「別にいいんですヨ。欲張るとロクなことがない。それに……」
ミニクヒは出された紅茶の下に置いてある、コースターを手に取った。
「例えば、普通の人はこのコースターを作って、販売することで儲けを出します。でもボクたちは、これをひっくり返すだけで、利益をあげることが出来るんですから」
「確かにその通りだね。儲かるわけだよ。あっ、そろそろいいかな。もうすぐ、見たいアニメの時間なんだ」
「…………了解です。じゃあ、確かに三万受け取りましたネ。では……」
そう言って、ミニクヒは去っていった。この時ハラシデは、彼がやけに、何か言いたいな目つきをしていたことに、気づいていなかった。
その後、アニメの鑑賞が終わった彼は、目がやけに疲れていることに気づいた。
「うーん、ちょっと充血してるなあ。蒸しタオルでもかぶせるかあ」
温かいタオルを乗せると、乾燥していた目に潤いが戻ってくる。ほのかなぬくもりもまた心地が良い。
(ああ、暖かい……)
気分のよくなった彼は、いつの間にか、いびきを鳴らして眠りに就いていた。
「ああ、暖かい」
そう呟くシデハラの表情は、やけに不景気だった。暖かな陽光に照らされても、彼の心は冷え切っていた。
「まだ五月にもなってないのに、これほどにも気分が落ち込むなんて……。これもかれも、親父が事業に失敗したせいだ。おかげでオレは、馬鹿みたいな額の、借金を背負ってしまった……」
グチを吐いていると、ラジオからニュースが流れた。
「七時のニュースをお伝えします。三月に入り、中国からの黄砂が猛威を振るっていますね。洗濯物を干す際などは…………」
「もう七時か。会社に出勤しないとな」
身支度を済まし、出かけようと玄関に立った彼は、ポストに挟まる一枚のチラシを見つけた。
「何だこれ?」
そのチラシにはこう書かれていた。
<企業戦士の皆様へ朗報!!カリブ海からはるばるやってきた、ブードゥー教の魔術師が提供する、精神的鎮痛剤!!効き目は抜群!夢のような……いや、夢そのものの毎日があなたを待っている!!!>
「怪しさ満点だが、この娘さんは可愛いなあ……。……って、おっと。そろそろ行かないと、減給されちまう」
世間は春を迎え、明るいムードなのに、彼の心は冷え切っていた。
「意外と立派な建物だなあ」
うさんくさいと思ったものの、シデハラは結局ブンカカの事務所まで来ていた。
取りあえず中に入ってみると、店員から声をかけられた。
「どうも、ようこそ来てくださいました。です」
「わっ、ど、どうも……シデハラと申します。」
「シデハラさんですか……。本日はどのようなご用件で?」
「実はこの、チラシの文句に惹かれて……。昨日会社で上司にこってり絞られた挙句、残業をする羽目になったんです。その結果、生きがいであるアニメ鑑賞の時間もなくなって……。人生が嫌になって、ここに来たんです」
「ご安心ください。ブードゥー教の秘術を使えば、現実と夢は入れ替わります。魔術師ブンカカには、それが出来るんだヨ。はい、整理券をどうぞ。あなたの番になったら、またお呼びしますネ」
「わ、分かりました」
シデハラの表情には疑いがありありと表れていたが、彼は一応待ってみることにした。
「やあどうもシデハラさん。魔術師のブンカカです」
その後シデハラの番がやっと回ってきた。彼は施術室に通されていた。
「ボクの技術を使えば、確かに夢と現実を逆転できます」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、『胡蝶の夢』という故事をご存知でしょうか?あの話の中で賢者荘子は…………」
どこかで聞いたことのあるような説明が続く。
「な、なるほど……。本当に現実と夢を、リバース出来るんですね……。しかし……料金の方は?」
「一か月三万円です」
「三万円!それなら払えますよ!ぜひとも、お願いします!!……でも、待ってください」
「はい?」
「そ、それで本当に儲かるんですか?」
ふと浮かんできた、素朴な疑問。それに答えたのは、ミニクヒだった。
「ええ。これを見てください」
ミニクヒは、紅茶の下に置かれたコースターを手に取った。
「例えば、普通の人は、このコースターを作って、販売することで儲けを出します。でもボクたちは、これをひっくり返すだけで、利益をあげることが出来るんですから。そしてもう一つ大ヒント――裏側になった者は、もう一度表側になろうと、必死で働きかけるのですよ」
「?」
何か、意味ありげな言い回し。しかし、今のシデハラには大して気にもならなかった。何故か、それは彼の心には今、溢れんばかりの、理想の生活への想いが、渦を巻いていたからである。その希望の前には、ミニクヒへの疑問など、些事と言ってよかった。