タイトスケジュール
6:46
「お~よっちゃん! おはようさん!」
「おお! としちゃん! 今日も朝釣りかー?」
何やら大声が聞こえたので少年は目を覚ます。
カーテンの隙間からこぼれる朝日に、目を細めながら体を起こす。
窓を開け、二階にある自室から路地を見下ろす。
近所の老人二人が談笑している。
少年は苦笑を浮かべながら、窓をそっと閉じる。
「まだだ……まだ早い……」
少年はつぶやき、再び布団に潜り込む。
しかし、目は閉じていない。
ただ身動きせず、仰向けになって天井を見上げている。
その表情は、世界の限界について思考を張り巡らせる哲学者のようである。
7:42
少年はようやくベットから身を起こす。
前日にアイロンを当て、しわ一つ見当たらないカッターシャツに袖を通す。
姿鏡に映った寝ぐせを片手で梳きながら、学ランを羽織る。
「大丈夫だ……。 そんな大したことをするわけじゃない……」
自分に何かを言い聞かせながら、今度は櫛を使って入念に寝ぐせを直していく。
8:01
朝ドラの主題歌を聴きながら、パンにマーガリンを塗る少年。
「あんたいつもギリギリに出てるけど、遅刻してない?」
母親が皿を洗いながら、あきれた口調で少年に尋ねる。
「大丈夫だよ。これでも時間には人一倍気を使ってる」
「だったらもうちょっと早く起きなさいよー。なんでも余裕もって行動しないと」
「はいはい」
8:07
「車に気を付けて行きなさいよー!」
「あいよー」
少年は玄関を出て、自転車にまたがる。
ペダルに体重を乗せながら、ハンドルに取り付けた腕時計に目を落とす。
「よし、ここまでは順調なペースだ」
そうつぶやき、颯爽と国道に繋がる曲がり角を曲がる。
8:13
「よお! 一緒に行こうぜ!」
隣町の交差点で同じく自転車通学の友人に遭遇する。
「おう」
面白くなさそうな顔で少年は答える。
8:18
市で一番大きな病院を通り過ぎたところで、少年は自転車のハンドルに取り付けた腕時計に目を落とす。
眉をひそめた少年は、友人の話に耳を傾けながらも、ペダルを漕ぐ速度を上げていく。
「それでさー……ん? お前ちょっとペース早くね? そんなに慌てなくてもギリギリ間に合うぞ?」
「え? ああ……そうだな」
そう答えペースを落としながら、もう一度腕時計を見る。
少年は頭を振り、ペダルをこぐ足に力を入れる。
「今日、日直当番だったの忘れてたわ! すまんけど先行く!」
友人の返答も聞かないまま、少年は加速する。
8:26
流れる汗をそのままに、少年は学校への最後の坂を上ってゆく。
サドルから腰を浮かせ、己の体重全てをペダルにかける。
さらに高鳴る鼓動は、少年の呼吸をせわしくさせる。
その必死な姿は、周囲から奇異に映るだろうが、少年はそんなことに全く気を留めていない。
顔は歪み、シャツの襟も乱れている。
それでも少年はしきりに腕時計を確認しながら、ペダルを漕ぐ。
ようやく坂を登り切ったその瞬間、少年の表情は途端にゆるむ。
その目に映るのは、徒歩で校門をくぐる一人の少女。
少年は急いで自転車置き場へと向かう。
8:27
昇降口、少女は靴を上履きに履き替えている。
少女と同じクラスの少年は、少女の二つ隣の自分の下駄箱へと向かう。
その目線は自分の下駄箱ではなく、靴を脱ぐ少女を向いている。
少女へと近づく足取りはどこかぎこちない。
それはペダルをこいでいた時の勢いを、最後の坂道に置き忘れたかのように頼りない。
「大丈夫……大したことじゃない」
小声でつぶやいた直後、神妙な面持ちで口を開く。
「お、おはよう!!」
「おはよー」
上履きを履きながら答えた少女は、その後平然と少年の横を通り過ぎてゆく。
少女の残り香が少年の鼻孔をくすぐる。
少年は唇を噛みながら上履きを履いた。