手紙
皇家の私物などの遺品がおさめられた蔵は、宮中の片隅にある。
皇族の者が亡くなると、公的なものは、次代に受け継がれる。私品の一部は形見のような形で譲渡され、残りのものは、保存されるものと、処分されるものに分けられる。
瑞花の場合、その死んだ理由に疑問点が大きかったがために、遺品の譲渡はあまり行われず、かなりの遺品が、蔵におさめられた。
他の皇妃に比べて、格段に多かったのは、術具や書物の類である。
もちろん皇族は、国の祀りの中心であるから、もともと術具などを所有していて、何ら不思議はない。
「相当に、封魔の技を研究されていたようですね」
実成と誠治郎は、おさめられていた書物を手に取る。
書物の中には、書き込みが残っているモノもあった。
「これは……」
誠治郎は、読み込まれた様子の見える書物を開いた。
とりついた妖魔を見極める方法などの記述がある書物だ。
明らかに紙がよれている箇所がある。
「月鏡の使い方だ」
照魔鏡を使わずとも、妖魔を見る方法はある。
そのうちの一つが、月鏡と呼ばれるものだ。
満月の夜、月明かりの中、澄んだ水面に相手の姿を映す。
必要なものは、水と月。
あらかじめ用意した榊を水に浸し、呪文をとなえる。
封じることは出来ないが、正体は映る。妖魔にとりつかれたかもしれない人物を見破るのに使用されることが多い。照魔鏡は、皇帝の許可なく使用することはかなわないし、不用意に使用することは、氷雪王の封印を解きかねない。
瑞花は、おそらく、月鏡を使い、鬼の姿を見たのであろう。
そのうえで。魂結びを使用した。
妖魔をとりついたものから『出す』のには、鏡子のように楽を奏でたり、舞を奉じるのが一般的だ。
これは、神や妖魔は、本来、『形』のないもののため、『形』として残らぬ『楽』や『舞』に誘われやすい、ということらしい。もっとも、この『出す』という行為は、動いているモノ、特に攻撃の意思をもつものに使用するのは、なかなかに難しい。
攻撃の意思を持つ人などに使う場合、非効率であるが、間接的にその人物の身体の一部や愛用品に術を行使したりすることもある。ただし、相手が人というときは、体を傷つけて力を叩き込むという荒っぽい方法が一番効果的とされている。
いずれの方法にしても、『魔』と長い間『融合』していれば、分離は難しくなる。
「誠治郎さま。これを」
実成が、一冊の本を誠治郎に渡す。
「魂結びの記述があります」
言われて、誠治郎は本を開く。
該当の箇所は、朱色の線が引かれていた。
「間違いなさそうだな」
魂を結ぶには、まず、お互いの髪の毛を結び、それぞれが一年ほど、枕に入れる。
さらに、それを、満月の光に何度かさらす。その間、それを施した術者は、自らの魂を削られる、と記載されている。
瑞花は亡くなる数年ほど前から体調を崩している。
髪の毛ならば、二人に気づかれることなく手に入れられるだろうし、枕に気が付かれずに入れることも可能であろう。瑞花つきの、侍女などが手を貸せば、造作もないことだ。
誠治郎は、ふうっとため息をついて、本を閉じ、ふと、その装丁に目をやった。表紙の部分が分厚い紙で製本されているものだ。
それ自体は珍しいものではないが、表紙が二枚重ねて張られていたものらしく、少し、のりがはがれたのか隙間がある。
「中に、何か入っているな」
誠治郎は、丁寧に隙間を広げ、中に入っていた折りたたまれた紙を取り出した。
「これは……」
それは、手紙、だった。
この手紙を読んでいるのは、あなたでしょうか。それとも、緋鋭? それとも紫檀?
私は、きっとこの世にいない、ということですね。私は成功したのでしょうか?
それだけが気がかりです。
紫檀のようすに気が付いたのが遅すぎました。
積雪のたびに、雪を口にする、あの子。雪を食べるたびに、何かが変わっていったように思います。
あの子が十歳になったころ。あの子が歩いたはずの雪の上に、足跡が残っていないことがありました。
まさか、と思いつつ、月鏡で、あの子をこっそりと映してみたら、白い霧氷山が映っていました。
なんてことでしょうか。
氷雪王が吐きだした欠片をあの子が、口にしてしまったということなのでしょうか。
もし、氷雪王だとしたら、国の大事。
次の大祭を待つまでもなく、封じの儀式をせねばなりません。
そうなれば、あの子は死ぬ。そして、失敗すれば、この国が亡ぶ。
そこで、私は考えました。この考えは愚かなのかもしれません。
それでも、私は、母として、皇妃として、最良の道を私なりに考えました。
紫檀と、緋鋭の魂を結び付けておけば、紫檀は氷雪王の力を完全に手に入れることはできない。
そして、大祭の日に、紫檀から、魔を引き離せば、儀礼の中で封じ直せるでしょう。
紫檀を取り戻し、この国を守るにはこれしかないと思っています。
私はただでは済まないかもしれませんが、絶対に成し遂げたいと思っています。
本当はあなたに相談すべきなのかもしれません。でも、そうしたら、あの子が救えない。
緋鋭を巻き込んでしまうのは、得策ではないとも思います。
でも、ほかに方法がないのです。許してください。
丁寧な文字の筆跡。おそらくは、瑞花のものだ。
「誠治郎さま?」
覗き込む、実成に誠治郎は手紙を見せた。
「瑞花さまは、あの日、ひとりで外に出られた」
誰にも気づかれぬように、ひっそりと拝殿の裏に行き、紫檀のへその緒をつかって『氷雪王』を紫檀から払い出そうとした。
あの檜扇は、その時に使用したもの。文字は、己の覚悟を記したのであろう。
「そして、祓いの儀式の最中に、紫檀さまが現れ、瑞花さまは、崖から転落した」
あの日。
崖の下から噴き出した妖気。紫檀がまとっていたものと同じだったように思う。
「この際、紫檀さまが、ともに落ちたかどうかは問題ではない。瑞花さまの魂結びの術は完成していたのだろう。氷雪王と紫檀さまは完全にひとつになることはなかった」
「緋鋭さまが寝込まれた理由も、そこにあるのかもしれませんね」
緋鋭は大祭のさなかに倒れ、七日七晩寝込み、一か月ほど体調が戻らなかった。
ひょっとしたら、紫檀の体調に関係してのことだったのかもしれない。
「魂結びを解くために、紫檀様は何をする気でしょう?」
「手っ取り早くするなら、陛下を殺すことだろうな」
誠治郎は眉をしかめた。
「ただ、その場合、自分もある程度影響を受ける。それを避けるための、照魔鏡なのだろう」
魂結びをほどくには、眼に見えぬ『糸』をほどかねばならない。
「あとは……本当に氷雪王が憑いているというならば、その封印を解くために違いない」
「どういたしましょう?」
誠治郎は、顎に手を当てた。
「結局のところ、我らだけで判断できるものではないが……瑞花さまがお使いになられた紫檀さまのへその緒をとりあえず、探そう」
「使えますかね?」
「……難しいだろうな。憑いてから十年以上たっているとなると、ある程度、人の魂が魔と融合してしまっているだろうから」
瑞花が失敗してから、十年。どこで、どう過ごしてきたかは知らぬが、おそらく紫檀を人としてつないでいるのは、緋鋭との絆だけであろう。もはや、祓い出そうとしても、祓い出せぬと見たほうが良い。
「鏡子は……無事でしょうか」
蔵につみあげられた長櫃を見上げ、実成が呟く。
「必ず、助ける」
誠治郎の言葉に力がこもる。
思わず噛んだ唇に血の味が混じった。