呪術
寝所には、緋鋭のほか、誠治郎の父、東雲源蔵と山根茂綱がいた。
源蔵は、誠治郎に建前上、家督を譲ったことになっている。したがって宴席などには出ないが、ことあるごとに『ご意見役』として、政治には顔を出す。現役を退いたのは、東雲の家の役目である封魔の現場で、体力の衰えを感じたからにすぎない。
山根は、実成と共に祭司を司る封魔衆で、ことのほか儀礼ごとに詳しい。
誠治郎の父が封魔衆の束ね役であったころから、封魔衆の知恵役とされていた。
「来たか」
「……遅くなりました」
誠治郎は、一礼をして部屋に入ると、山根の隣に腰を下ろした。実成もそれに続く。
緋鋭は、布団の上に座っている。少し熱があるようで、顔が赤い。
「すまぬ、実成」
緋鋭が頭を下げる。
鏡子のことをいっているのだろう。
「……いえ。それよりも、お加減はいかがですか?」
「大事ない」
実成の言葉に、緋鋭は答え、目を伏せた。
行灯は灯されているものの、部屋は薄暗い。冷えてきたということもあって、緋鋭の布団のすぐそばには、火鉢が置かれていた。薄闇に、赤い火が浮かんでいる。
「兄の目的は何なのだろう」
緋鋭は包帯を巻いた肩に視線を落とす。
「鏡子殿を捕らえ、照魔鏡で、いったい何をするというのか」
照魔鏡は、魔を映し出す鏡であり、魔封じの鏡でもある。
かつて、この国を支配した氷雪王を封じるのに使ったと言われている術具で、この国の秘宝だ。
通常は、宮殿の中にある神殿奥深くに奉じられていて、それを目にできる人間は、皇族の他は祭司に携わる人間だけだ。
「妖魔を祓うために……ということは、なさそうですが」
茂綱が苦い顔をする。
「しかも、満月というのが解せぬ」
緋鋭は首を振る。満月の夜は、月の神の力が最大なのだ。魔は通常、月を嫌う。
大祭が満月の次の十六夜に行われるのは、前日に月の光を最大限にためて、行うためだ。
あれほどの妖気をまとっているのに、紫檀は妖魔では無いというのか。
妖魔封じの結界を破ることなく侵入しているという事実もある。
「瑞花さまが何をされたのかわかれば、答えは見えるのではないのでしょうか?」
「お前たちは何か知らないか?」
緋鋭は源蔵と、山根に問いかける。
二人は、十年前の大祭と紫檀の捜索を中心になっていた人物である。
「陛下は、どの程度、瑞花さまの死についてご存知で?」
「父は最後まで、私にほぼ何も語らなかった──私自身は、大祭のさなかに倒れたこともあって、その前後の記憶がほとんどない」
緋鋭は大祭の途中で倒れ、七日七晩、高熱を出し寝込んだ。そのこともあって、己自身の記憶はおぼろげで、定かではないらしい。熱が下がった後も、しばらくは体調が戻らなかったこともあり、大祭からひと月後の母と兄の葬儀についても、僅かしか覚えていない。
逆に、先帝である紅仁は、葬儀後、体調を崩して、半年後に急逝。引継ぎもままならぬ状態だった。
「父が残したのは、この檜扇だけ」
緋鋭は傍らの桐箱に手をのばす。ふたを開けると、そこには、誠治郎が見つけた檜扇がおさめられていた。のちに、瑞花のものと特定され、残された文字も瑞花の筆跡であると断定されている。
「先帝には語るだけの時間が足りなかったのもあるでしょう。あまりにも何もかもが、急すぎました」
源蔵は、沈痛な面持ちで口を開く。
「ご存知のように、大祭のさなか、結界が緩み、氷雪王の影が現れた」
「氷雪王の影?」
「はい。鏡ごしといえど、強い妖気を発しておりました。その妖気を受けたせいでしょう、儀礼の最中に緋鋭さまは倒れてしまわれた。もちろん、私共も必死で加勢いたしましたが、先帝は命を懸けて、再び封印をなさったのです」
源蔵は首を振る。
「このこと、民人に不安を与えるということで、我らには、緘口令が出されました。もっとも、一番は、先帝が体調不良でお倒れになったことが、事件が解明されなかった原因なのですが」
「……ああ。私はまだ、未熟で、封魔の結界はおろか、政治全般において、父のしていた仕事をすぐに引き継ぐことができなかった。混乱の中で、お前たちには随分支えてもらったが、それゆえに、せねばならなかったことが後回しになってしまったのは、事実だろうな」
緋鋭の言葉は苦い。
紅仁が大祭の動揺がおさまりきらない半年後に亡くなったことで、国は混乱した。
他国に攻められず、民の反乱もなく過ぎたのは、奇跡に近い。
「もちろん、瑞花さま紫檀さまの、捜索はいたしましたが、あくまで秘密を徹底しました。紅仁さまは、氷雪王が現れたのは、お二人のせいではないかとお疑いでしたので」
源蔵は慎重に口を開く。
「祀りにおいて、穢れは厳禁。理由はどうであれ、神域で遺体が見つかった以上、その疑いは当然であったろうな」
緋鋭は頷いて見せた。
「実は、瑞花さまのご遺体は、大祭から数日後、大社の裏の崖の下で私が発見致しました」
沈痛な面持ちで、山根が口を開く。
「見つけた時には、すでに獣に食い荒らされた後だったようで、それはひどい有様でした」
当時を思い出したのか、山根は、そっと目をふせた。
「紫檀様の遺体はみつかりませんでしたが、陛下の判断で、捜索は打ち切られました」
「本当は、打ち切るべきではなかったのでしょう。ですが、季節は冬。氷雪山は、人が入るには厳しい季節でございました」
源蔵が、眉をしかめた。
「私は、当時のことはあまり覚えていないが……それは仕方ないとは思う」
冬の氷雪山での山狩りがどれほどまでに危険なのかはわかる。紅仁が、早々に捜査を打ち切ったのは、ある意味、英断といえるだろう。
「瑞花さまは、お身体が弱く臥せりがちなかたでした。あの時も、かなり無理をして、祭礼に参加なさっていたように思います。本来なら、拝殿を抜けられたと気づいてすぐ、お探し申し上げるべきだったのでしょう。そうすれば、あのようなことはおこらなかったかもしれません」
「しかし、それはかなわなかった」
山根の悔恨に、源蔵はため息をつきながら頷く。
「結果として、すべてが後手に回り、祭礼は綱渡りのようになりました」
氷雪王の結界が緩むことは、即、国家存亡の危機である。すべてに優先されたのは無理もないことだ。
「あの、一つ疑問があるのですが。そのように身体の弱い瑞花さまが、無理やり紫檀さまを突き落とすことは可能でしょうか?」
実成が首を傾げる。
「え?」
そこに座っていた者の目が実成に注がれた。
「陛下と、紫檀さまは同じ年。つまり、当時は十三歳。もちろん、大人ではございませんが、運動能力などは、大人にそれほど引けを取りません。紫檀さまは、特に虚弱というわけではなかったのですよね?」
「ああ……。兄は、筋骨たくましいとはいいがたいが、いたって健康だった。学問も私より優秀であったし、何事もなければ、兄が、皇帝になっていただろう」
緋鋭の答えに、実成は首を傾げる。
「普通に考えて、紫檀さまを瑞花さまが突き落とそうとするのは、不意討ちでなければ、人知れず行うのは難しいと思います」
「確かに、普通に争ったら、瑞花さまに分があるとは、とても思えません」
誠治郎は頷く。
さらに言えば。拝殿の裏側とはいえ、境内には誠治郎を含め、数人が常に詰めていたのだ。争う様子があれば、気が付いたはずだ。辺りは、とても静かだったのだから。
「しかし、母に突き落とされたと、先ほど、ご本人が言っておられました」
実成は、顎に手を当てた。
「お二人が争ったどうかも、確かめるすべはなく、それが真実かどうかは確かめるすべはありません。しかし、その檜扇が遺書だと仮定し、紫檀さまの言葉が真実だとするなら、瑞花さまは、鬼を封じるために、紫檀さまを突き落とそうとして瑞花さまだけが転落したか、もしくはともに落ちたのしょう」
実成はふぅっと息を吐いた。
「そう仮定すると、瑞花さまは、紫檀さまを鬼だと思っていたということになるな」
誠治郎の言葉に、実成は頷く。
「さらに言うなら、二人は争うこともなく、瑞花さまは崖から転落。紫檀さまは『人ならざるもの』になった」
源蔵が、続けた。
「崖から落ちて、人ならざるものになったのか、それとも、その前から人ならざるものだったのか、今となっては確かめるすべはないが……」
誠治郎は首を振る。
「陛下と紫檀さまをつなげたのが、瑞花さまというならば……後者でしょう。瑞花さまは、陛下と紫檀さまの魂を結ぶ『魂結び』を行ったに違いありません」
山根が静かに口を開いた。




