吹雪
吹雪だ。
ごうごうと風が音を立て、世界が真っ白である。
空は暗く、昼間とは思えない。
「さすがに、これは無理ですな」
雪だらけになった体を払い、実成は慌てて、家屋の中に入った。
「……なんてことだ」
恨めし気に、空を見上げ、誠治郎もそれに続く。
「ですから、無理だと申し上げました」
二人に声をかけてきたのは、星山大社の神人の星村善治だ。
年齢は、誠治郎の父源蔵よりやや若い。ひょろりとした体をしていて、全体的に細長い印象を受ける男だ。
星山大社の管理は皇家となっていて、「宮司」にあたるのは、時の皇帝である。
が、常日頃の管理は、神人である星村家が行っている。
星村家の屋敷は、星山大社のある山のふもとの参道沿いにあり、かなり大きい。
十年に一度の大社の折、儀式の前後、皇族たちの宿にもなっている。
「とりあえず、はやく火におあたりください」
善治は、いろりを指さし、自らは茶道具をとりだした。
「まさか、天候に阻まれようとは」
雪に濡れた蓑をぬぐ。自らの安全など、どうでもよいと思ってはいても、あてのない吹雪の山中の捜索が、どれほど無意味なのかくらいはわかる。
「この時期の吹雪は、毎年のこと。たいていは三日も降れば、おさまります」
善治は慰めながら、湯飲みに茶を注ぐ。
囲炉裏の火は赤く燃え、パチパチと音を立てている。
誠治郎と実成は、囲炉裏のそばに腰を下ろした。
雪に濡れた体は、凍るようだ。気持ちはともかく、体は、火のぬくもりを欲していた。
「三日も待つわけにはまいらんのだが」
月はもう、下弦の時期に入っている。
満月までは、あと二十日程度あるとはいえ、朔が近づけば、魔の力は強くなる。
日の力を力の由来としている誠治郎と違い、月を由来としている実成は戦いにくくなる。
「急いては事を仕損じましょう。まずは、茶をお飲みください」
誠治郎は、善治から湯飲みを受け取る。器の熱が、冷えた手を温めてくれる。
皇帝から紫檀と鏡子の捜索を命じられて、誠治郎と実成は、すぐに星山大社のふもとまでやってきたというのに、この天候である。
これほどの悪天候となると、近隣の者に話を聞きに行くというだけでも骨だ。
「しかし、紫檀さまが、生きておいでだったとは」
善治は、苦い顔で、囲炉裏に薪を継ぎ足す。
「いったい、どこでなにをしていらっしゃったのやら」
大祭の年の山は、例年以上に寒く、荒れていた。秘密裏とはいえ、捜索は周辺の村も行われたから、里に下りていたとも思えない。
十年の年月の間、どうやって、どこですごしたというのか。
「霧氷山は、禁忌の山。近隣の者もあまり立ち入りませんが」
氷雪王が封じられているというだけではなく、もともとが、人を拒むような地形の山だということもある。切り立った岩山は、夏でも危険だ。
「氷雪王は頂に封じられていることになっておりますが、魔は、中腹でも出現いたします」
善治は立ち上がり、手文庫から一枚の紙をとりだし、誠治郎の前に広げた。
「これは?」
「先帝の遺言、と申しましょうか。あのあと、夏の霧氷山を何度か調査をいたしました」
赤い火の光に照らされたそれは、地図であった。
「先帝は、『結界のゆるみ』等の原因が山にあるかもしれないとお疑いだったのです。ただ、調査をはじめた矢先に亡くなられてしまわれ、調査はうちきりになりました。それでも、ご遺言と思い、時折、山に入り、このようなものを作っておりましたが……」
「紫檀さまは、見つからなかった」
実成の言葉に、善治は頷く。
「こんなところに、池が?」
誠治郎は、山の中腹近くにある池を指さした。
「はい。それほど大きなものではございません。ただ、このあたり、魔物が多いのと地形的に非常に難所が多くて、この池の先に行ったことはないですね」
「魔物が多い?」
「はい。たいへん多い場所です。私は日中にしか行きませんでしたけれど、それでも、何度か襲われましたな」
善治は地図を指さす。
「標高の高さから言えば、この辺りよりもっと高い場所にいったことはございます。しかし、この辺りほど、魔の多いところはございませんでした」
「紫檀さまがいるかどうかはともかく、そこに魔を呼ぶようなモノがある、と考えることもできるな」
誠治郎に、善治は頷いた。
「そうですね。なにぶん、一人での調査ですから、深く分け入ったわけではありませんが、あのあたりは地形上、洞も多いのです。そうした場所のどこかに、魔の噴き出すような場所があるのかもしれません」
実成と誠治郎は顔を見合わせた。
「すぐにでも行きたそうな顔をしていらっしゃいますが、今はダメです」
善治が苦い顔で、釘をさす。
ごうごうとあいかわらず外の音は煩い。
「せめて吹雪がおさまるまではお待ちを。今行っては、犬死するだけです」
夏でも厳しい地形に妖魔。朔が近く、しかも吹雪では、強行できない。
誠治郎は、燃える炎を見つめながら、唇を噛んだ。
冷たい。
凍えるほどではないが、快適とはいいがたい。
鏡子は、辺りを見回した。
四方を壁に包まれた部屋のようだ。全体的に白い。暗くはないが、明るくもない。
鏡子から離れた位置に、うずくまった男がひとり。
氷でできた冷たい椅子に腰を下ろし、瞳を閉じている。どこからともなく吹き込む雪の入り混じった風が、男の肩口に吸い込まれていく。
──紫檀!
鏡子は、ゆっくりとその男から離れるように後ずさるが、カツンと背に当たるものに気が付いた。
目には見えぬが、そこに『壁』がある。鏡子は手を這わせるように自分が動ける『空間』を把握しようとした。
「逃げられぬよ」
目を閉じたまま、男が口を開く。
「ここは、人界と魔界の狭間。時の流れも、外とは違う」
「……私をどうするつもり?」
「妻にすると、言うたではないか」
くすくすと男は嗤う。
「お断りいたします」
「強気な女は、好きだ」
ぞわぞわとする、妖気が、辺りに漂う。
肌がチリチリと痛んだ。
「我の妻となれば、永久の生を手にいれられるぞ?」
「永久の生など、いらないわ」
「そうか? 人の子は老いる。そなたも美しいのは今だけだ。やがて、顔にしわができ、髪は白くなる」
「あなただって、もとは『人』でしょう?」
鏡子の言葉を男は鼻で笑った。
「そう。だからこそ、わかるのだ。人であることはつまらぬことよ」
パチン、と男が指を鳴らすと、鏡子の身体は氷の柱に縛り付けられた。
「満月まではまだ、時がある。しばしそのままでおるがいい……我が傷が癒えるまで」
冷気が体を包んでいき、鏡子は意識を失った。