謎
「つまり……母は、兄に魔が憑いたことを知り、ひとりで術を試みた、ということか」
緋鋭は、渡された手紙に目を通し、大きく息を吐いた。
まだ、微熱が残っているため、床についたままだ。
障子戸から、やわらかな日がしみているだけなので、部屋はやや暗い。
再び集められた、源蔵と山根も、誠治郎たちが見つけた手紙に目を通し、唸った。
「なぜ、一言、ご相談いただけなかったのか……」
源蔵の表情が苦い。当時、封魔衆の束ねをしていたのは源蔵である。
皇族が『氷雪王』の封印をしているといっても、日々の術に関しては、封魔衆のほうが当然詳しい。
「母は、兄を救いたかったのだろうな」
ポツリ、と緋鋭は呟く。
愚かであることは、おそらく瑞花自身が一番わかっていたはずだ。
「雪をお食べになる、とありますが?」
「ああ」
思い出したように緋鋭は頷いた。
「雪が降るたびに、新雪を食べていた。冷たくて旨いと言っていたな」
小さい時から、行儀が悪いと、叱られながらも、雪が降るとそれを食べずにはいられなかったようだ。
「陛下は、紫檀さまをおかしいとお感じになられたことはありませんか?」
「いや。兄は私より賢く、冷静な人間だった。あえていうなら、冷静すぎるところはあったけれど」
緋鋭は首を傾げる。
「そういえば、聡いお方でしたが、感情の起伏の小さい方でしたな」
源蔵が思い出しながら口を開く。
「陛下は、雪を食べたりはなさらなかったのですか?」
「私も食べはした。兄ほどではないが」
緋鋭は首を振る。
「だが、兄は、夜中にも外に出て食べることがあったようだ」
「夜に?」
誠治郎は目を丸くする。
蘇芳の国では、雪は霧氷山から来るものとされ、夜の降雪は忌むものとされている。特に、月のない夜などは、魔が現れると言われているのだ。
「もちろん、両親も周りの者も、注意はしていたけれど」
緋鋭が止めたこともあったが、『腹は壊さない』『宮中には結界があるから魔は来ない』などと言われてしまうと、強くは言えなかったようだ。
「しかし、雪を食べただけで、氷雪王にとりつかれるなどということがあるのだろうか?」
緋鋭の疑念はもっともだ。
「朔の日の雪、あるいは」
茂綱が眉間にしわを寄せる。
「蝕の月の雪ならば、あるかもしれません」
「蝕?」
茂綱は頷く。
「めったにあることではありませんが、満月の日におこる『蝕』は、『朔』以上に、魔が活発になります」
銀に輝く月が、赤い色に変わる『蝕』。
全ての魔界の門が開くともいわれている日だ。
調べてみなければわからないが、数年ごとに現れる赤い月が、雪が降った後に出ていたという晩が、どこかにあるかもしれない。
雪と紫檀の妖気の関係は推測でしかないが、紫檀にとりついているモノが本当に氷雪王であるならば、紫檀の存在はやっかいだ。
それこそ大祭の日に紫檀ごと封じ込めるのが最良だが、その前に魂結びをほどかねば、緋鋭の身に何かが起こらないとも言えない。
「しかし、紫檀さまは、何を考えられているのか」
源蔵は顎を撫でながら、首をひねる。
「陛下のご様子から見て、誠治郎から受けた傷のせいで、退く必要があったのかもしれませんが、我らが照魔鏡を渡すと思って、鏡子殿をさらった、ということはありますまい」
「照魔鏡を、新しく創るつもりなのかもしれませぬ」
茂綱が懐から、一冊の本を取り出した。
「始祖、白檀さまは、氷雪王を倒すために、一枚の鏡を作らせました。できあがった鏡の鏡面を、満月の晩に、自らの血でぬらし、妻の髪で磨きあげ、赤き月の向こうからやってくる氷雪王の姿を捕らえた、と記述にあります」
「では、鏡子はそのために?」
「その可能性はあります」
実成に、茂綱は大きく頷いた。
「もちろん、本物を欲しているのは事実だとは思います。照魔鏡を破壊すれば、氷雪王は自由になります。しかし、とりあえず、魂結びさえほどけば、強引に奪いに来るだけの『力』を手にすることはできるでしょう。今でさえ、我らにとっては脅威の力を持っているわけですから」
「では……我々は、それより先に、兄を倒さねばならぬということだな」
緋鋭は結論付ける。
「陛下!」
「満月まで待つことはない。なんとしても、兄を探し出し、氷雪王の復活を阻止せねばならない。魂結びが効いているなら、兄は我々でも倒せる……そうだろう?」
「しかし!」
「くどい。この国の皇帝であるということは、封魔の使命があるということだ。命を惜しむつもりはない」
緋鋭の言葉に、全員がひれ伏す。
「嬉しいことに、私の身体はまだ、熱っぽい。つまり、兄の負傷はまだ癒えていないということだ」
「それはそうかもしれませんが……」
誠治郎は顔をしかめる。
ここから、月は朔に向かう。魔の力は増えていくだろう。
それに、紫檀の行方は、まったくわかっていない。誠治郎とて、すぐに探したい。
だが、あてはない。しかも、紫檀を倒せば、緋鋭も傷を負うだろう。死ぬことはないかもしれないが、保証はない。
「あては、まったくないか? 茂綱」
「さて……おそらくは霧氷山周辺ではないかと思うのですが」
茂綱は首を傾げる。
「周辺をあたってみます」
「誠治郎、できるか?」
緋鋭の言葉に、誠治郎は頷く。
「私もお供させてください」
実成が誠治郎の横で頭を下げた。
「わかった。私のことは気にせず、ふたりとも、鏡子殿を救うことだけを考えよ。源蔵と茂綱は、大祭の用意を満月前に終えよ」
「御意」
「準備が整い次第、星山大社に向かう。父が命をかけた結界、私も必ず守ろう」
緋鋭のひざの上に置かれた手が、硬く握られた。