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みずイロ  作者: NES
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みずイロ(5)

 フユの身体は、汚れている。フユとヒナの間に決定的な違いがあるとすれば、それだ。ヒナからはいつだって、ふんわりとした甘い香りが漂っている。優しい、女の子の匂いだ。フユにはそれがない。感じられるのは、鉄錆てつさびに似た血の臭いだけだ。


 和田シュンヤのことは、嫌いじゃない。人というのがどういうものなのか、フユはよく判っている。自分勝手で、よこしまで。ヒナが他人の心を覗かない方針なのは、人間に絶望したくないという理由もあるのだと思う。そう考えてしまえる程には、人の心の内側というのは自由奔放だった。


 そんな中にあって、和田シュンヤという人間の心はかなりマシな部類であるといえた。


 この学校に転校してきてから、フユは生徒や教師の内面は一通り眺めてきたつもりだった。一部に山嵜ハナみたいな例外はいたが、校内にはフユに害をなそうとする存在はいなさそうだ。魔法使いの才能を持つものは、大体千人に一人くらいの割合で存在するという。去年卒業したフミカ先輩に、ハナ。全校生徒の中に、一人いるかいないかといったところだ。身近には『敵』になりそうな相手がいないという事実は、喜ばしいことだった。

 それでもフユに対して敵意を持つ人間が、全くいない訳ではなかった。ただ、そこまで明確な悪意を持たれる程ではない、という立ち位置で済まされてはいたが。フユは学校の中では、『弱者』というカテゴリに分類されている。外見の要素は大事だ。お陰様で大して目立つこともなく、ひっそりと学校生活を送っていけそうなポジションに落ち着けていた。


 もっとも――この学校で最大級に人目を引くヒナと仲良くしている時点で、トラブルの種からは逃れられそうにはなかったが。


 和田シュンヤとは、そのヒナの交友関係を通じて知り合いになった。大人しくて、口数が少なくて。たまにぼそっと、面白いことを言ったりする。対人コミュニケーションが苦手な様子で、本を読むのが好き、という趣味がフユとは一致していた。

 二年生になって、図書委員で一緒になった。そんな理由でほんのわずかに二人でいる時間が増えただけで、不思議と胸の奥がざわついた。フユのうちに生まれたこの感情が何なのか、最初はまるで判らなかった。


 心の中を覗いてみると、和田シュンヤはフユの存在を強く求めていた。フユはあまりのことに衝撃を受けた。どうしてそうなるのか、まるで理解が及ばなかった。和田シュンヤの中で、フユは並んでその肩にもたれかかって同じ本を読んでいた。


 そんなこと……できるはずがない。


 もっと解りやすく汚してくれていたら、素直に嫌いになれたのに。どうしてこんなに、優しいのだろう。素敵な妄想だった。和田シュンヤがあんな風に笑うのだと、初めて知った。穏やかで、心地よい。大切に想ってくれている。大事にしようとしてくれている。その気持ちを正面から受け止めて、フユは何も考えられなくなった。


 和田シュンヤの心は、劣等感コンプレックスの塊だった。いつも引っ込み思案なのも、言葉が少ないのも、過去の経験が影響している。その記憶の片鱗に触れて、フユ慌ててそこから目を離した。

 これは、勝手に読み取ってしまってはいけないものだ。フユは和田シュンヤのフユに対する想いを、本人に断りなく知ってしまった。その上で、和田シュンヤの中身全てを見てしまって良いはずがない。


 和田シュンヤのことは、和田シュンヤ本人の口から聞かせてほしかった。


 カッコいい男子について、以前ヒナたちと話したことがあった。ヒナはとにかくハルがカッコいいと言ってきかなかった。基準値がそこにあって、しかも最高値なので他の男子に対する評価がまるであてにならない。ユマはハルも悪くないとしながらも、何人かの男子の名前を挙げていた。なるほど、それが一般的にカッコいい男子なのかとフユは感心した。

 気になったので、後でその男子たちの中を覗いてみた。どちらも現在交際中の女子がいて、その相手といかにエッチな関係になるかについて熱心に考えていた。まあ、正常だ。この辺りはおおむね他の男子生徒たちと何ら変わらなかった。

 ただ『カッコいい』男子がちょっと違ったのは、相手の感じ方や未来の在り方にまで思考が及んでいるところだった。なるべく長く、真面目に付き合っていきたい。相手に好かれるため、そして一緒にいるための努力は惜しまない。自分だけじゃなくて、可能なら相手にも喜んでもらいたいし、嫌がることは当然のようにしたくない。大枠において、ヒナとハルに近い感じだった。


 詰まるところカッコよさの根源とは、自分の中にある直近の欲望だけに捕らわれない、という結論で良いのだろうか。


 ヒナとハナにそれを話したら、「それは大事よねー」と妙に納得されてしまった。ヒナはハルと将来の約束まで済ませている。この前こっそりハルの中を見てみたら、ヒナと幸せな家族を作る未来を想像していた。うわぁ、これは恥ずかしい。でもハルがヒナのことをとても大事にしているのは、良く伝わってきた。

 だからちょっとだけヒナとエッチなことをしている場面もあったのは、許してあげることにしようと思う。ハルも他のみんなと同じ、健全な男子だった。実はそれを見て、フユは少々安心した。ヒナとハルって、なんだか特別すぎる感じがして。


 ではひるがえって、和田シュンヤは果たしてカッコいい男子、なのだろうか?


 フユと並んで本を読んでいる妄想を見た正直な感想は、「寂しい」だった。本当なら、もっと色々な自由度があっても良いはずなのだ。自分の中にある、好き勝手にして良い世界での話なのに。和田シュンヤはそこにおいても、フユを綺麗なままにたもとうとしているかのようだった。


 良いんだよ、もっと、思うさまに汚してくれても。


 恐らくは、それができないのだ。かすかな苦しみが感じ取れる。和田シュンヤという男子は、どこまでも小さく自分という存在を委縮させてしまっていた。これ以上はたとえ妄想であっても許せないのだと、自分自身を縛り付けている。ジャガイモ1号と混ぜて二つに分けると丁度良いのかもしれない。あ、いや、宮下君。まずまずい。すっかりヒナの思考がうつってしまっている。


 フユはそれを、特に「きたない」とは思わなかった。人として当然の行為だ。ヒナの中心で輝く思考を見た時に、フユはすっかり感化されてしまった。ヒナはやはりすごい。『銀の鍵』に選ばれるとは、こういうことだ。それを無理矢理左(てのひら)に埋め込まれたフユとは、何もかもが違っている。



「因幡さん」



 良くヒナが「口から心臓が飛び出そうになった」なんて言うのを、この時ほど実感したことはなかった。ビックリして椅子から跳ね起きた。図書室の、貸出カウンターの中。どうやら椅子に座ったままで、つい転寝うたたねしてしまっていたらしい。

 隣には、いつの間にか和田シュンヤがいた。どのくらいの間、フユは眠りに落ちていたのだろうか。和田シュンヤは、恐らくフユを見かねて図書委員の仕事を代わってくれていたのだ。カマンタ、何で起こしてくれなかったの!


「ご、ごめん!」

「いや、大丈夫。そろそろ閉館の時間だからさ」


 うわ、もうそんな時間か。鍵をかけて、放置されている本を戻して――という最終退出処理まで、和田シュンヤは全部済ませてくれたらしい。参った。ここまでされてしまうと、もはやグゥの音も出てこなかった。


「今日当番じゃないのに、ホントにゴメンね?」

「因幡さんだって当番じゃないでしょ?」


 それはまあ、そうだ。図書室のカウンターなんて、好きな人が適当に座っているだけになりつつある。大体はフユか、和田シュンヤの二択だ。そういう意味では、和田シュンヤの妄想はとても現実味を帯びている。そんな未来は、実は簡単に得られるかもしれないのだ。


 ――フユが、まともな女の子なら。


「鍵を職員室に戻してくるよ。因幡さんはもうあがって良いからさ」

「あ、それくらいは私が……」


 思わず無防備に手を伸ばして。


 てのひらが、触れた。


 よりによって、左のてのひら


 そこには、『銀の鍵』がある。


 フユが、普通の女の子ではいられないことの証。


 心の奥底にある、封印の扉が脳裏に浮かんだ。そこには、全部が詰まっている。フユの過去。覚えていてはまともに生きていけない、腐り切った記憶。魔法使いさんと過ごした日々と――


 その、名前。



「因幡……」



 和田シュンヤが、目を見開いた。理由は判っている。フユの顔を見て、驚いたんだ。ごめんね、和田君。和田君はちっとも悪くない。悪いのは、フユなんだ。


 涙が、どうしても止まらなかった。嫌だ。このてのひらが憎い。そこにある『銀の鍵』が憎い。フユを、ヒナとは違うけがれた存在におとめてしまうこの力が……憎い!


 気が付いたら、走り出していた。和田シュンヤに、謝らなきゃ。そうじゃないって、言わなきゃ。きっと和田シュンヤは傷付いた。フユが拒絶したって、勘違いしている。


 でも足が止められなかった。どこまでも、どこまでも。逃げたって、何も変わりはしないってっているのに。フユは必死で、逃げ続けた。誰から? それはいつだってフユのすぐ隣にいて、フユのことをあざ笑っている。


 フユ、お前は普通じゃない。血塗られた『銀の鍵』なんだって。


 ヒナ、助けて。フユの可能性。フユの光。輝き。



 ヒナ!




 陽が長くなった、と思う。ついこの間までは、この時間なら真っ暗だったはずだ。コンビニのあかりは、いつだって明るく夜を照らし出してくれる。いつだったか、ここで因幡を見かけたことがあった。あの頃は因幡のことを考えてこんな気持ちになるなんて、想像もしていなかった。


 コンビニの前、駐車場の縁石にシュンヤは独りで腰を下ろしていた。学校帰りの学生や、家路を急ぐサラリーマンがその前を通り過ぎていく。シュンヤは焦点の合っていない目で、ぼんやりとその人の列を見送っていた。


 見知らぬカップルが、寄り添って腕を組んで歩いていた。男も女も笑っている。幸せそうだ。胸の中が、もやもやとしてきた。どうしてこんな気持ちになるのだろう。シュンヤとは何の関係もない、縁もゆかりもない世界の話でしかないというのに。


 なんで――ほんの少し触れたただけのてのひらが、とても熱く感じられるのだろう。


「よ、遅くなった」


 制服姿の朝倉が、ぶらぶらと歩み寄ってきた。宮下は一緒じゃない。気を遣ってくれたのか。こういうところは、信用できる奴だと思っている。だから、朝倉だけにメッセージを送った。

 悔しいけど、この件に関しては朝倉の方が大先輩だった。シュンヤにはまるで理解の及ばない、未知の領域での出来事だ。


 とりあえず肉まんを買ってきて、朝倉はそれにかぶりついた。部活を始めてから、腹が減って仕方がないということだ。その話を曙川にしたら、厳密なカロリーコントロールをされそうになって慌てて誤魔化したらしい。世話を焼いてくれるのは嬉しいが、買い食いの自由まで奪われてしまってはたまったものではないだろう。


「朝倉はさ、どうやって曙川のことを大事にしているんだ?」


 聞きたいことを言葉にするのが、難しい。シュンヤの周りにいるカップルと言えば、朝倉と曙川だ。相談をするなら朝倉、という選択においては間違いはないとは思う。問題は、何をどう質問するべきなのかが全くまとまらないということだった。


「ヒナか。まあ、大事にはしているつもり、なんだよな」


 朝倉は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。普段ならこんな話題を振っても、適当にはぐらかされるのが常だ。今日はいつもとは違う。シュンヤの真剣な様子を察してくれたのだろうか。それならとても有り難い。シュンヤは今、どうしても知りたかった。


 どうして朝倉にできることが、シュンヤにはできないのかを。


「見てれば判ると思うけど、あいつちょっと俺のこと好きすぎでさ。その気持ち自体はすごく嬉しくても、放っておくと何をしでかすか判らないんだ」


 その通りだ。曙川の朝倉への入れ込みっぷりは半端ではない。人生レベルでのパートナーとして、朝倉の隣の位置を完全に占めている。それを誰かに譲るつもりは、さらさらなさそうだった。曙川くらい可愛い女子にそこまで好かれるのなら、男冥利に尽きるのではなかろうか。宮下ではないが、朝倉は曙川のその気持ちに乗っかってしまえば、自分の欲求を満たすために何だって言って聞かせることが可能だろう。


「別に俺は禁欲的でも何でもないよ。ヒナとはまあ、いつかはそうなる。いつかってだけで、興味がない訳じゃない」


 正直に胸のうち吐露とろする朝倉の顔は、なんだか幼い子供みたいだった。シュンヤは黙って朝倉の言葉を噛み締めた。そうだな。朝倉の方も、曙川に負けないくらいには「好き」という気持ちを持っているのだ。


 ならば、何故?


「ただ、ヒナにはいつも笑っていてほしいんだ。学校で、教室で、部活で。俺の好きなヒナは、どこにいても明るく笑ってる」


 図書室のカウンターで静かにたたずんで、微笑んでいる。持っている本を閉じて、ゆっくりと振り向く。おっとりとしていて、あまり急いでいるところを見たことがない。はかなくて。強い風が吹けば飛ばされてしまいそうで。

 その手をつかんで、留めておきたいとまで思ってしまう。


「そんなのは、俺が勝手に考えているヒナらしさ、でしかないんだろうけどさ。それでも、俺はヒナにそうあってほしいんだ」


 朝倉が言わんとしていることが、シュンヤには痛いほど理解できた。そういうことだ。らしくあってほしいと願うから、それを壊したくない、守りたいと思える。朝倉の好きな曙川は、そういう曙川なのだ。そして――


 シュンヤの好きな因幡フユは、そんな女の子だった。


『私は多分、和田君が考えているようなどんな女の子でもないから』


 因幡は先に、シュンヤに答えを与えておいてくれていた。シュンヤはきっと、因幡のことを何も判っていない。ただぼんやりと、離れた場所から眺めていただけだ。か弱い見てくれに惑わされて、その本質を、中身をまるで知ろうとしていなかった。


 シュンヤは、因幡フユのことを何もらない。

 同じ場所で、同じ時間をどれだけ共有していたのだとしても。シュンヤにとって因幡フユは、図書室にいる線の細い女の子、以上の情報を持たない存在だった。

 誕生日は知っている。血液型も知っている。クラスも、出席番号も。体育を休みがちなことも。得意な教科が古典であることも。からいものがちょっと苦手で、好き嫌いは基本的にないことも。宮屋敷みややしきとかいう財団の支援を受けて、一人暮らしをしていることだって知っている。


 でも……そんな情報がいくらあったって、『因幡フユ』のことを判っているだなんて何も言えなかった。


「朝倉、俺さ――」


 因幡フユは、本当はどんな女の子なんだろう?

 シュンヤの知らない因幡フユは、まだまだ沢山ある。


「ん? なんだ?」


 朝倉はきっと、曙川のことを知らない。「知らない」ことを、ちゃんと理解している。だから自分の理想と重ねて、現実の曙川とぶつけ合っている。一致したり、外したり。それを繰り返すことを、楽しいと感じている。


 そうか。


「俺、好きな子がいるんだ」


 因幡フユのことを、知りたい。


 新しい因幡フユを見つける度に。驚いたり。喜んだり。時にはガッカリしたり。そんなことの連続を、お互いに共有したい。

 因幡フユだって、きっとシュンヤのことを判っていない。和田シュンヤという人間を、因幡フユに理解してもらいたい。静かなだけじゃなくて、もっと胸の奥深くにあるざわついた感情の塊も含めて。


「俺、その子のことを傷付けちゃったかもしれない」


 それが、合わないことだってある。思いがけずに出くわして、引いてしまったりもするだろう。そんな時に、どうすれば良いのだろうか。シュンヤは因幡フユの、何に触れてしまったのだろうか。


 理解できた。



 ――これが、恋だ



「朝倉、俺、どうしたらいいだろう?」


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