8:『一度ぎつね』
カントリーロード・8
『一度ぎつね』
ハンバーガーの包み紙で、紙ヒコーキをこさえて飛ばした。
「うわー、あんな遠くまで……」
紙ヒコーキには、ゴルフで言えばイーグルぐらいの確率で視界没というのがある。ずっと真っ直ぐ飛んでいって、見えなくなるほど遠くへ飛んでいくことをいう。
わたしは、たまたま、包み紙がソースやパテの汁で汚れていなかったことと、模様がなんとなく紙ヒコーキにイケテルような気がして、この峠から飛ばしてみたい気持ちになった。
「え……?」
思わず声が出た。紙ヒコーキは、高さ三メートルぐらいのところまで降りていったかと思うと、急に消えた。
落ちたわけではない。そこまで視力は悪くない。イケメンをチラ見していたわけでもない。だって、峠にはわたし一人しか居なかったんだから。
念のため、スマホで撮っていた動画を再生してみた……やっぱ、途中で消えている。
面白くなってきた。わたしは、こういう不思議に出会うと怖がるよりも、面白がってしまう。
ま、そういう神経してないとバックパック一つの旅なんて、とてもできない。
峠を下ると一本道で、バス停に繋がっているはずだ、スマホのナビもそう言っている。
ところが、その一本道が、崖崩れで塞がっていた。ナビも、こんな田舎道の崖崩れまでは教えてくれない。
仕方なく、わたしは路肩を降りて迂回できるところまで降りてみることにした。ナビで見る限り、この下は休耕田だ。少し足許は悪いが、この夏空の下。土はカラカラに乾いている。思わぬ水たまりにはまることなんか無いだろう……。
「なんだ、こりゃ……」
路肩を降りきると、目の前に川が流れていた。ナビは、あいかわらず休耕田であることを示している。
水はきれいだった。流れも緩いし、川底が透けて見えるほどの浅さだった。
「ここを渡れば、バス停一つ分は稼げるな」
そう思って靴を脱ぎ、バックパックにくくりつけ、川に足を入れた。
「ああ、なんちゅう程よい冷たさ!」
夏の日差しに照らされて、足は爽快だった。Gパンは太もものところまで巻き上げた。これなら……。
大丈夫ではなかった。見かけによらず、深くなっているところがあり、ほとんど股の付け根まで濡れてしまった。
「あちゃー……」
這々の体で、わたしは川の中州まで来た。まだ川は半分残っている。
さっき、はまったところに石を投げてみる……ボチャンと音がした。
「光の屈折だな、じゃ、こっちは……」
反対側に石を投げると、ドボンという音がした。
「だめだ、もっと深いよ……」
他にも何カ所か石を投げたが、どこもドボンだ。
小学校のとき、先生が水に慣れさせるため、二キロの鉄アレーをいくつかプ-ルに投げ込んだことがある。
この川の深さは、まさに、そのプールと同じドボンなのだ。
「こりゃ、首の下ぐらいはありそうだなあ……」
わたしは、もと来た道と、残りの道を思い比べた。
「戻るは、無しだね」
わたしは決心した。ジーパンもTシャツも脱いで防水のバックパックに入れた……でも、ためらわれた。
向こうに渡ると小薮一つ越して、ちょっと行ったらバス停だ。濡れたパンツやブラの上から着たら、なんだかね……。
で、わたしは決心した。もう帰ることにしていたので、換えの下着はない。これを濡らすわけにはいかない。
で、二回半周りを警戒したあと、ブラを外して、おパンツを脱いだ。なんちゅうアラレモナイ姿だ。
人目のないのは確認していたが、やはり胸と前は隠してしまう。
「あ~、気持ちいい……!」
足だけ漬けていてあんなに気持ちよかったのだ、裸の全身で感じる爽快感は例えようもなく。わたしは、ゆっくり、平泳ぎで、向こう岸まで泳いだ。
急いで、小薮に入ると、虫除けスプレーを撒いて体を拭いた、水に濡れた毛先を拭こうとして首を捻って、タマゲタ。
目の前に……零戦がいた。
父が好きだったんで、わたしも自然に覚えた、
「五十二型だ」
排気管に特徴があって、すぐにわかった。尾翼に片仮名の「ヨ」横浜鎮守府……お父さんのタミヤのプラモといっしょ。
わたしは、自分のナリも忘れて、機体の周りを一周した。
「あ……」
キャノピーのガラスに映る自分の姿で、状況に気づいた。幸い人の気配は無かったので、急いで一式のものを身につけた。
安心すると、再び興味は零戦に向かった。けして新品ではない。濃緑色の塗装はあちこち剥げて、いかにも最前線の零戦だ。お父さんが、やっていたのと同じウェザリング効果満点。
「映画か、なんかで使ったレプリカだろうな……」
そう思って、コクピットを覗き込んだ。
「かんぺきい……」
そう呟いたころには、わたしはコクピットに収まっていた。
「ううん、いいものメッケ!」
その言葉が合図であったかのようにエンジンがかかり、プロペラが回り始めた!
「え、ええ……!?」
目の前の薮がさっと開けたかと思うと、零戦は滑走し始めた。そして、砂利道を二百メートルほど行ったかと思うと、零戦は上昇した。下を見るとバス停が見えた……で、わたしが渡った川も道を塞いでいた土砂崩れも無くなっていた。
「うわー!」
初めて一人で乗る飛行機、それも零戦。その性能を遺憾なく発揮して、わたしに景色を堪能させてくれた。
十分ほど飛ぶと駅が見えてきた。
零戦は、駅の手前三百メートルの脇道に見事に着陸した。不思議に爆音が軽自動車並みになった。だれも、ここに零戦が降りてきたことには気づいていない。
ちょっと惜しい気持ちで降りると、信楽焼のタヌキが待っていた。
「ごめんね、驚かせてばっかりで」
信楽焼のタヌキが喋った!
「オネエサンが投げた紙ヒコーキが気に入っちゃってさ」
「き、キミが?」
「ううん……」
タヌキは、零戦を見上げた。
「ゴンージイチャンだよ」
「ゴンージイチャン?」
「うん、このあたりじゃ、一番のお年寄り半分ボケてんだけどね」
零戦の前に、急に映像が映った。
「あ、ここ、これは!?」
わたしがスッポンポンで、休耕田を気持ちよさそうに泳いでいる姿や、零戦の周りを歩いている姿が、映っていた」
「まだ、今日は少しまともだよ」
「ど、どうしてまともなのよ! わたしのことさんざんもてあそんで、こんな恥ずかしいことさせといて!」
「だって、ちゃんと大事なとこはモザイクかけてる」
「で、でもね。オリジナルは持ってるってことでしょ!」
「ゴンジイチャンは、戦時中これに化けて、アメリカの飛行機をキリキリ舞いさせてたんだ。薮に突っこませたり、抱いた爆弾をヘリウムガスの入った風船にしたり。人は殺さなかったって、みんな捕虜になってたけどね」
「その思い出を、今頃……」
「去年、ボクのお祖父ちゃんが亡くなってから、ボケがひどくなってきちゃって。で、ボクが付いてんの」
「そうなんだ……でも、楽しかったわよ」
「ほんと!?」
「うん、あの動画さえなんとかしてくれたらね」
「だいじょうぶ、ボクが責任持って……よかったら、ゴンジイチャンの耳元で言ってあげて。耳遠いんだ」
わたしは、エンジンの側まで行って叫んだ。
「ありがとう、楽しかった!」
そう言うと、エンジンが再び回り始め、子ダヌキを乗せると、今度は、辺り構わぬ爆音をたてて、飛び立った、駅の上を二度旋回すると、大きくバンクして、山の方に飛び去った。
――ゴンジイチャンは一回しか化かさないから!――
子ダヌキの声が直接、心に響いてきた。
その後、あのあたりでは、飛んでる零戦や、休耕田を泳ぐ裸の女の姿が見受けられた、子ダヌキもゴンジイチャンのボケには完全には対応できないようだった。
で、秋のはじめ頃、空の高みに登っていく零戦が目撃されたあと、そういう怪異はピタッと起きなくなった。
一つの季節が終わったような気がした……。




