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6:『紀伊国坂』

カントリーロード・6

『紀伊国坂』       



 薔薇から紫陽花に替わろうかという季節に、J大学の友人に会うため、わたしは赤坂見附から堀端の道を歩いていた。


 世に言う『紀伊国坂』である。


 昔は、堀端の狭い坂道であったそうだが、今では片側三車線の立派な舗装道路が走り、一見立派そうだが、夜になると、車の通りもまばらになり、歩道を歩く人はめったにいない。歩道の幅は、大人二人が手を繋いで歩けそうなくらいの幅があるが、植え込みが背の高さほどあるようなところもあり、伝統とシュールを混ぜ合わせたような不気味さである。


 わたしは、友だちに借りたJ大学の本と、お礼の人形焼きを紙バッグに入れて、北側の堀端を街灯の灯りを拾うようにして坂を登っていた。

 坂の中途ぐらいのところで、半ば植え込みに溶け込むようにして、女子高生がうずくまっていた。肩が震えているところを見ると、尋常な様子ではない。


「どうしたの、こんな時間に……」


 わたしの声に、その子はビクッとして泣きやんだ。しかし、こちらを向いて答える様子がない。

 これが、渋谷あたりだったら、わたしだって何も言わない。よっぽどのことがない限り放っておくだろう。

 女子高生といっても、赤っぽいチェックの制服スカートを短く穿いて、紺のハイソにゾロっとしたねずみ色のカーディガン、斜め後ろから見てさえ、ネクタイはルーズなユルユルで、ブラウスの第二ボタンまで外して、黒のタンクトップから胸の谷間が覗いていた。

「ねえ、黙っていたって分からないでしょ。事情を説明しなさいよ」

「…………」

「渋谷あたりで声かけられて、ひょこひょこ車に乗せられたら、その……ややこしいことになって、置き去りにされたとか?」

 風体から見て、この子に一番ありがちで、関わると、もっともこじれそうな予想を言った。

「そんなことだったら、運が悪いだけで、こんなに困ったりしないわよ」

 後ろ姿が、やっと口をきいた。思いの外クセのない素直な声と話しぶりだった。少し安心した。

「池袋に居たことは確かだけど……いつものことだし……でも、こんなことになるなんて!」

 なにかのフラッシュバックだろう、少女は激しく泣き始めた。また、振り出しだ。

「もう、泣いてばっかいないで、こっち向きなさいよ!」

 少しいらついていたわたしは、力が入りすぎたんだろう、少女は、簡単に仰向けにひっくりかえった。

 そして、わたしは笑ってしまった。


「ハハハ、なんだ、ただのノッペラボーじゃないの」


 少女の顔の輪郭は、華奢な小顔で、まっとうなパーツを付ければ可愛い顔になると思った。しかし、ただのノッペラボーである。面白いことも何にもない。

「なによ、人の不幸を笑って!」

「はいはい。でもね、世の中は、わたしみたいな人間ばかりじゃないから、あんまり人を脅かすんじゃないわよ。じゃあね」

 わたしは、後ろ手を挙げて立ち去ろうとした。

「お願いだから、なんとかしてよ!」

 ノッペラボーがジタンダ踏んで泣き叫んだ。

「あなた……紀伊国坂のムジナさんじゃないの?」

「違うってば!」

「じゃ……」

「…………それが分かんないの」

「どういうこと?」


 そのときタクシーが車道を制限速度を五キロオーバーぐらいで走っていった。そのあと、余計に静寂が際だった。


「道玄坂歩いてたら、みんながヒソヒソいうのよね、話の中身までは分かんないけど。中には感心したようにシャメっていく人もいたりして、ちょっと得意だったの。わたしってAHBの小野寺純に似てる……って言われてて、それっぽくメイクして、よく遊んでたの。で、今日は、よっぽど出来がいいのかなって、ウィンドウを見たの……そしたら、そしたら、ノッペラボーになってしまっていて」

「それって……」

「悲鳴あげたら、みんながサーって引いてちゃって、わたし夢中で走ったの、一応マスクして前髪下ろして、タクシー止めて乗ったの」

「そうしたら、途中で帰り道も、自分が誰だったかも忘れちゃったんでしょ!?」

「……どうして、分かるの、オネーサン?」

「たまに居るのそういう子。紀伊国坂症候群」

「え……病気?」

「いや、現象」

「現象?」

「あなた、携帯のアドレスや履歴も全部消えてたでしょ」

「うん、財布の中のカードとか、名前とか学校とか分かりそうなもの、みんな探したんだけど……そしたら、タクシーの運ちゃんに不審がられて、で、言ったの。怪しいもんじゃないの、わたしは、わたしは……でも、何も頭から出てこなくて、運ちゃんの口から悲鳴が出て、ここで降ろされたの」

「仕方ないなあ……これ、食べて」

「え、人形焼き?」

「あなたは、まだ初期段階だから少しで効くわ」


 その子は三つ食べて、顔のパーツが現れ、四つ食べて記憶が戻った。


「渡辺由衣、都立A高校二年住所は、練馬区……」

 少女はほとばしるように、自分の個人情報を喋った。生まれて初めて自分が自分であることが嬉しいように。

「確かに、小野寺純に似てるけど、あの子、整形三回だからね。これからは、あんまし似てること自慢にしない。渡辺由衣は渡辺由衣」

「はい!」

「それから、そのステレオタイプの女子高生スタイル」

 指を鳴らしてやると、スカート丈もまともになり、カバンの中から上着が出てきて、少女を捕獲するように身を包み、ネクタイもしゃっきり、ネールカラーも吹き飛ばし、タンクトップの黒い色も抜いてやった。

「ちょ、ちょっと、急にカバン重くなったんですけど」

「あなたのおき勉全部詰めたから。それから、これはいただいとくわ」

 化粧品やら、ビューラーを取り上げた。


「やあ、どうも、お世話になりました」

 スマホで呼び出した父親は、近くの○○省の局長だった。よく見ると絆が切れていたので堅結びにしておいてやった。

「え、今のなに?」

「オネーサンの最後のお呪い」


 車を見送ったわたしは、ため息をついた。これで、友だちに持っていく人形焼きは六個に減った。研究バカ……リやっている友だちは、わたしが友だちであること以外はみんな忘れてしまっている、六個じゃ焼け石に水。なんとか自分の名前ぐらいは思い出すか……借りた本は『まどか 乃木坂学院演劇部物語』というラノベと変えてある。これを読めば少しは症状は緩和されるだろう。


 気の早い梅雨の前触れが降り始めてきた……。



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