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宝石

作者:

こんにちは。青藤燦と申します。


百万本のバラから着想を得まして、書いたものです。

見つめているだけの恋というのも、美しく感じます。


つたない文章ではございますが、どうぞお楽しみください。

ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん。


蛇口から零れる雫がタイルに跳ね返る。


放課後の学校は静かで、どこか寂しげだ。

窓の外では、しとしとと、雨が降っている。

奏太はそれを眺めながら、はぁ、と大きく溜息をついた。


残念ながら傘を持って来ていない。天気予報では曇りだと言っていたのに。


誰かの置き傘でも借りようかと昇降口に向かうと、靴を履き替えている女生徒がいた。

その横顔を見た瞬間、奏太の心臓は跳ね上がった。


同じクラスの女の子である。


長い黒髪に細長い手足。

憂いを帯びた瞳がとても魅力的で。気付けばいつも目で追ってしまっていた。

彼女は外に向かいながら、鞄の中をごそごそと探っている。

そして、はっとした顔の後、困ったように眉を寄せた。


恐らく傘を忘れたのだろう。


奏太にもそれはわかった。

しかし、自分も持っていないのだ。奏太はその場に佇んで、彼女の背中を見ていることしか出来なかった。


昇降口の庇からポツポツ雨粒が垂れている。

彼女から白い息が零れた。鼻歌に合わせて体が揺れる。

動き一つ一つが分かるのに、触れられない。


あぁ、早く止まないかなぁ。


そんなことを考えているのだろうか。

彼女は庇の下でぼんやりと空を眺めている。


声を掛けてみようか、いや、でも、気持ち悪がられるかも……

出そうとしては引っ込め、奏太の足は地面にくっつけられているかのように動かなかった。


しばらくすると、足音が聞こえてきた。誰かがこちらに来るようだ。

奏太は咄嗟に靴箱の裏へ隠れた。


足音の主は隣のクラスの男子生徒だ。

彼は、彼女に気付くと、親しげに声を掛けた。

振り返った彼女の顔を、やっぱり綺麗だと、奏太は思った。


彼らがいくらか言葉を交わした後、バサッという音がした。

奏太がそっと覗き見ると、彼女が傘の下に入っている。

二人はそのまま、雨の中に消えてしまった。


後に残るのは、ひんやりとした静寂だ。奏太は本日二度目の大きな溜息を吐いた。


「浮かない顔ね」


顔を上げると、金髪の少女がいた。

長い髪を頭の下の方で二つに結っている。奏太は顔に見覚えがあった。


アリス・ハンソン。

外国からの転校生で、かわいい外人さんがやって来たと、初日から大騒ぎであった。

流暢な日本語と、何より、その美しい金髪と碧眼が、周りを惹きつけた。

しかし、彼女は必要以上に人と話すことが無く、話の内容は決まって業務内容だけ。

それ故、皆遠くから眺めるだけで、声を掛けることは無くなってしまった。


そんな彼女が、大きな目を爛々と輝かせながら、にやりと笑っている。


「いつもこんな顔だよ? それじゃ……」


奏太は嫌な予感がして、さっさとその場を離れようとした。


「どこへ行くつもり?」


「どこって……帰るんだけど……」


奏太がもう一度アリスの方に振り向くと、彼女はにっこりと笑った。

流石、騒ぎになるだけのことはある。本当に可愛らしい顔である。奏太は冷や汗が止まらなかった。


「あなたの家ってそっちなの?」


奏太は質問の意図が分からず、首を傾げた。


「そっちっていうか、校舎から出る時はここ通るじゃん」


「へぇ……ここから出たら死んじゃうと思うけど」


「へ?」


ぶわっと風が吹く。あまりに強いので、奏太は思わず体をちぢこめた。

暖かい風だ。しかし、爽やかなものでは無く、じめっとしている。

雨が降っているからだろうかと、奏太が外を見ると、


「え……えええええ!?」


雨など降っていなかった。それどころか、ここは校舎でも何でも無い。


信じられないことに、奏太は、いつの間にか洞窟の中にいた。

そして、洞窟の入り口で待ち受けていたのは、何かの大きな口だったのだ。

入り口を完全に塞いでしまっている。

鋭い歯と長い舌。奏太は恐怖を感じて、また、驚きすぎて腰が抜けてしまった。


「大丈夫よ。こっちには入って来れないようにしてあるから」


そういう問題ではない。


アリスの穏やかな声に突っ込みを入れたくなった。


口が洞窟から離れていく。

怪物の全体が見えてきた。大きなうす水色の毛を持つ狼だ。

おそらくこういう状況で無ければ綺麗だと思える類いのものだろう。


「冬の狼、フェンリルよ。かわいいでしょ?」


 どこがだ。


 フェンリルは、灰色の目をギラギラさせながら、もう一度洞窟の中に入ろうと勢いをつけて迫ってきた。


「中々しつこいわね……」


 アリスは右腕をスッと前に出すと、息を吐く滑らかさで呪文を詠唱した。


「凍れ」


 アリスが唱えると同時にフェンリルは足の方から凍っていき、瞬く間に氷漬けになってしまった。


「すごい……」


「さ、行きましょうか」


「へ?」


 アリスは得意げに鼻を鳴らしながら、奏太に手を差し伸べた。


「ほら、立って」


「いや、あの」


「ああ、腰が抜けてるのね。はい」


「うわ!」


 彼女が指を一振りすると、奏太の足は勝手に動き出した。


「これで大丈夫ね。これから、もっとすごいものを見せてあげるわ」


アリスが意気揚々と洞窟から出る。

その様を、奏太は呆然とした顔で見つめていたが、一人でここに止まっているわけにもいかない。

彼女の後に続いた。


洞窟の外の景色は、今までの出来事を忘れるほど、奏太を驚愕させた。


眼前には深く果てしない谷が、奥には連なる山々が聳え立っている。

辺りは一面雪景色で、奏太は寒さが感じられないのを不思議に思った。


「今は魔法で守ってるから、学校の校舎と同じくらいの気温に感じられてると思うけど、

ここ、マイナスの世界だから。私から離れないように気をつけてね」


奏太は、すぐ近くで氷漬けになっているフェンリルを横目に、

アリスに離されないよう小走りで後を追う。


地面はすっかり雪で覆われており、足で踏みしめると、きゅっきゅっと音が鳴った。

奏太の地元には、雪がほとんど降らない。少し楽しくなり、彼は何度も足踏みした。


「あ、そこらへん、雪の重みで多分地盤がゆ……」


「え」


 アリスが声を掛けた瞬間、奏太が立っていた所が丸々崩れ、谷底へ吸い込まれていく。


「うわあああああああ!!!」


奏太は死を覚悟して目を瞑った。


「…………あれ?」


 しばらくしても何も起こらないので、恐る恐る目を開けると、アリスがくすくす笑っている。


「大丈夫よ。守ってるって言ったでしょ?」


 見ると、奏太は宙に浮かんでいた。眼下の谷底にはバシャンという音が響いている。

崩れた雪が底に辿り着いたのだろう。

それにしても、音が鳴るまでの時間を考えると、どれだけ深いか良く分かる。


「早く、早く地面の方に、頼むから」


「はいはい」


 アリスが手招きすると、それに応じるように奏太の体が引き寄せられ、そっと地面に下ろされた。


「はぁ……怖かった……」


 アリスはずっと笑っている。


「笑いすぎ」


「だって、面白くて」


「そんなに人が怖がってるの面白い?」


 拗ねた様な目でアリスを見る。それがまた面白かったらしく、彼女は口を開けて笑った。


「よくそんなにコロコロ表情が変わるわね。とっても似てる」


「誰にさ?」


 アリスはハッとした顔をした後、俯き、そのまま歩き出してしまった。


「え、おい、ちょっと」


 奏太は戸惑いつつも、急いで追いかけた。


しばらく、アリスは一言も話さなかった。崩れかけの道を進みながら、何かを考えているようだった。奏太は、今の状況について聞くタイミングを逃してしまった。


「あの、アリスさん……?」


「アリスでいいわよ。私も奏太って呼ぶから」


「じゃあ、アリス? 何か怒ってる?」


「え?」


 アリスはきょとんとした顔で振り向く。そこには、イライラしている様子は見られない。


「いや、ずっと黙ってるし。俺、何かしたかなって」


「ああ……ごめんなさい。色々思い出してボーっとしてたわ」


ザッザッザッザと坂道を登っていく。速度は一定で、まるでメトロノームのようだ。

結局また無言になってしまい、奏太はどうしたら良いのか分からなかった。


ごそごそと動く感触がして、足元を見ると、真っ白な生物がいた。

姿形はモグラなのだが、毛が真っ白だ。

アリスは雪モグラとでも呼ぶのだろうなぁと思い、奏太がしゃがむと、

ぽこぽこと周りからいっぱい出てきた。


あ、やばい気がする。


時既に遅し。多くの穴に囲まれた地面はそのまま抜け落ちた。


「奏太?」


アリスが振り返ると、もう彼の姿は無く、雪モグラが目をクリクリさせて彼女を見ていた。




今日は本当に落ちる日だなと、奏太はしみじみ思った。


奏太の立っていた地面の下は、雪モグラが掘り進めていた穴だったらしく、

なだらかな滑り台のようになっていた。

それは良かったのだが、奏太が一番気になったのは、穴の大きさである。

彼が立った時と同じくらいの高さがあるのだ。

あの小さな雪モグラ達に、この大きさが必要だとは思えなかった。


しばらくすると、奏太の目の前に大きな空洞が現れた。穴の終点だ。

どこかしらから光が差しているようで、真っ暗ではない。

奥に何か大きなものがいることが見て取れた。

奏太はそろりそろりと動いたが、鼻がいいようである。奏太の方へ、のしのし歩いてきた。


「わぁあああごめんなさい!!!」


雪モグラをそのまま大きくしたような外見で、立つと五メートルを超えそうだ。

奏太は手で頭を覆った。


「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。何なのか確かめてるだけだから」


奏太は手に温もりを感じた。

雪モグラの鼻先がくっついている。くんくんと匂いを嗅いでいるようだ。


「雪モグラは気性が穏やかだから、こっちが何もしなければ襲ってこないわ」


「アリス……いつの間に……」


彼女は箒に乗って、ふわふわ宙に浮かんでいる。


「あなたの後を追ってたんだけど、気付かなかった?」


「これから起こるであろう事を想像して対策を練るのに必死だったから」


「何それ」


雪モグラは満足したのか、また元の場所に戻っていった。

アリスが手を差し出す。


「はい、行きましょう」


「うん」


彼女の手を取ると、奏太の体は羽根の様に浮かんだ。


「このまま目的地まで行きましょうか」


「最初からそうしてくれれば……」


「それじゃあ面白くないでしょ?」


「言うと思った……」


奏太は彼女の後ろに乗った。

箒は奏太達が来た穴を戻っていく。風が凄まじく奏太は目を開けていられなかった。

光を感じて瞼を上げると、雪道が下の方で霞んでいる。


「た、高い高い!」


「どう? 空気がおいしいでしょ」


奏太は前だけ見つめることにした。


「うわ……」


意識していなかったので何とも思っていなかったが、やはりここは異空間と呼ばれる所なのだろう。

山と山の間から光が差し込み、雪がキラキラと輝いている。

空を飛び交う生物達は、見たことがないものばかりだ。


「綺麗でしょう。ここの眺めがとても好きなの」


アリスは碧の瞳に光を映しながら、満足そうに微笑んでいる。


「見せたかったのってこれ?」


「一つは、ね。でも、もう一個あるの」


すぅっと箒が下降していく。下には湖が広がっていた。アリスはその真ん中に降り立った。


「ここよ。綺麗でしょう」


奏太は声が出なかった。


広がる湖はあまりにも大きくて、海のように見えた。

下は凍っているようだが、薄く水が張っているようだ。

不思議なことに凍っていない。

鏡のようになっていて、奏太は、空に落ちてしまいそうだと思った。


「ここが二つ目。綺麗な所だから、気に入ると思って。私が師匠に初めて連れて来てもらったのもここだったの」


「アリスはどこから来たんだ?」


「そうね……色んな世界を渡り歩いてるって言って、信じる?」


「まぁ……今の状況から考えると、有り得なくないかなって思うけど」


 アリスは水面に波紋を広げながら歩いて行く。その後に続いて、奏太も波紋を広げていく。


「どうして魔法使いになったんだ?」


「どうして……何でだろうね」


 空を見上げながら、金の髪を揺らす。


「元はロンドン近くの村で畑の手入れとかしてたんだけど……十四歳の時、魔法使いに出会ったの」



「お前は、魔法使いになれる。どうする? 今の生活全てを捨てて、魔法使いになるか?」

 


「そう言われて、頷いちゃった。もう何年も前の事だけど。その人が今の師匠って訳」


「何年もって……もしかして、アリスは同い年じゃないのか!?」


「そうだけど……言ってなかったっけ?」


 彼女は首を傾げる。


「聞いてない……」


「私、あんまり人と関わらないってのが基本だから、年とか気にしないのよ」


アリスはアハハと頭をかいた。

奏太は学校にいる時の彼女と別人みたいだと思った。

人との関わりを拒んできたため、人との付き合い方もわからなくなってしまったのかもしれない。


「どうして僕に声をかけたんだ?」


話を聞いて、奏太はますます疑問に思った。

何故、人と関わる事を拒んでいた彼女が、魔法使いであることを明かしてまで自分と関わろうとしたのか。


アリスは少し目を伏せた後、湖の向こう側を見つめた。

その姿はまるで、遠い昔を思い出しているようだった。


「私が声をかけた日、あの校舎の中で、あの風景が、尊くて、切なくて、どうしようもなく……美しいものに思えた」


金の髪が風に吹かれて揺れる。奏太は、彼女の後ろに小麦畑が見えた。

金の草原。それは彼女の故郷の風景である。

いつかの景色を、彼女は目に映しているのだろうか。


「だから……触れてみたいと思ったの。そんな美しい景色の一端に」


 微笑むアリスは、奏太が今まで見た中で一番穏やかな表情だった。つられて奏太も微笑んだ。


「迷惑だったかしら。ごめんなさい。でも……私は楽しかった」


アリスは思いっきり体を伸ばした。


「んーっ! 人と関わるのも偶にはいいかもね」


息を吐いて、彼女は奏太を見た。その顔を見た瞬間、彼は理解した。


「お別れ?」


彼女は少し困った様な顔をして頷く。


「もう少し遊んでたかったんだけどね。まぁ、私も色々忙しいから」


「そっか」


「じゃあ、バイバイ」


「うん、バイバイ」


奏太が応えると、アリスは不服そうに口をヘの字に曲げた。


「え、何でそんな不満そうなの」


「やけにあっさりしてるじゃない」


奏太が引き止めもせず、別れを受け入れていることが不服のようだ。


奏太は目を丸くした後、


「だって……また会えるでしょ?」


と言って、にっこりと笑った。


アリスは口を開けてしばらく固まった後、吹き出した。


「あははは! そうね、ええ、また会いましょう。また、いつか、どこかで」


何となく、これは叶わない約束なんだろうなと、奏太は思った。


「うん、また会えるから寂しくないよ。アリス、僕は君に会えて本当に良かった」


彼女は、今度は泣きそうな顔をして頷いた。


「いつか、ロンドンに来て。会える確率が上がるかもしれないわよ」


「じゃあ、修学旅行の行き先に入れてもらうよ」


「ふふ、奏太にそんな発言力があるとは思えないんだけど」


「がんばるよ」


がんばるから、と呟いて、奏太は目を瞑った。


そうしないと、悲しくなってしまいそうだった。寂しいはずがない。だって、また会えるから。


「私も……がんばるから。次はもっと、すごい世界を見せてあげるわ」


アリスの声が消えたと同時に、彼女の気配も風も全て消えてしまった。

奏太が目を開けると、そこにはいつもの風景が広がっていた。

机、椅子、黒板、いつも通りの教室だ。


明日からアリスは学校に来ない。彼女のことだから、手続きとかそこらへんは上手くやるのだろう。


奏太はしばらくボーっと自分の机に座ったまま、夢だったのかなと考えた。


空はまだ濁っていて、青空は見えない。

しかし、奏太の心の中には、確かに、彼女の見せてくれた世界が残っている。


何だかぽっかりと穴があいたようで、しばらくまともに動けそうになかった。

目を閉じると、今すぐにでも彼女に会えるのでは無いかと感じた。


『私もがんばるから』


彼女も今、がんばっている。だから、がんばれるはずだ。


奏太は立ち上がった。

そして、とりあえず、修学旅行先をロンドンにしてもらう方法を考えることにした。


彼女の見ている世界よりはちっぽけかもしれないが、自分の世界も悪くない。


あの景色をいつかの夢にして、今日を生きていこう。

そしたらきっと、また会えるから。

奏太は大きく伸びをして、もう一度空を見た。

雨は今にも止みそうで、雲間からうっすら光が差し込んでいた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


この魔法使いの不敵な感じが個人的に気に入ってます。


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