付喪神
今までとは違うジャンルで書きたかったので書いて見ました。不定期連載になりますがよろしくお願いします。
夕暮れ時の人通りの少ない道を1人の少女が駆け足で歩いていく。春がもうすぐ来ようかという時期だが日が暮れるとまだまだ寒さを感じる季節だ。長袖のセーターにスカートの少女は周りを気にしながらも早まる足を止めようとはしない。よく見れば右腕で左手の甲を押さえているようだ。汗が滲む額に髪が貼り付く。
「どうして………こんな事に」
疲労の見える顔からそんな呟きが漏れる段々と駆け足が遅くなっていき、遂には止まってしまう。それでも動こうと道の角を曲がろうとした時、向こうから人影が出てくる。必死になって避けようとするが疲れた少女の体では急な行動に耐え切れずその人影にぶつかってしまう。
「ぐはぁ⁈」
運悪く少女の肘が人影の鳩尾に当たってしまったようだ。人影はその場に蹲り息苦しそうに呻いている。自らの不注意とはいえ、人様に怪我をさせてしまった少女は相手に声を掛ける。
「すいません、不注意でした。大丈夫ですか?」
相手をよく見ると30代の男性だった。ひょろっとした背の高い男で180cmはあるのではないか?ただとても細く強い風でも吹けば飛んでしまいそうだ。目にかかるほどの髪は手入れされておらずボサボサで無精髭まで生やしているので浮浪者と間違えられても仕方がないだろう。厚手のコートも年代を感じさせるがそれ以上にこの季節には合いそうに無い。少女は男を浮浪者と思いその場を離れようと考える。
「いたたたた。大丈夫ですよ。こちらも不注意でした、すいませんね」
男は痛がりながらも立ち上がろうとする。思ったより若そうな声に少女は動揺するが今の現状を思い出し、足早に立ち去ろうとする。
「…おや?付喪神とは珍しい」
男の目が自分の左手の薬指を見ている事に気がつき動揺する。唖然とする少女を余所に男は体をはたきながら立ち上がり立ち去ろうとする。
「ねぇ!待って!」
無意識だろう。少女は男のコートを掴む。コートを掴まれた男はよろけるが泣きそうな少女の顔を見て、少し考えた後に少女に右手を差し出す。
「初めまして。嘉内 涼と言います。お嬢さんは何かお困りかな?」
得てして男は女の涙に弱いものである。
「私は早乙女 霞と言います。竜胆大学一年生です」
全国チェーンの喫茶店に入りお互いの自己紹介をしている。事案発生である。少女は左手の薬指にある指輪を見せながら何故この男に縋ったのかを説明する。
「実は祖母の形見となったこの指輪なんですが引き継いで3日後に知らないうちにこの指に嵌っていたんです。その後何度か外しても寝た後には元のように嵌っていて…捨てた事もありました。それでも戻って来るんです。私、もうどうしたら良いのか分からなくて…」
ハンカチを目に当て涙を拭う少女。そんな彼女を置いといて男は興味深げに左手の指輪をじっと見ている。心なしか機嫌の良い男を見て、少女はこの男を頼ったのを今更ながらに後悔してしまう。
「この指輪、付喪神となってからあんまり時間が経ってないね。お祖母さんがしていた時には妖怪化していなかったと考えて間違い無いね。お祖母さんはどんな仕事を昔していたのかな?」
指輪から目を離し少女に話し掛ける男。隠れている筈の目から強烈な視線を少女は感じてしまう。それ以上に付喪神だの妖怪だの言い出したこの男に少女は落胆しこの場を去る事にする。
「興味深い話ありがとうございました。ここの支払いは私が持たせてもらいます」
少女はそう言うと支払いの紙を取りレジへと向かう。
「そうだね。その方が君には良いかもね。見てしまうと《他のもの》まで呼んでしまう。気をつけると良いよ」
掛けられる言葉に少女は振り返るがそこには黙ってコーヒを啜る男がいるだけだ。少女はは走るようにレジに向かい採算を終えるとそのままアパートに戻ろうとする。店のガラス越しに見える男は未だコーヒを飲んでいる所だった。
アパートに帰って来た少女、霞は手荷物を置き台所でうがいをする。築20年以上の物件であるこの部屋はただ安いというだけで選んだものだ。父と母は難色を示したが霞自身はある程度くたびれたこの部屋を案外気に入っている。祖母が死に誰も居なくなったあの家に何処か似ているからであろう。両親が共働きの為、よく祖母の家に預けられていた事を今更ながらに思い出す。その祖母の形見である指輪が今この左手の薬指にあるのだが。
祖母の指輪を家の明かりにかざす。ありふれた銀の指輪だが模様がシダという植物なのだ。花のない只の草にしか見えなかった幼い頃の霞は祖母に良く理由を尋ねたものだ。そういう時、祖母は何時も笑いながらこう言ってくれた。
「これはね、お爺さんが手作りで私の為に作ってくれたものなんだよ。だからシダであっても何の文句も無いさ」
幼い頃の霞にはよく分からなかったが今なら祖父の手作りというだけでその愛情の深さが分かってしまう。そんな指輪が何故私から離れないのだろう。時を忘れ指輪を見ている霞にスマホの着信音が耳に響く。
「霞?今日はどうしたのさ?皆んな霞の事を心配してたよ?最近確かに霞の身の周りでおかしい事が多いけど皆んな霞を心配しているんだからね。明日の講義はちゃんと来るんだよ?」
一方的に喋り続けそれで満足したのか今度は彼氏の愚痴を言い始める親友。お節介な彼女の行動にどれだけ自分が大切に思われているか改めて感じ彼女の話に相槌を打ちながら夜が更けていく………
次の日の朝、目覚ましと共に起き朝食とお弁当を作りニュースを見ながら朝食を食べる。髪や身嗜みは最低限に抑え今日も一限目の講義に間に合うよう駅まで歩いて向かう。駅では人混みを出来るだけ避け、2つ向こうの駅に着くまで音楽をイヤホンで聴く。この時間が一番霞が好きな時間だ。流れる景色を見ながら春の訪れを感じ青い空を音楽を聴きながら見ている。
駅に着き電車から降りるとすぐそばに竜胆学園は見える。私立竜胆学園、全校数は2000人とこの辺では一番大きな大学だ。就職に趣を置くため、多くの資格の所得が大学の方針として認められている。霞も自分の就職の為この学校で資格を取る為に学んでいる毎日だ。
「おっはよー霞。今日も綺麗な髪で羨ましいわ」
手を振りながら霞の下まで走ってくる。会って早々霞の髪の毛をチェックする親友の深海 愛。ヘアサロンに就職する為にわざわざこの学校に通っているが見た目に反して身持ちが固い。合コンなどは霞と一緒に殆どパスをする有様だ。
「今日こそこの髪の毛を切らせてもらいたいな〜」
昔から愛は霞の髪の毛を弄りたがる。黒の何でもないストレートなのだが彼女にはそれが不満のようだ。慣れ親しんできた髪型なのでいつも断っている。それでも諦めないのが深海 愛という存在なのだ。
「そういや、この間二階から物が落ちて来た事件。あれってあの部屋には誰もいなかったんだって」
その話を聞くと霞の体は震えてしまう。一週間程前に愛と友人達の複数で通っていた場所に二階から大きな鉄のパイプが落ちて来たのだ。落ちてくるほんの少し前に霞は上から何か得体の知れない感覚を覚え上を見ると、落ちそうなパイプを見つけてしまい皆に逃げるように叫んだのだ。そのお陰で友達には誰一人怪我をした者はいなかったのである。
「あんな事が何度も起こるとは思わないけど愛も気をつけてね」
心配する霞に抱きつき何故か喜ぶ愛。これが彼女達のいつもの光景である。一限目の授業の為、別れると霞は講義のある場所に向かう。いつもの様に講堂に向かう霞であったが今日はいつもとは違った。
「ガシャッッン!」
霞の通る廊下の窓がいきなり割れる。割れたガラスが霞に向けて飛んで来た。何が起こっているか判断出来てない霞。ただガラスが自分を直撃する事しか今の霞には分からなかった。
「………リィン………」
小さな鈴の鳴るような音が霞には聞こえる。青々と茂る無数の葉が霞を包むとガラスの破片は霞を傷一つつける事なく周りへと散らばってしまう。霞は呆然と今あったことが理解できずその場に座り込むのであった。周りから悲鳴が聞こえ人々が逃げる音がする。そんな中で霞は先程自分を守ってくれた無数の葉が指輪に彫られているシダの葉だと気づきながら意識を失うのであった。
あれから霞は体調不良を理由に大学を早退した。先程あったような不思議な出来事が霞の周りで多発している。周りのみんなは気にしないと言ってくれるが霞自身が周りを巻き込みたくない為にこれ以上大学には居たくはなかった…帰り道駅からアパートに歩いて帰る途中、どうしてか指輪を見てもらった男の事を思い出してしまう。あの時自分はあの男を只の異常者だと決めつけてしまったが、本当はあの人の言うことが当たっていたのかも知れない。今になってそんな事を感じてしまう自分を霞はとても情けなく感じてしまうのだが、あの男と連絡を取ることも出来ない今、自分は自分で身を守らなくてはいけない事を痛感する。
「あの人何て名前だったかな?」
姿は憶えているのに名前は思い出せない。結局自分はあの男に全く期待していなかったんだと今更ながら気づいてしまう。
「おや、早乙女さん…でしたっけ?こんな所で会うとは」
もう会うことが無いと思っていた男が目の前にいる。あった時と変わらないボサボサの目にかかるほどの髪と無精髭、厚手のコート。手には食べかけのコロッケが持たれている。
「あぁ、すいません。そこで美味しいコロッケを売ってまして、いつも歩きながら食べてしまうんですよ」
あたふたと自分に言い訳をする男を見て、霞は不意に名前を思い出す。
「嘉内さん…でしたよね?」
不安になりながらも男の名前を呼んでみる。
「えぇ、そうです。…大変だったみたいですね。ご無事で何よりです」
霞の左手を見ながら安心したような声をかけてくれる嘉内に対して霞はこの人なら分かってくれるだろうかと考えてしまう。
「指輪の付喪神が疲労しているみたいですね。骨が薄くなってしまっている…」
嘉内は悲しそうな目で指輪を見ている。霞には彼が言った言葉がよく理解出来なかった。
「骨が薄い…どういう意味でしょうか?」
霞の表情を見て、嘉内は自分の失言に気がつく。どうしようかと迷う嘉内の表情を見て霞は彼に詳しい話を聞く為にある提案をする。
「よろしければ私のアパートで詳しい話をしてもらえないでしょうか?私はこの指輪に助けられたんだと思います。私にはこの指輪をちゃんと理解しないといけないとおもうんです」
彼女の決意を秘めた目に嘉内は優しく笑みを浮かべ頷く。
「そうだね。君にはこの指輪をもっと知らないといけないのかもしれない。お邪魔するとしよう」
こうして霞は父以外の男をアパートに入れる事になったのである。
「お邪魔しますね」
おどおどとアパートとの中に入ってくる嘉内を見ながらこれから聞くであろう今の自分の知らない世界に少しだけ興奮しながら嘉内を座らせ、お茶の用意をする。お茶と茶菓子を持って嘉内のいる部屋へと戻ると周りをチラチラと見る嘉内に女性への耐性の無さを感じ、思わずくすりと笑ってしまう。
「も、申し訳ありません。女性の部屋に入るなんて初めてなもので…」
顔を赤らめ下を向く嘉内に成る程と思いながらも自分もこの部屋に男を入れるのは親以外は初めてだった事に今更ながら気がつき霞自身も頰を赤く染めてしまう。
「そ、それでですね。先程の言葉はどういった意味なんでしょうか?」
変な空気に耐え切れず霞が無理矢理話を変えると、嘉内も本来の目的を思い出し真剣な顔で今回霞の身に起こった事を話し始める。
「早乙女さんには最初に会った時にお祖母さんの職業を聞きましたよね?あれは霊能力に関する職業に就いていたか確認したかったからなんです」
嘉内の話ぶりに霞は祖母の事を思い出す。仕事に忙しい両親の代わりに自分の面倒をよく見てくれた祖母からそのような話は一切聞かなかった事を嘉内に話す。この指輪は祖父の手作りである事ぐらいしか聞いたことがなかった事もつけくわえる。
「成る程、早乙女さんのお爺さんはお婆さんの事を本当に思っていたんですね…そういう事なら付喪神化した事も納得出来ます」
うんうんと頷く嘉内を尻目に霞には余計に分からない言葉が出て来た。不満気な霞の表情に自分の言葉が足らなかった事に気づいた嘉内は説明に戻る。
「付喪神と言うものはですね、長年大切に扱われて来た品に魂が宿り付喪神と言う生き物になった物を指します。本来ならそこまで大切にされても100年以上立たないと付喪神化などしないんですがお爺さんもかなりの職人さんだったんでしょうね。彫られたシダの葉の花言葉と合わせて付喪神化しやすい状態だったのでしょう」
嘉内の言葉に霞は驚いてしまう。祖父は確かに彫金と呼ばれる貴金属の加工をとても得意にしていた事を父からよく聞いていた。しかし物心つく頃には死んでいた祖父は霞にとってはただの祖母の夫という形でしか覚えていない。その祖父の事を自分より理解した嘉内に霞は恥ずかしさを覚えてしまったのである。そんな事に気づかない嘉内はその後も説明を続ける。
「シダの葉の花言葉は愛らしさ、誠実、そして魅惑という意味があったと思います。その内の愛らしさと誠実が付喪神化を早めたと自分は思いますね…ただ悪い意味で魅惑が他の妖怪を呼び寄せてしまったのかも知れません。ですがお婆さんにそのような事は無かったようですし…」
考え込む嘉内の横顔を見ながら祖父と祖母の恋愛事情を少しだけ知ってしまい内心で動揺してしまう霞。自分にとっては祖母という自分を守ってくれる存在が祖父にとってはかけがえのない愛する女性であった事に今更ながら気づいてしまった、そんな見てはいけないものを見てしまったような恥ずかしくも甘いような感じ…
「他に何か気になるような事はありませんか?早乙女さん」
「えっ⁈な、何でしょうか?」
嘉内に急に話を振られ、吃ってしまった霞は思わず嘉内の顔をまじまじと見つめてしまう。髪形や髭を剃ればそれなりの、いやかなりの美形かも知れない。背も高く少し細めだがよく見ると中々の男である事に気づいてしまった霞は、話が頭に入らず下を向いてしまった。
「いえ、付喪神がこれ程力を失うような出来事が無かったかなと思いまして」
嘉内の言葉に今日の出来事が霞の頭にフラッシュバックされる。そういえばあの時シダの葉が霞を守ってくれたように感じた。そうすると指輪は無理をして自分を守ってくれた事になる。思わず指輪を握りしめ、霞は今日会った出来事や最近の不可解な出来事を嘉内に全て話してしまう。
「成る程そのような事が…多分ですが妖怪の仕業でしょうね。連続で襲われるという事は向こうも焦っているのかも知れません」
嘉内の言葉に霞は恐怖を覚える。あの様な出来事がこれからも続くのか?いや、もっと酷くなり周りの人達まで巻き込んでしまうのではないか…そんな考えを持ってしまった霞は思わず嘉内に縋り付いてしまう。
「お願いです!嘉内さん。私を助けてください。私にはこんな出来事は嘉内さんにしか頼れそうな人がいないんです!」
藁にもすがる思いで嘉内に助けを求める。この指輪がいつまで自分を守ってくれるか分からない以上頼る人はこの人しかいない。そんな思いで嘉内に助けを求めるのだが、いきなり抱きつかれ涙を流す霞に嘉内はどうする事も出来ない。年頃の女性に抱きつかれるなど予想外の出来事に嘉内はただ動かないでいた。
「あの………早乙女さん?いきなり抱きつかれると僕としてはどうして良いやら…」
嘉内の虫の鳴き声のような小声に霞は我に返って嘉内からはなれる。ほっとした嘉内は霞に目を合わせられずに横を向いて話す。
「早乙女さんには悪いんですが僕では妖怪を相手にする言は出来ないんです。僕はただ妖怪などの未知の生き物の骨しか見れませんから…」
申し訳なさそうな嘉内の言葉に耳を疑う霞。そういえば嘉内はいつも骨という単語を使っていた。しかし、妖怪などの骨しか見えないという嘉内の力を聞いてしまうと自分はこれからどうしたら良いのか途方に暮れてしまう。そんな霞を見た嘉内はおもむろに携帯を取り出し何処かに電話をかけだした。しばらくすると繋がったようだが嘉内の様子が少しおかしい。
「はい。すいません、また妖怪絡みになりそうなんです…分かってますよ。僕が絡まれてた訳ではありません。女の子が被害に遭っているんですよ…何でそんな話になるんですか?違いますよ…そうですね。かなり危険な状態です…20時にご自宅に伺えばいいんですね?分かりました。ちゃんとコロッケは買って行きますから。では」
意味不明な会話を耳にしていた霞も嘉内が何か手を打ってくれたことだけは分かった感謝の言葉を出そうとしたがそれより先に嘉内からこれからの行動を口にされる。
「申し訳無いけど20時からの予定を空けておいてね。これから妖怪に関係する事で僕が知る第一人者に会う事にするから。後であのコロッケ屋さんにも寄らないと行けないな」
コロッケ屋さんがどう関係するのか知らないがどうやら自分が助かる道があると知り霞は涙を拭きながら嘉内にお礼を口にする。嘉内も満更ではなさそうにお礼を受け入れるがその顔を引き締めて霞に塩が無いか聞いてみる。
「塩…ですか?食塩ならありますけど…」
霞の不思議そうな顔にまぁまぁと言いながら嘉内は塩を受け取り、入ってきた玄関の扉、窓の近くに盛り塩を紙の上に盛っていく。盛り塩を盛られた紙には見たことのない文字が書かれていた。
「功刀さんに貰った護符だから大丈夫だとは思うんだけどな…」
心配げに盛り塩を見る嘉内に何をしているのか聞きたい霞であったがそれを知った所で何も出来ない自分の不甲斐なさを改めて感じ黙っておくことにする。仕事を終えた顔をした嘉内が霞の顔を見て慌てて説明するのはご愛嬌だ。
「これはね、盛り塩と言って本来なら悪霊や生き霊などが嫌う儀式なんだけど下に敷いた護符の力である程度未知の生物、所謂妖怪にも効くようになるんだ。これで暫くは大丈夫なはずだよ」
そう言って微笑む嘉内に霞は何故か安心してしまう。頼りなさそうな風貌なのにいつの間にか信じてしまえる嘉内に今は感謝するしか他にない。
「取り敢えずはここに留まるとしよう。今の僕達では何かあっても手の出しようが無いからね。功刀さんの所に行くまでは安全な場所にいた方が僕達が助かる可能性が高くなるからね。」
嘉内はそう言うと携帯を使い何かをし始めた。どうやら何かを調べているようだが真剣な表情でいる嘉内を邪魔したくない霞は料理でもして嘉内に喜んでもらおうと立ち上がる。
「嘉内さん。お食事がまだのようでしたら今から作りますから嫌いな物が有れば言ってくださいね。」
台所に向かう霞に目を向けた嘉内は少し嬉しそうに嫌いなものは特に無い事を伝える。健気な霞の行動に少しは役に立つ為に嘉内はシダに関する情報を集めていた。彼には骨しか見る事が出来ないが逆に言えば骨から妖怪の正体を見つける事が出来るはずだ。そんな奇妙な縁で行動することになった二人の時間はゆっくりと過ぎていった。
「ごちそうさまでした。」
久しぶりの手料理に満足そうな嘉内を見て霞も少し嬉しくなる。独り暮らしでの食事は静かに食べる事しかなかったので感想を言われながら食べられるのは意外と心が温かくなる事を知ったからだ。
「お粗末さまでした」
笑顔で片付ける霞に嘉内も無事に今後を過ごしてほしいと思う気持ちが芽生える。これからの行動次第で彼女の未来が決まるのだからと己を激励する。
「さて、これから外出するけど少し待ってね。」
嘉内は家の中に盛った盛り塩を全て集める。玄関口に二人で出ると、その塩を身体に振りかけお祓いをする。
「これで暫くは大丈夫。さて、コロッケを買って功刀さんの所に行こう」
嘉内と霞はご希望のコロッケを買い電車にのる。人の多い時間の為か霞を庇うように電車に乗る嘉内を見て、霞は不器用ながらも誠実な嘉内にシダの葉の花言葉を思い出し赤面してしまう。そんな赤くなった霞を見て熱があるのかと心配する嘉内は鈍感野郎と言われても仕方がない筈だ。
電車を降り駅から出ると竜胆学園近くの高層ビルに入る。嘉内は慣れた様子で番号を打ち部屋の主人を呼び出しているようだ。程なくして扉が開き、エレベーターに乗り目的の階層のボタンを嘉内が押す。エレベーターが止まると嘉内が先導し目的の部屋に辿り着く。
扉のインターホンも押さず嘉内が扉を開ける。霞は不用心だなと思いつつも扉の中に入る。大人の女性香りがする玄関口に嘉内を見る目がどうしてもきつくなる。ヒールやスニーカーやパンプスなどが散らばっている玄関口を避けるように動きこの家の主人を嘉内は呼び出す。
「功刀さん、今来ましたよ。問題の彼女も連れて来ています。」
問題の彼女とはどういう意味だと問いたい霞だがこれからお世話になるのに態々悪印象になる事をしたくない霞は黙って嘉内を睨む。睨まれた嘉内は苦笑いを浮かべながらも霞が安心できるよう家の主人を一緒に待つ。
しばらくしてグラス片手にバスローブを着た女性が玄関まで迎えに来た。妙齢の女性で風呂上がりなのか色気がすごい。女性らしい体の線を隠しもせず二人の前に来たわけだが嘉内の顔は苦々しく渋面だ。
「功刀さん。いつも言っていますが部屋に誰かを呼ぶ時はもう少し服装に気をつけて下さい。」
霞は自分の時と違う対応をする嘉内に驚くもそれ以上に美しい女性を前に眉一つ動かさない嘉内を疑問に思う。自分の時はあんなにオドオドしていたのにと軽く嫉妬してしまう。
「涼は何時も煩いな。別に何時もこの格好で客を相手にしているわけじゃないしいいじゃないか。」
グラスを傾けながら喋る女性に益々霞の機嫌が悪くなる。それを横目に見ながら嘉内は話を戻そうと懸命になる。
「それはもういいです。それより彼女の指輪を観てもらいたいのですが」
涼と呼んでいた功刀を不機嫌な顔で見ていた霞だが慌てて功刀に指輪を見せる。功刀も妖怪を見る事が出来るのかと感心する霞だが功刀の次の言葉で納得してしまう。
「観るじゃなくて感じるが正解だな。妖怪を観るなんざ私には出来ない。精々感じるだけだ。涼みたいに妖怪を観れる人間なんて片方の指で足りるからな」
そう言って指輪を触る功刀。霞はやはり嘉内をすごい人間だと思い、嘉内は功刀が余計な事を言うなと更に顔を歪める。
「確かに力を感じるな。それにしては弱過ぎる。何か力を使ったのか?」
功刀は指輪をルーペで確認しながら霞に話し掛ける。霞は今まで起こった事を話していく。功刀は話を聞くうちに頭を押さえて嘉内を睨みつける。
「そういう事か。私の推測でいいなら話すがこの子は最近付喪神となったんだろう。その力をきっと他の物の怪に気づかれたんだ。それで付喪神を食べる為に早乙女くん、君を襲っていると推測する」
「妖怪って妖怪を食べちゃうんですか⁈」
何よりも気になった点を霞は功刀に質問する。功刀はグラスの中身を飲み干して霞に妖怪の本質を教えてくれた。
「妖怪ってやつは人の思いで存在する、言わば幽霊のようなものさ。本来なら実体の無いのが殆どなんだが稀に妖怪が妖怪を喰うことでその力が凝縮し、現界に影響を与える奴が出てくる。他には人の思いが強過ぎたり、力を持つ人間が妖怪を作ったりと色々な方法もあるけどね」
功刀はそう説明すると奥の部屋に入っていった。霞には分からない事だらけだが自分が今危険な立場である事を再認識させられた気分であった。
「これから竜胆学園に行く事になる。危険だけど功刀さんがいるから何とかしてくれる筈さ。今日さえ乗り切れば明日から普通の生活が出来る。僕達を信じて付いてきてくれるかな?」
霞の手を取り真剣な表情で説明する嘉内。自分の事をここまで助けてくれる嘉内に霞は心揺れてしまう。しかし、功刀と嘉内の間にある気さくな態度が霞の胸の奥をチリチリと痛めるのであった。
「そ、それでどうして竜胆学園なんですか?」
戸惑う霞はどうして自分の通う大学に行くのか分からない。嘉内は微笑みながら竜胆学園に行かなければならない理由を教えてくれた。
「早乙女さんが事件に遭う場所が全て竜胆学園だからね。きっとそこに妖怪がいる筈なんだ」
考えてみれば確かに今までの不可解な出来事は全て学園内での出来事だった。そんな危険な学園に自分は何も考えずに登校していた事を霞は恥ずかしくてどうしようもなかった。
「イチャイチャするのはそのくらいにして今から学園に行くぞ。夜ならある程度おかしい出来事が起こってもごまかせるしな」
功刀の言葉に若干の不安を覚えながらも嘉内が信じている功刀を信用しようとする。今の功刀はライダースーツを着込み、手には木刀と弓を持ち肩に矢筒と完全武装で嘉内達を待っていた
「嘉内さん。功刀さんは一体何と戦うつもりなんですか?」
流石にドン引きしている霞を宥めながら嘉内は功刀の事を語り出す。
「功刀さんはご実家が神社らしくてね。剣道、弓術、柔術何でも出来ちゃう人なんだ。僕も妖怪絡みで最初に会った時は彼女の武術に助けられたのは今となってはいい思い出かな」
苦笑気味の嘉内の言葉に嘉内を睨む功刀の目がいい思い出ではなかったのではと思わせる程キツイのは何故であろうか?
「さっさと行くぞ二人とも。昔話なんて生きて帰ってからすれば良い」
ほんのりと赤い顔の功刀は荷物を纏めてブーツを履いてる。酒臭い玄関で顔を顰める霞に言い訳するように功刀は一方的に話しだす。
「御神酒を飲んだだけだよ。妖怪相手には必要なんだ」
「そう言えば僕と最初に会った時もお酒を飲んで暴れていましたからねぇ」
どうやら功刀と嘉内の出会いは波瀾万丈だったようだ。
竜胆学園への夜間入園は呆気なく許可された。功刀の姿を見た警備の男は頭を下げて何も聞かずに入れてくれたからだ。霞としてはどうしてすんなり入れたのか聞きたかったが功刀と嘉内の真剣な表情を見て、聞くのを辞めた。
「強い気配は感じないな。涼の方はどうだ?」
功刀が嘉内を下の名前で呼ぶ事に今更ながら気付いた霞はもやもやとした気持ちになってしまう。霞はこんな事が無ければ会うことが無かった嘉内をどうしても目で追ってしまう。そんな霞に功刀が周りを見ながら尋ねてくる。
「早乙女ちゃんはどこで襲われたのかな?襲われた所を回った方が効率が良さそうだ」
功刀に言われて霞達は自分に起こった出来事がある場所を順番で回る事にする。最初は学園入り口近くのジュースの販売機に次は花壇の側に、そして食堂に来た辺りで功刀の様子が変わる。
「こりゃ当たりだね。この辺から妖怪の気配を感じる。涼も目を凝らしな。かなりの相手だよ!」
木刀を構える功刀に、周りを警戒する嘉内。霞は今の自分に出来るのは囮程度である事を知って出来るだけ皆の迷惑にならない場所に移動する。夜の冷たい風が何故か食堂内に吹くのを感じて霞は身を震わせる。
「そこか!」
功刀の叫びと共に振るわれた木刀が何かに当たり跳ね返される。身を崩された功刀はその場で転げながら《何か》を避けようとする。功刀のいた場所に轟音が響き、へこんだ床が異常な光景を現実だと霞に教えてくれた。
「大きな鹿の骨、恐らくは妖怪ですね。かなりの骨の濃さからして神話級の相手です。」
闇夜に嘉内の目が光りを帯びる。青い光が嘉内の目から溢れているのを霞は感じとる。功刀は木刀で何度か《何か》を打ち続ける!霞には何も無い所で一人暴れる功刀の姿でしかない。しかし、徐々に功刀の前に《何か》がいる事を肌で感じ取れるようになる。
「抑えるのが精一杯だ。涼、済まないが何とかしてくれ!」
功刀の余りのお願いに霞は唖然とするも嘉内は携帯を取り出す。霞の家の中で調べ物をしていた時と同じ状態で嘉内は《何か》を調べているようだ。功刀の剣戟の音と床や壁が陥没する状況の中、嘉内の叫ぶ声が運命の分かれ道を指し示す。
「アイヌの大鹿トイシアプカと思われ。空に弓を放ってください!」
嘉内の声に反応し木刀を投げ捨て弓を取る功刀。それに過剰に反応し功刀に向かう大鹿は嘉内の撒く盛り塩によって動きを止められる。
「効いてくれよ!」
功刀の祈りの言葉と共に放たれた矢は大鹿を連れて天に昇る。その光景を今まで何も見えなかった霞でさえ見ることが出来た。大鹿が残していった光の残滓に指輪が反応し指輪が微かに暖かくなっている事を感じ取り何故か霞は祖母の事を急に思い出してしまった。
「結構派手に壊れちゃいましたね。」
周りを確かめている嘉内に汗だくになった功刀は荷物の中からタオルを取り出しながら怠そうに嘉内にもたれ掛かる。
「全く神話級とは予想外だよ。学園長には追加で予算を出してもらわないと割にあわないな。涼、悪いが業者に連絡しておいてくれるか?」
功刀の言葉に嘉内は黙って頷き携帯から何処かに連絡している。きっと先程話していた業者という所に連絡しているのだろうが霞は急に嘉内と自分に大きな溝が出来てしまったように感じてしまった。
「さて、後のことは僕がしておきますので功刀さんはお疲れでしょうしお帰りください。報告書の方は僕から学園長には出しておきます。お疲れ様でした。」
嘉内の挨拶に気だるそうな功刀は手を振りながらその場を去る。2人きりになった霞は先程の戦闘の事や功刀の事を聞こうとするが嘉内の拒絶するような右手の掌に止められてしまう。
「さて、早乙女さん。貴方は今から妖怪とは無関係な平和な世界に戻らないといけません。ですのでこれ以上こちらからはお話す事もありません。ここであった事は申し訳ありませんが忘れてください。何、日常に戻ればすぐにこんな異常な世界の事は忘れてしまいますよ」
嘉内の突き放すような言葉に霞は何故か涙を流してしまう。あれ程優しかった嘉内が別人のような目で自分を見ている。そんな状況に耐えきれず、霞は走ってその場を離れてしまった。その場に一人取り残された嘉内は懐から煙草を取り出し、火をつける。闇世の中、煙草の小さな燃える火種と煙が夜の風に乗って運ばれていく。
「相変わらず酷い別れ方だな」
誰もいないと思っていた暗闇の中から功刀が出てくる。嫌そうな顔の嘉内の背に自らの背を預けながら功刀はポツリと呟く。
「知らない方がいいって事は良くありますから」
煙草の煙を吐きながら何でも無いように言う嘉内に功刀は呆れながら星の輝く夜空を見る。
「そういう意味で言ったんじゃ無いんだがな…」
功刀の呟きはもうすぐ春になろうとしている風に運ばれていった。
その後二週間程経ち、霞の生活は元に戻ってしまった。講義を受け、友達と遊び、バイトなどをして送る大学生活。平穏な生活の中霞はあの夜の事は幻では無かったのかと本気で思い始めていた。次の日食堂に恐る恐る来たのだがまるで何もなかったかのような食堂の様子にあの時の傷は一切見当たらなかった。指輪もあれ以降何も感じられず普通に家に置いておけるようになった。しかし霞は今もその指輪をつけて生活している。何もなかったかのような生活を送る霞であったが心の傷はあれが本当にあった事であると教えてくれる。この心の傷は失恋なのだろか?それともあの世界への未練なのであろうか?今の霞には判断できない。
「ねぇ霞。来年からはどんな学科を取るの?二年からは特殊学科を取らなきゃいけないなんて面倒くさいよね〜」
一緒に食堂で食事を取る親友の愛は難しそうな顔で来年の選択する科目をみている。霞もそれを何気無く見ていたのだか、受講一覧の先生の名前の中に功刀と嘉内の名前を見つけて驚いてしまう。
「どうしたの霞?えっ…考古学なんて無駄だよ、他のを選ぼうよ?」
騒ぐ愛の言葉は霞の耳には入らない。ただ今の霞はしなければならない事がはっきりした。お弁当を食べ終えると考古学の先生がいるはずの研究室の扉の前にたつ。
「だから化石の修復にはお金が掛かるんですって。もう少し予算をくださいよ」
「私の発掘の方が金が掛かるんだ。お前は仕事もプライベートも骨骨だな」
聞いたことのある二人の声が部屋の中から聞こえてくる。あの日別れたはずの人達がここにいる事を知って霞は何故か涙を流してしまう。左手の薬指の指輪が何故か暖かく感じる。霞は勢いよくその扉を開けた。
次の話は当分かかりそうです。悪しからず。