魔科学技師の夢物語~世界の操り手~
魔法と科学。
神秘と論理。
相反する二つによって構成された国家は、それぞれに発展し、相争っていた。
繰り返された紛争闘争小競り合い。
その都度繰り返される、国家としては小規模で、人々にしては大きな犠牲の数々。
人の愚かさとて無限ではなく、やがて彼らは互いのよさを知る為と言う『名目』で、互いの国の境目に小規模な都市を作った。
交流の為…紛争を起こさぬ為の都市。
それぞれの国家の変わり者や、それぞれの国家特有の職からあぶれた者の集う、掃き溜め都市として。
だが…その中に天才がいた。
馬鹿と天才は紙一重の示すとおり、その天才は変わり者故に抵抗無くその都市に馴染み、相反する二つの力を手にいれ…
世界を操ろうとする天才が。
魔科学技師の夢物語~世界の操り手~
日の光は途絶え、月明かりのみが照らす平原にて、一人の少年と複数の武装集団を連れ立った少女が向かい合っていた。
ラバースーツのようなもので全身を覆い、体の各所に機械的な外装を取り付けた少女…スウィーティア=エリウス。
彼女の前に立つローブを纏った少年、アルラート=エクスは、現状にさして動じもせずに静かに立っていた。
「見つけましたよアルト!アルラート=エクス!!」
「…久しぶりだな、スゥ。」
一瞬親しげに少年の名を告げたスウィーティア…スゥに対して、アルトと呼ばれた少年のほうはあまりにも無感情に愛称を告げた。
「何が久しぶり…ですかっ!貴方がどうしてテロのような真似を!!!」
激昂するスゥを前に、アルトは無言のままだった。
そんな、彼のいつも通りを見て、余計に苛立ちを覚えたスゥは歯を食いしばり彼を睨み付けた。
魔科学。
それが、掃き溜め都市で生まれた、異端にして最良の新たなる力だった。
誰もが自由自在に扱え法則さえ間違えなければ同じ効果を発揮し、道具を扱うだけで使用可能な科学と、時に個人の力だけで自然を操作し、儀式的なものを行えば天候や環境にも影響を及ぼせる魔法。
他にも、それぞれに利点と欠点があるが、早い話両方を扱えば最良である。
だが、各々のしきたり、特性、風習、風潮、思考など、あらゆる意味でどうしようもないほどに両者には溝があった。
それは掃き溜め都市でも同様だったのだが…そんな場所で両者に触れた異端の一人が、あっさりとその併用に挑む事に決めた。
彼は魔科学を『願いを叶える力』と謳い理解者を集め、研究を行い、成果を一部を町に提供する事で資金を集めた。
その魔科学組織を開設したのが…スゥの父親であるエンフェイル=エリウス。アルトはその開設当時からの初期メンバーの一人だった。
願いを叶える力。
魔科学で謳ったそれは、ただの誘惑ではなかった。
魔科学は魔法と科学、この世を席巻する両者を偏見や固定観念を捨てて知る事で、『世界で出来うる全ての事が出来る』。と言うのが、魔科学を願いを叶える力と謳えた理由だった。
研究資金を提供するか、一定の研究成果を共有情報として提出するかを行えば、それまでのノウハウを学びながら研究が可能になる。それが、スゥの父、エンフェイル=エリウスが作ったシステムで、魔科学が少数の中で近年大きな力を持ち始めた理由だったのだが…
アルトは、突然正規の手順を取らずに脱走したばかりか、わざわざ両国首都まで遠征して、いくつかの主用施設を破壊して行ったのだ。
元々その特異さ故に技術を狙うものも出てきた魔科学。
護衛役として兵力専門で魔科学を扱うものも幾人か存在していて、今アルトを囲んでいるスゥが連れてきた面々が、その護衛の兵力だった。
魔科学技師…それも護衛職の十数人。軽い都市一つなら落とせるほどの戦力。
そんな一団から突きつけられた武器を前に、まるで表情を変えずにアルトはただ立っていた。
撃つなら撃てばいい。
無言の中にそんな余裕を感じたスゥは、胸の痛みを殺すように歯を食いしばり…
「…撃てっ!!」
叫んだ。
スゥの号令と共に一斉に射撃が行われ、棒立ちのアルトの身体を次々に貫いて、すり抜けていった。
「は?」
「な、何が!?」
高レベルの戦闘員達も驚きに硬直する中、スゥは動揺もなく空中に幾つもの球体を浮かべる。
「行けっ!マシナリービット!!」
スゥの声に呼応するように、アルトの『隣』目掛けて球体から射撃が放たれる。
と、アルトの姿が消えてスゥが狙いを定めた何もない場からゆらりとアルトが姿を見せた。
「幻影術です!彼相手にこの程度で驚かないで!!」
アルトの回りには、スゥが浮かべたものと同じ球体。
スゥのビットから放たれる弾を避けながら、アルトは自身のビットを散らした。
「隊長のビットと同じだ!死角からの攻撃に」
言いかけていた隊員の一人がそのまま崩れ落ちた。
散開したビットに気をとられた一瞬でアルトが放った雷撃魔法を直撃したのだ。
速射魔法。
魔法使いとしてはかなり高位の特殊な家系の者くらいしか扱えない高難度技術。
魔科学技師の戦闘要員なら半数は使えるのだが、下級が限度のそれは一撃の威力には期待できない。
だが、倒れていた。全身を戦闘用の装備で固めた魔科学技師の戦闘要員が一撃で。
「っ…まだ!!」
自身を、隊員を奮い起たせるよう叫んで、スゥは全身につけた機械から光を噴き出しながら浮いた。
全身に着けている専用装備、エアレイドユニット。
起動に高い魔力が必要だが、飛行系魔法を使用『しながら』戦う必要がないため…
「はあぁぁっ!!!」
飛びながら戦えた。
手には魔科学基本にしてスゥの主力武装、マテリアルウェポン。
神秘性が高く精神状態に影響されやすいため動きながら別に使用することが難しい魔力をエネルギーに使う産物。
小銃と短剣として扱えるガンソードを両手に、魔力弾を撃ちながら接近するスゥ。
「貴様相手にやりすぎはない!」
「皆の『願い』を汚した責任をとってもらうぞ!!」
スゥの射撃をマシナリービットに障壁を張って飛ばすことで防いでいたアルトに、最初の射撃にすら参加せずにいた二人が叫んだ。
上級魔法。
陣を張り薬を使い月の位置まで考慮しなければ普通使えない、自然災害級の魔法。
二人程度で放つことも、一般的な魔法使いには珍しい、放てば終わる代物。
「「はぜろ!ヴォルケイノ!!」」
今回使用されたそれも例外なく、対象位置から炎の柱を噴き上げると言う単純なものだが、範囲が家数件程にあたり、金属が溶けると言う火事では済まない溶岩以上の魔法。
それが、アルトの足元から吹き上がり…
全てが収まると、アルトは地面に手をついていた。
「っ…や、休むな!射撃班!!」
「お、応!!」
災害級の魔法使用に消耗しきった二人は、座り込んでいるアルトに『ダメージは与えられた』と叱咤をかける。
実際にはアレの中央にいて姿が残っている時点であり得ないのだが、アルトを侮っていないからこそ追撃を願い、射撃班も応じ…
「ふあぁぁぁ!!」
「ひっ…ぁ!?」
全員が、突然倒れた。
一瞬だった。
一人別方向に飛んで火柱を回避して一部始終を窺っていたスゥは、呆然とその有り様を眺める。
起きたことは理解していたが、訳がわからなかったのだ。
アルトは、初めから上級魔法の発動を待っていた。そして、放たれた魔法の魔力を吸収した。
発動前に相手の魔法、魔力の状態がわかっていれば魔力の吸収は可能だ。二人が準備している間に、戦いながら二人分の魔力の解析から魔力吸収用の魔法の準備を終えたなら出来ることだが…
つまり、不可能事だった。
人間の技ではなかった。
速射魔法の時点で扱える人間の限られた高等技術。それをビットを制御しながら片手間にやったあげくこの準備をしていた。
その上、吸収した魔力を用いて何をしたのかに到っては、アルトの助手であった筈のスゥにも理解不能な代物だった。
魔科学技師として、人間の中でも突き抜けた天井知らずの使い手、アルラート=エクス。
その異常を、手の届かなさを感じたスゥは…
(けど…だからこそっ!!)
尚、悲痛な表情で動き出した。
マシナリービットをアルトを囲むように飛ばしたスゥは、頭上からアルトに迫る。
が、囲んだ筈のビットは悉くアルトが配置しておいたビットからの射撃で撃ち落とされる。
「ああぁぁぁ!!」
頭目掛けて輝く刃を展開したガンソードを降り下ろすスゥ。
直撃するタイミングでアルトの姿が消えた。そう思った直後、眼前にある大地に派手な音を立てて着地したスゥは…
立ち上がろうとして、動けなかった。
「影食み!?」
足が、完全に黒で覆われていた。
下級の闇の拘束魔法。明るいとさしたる力を発揮しないそれは、月と星の光くらいしかない今は逆に結構な強度で…
「くっ…あ…」
セオリー通りにガンソードの明るさを利用した上で足ごとでも斬って拘束を解こうとしたスゥ。
その足に意識を向けた一瞬で、スゥの額にアルトの指先が触れるか触れないかで添えられていた。
チェックメイト。
髪を撫でるように添えられたアルトの指先の感触に、スゥは目を閉じる。
「どうして…どうしてなんですか!父さんと同じ発足メンバーの貴方が…『皆の幸せ』なんてものを願いにしていた貴方がこんな真似を!!!」
涙を流しながら、スゥは懇願に近い形で叫んでいた。
アルトが魔科学技師として掃き溜め都市にいた頃、スゥは幼い頃からアルトの助手に据えられていた。
発足前は科学都市の人間だった父と魔法使いの落ちこぼれとして追いやられた母を持つスゥは、元からどちらにも偏見無く、またアルトが異常な才の持ち主である事もあって、『面倒を見る代わりに自由に使ってくれ』とスゥの事を任されていた。
無言で作業に没頭するアルトの事が不気味に見えたスゥだったが、他が他所から来るそれぞれの願いを持った異端の研究者ばかりの所だった為、父以外で唯一共に過ごす相手であるアルトとは交流を試みないわけには行かずなかった。
アルトは冷たくて、優しかった。
何を失敗しても怒らず、何が出来ても褒めなかったアルトが不気味で仕方なかったスゥだが、教本や資料、仕事がスゥの理解丁度か少し調べれば出来る事になっていて、研究者でないまま同じ施設にいる身として戦闘要員として鍛え始めると食事や飲み物に疲労回復やリラックス効果のあるものを用意していたりと、気づこうとして初めて気づけるような気遣いが向けられている事に気づいてから、スゥはアルトの事が気になって仕方なくなっていった。
だが、気になって本格的に色々と知ろう手伝おうと交流を試みてもアルトは何処吹く風、魔科学に取り付かれたように日夜研究実験のみを繰り返す。
心が凍っているんじゃないかと感じさせるアルトの様相に心が折れかけた頃、アルトはスゥに自身の願いを語った。
『皆を幸せにする事』だと。
それ以外見えていないように研究に没頭するアルト。
狂っている。
それはきっと間違いなくて、でも…優しい不協和音だと、スゥはそう思っていた。
「なのに…どうして…」
泣いているスゥ。
その額に触れていたアルトの手が離れた。
影食みは解けている。動く事は出来た。
けれど、それを承知で離れたアルトに奇襲など仕掛ける気になれず…
「どうしても知りたければ、ついて来い。」
必要以上…一般人には必要な程度すら話さないアルトが、わざわざスゥにそう言った。
返事も待たずに、アルトは掃き溜め都市に向かって歩き出す。
スゥは、動揺そのままにその後を追った。
何故脱走したのか?
何故テロ紛いの真似をして回ったのか?
そこまでして何故襲ってきた敵をろくに傷もつけずに制圧したのか?
アルトの願いが変わったのか?変わっていないのなら何故こんな事になったのか?
『どうしても知りたければ』とアルトは言った。
碌に喋らない彼がスゥに向けてわざわざ言った言葉。それには全てに意味が含まれているはずだと、スゥは今までの経験から察していた。つまり…
(どうしても…なんて、わざわざ念を押すような、間違いなく嫌な事がある。)
ただ知りたければ、と言われなかった意味、それをスゥは感じていた。
そもそもやってくる事を知って資格として差し向けたスゥの率いる部隊が壊滅した上で、当たり前のようにその隊長を引き連れて歩いているアルト。
彼の事を知っている人間も都市には何人かはいたが、知っていてこの状況では誰も手を出す気にはなれず、アルトは何事も無いかのように研究所に入った。
(か、肩身が狭い…)
討伐を任されて部隊ごと壊滅させられ、無傷でその相手に付き従っている。
周囲から見ればそうとしか見えない状態に、スゥは夜でよかったと心底思いつつ、こういう所はつくづく壊れ気味に気を使ってくれないアルトに若干落ち込んでいた。
やがて、アルトは研究所最奥の扉にたどり着く。
何かを確かめるように探知術を使っていたのはスゥも感じていたが、何を探しているのかはわかっていなかった。
エンフェイル=エリウス。
研究所の責任者にして魔科学の発足者でもあるその名が刻まれた扉にそっと手をかけたアルトは、ゆっくりと扉を開く。
礼儀のようなものを気にする人間ではないはずの彼にしてはやけに丁寧な彼の動作に驚くスゥ。
「エフェルの研究室…か。」
「父さん…」
研究室と言うには物自体は少ない、本と各国との契約書類のようなものが置かれた執務室のような机。
その上に、一つの写真が飾られていた。
小さな子供を抱えた女性の写真。
それを見て、アルトは拳を握り、目を閉じた。
感情をろくに見せない、傍にいても何を思うのか全く想像出来ない、でも少しの優しさが時折見える。
スゥにとってアルトはそういう少年で、故に何かに耐えるようにしている彼の様子に驚いていた。
「…行くぞ、この先だ。」
「え?」
机の下に手を当てるアルト。魔法陣が描かれ、少しして床が姿を消した。
「幻影?」
「魔力障壁の類だ、床のように作ってある。」
言いつつ、開いた床に飛び込むアルト。
スゥはそれを機械的に追いながら、まとまらない思考に振り回されていた。
障壁と言ったが、そんなものを見た目に分からないように本人もいないのに常駐させておくのに何が必要なのか、またそれを見切って音も無く破壊するでもなく解除するのに何が必要なのか、スゥにはどちらも全く理解が追いついていない。
(戦闘要員と言っても私もアルトの助手だったのに…)
護衛部隊の長を任される実力を持ってはいるスゥ。
それでも、再現所か何が起きているのか理解すら出来ない次元を前に、ただただ驚くばかりで…
悲鳴がスゥの耳に届いた。
「え?」
最初、石畳の床に降り立ったスゥはその光景が理解できなかった。
小さな悲鳴は、少女のものだった。
いや、少年のものも混じっていた。
互いに拘束具のようなものに括り付けられ強制的に交わっていた。
それが檻の中にいくつか。それだけではない。
十字に括り付けられ、何本かのチューブが身体から生えるように伸びている子供も幾人もいた。
赤い白い透明な液体が身体から抜き出され、何かを注がれながら虚ろな目をしている。
家畜小屋か人体実験か…そんな言葉しか出てこない光景。
その中央で、アルトは魔法陣を展開していた。
そして…
悲鳴が、一瞬短い息に変わって、一斉に止んだ。
まるで、先に部隊を一瞬で沈黙させた術そのもので…
「あ、アルト…今のは」
「いやさすがだねアルラート=エクス。魔科学設立当初から未来永劫現れない天才と言われるだけの事はあるよ。」
術の正体を尋ねようとしたスゥの声に割り入る様にして、男の声が響いた。
遅れて、一人の拍手の乾いた音と、靴が石畳の床を叩く音が近づいてくる。
不気味なほど規則正しい拍手と足音と共に、床に届きそうな白衣を着た男が姿を見せた。
「エフェル…」
「お久しぶり、反逆者アルラート君。とは言え随分甘いようだが…この子達に気を使ったつもりかね?」
白衣の男を見据えてその名を呟くアルト。
普段は感情を見せないアルトから、悲しいと感じられてしまうような声を聞いて、スゥは平然と語る父、エフェルのほうに余計に恐ろしさを感じた。
否、それ所ではない。
この部屋が、何処から続いていたのかを考えれば…
「父さん…この子達は…一体?」
「彼らは魔結晶の材料だよ。」
「は?」
恐る恐る、と言った様子で尋ねたスゥに、エフィルは至極当然と言った様子で簡単に答えた。
魔結晶。
魔力増幅用の錠剤のようなもので、名前の通り赤い結晶のような形をしている無味の飴のようなもの。
服用すると、魔力を一時的に増幅させる事が可能な上、その状態で修行を繰り返せば、増幅された力につられるように最大値が上がる。
魔科学技師なら大半は魔法や魔力を必要とする。スゥも日常的に修行に使ってきた道具である。
この場にいる子供達をその材料と言った。
「神秘性を重んじる魔法使い達は、得意属性を揃えたりするために血族とも結婚するほどにその血統を大事にしてきた。事実、優秀な魔法使いが両親の場合はその子供にも高い確率で魔力や得意な属性が受け継がれてきた。であれば…」
既に答えを言ったも同然の状態。
だが、スゥの頭はその理解を拒んで放心していて…
「血や精は魔力を持っている…遺伝子等にはその形質を伝える効果がある、と見るのが妥当だ。吸収できるよう加工すればそのまま増幅剤として使えるのも妥当だろう?」
エフェルの手によって、スゥが拒んでいた理解は強制的に放り込まれた。
膝から崩れ落ちたスゥは、地面に両手を着いて咳き込んだ。体裁も何もなしに。
けれど、どれだけ嫌悪した所で幼い頃から吸収し続けてきたものが身体から抜けるわけも無く、涎をたらして咳き込んでも、涙と唾液と、喉でも切れたのか混じり始めた血がぽたぽたと石畳を濡らすだけだった。
「こらこらやめなさいスウィーティア。殺菌加工はきちんとしているし、呪術的な効果も排除してある。そんな無理をして喉を痛めるものじゃない。」
「っ…な、何を平然と言ってるんですか!!何でこんな…」
「世間一般には見せられないから伏せているが、お前までそんな反応とは、アルラート…君の無口は教育に支障が出るレベルだったようだね。」
戸惑うスゥを前に、むしろ情けないとばかりに肩をすくめるエフェル。
スゥはわけが分からないままに二人の顔を見比べた。
「孤児や罪状を負っていた放置しておけば駆除される子供。衣食住の面倒を見ている分外より救われている。」
「正解、その通り。さすが天才魔科学技師。『あらゆる偏見を無く物事を見据える』力がある。」
自分を見るスゥに気づいてか、冷静に、冷酷と言えるほどに静かに告げられたアルトの言葉に、スゥは何も言えなくなる。
まして、それだけならまだしも、エフェルの告げた力は、魔法国と科学国との対立図式を否定して生まれた魔科学を学ぶ上で、基本中の基本。
父が子供をさらって拷問にかけていると思ってしまったスゥに、否定の言葉が出せるわけが無かった。
「私が不幸をばら撒く存在ならそもそも両国家に手配され狙われているだろう。治安維持の部隊に子供を殺させるのも体裁が悪い、だが全員まかなう孤児院の乱立も出来ない。見た目にはアレだが、障害も無く、睡眠、休憩時間も問題なく確保している。」
さりげなく両国がこの状況を黙認していると告げる父を前に、スゥはうなだれて…
「だが、人の幸福はそういうものじゃない。」
口調も変わらず、静かに、だがはっきりと告げられたアルトの言葉に、スゥはその顔を見あげた。
全く変化のわからない凍りついたような表情。この状況でそれが出来るアルトの冷たさ。けれど、それでも、アルトは確かに否定を口にした。
冷たくて優しい、アルトの姿。
(っ…変わってない…変わってないんだ、きっと。)
言葉少ないアルトの心中など、傍にいたスゥでも多くは分からない。
それでも今、父よりも確かに信じられるアルトの姿に、スゥはゆっくりと立ち上がった。
「おやおや、あんな魔法を使った君が人の幸福について言うかね。」
呆れたように告げるエフェルの言葉に、スゥは先の光景を思い返す。
いきなり短い声を上げて倒れた部隊員と、同じように動かなくなった子供達。
失禁したり涎をたらしたりと、心配になる有様だったが、それが幸福にどう繋がるのか。
「やれやれ、それも説明していないのか。まぁ私でもなければ解析もレジストもできる代物では無かったからね。自分の魔法くらい自分で説明したらどうかね?君の助手でもあるんだよ?私の娘は。」
片手でスゥを示して説明を促すエフェル。
アルトは一瞬目を閉じて、スゥに視線を移した。
「アレは…人を『幸福状態』にする魔法だ。スリープやコンフューズのような状態変化系の魔法で、かかると幸福になる。」
それを聞いて、スゥは口を開けて動かなくなる。
戦闘部隊を一瞬で沈黙させ、悲鳴を上げて苦しむ子供達を沈めた術がまさかそんな夢のようなものだと思っても見なかったのだ。
「くっくっく…中々洒落た冗談を。いや、確かにトンでいるのは間違いないんだがね。」
「っ…な、何を!」
アルトの願い、『皆を幸せにする事』。
それに繋がる魔法を本当に作ってしまっていた事に感心していたスゥは、この地下室を作ったエフェルがそれを嗤った事が許せずに睨み…
「拷問の最中だろうと飢餓や病で瀕死だろうと死ぬまでしまりの無い笑みを浮かべていられるだろう魔法をそんな夢の産物のように。私も対魔防御を切って少しかかりたくなってしまう位恐ろしく甘い『禁断の果実』だろう?」
続けられた言葉に、スゥは錆びた機械のようにゆっくりとアルトを見た。
アルトは何の動揺も見せずに頷いた。
「だから『失敗』だった。コレでは調整しても手術の麻酔や精神障害のケア程度にしか使えないだろう。敵を傷つけずに制圧する為の範囲魔法に仕立ててみたが、中毒のようになる可能性もあるから乱発もできないしな。」
「っ…」
失敗。
願いを叶えるための研究を煮詰めている魔科学技師にとって、それは願いに届かない事に直結する。まして、実験中の内容が足りないなどではなく、新魔法の開発が丸ごと全部無意味になった。
それは、絶望的な内容であるにも拘らず、アルトは平然としていた。
(覚悟…していた筈だったのに…理解も想像もまるで及んでない…一体何がどうなってるの?どうしてこんな事になってるの?)
脱走に始まるテロ活動から、変わったと思っていたアルトが変わっておらず、身内が不気味になる。そんな状況が理解できず、一人置いてけぼりのようなスゥ。
そんな彼女を前に二人の話は続く。
「で、両国でのテロはこの子達の『同類』を開放するためかね?」
「あぁ。尤も、身体に機械を直接組み込まれたり、血縁や龍族の血を混ぜようとされたりと、ここは随分まともで拍子抜けしたがな。」
「純正の違法組織と一緒にされるのはさすがに心外だよアルラート。でもうん、そういう事ならお疲れ様。そういう研究はそれぞれの国でも禁忌とされるものだから、君の破壊活動から証拠が露見して、既に秘密裏に処分されているよ。」
話を締めくくるように、エフェルは両手を叩いた。
何処か他人事のようにそれを聞きながら、スゥは一瞬コレで終わったのだと、そう思おうとした。
次いで、別の考えが浮かぶ。
アルトの願いが変わっておらず、この異常な人間の使い方を止めて回っていたのなら…今度は、ここで…
「っ…」
エフェルとアルトの戦いと言う当然の結果を想定して、スゥは息を呑んだ。
こうなった時点で当に想定するべきだった…否、そもそもさっき幸福の魔法を防御したとエフェルは言っていた。つまり、アルトはそもそも戦うつもりで既に仕掛けていて…
「…エフェル、お前の願いは何だ。」
「うん?」
アルトは唐突に、この惨状と関係のないはずの事を聞きだした。
問われたエフェルもそれは予想外だったのか、チラリと一瞬スゥを見て…
「常世全ての災厄から守る力を娘に授ける事。」
それ以外にないと言わんばかりの父の言葉に、今日何度目かわからない驚きがスゥを襲う。
何しろ、幼い頃から得体の知れない男に預けられて研究所に押し込められていたのだ。
幼い頃に失った母がらみだとは思っていたが、まさか自身に力を授けるためだ等と思っても見なかったスゥは…
「そのために魔科学を設立したのか、常世起こりうる万象を知り、対策術を編み出し、それを扱う術をスゥに身につけさせる為に。」
続けて苦々しい口調で告げられたアルトの言葉に、確かな不安を感じる。
ここまで、予想外と想定外の応酬のような状況。
災厄から守りたいと言われても、今更この流れを素直に喜べるはずも無い。
「『フルオート』であらゆる願いを可能な限り現実で対処可能な方法で叶える力…と言った所か?敵意が降りかかれば望まず殺したりしかねないだろう。」
「本気で身を守る手段が殺害限定の事態なら正当防衛だな。無論、守る力が全ての敵を消滅させる力と同義ではないよ。」
「俺の幸福化の魔法を否定したお前が何故その力を得たスゥの未来に気づけない。それとも、気づきながら身体だけを守るためにその力を植えつけるつもりか?」
「無論だ、妻のように死んでしまえば終わりなのだから。」
話せば話すほど、睨み合う二人の空気が張り詰めていくのがスゥにも分かる。
分かるのだが…緊張できなかった。
(これ…ひょっとして…『私』の為に争いかけてる?)
ここに到るまで蚊帳の外だと思っていたスゥ。
だが、実際の所は、渦中のど真ん中だった。
父、エフェルは『娘の為に魔科学を設立した』。
アルトは、『スゥに植えられる力を危惧して対立している』。
「…妻は、打ち所が悪く即死だった。だが、強度も生命力も小さく拙い娘は生きていた。その違いはなんだったと思う?」
エフェルの妻…スゥの母は、車両に轢かれて死んだ。
不用意に道に飛び出したスゥに対して、馬車が主流で機械性の代物に馴染みが無かった魔法国出身のスゥの母は、あまり警戒心を抱けず…
高速で走る金属の塊に驚愕するのと同時、その直線状で呆然としている娘を庇って飛び出した。
疲れたような笑みを浮かべるエフェル。
それは、魔科学に費やしたコレまでの全ての原点にして、取り返せないものの話なのだから当然だった。
「お守りだよ。魔法国特有の、魔力が込められたお守り。その加護が、僅かにお前を守ったんだ、スウィーティア。けれど、それでも魔法国だったなら、危険だった。だが、医療に対して魔法も科学も使えたこの掃き溜め都市だったからこそ、お前は治しきれた。」
脳への損傷などの科学的なダメージの把握と、回復魔法のような傷へ直接働きかける代謝強化。
それが併用できた掃き溜め都市では、さまざまな面から治療が出来た。
「自分のお守りを娘に持たせた妻の分をすぐに買わなかったことを、死ぬほど後悔したよ。そうさ…科学国とか、魔法国とか、くだらない事を言っていなければ…初めから両方…いっそのこと常世の理全てを把握し扱っていたのなら…」
それこそが、魔科学技師開祖、エンフェイル=エリウスの原点。願いの理由。
死者の蘇生が不可能ごとでも、せめて娘には悔いなきように…
「ありがとう…父さん。」
魔科学の研究に入って以来、ろくに共に過ごせなかった父。
けれど、時々の食事等には馬鹿みたいに自分を笑顔で見ていた父。
そこに込められたものが、一体どれだけのものだったのか…
今の話を教えられても全ては感じきれていないだろうと、スゥは思った。
それでも…スゥはアルトに歩み寄った。
アルトに並ぶように立ったスゥは、ガンソードを抜いてエフェルに向けた。
「それでも…ごめんなさい、私はそのギフトを受け取れません。ここの子達を解放して、アルトと戦わないでくれませんか?」
静かに告げた拒絶。
二人が使う魔科学の技術に理解が及ばないスゥにも、分かる事がある。
それは、単に全ての脅威から身を守り幸福に生き続けたいのなら、今ここでエフェルの言う万象から身を守る術を受け取った上で、アルトの幸福化の魔法を自動発動で自分にかけておけばいい。
そうすれば、全てからその身を守りずっと続く果てない幸福感に身を浸し続けられる。
だから…そんなものは、人の幸せとはきっと違う。
涙を堪えながらの娘の拒絶を前に、エフェルは深く息を吐いた。
「正直な所、幸福論についてはアルラート、君の言葉を聞かされて揺らぐ面も無いではなかったよ。君の失敗した術を鑑みるに、おそらく君の願いは万人の幸福なんだろうが…その術を成して尚不満とは、恐れ入る。だが…」
最大級の賛辞。
敵対姿勢を見せていたはずの、それも開祖にして大人であるエフェルからして、20にも届かないアルトへの対応としては、正に偏見も何もない賞賛。
今更ながらにスゥは自分がどれだけ大事にされていたか、だからこそアルトに預けられていたのだと実感し…
「死んでは、改める事すら出来んのだ。」
故に、引き下がってくれないだろう事を受け入れざるを得なかった。
「…スゥ、俺に任せろ。どの道、奴とは俺以外戦えない。」
「それは願ったり叶ったりだね。万一巻き込む事を考えれば見学のほうが都合がいい。」
言いつつ、踵を返すエフェル。
アルトとスゥはその後に続くように歩き出した。
広い地下室。
魔結晶の材料と精製所の隣に、増幅した魔力を用いた技術の実験スペースを用意するのは普通と言えた。
ごそごそと、ポケットを漁ったエフェルは、四つの魔結晶を取り出す。
それを見てスゥは顔をしかめ…
続くようにして、アルトも三つの魔結晶を手にしていた。
驚くスゥに対して、エフェルは微笑んだ。
「自身を材料にしたか?それとも竜種でも打ち倒したか…」
「両方だ、お前と戦うのに素では無理があるからな。」
「それは光栄だ。」
事も無げに告げたアルトにスゥは青ざめる。
輸血されながら…魔力無き血を流し込まれながら、自身の血を抜かれていた子供の苦悶の声は、未だにスゥの耳に残っている。
一人、処置を行ってくれる者も、気を失った場合に対処してくれるようなものもいない中でそれらの処理と加工を行い、このときに備えながら他国の悪徳組織を潰してきたのだと思うと、スゥはアルトを疑った自分を許せなくすらなりそうだった。
増幅剤となるそれを摂取し…
二人は互いに即座に魔法を放った。
炎と氷の渦が衝突し、派手な爆発が起きた。
(中級魔法の速射!?)
魔法使いの歴史上で例がない。
特殊な…事前に専用の陣や結界を展開するなどの準備を行ってようやく限定的に可能な所業で、そんな事が出来るとは思っても見なかった。
マシナリービットを展開するアルト。
それらは爆発の先にいるエフェルに照準を…
あわせず、一斉にアルトを撃ち始めた。
「フィールドハック…私のいる場で機器が自在に使えると思わないほうがいい。」
あっさりと言ってのけるエフェル。
確かに遠隔操作している以上外部から操作可能と言うのは分かるのだが、使用者が構造及び内部指示を行っている…オマケに魔科学装備は内部に作成者が魔力による認証等の機構を組み込んでいる。
バグを起こして停止させる程度ならまだしも、予備動作も見せずに乗っ取るなど…
今撃たれた魔力弾をその手に吸収しているアルト以外に、予想できる人間などいないだろう。
「トルネード。」
静かな宣言と同時にアルトの手から放たれる風の上級魔法。
溜めに必要な時間を、のっとらせた機器からの魔力弾を吸収する事で短縮し、殆ど速射に近い形で上級魔法を放ったのだ。
室内に、いるだけで風圧で皮膚が細切れになりそうな暴風が吹き荒れ…
唐突に、それは掻き消えた。
「渦だからね、発生源を消せれば…」
余裕めいて話していたエフェルが、唐突に口元を腕で隠す。
「なるほどね…それで風か。」
「竜種でも止める麻痺毒なんだが、よく涼しい顔を。」
「おいおい…そんなものを平気で使わないでくれないか?まともに効いたら心臓麻痺でしんでいただろう。君、私に個人的な恨みでも?」
「お前なら死なないと思っただけだ。」
上級魔法を、本命ではなく隠れ蓑に、無味無臭の麻痺毒を風に乗せるアルト。
対して、一撃で竜巻の弱点を突いて上級魔法をかき消し、対竜の麻痺毒を身体への細工か自浄魔法かで凌ぐエフェル。
今更ながら、スゥから見てどちらも出鱈目だった。
「さて…折角戦っていると言うのになんだかチェスのようで運動になっていないし、少し変わった事もしてみようか。」
「俺はお前が止まれば別に何でもいいんだがな。」
「ははは、幸福にされるのだけは断固拒否させてもらおう。娘の前で涎をたらして痙攣するような真似はごめんだからね。」
軽口を叩きながら、エフェルは片手に何かを握り…
光る刃を展開した。
片手剣タイプのマテリアルウェポン。
スゥのガンソードより更にオーソドックスなそれを…
エフェルは踏み込みから達人の如く振り下ろした。
対して、アルトは氷の剣を作り出して、それを止めた。
「固形展開系か、魔法の中でも魔導騎士の使用する変り種だね。」
「片手剣も研究者の武器じゃないだろう。」
「ははは、レーザーブレードは子供の憧れだよ。」
軽口を叩きながら剣を振るう二人。
スゥから見てもそれは、素人のものではなかった。
残心が崩れない、腕で振っていない、剣閃にぶれがない。
(ありえない、知識だけじゃどうにもならないのに…一体いつ練習)
考えている最中に気づく。
そんな暇があるわけが無いし、一朝一夕で身につくわけも無い。
更に、スゥは額に指を…手を、アルトに突きつけられた。
少なくともその手が、豆が潰れて硬くなっている様な事は無かった。
(練習なしで使えるわけが無い…って言うのは、『偏見』だ。練習で行われている工程で必要なものを、身体に外部刺激で与えてしまえば、肉体にだって技術のインストールが出来る…のかも…)
そんな細かい調整の方法は、スゥには想像できなかった。
だが、腰を切って、踏み込んで、鋭い剣閃を交わしている二人の研究者に、修行をしている暇があったと考えるよりは、そっちの方がまだ納得が行く。
エフェルの斬撃を下がって回避したアルト目掛けて、空いている左手から放たれた火炎弾が迫り、その眼前で爆発した。
咄嗟に相殺したのか、至近距離の爆発によろめいたアルト目掛けて、遠間から一気に踏み込んで剣を突き出すエフェル。
アルトは、その軌道に左手に持った小さな金属板を挟んでその突きを受けた。
剣の突き刺さった少し大きめの塊に押されるようになったアルトはそのまま転び、足を払った。
「おっと…」
姿勢を崩したエフェルはその途中で軽く宙に浮く。
スゥの身に着けているエアレイドユニットと同種の機器。
それを用いて体勢をととのえたエフェルがゆっくり降りるのを見届けたアルトは小さく溜息を吐いた。
「魔導騎士教本をそのまま入れたようだが、飛行ユニットを使える癖に地上戦の型そのままか。」
「隠し持った金属板を突きに挟むような真似が出来るほどだ、不思議ではないが使用した教本までばれているとは恐れ入る。しかもそれで説教まで追加されては私の立つ瀬が無いな。」
騎士用の教本の内容をどこでどう把握しているのが当たり前なのか、スゥには聞く勇気はなかった。
あれだけの剣技を振るっておきながら飽きたように片手剣を手放したエフェルは、魔法陣を展開する。
対して、咄嗟と言わんばかりに駆け出したアルト。
だが…
「グラビティストーム!」
魔法の発動を妨害するのには間に合わず、エフェルは落ちる竜巻を放った。
天から地へ目掛けて、本来の法則とは異なる集束していく形で振り下ろされる竜巻の鉄槌。
命中すればすり鉢にかけられたかのごとく粉末になった何かだけが残るような、風の上級魔法。
アルトは、頭上のそれに対して氷の剣を翳す。
「アイシクルウォール。」
氷の上級魔法。
此方も本来は氷の壁を作り出してしまうものなのだが、アルトの身体を包み込むように展開されていた。
上級魔法の規模は自然災害級。人一人の身体を覆う程度でそれが名乗れるはずも無く…
それは範囲の変わりに、絶対零度級の『質』の氷壁だった。
密度が濃く冷気が強いほど硬い氷。それは、破壊に特化した異質な風の鉄槌にも耐え切り…
風が止むのと同時に、氷が砕けて散った。
「…剣を作った時点で剣に魔法陣のような補助効果を内包させたわけか、剣として使いたくなくなっても上級魔法が一発撃てる儀式道具の役割を果たすと。」
「剣士じゃないからな。」
一手が一手でない二人は、悪びれもせずにそんな会話を交わし…
「それは私もだよアルラート君。」
「アルト!!」
笑顔で告げたエフェルの声に呼応するように、エフェルが投げ捨てておいた片手剣がアルトの背中目掛けて飛んだ。
間に合わない。
そう思っても叫ばずにいられなかったスゥは、アルトの身体に突き刺さった。
その身体が、弾ける様に消えた。
「「はっ?」」
理解不能の現象に、残った二人は完全な素で意味不明とばかりに声を漏らした。
直後、エフェルの胸から石の針が飛び出て抜けていった。
心臓を貫いた一撃。それは、彼の背後に現れたアルトの放った地の下級魔法だった。
派手に舞う血と貫かれた位置に、スゥが衝撃を受けて言葉を失っていると…
エフェルの傷口がうごめき、唐突に塞がった。
よろめいた後、穴の開いた服をそのままに振り返ったエフェル。
それを見て、アルトは肩を竦めた。
「…エリクサーか、アレは禁忌指定の魔法国の秘薬じゃなかったか?」
「本物を見たことがあってね。コレはその本物を私が解析して、竜の血液のクローンや魔結晶等のここで作れる材料から再現したものだよ。」
「量産が利くなら本物より性質が悪い。」
確実に死ぬ怪我だったはずの所から一瞬で治るような薬を再現したと軽くのたまうエフェル。だが、彼は自身よりアルトに呆れていた。
「それより君のほうが問題ではないかね?『物質転送』は未だ科学国でも確立されていない実験中の技術なんだが?」
「ぶ、物質…転送?」
二人が死ぬ様を見たショックを受けながら、二人が平然と会話をしている様を目の当たりにしているスゥには、細かい事を考える頭が働かなかった。
「攻撃命中に反応して短距離転送を発動するようにしてあるんだろう?日常的に発動されても困るだろうから条件はあるんだろうが…それにしても、有線転送すら移動時の対象の状態保持に難があり無機物ですら難しいと言うのに、君は何をあっさりと生命体である自分自身を受信機も無い人の背後狙って一瞬で移動してるのかね。」
「お前と違って禁忌じゃない。」
「あぁ、禁忌としてすらまだ存在してないものだね、君以外使えもしない。」
呆れ合い、誉め合っているようにも見える二人のやり取りについていけないでいるスゥ。
そんな彼女を前に、エフェルは大げさに両手をあげた。
「まいったね。あの幸福化の魔法を見た時から感じていたが、私の魔科学は君に及ばないらしい。」
自分からの敗北の宣言。
それは本来、エフェルの根底を揺るがす…願いの挫折を意味するものだった。
『常世起こりうる万象を知り、対策術を編み出し、それを扱う術をスゥに身につけさせる為』に、彼は魔科学を研究してきた。
それが及ばないものが存在しているという事は、万象へ対応すると言う点において失敗している事になる。
「随分余裕だな。」
「まさか、かなりのショックだよ。だがまぁ、君の才が上回っていると言うだけの話で雲を掴む話ではないみたいだからね、このまま君を倒して全てを解析すればそれで終わる話だ。」
敗北宣言のような真似をしておいて、アルトを倒すと言い切るエフェル。
それは、全てを認めて尚それが出来るという確信めいたもので、スゥは得体の知れない不安を感じ…
「魔科学の才で及ばなければ、『出力』で上回るだけの話だ。彼等の悲劇を嫌い、一人で準備して乗り込んできた君にコレはあるまい。」
言いつつ、エフェルはいつの間にか左手の指に挟んでいた四つの魔結晶を見せびらかした。
計八つ。
ただでさえ最初の数すら及んでいないアルトは一瞬顔をしかめ、魔法陣を展開する。
「レイストーム!!」
横殴りに光の雨を放った。
それも、軌道の変化しない光を、中空に浮かせたプリズム状の物体で乱反射させ、多角攻撃に変化させた。
魔科学技師が上級魔法を放って崩れない地下室の壁に単発で罅が入る光の雨。
視認したが最後の速さもあって、それは到底避けられる代物ではなく…
エフェルの身体を覆うように展開された闇が、光の全てを飲み込んだ。
闇の中級魔法による防御。
相反属性の光と闇は、同程度なら中和される。
つまりそれは…一言も無く放てる中級魔法と上級魔法で互角になってしまうほどの出力差があるという事。
(だ、駄目だ…いくらアルトが理解不能の技術の持ち主って言っても父さん相手にこの差じゃ…何か…何かっ…)
考えてみても、銃まで向けて対立を宣言したのに割って入れる要素が一つもなくて呆然としていたスゥ。
今更何が出来るのか…そんな思考に潰されながら、『ソレ』に気づいて…
吹き飛ばされたアルトがスゥの足元に転がってきた。
「っ…」
「凌ぐか。力任せと言うだけで情けないのに、それ自体も上手くいかないとなるとショックが大きくなるな。」
立ち上がるアルトに向けて手を翳すエフェル。
その軌道に割って入るように、スゥが一歩進み出た。
「ふむ?スウィーティアを盾にするために吹き飛ばされたか?計算もさすがだが」
「誰が…っ!!」
淡々と告げるエフェルの言葉を否定するようにスゥを押しのけようとするアルト。
そんな彼の、まるで前例のない激情を感じた気がして驚いたスゥは…
そのローブを掴んで軽く引くと、手にしたものを見せた。
魔結晶。
戦闘要員の、それも隊長であるスゥが、魔力増幅剤を常備していないわけが無かった。
見せたそれは、子供達の悲鳴の果てに生まれた産物。
沈黙が周囲を支配し…
スゥは、その手の魔結晶を握り潰した。
赤い宝石のような錠剤が砕け、ぱらぱらと散って床に落ちる。
アルトを勝利させる為に与えようとしていたのだと思い、妨害に魔法を撃とうとしたエフェルはその姿勢のままスゥの所業に驚いて固まる。
「って…」
「え?」
アルトですらわざわざ魔結晶を砕いた理由が分からず、顔の見えないスゥから届いた小さな声に耳を傾ける。
使いたくないだろう事は察せていたが、儀式めいたように見せびらかして砕く必要が何処にあったのか…
「頑張って…勝って…アルト…」
聞こえたのは、小さな願いだった。
「分かってる…こんな事をして無謀だって、無茶苦茶言ってるって分かってる!けど…けどっ…ぁ…」
必死で喋ろうとするスゥの頭にそっと手を置くアルト。
たったそれだけだったが、スゥは静かになる。
分かった。と、伝えられた気がした。
勝って欲しい。
スゥが願ったそれは、単に無事や勝利を願うだけのものじゃない。
アルトが紡いだ魔科学で、皆の幸福を願って紡いだ力で、子供達の苦悶の声を素材扱いして作ったモノに負けないで欲しいという願い事。
スゥ自身ですらそこまで整理できていないそれをどう汲み取ったのか、アルトは改めてエフェルを見据える。
「スウィーティア…手段にロマンを持つのは魔科学として問題だ。君の魔結晶、砕いた所で彼等が何も無かった事にはならない事位分かるだろう?」
「問題ない、俺が勝てばいい。」
たしなめるかのように語るエフェルを真っ向から見て、迷いの無い勝利宣言をするアルト。
両の手に称えた『弱い』魔力を、まるで練り上げて何かを作るかのように操っていく。
魔法としての規模は、先程までと比べてあまりにも小さく普通の代物、この二人なら息をするように放てる下級魔法と大差ない小さな力だった。
「止めてみろ。」
それだけ言うと、アルトはその力を解き放った。
正体不明の小さな力の塊で構成された、白くて黒い槍のような何か。
エフェルは心底つまらなそうに防御魔法と障壁機器を飛ばし…
アルトが放った槍は、一瞬の拮抗も無くエフェルの展開した防御魔法と機械障壁を撃ち貫き、彼の頬を僅かに裂いて背後の壁に突き刺さって見えなくなった。
沈黙。
その場にいた誰も、喋る事も出来なかった。
強化された魔力によるエフェルの魔法は、先に見た通りアルトの上級魔法と拮抗する代物。
とても、今の小さな力で作り出した何かが、エフェルの魔法防御と機械によって展開された障壁の両方を撃ち貫く代物では無かった。
エフェルは動かない…動けない。
それは、自身の防御がたやすく破られたから…では無かった。
「な…んだ?今のは…解析…出来…ない?」
振り返り、槍が開けた穴を見つめるエフェル。
彼が力を小出しにしながら遊ぶようにアルトと戦ったのは、自身の知らない部分をアルトから引きずり出して認識する事で、『常世の万象を知る』事を完璧に近づけるため。
それゆえに、剣まで使い、色々と交わして戦っていた。
アルトも同時に行っていた、戦いながらの相手の力、術、機器の解析、分析。
それが出来ていたからこそ、初見の代物をまるで見知っているかのように語る事が出来ていたのだが…
二層の防御をたやすく破壊し、壁すらその存在が無いかのごとく貫いていったアルトの放った槍は、エフェル手持ちの解析方法で拾える情報が存在しなかった。
「皆を幸福にする…その術について考えた俺は、元より何かを奪って殺さなければ生き繋げないと言う法則の存在にそれは無理があるという結論に到った。」
アルトの解説に、呆けたままで頷くエフェル。
彼自身がこれまで目指したものが『死者の蘇生』で無かった事が、現実の限界で全てに対処するつもりだったのだと証明している。
生き物は、奪わずにはいられない、生き繋ぐことすらままならない。
幸福にも平和にも限界がある、現実は無情なのだ。
だから、エフェルは生きている娘の未来に全てを費やして…
「ならばこの『世界の法則』を構築した者の域に踏み込まなければならない、それが俺の目指して編み上げた、今の『法則操作術』だ。」
だから、アルラート=エクスは、『現実に真っ向から喧嘩を吹っかけた』。
アルトが黙ると、誰も言葉を発せなくなった。皆その意味が分かっているのだ。
エフェルがスゥに授けるつもりだった、現実で出来る全てに対応するよう情報を集め知識を技術を蓄え授ける事で最大の幸福と守護。
それは、現実を書き換える方法があれば、無意味と化す。
敗北や、もう少し足りない、ではない完全な根本からの願いの断絶。
仮に、今エフェルがアルトを殺したとして、その術を目の当たりにした上で…自身の目指したものが完璧だなどと思えるはずもない。
法則操作術を見せた時点で、エフェルの願いは完全に終わったのだった。
「…分かっていた、分かっていたんだ。脱走する前に、お前の願いに気づいた時点で、俺の存在がお前のソレを全否定する事は。」
止めにきた、そのはずのアルトが、まるで懺悔でもするように搾り出す。
「俺は…お前の妻の、スゥの母の死を見ていたんだ。幼少ながら高い魔法の才と科学を理解できる頭に、自分で溺れていた。だから、スゥが飛び出し車に轢かれるタイミングで死んだと思い、助けに入った母親が巻き込まれたのを見て、死人が増えたと『分析』した。力もないくせに無駄死にと馬鹿にしていたんだ。」
掃き溜め都市に集まるのはそれぞれの国の異端者や問題の人間。
魔法の才なく魔法国の名門に生まれてしまった結果追い出されたのが、スゥの母親だった。
「俺はあの時、彼女の死に『感動』した。」
「何…」
まるで喜ぶかのようなアルトの台詞に、呆けていたエフェルの目に光が戻る。
まさか自身の妻の死に目を輝かせるとは思ってもいなかったのだ。
だが、自分の手を見て、アルトはその瞳を濁らせる。
「力は足りなかったはずなんだ。それでも、彼女はスゥを守りきって見せた。俺が不可能と断じた事を、力でなく保障でなく論理でなく可能性でなく、ただ動いてやりきった。傍らにいた俺が…車両を破壊する事は出来るがそのほうが犠牲者が増えるなどと計算していた時に。何が高い才能だ、あの人を前にお前は一体何を口に出来るんだと、感動と後悔に震えていた。」
その時、スゥと同じ年のアルトも5才前後の本当のお子様だった。
どうにかできなくて当たり前だし、そもそも並の魔法使いでは無詠唱で魔法を扱うことすら出来ないのだ、アルトが責められる謂れは何処にもない。
けれど、アルトは心底後悔した。力があると溺れていた自分を前に、何も無いままただ守ったスゥの母に。
「何も無くても、全てをかければ不可能事を覆せるのなら…たった一度でも才があるなどと溺れた俺には、本当は救えた可能性すらあったかもしれない人を眺めていた俺は、溺れただけの事をしなければならないと思った。そうでなければ、彼女が死んだこの世界に平気な顔をしていられないと。」
だからこそ…不可能な綺麗な望み、『皆を幸福に』等と言う、途方も無い壮大な代物を本気で目指した。
その『結果』は…見殺しにした女性の夫が全てを費やし成そうとした『娘を守る力』を全否定した。
スゥはそんな苦しげなアルトの姿に、地下に降りる前の母の写真を見つけたときの事を思い出す。
(きっと、本当に、懺悔のようなつもりで話しているんだ…)
何となくソレがわかってしまい、スゥは悲しかった。
「本当は…コレを見せずに、力任せで止めてしまいたかった…けど…勝ちきれなかった…それに…」
横目で一瞬だけスゥを見るアルト。
だが、すぐに目を伏せた。
そんなアルトの元に、エフェルはゆっくり歩み寄って…その頭を抱きかかえた。
「…やれやれ、娘に銃を抜かせ、娘婿にまで泣かれてはね。お義父さん負けちゃって悲しい、何て言ってはいられんか。」
「娘婿…俺は…そんな資格…」
「魔結晶を砕いたスウィーティアを見て覚悟を決めたんだろう?お前が感動した妻の慈愛故の行動を思い返して。しかも今泣いているのは私の研究成果への懺悔。これでお前に資格が無ければ私は誰にも娘をやれんよ。」
涙を流すアルトの頭を抱え、ゆっくりと大事そうに撫でるエフェル。
良かった、と思いながらソレを眺めていたスゥは…
「って…む、娘婿って!?」
流れのように決まっている夫婦扱いをしておきながら、自分の前でアルトを抱えているエフェルを見て目を白黒させながら叫んだ。
「うん?そりゃそうだろうスウィーティア。今更何を驚くのかね?」
「だ、だって…って!おかしい!おかしいですから!何でこのタイミングで父さんがアルトを抱きかかえてるんですか!婿とか言って!私だってそこまでした事無いのに!!」
色々役割が間違っていると言わんばかりに怒鳴るスゥを見て、小さく頷くエフェル。
「それもそうだな、ではどうぞ。」
「へっ…」
と、唐突に投げ渡すかのようにアルトをスゥに向かって突き飛ばすエフェル。
よろけたアルトは、そのままスゥに突っ込んで…
「あ、わわわっ!!?」
慌てたように飛びずさった。
一瞬顔を上げたアルトは、下がったスゥを見て再び俯く。
顔から胸元に突っ込んできたから下がってしまっただけの乙女。だが、今の今まで懺悔のように震えていたアルトにしてみればそれは拒絶でしかなく、彼にしては珍しく落ち込む。
「あ!ちがっ!そうじゃなくてっ!」
「ははは!そこは抱き返さなければ成立しないではないか。」
「全部誰のせいだとっ!!!」
一人で心底楽しげなエフェルを怒鳴りつけながら、照れで震える身体を進めてアルトを抱えようとしたスゥは…
寒気を感じた。
足を止め、エフェルを見る。
同じものを感じたらしく、その表情は完全に消えていた。
「遅かった…」
唐突に呟いたアルトは、二人を見る。
浮かない表情だったが、覚悟を決めたように二人の手を取る。
「転移する、邪魔するな。」
「うん?…いいだろう。」
「わ、わかった。」
科学での転移装置こそまだだったが、上級魔法には転移術は存在する。
とは言え、事前準備は必須の高等技術なのは間違いないはずなのだが、アルトは当たり前にそれを発動させると三人で移動した。
(さらっととんでもないなぁ…やっぱり…)
驚愕に麻痺してきた頭で改めて驚いたスゥは…その麻痺した頭すら叩き壊すような驚愕に襲われた。
そこには、光り輝く球体があった。
巨大な球体から、管のように伸びている光を一望できる空間。
その場に三人は立っていた。
「こ、これは…」
「世界の核。理を書き換えて全てを幸福にするならと、地中を探査魔法で探っていたんだ。…その途中であの地下を知った訳だがな。そして、同時に最悪の事態だとも分かった。」
「最悪って…さっきの悪寒と関係が?」
一人よく分からずに尋ねるスゥに、既に状況を汲んでいたエフェルが震えながら告げる。
「死にかけている。」
「え…」
エフェルの言葉と同時に、伸びていた光の管が一つ消えた。
このまま全て消えたらどうなるのか?
世界の核とアルトは言った。その意味を正しく理解するには相当の分析が必要なんだろうが、単純な所はスゥでもわかった。
色々死ぬ、終わる。最悪星とそこに住まう生命まで全て。
「各地の禁忌を潰して回ったのは、人道以外にここの理由があった。普通の都市で使用している技術魔法もそうだが、禁忌系統は桁外れに消費が大きいからな。」
「それでテロとは」
「国の指示すら無視する悪党が掃き溜め都市の一研究者の注意なんて聞くと思うか?」
「なるほど…」
光の弱まってきている球体を眺めながら、肩を竦めるエフェル。
動けずにいる二人を他所に球体に近づくアルト。
「俺はこれから、自身の魔力量を法則操作で『無限』に変化させた上で、星に供給する。」
「え!?」
「等価交換、作用反作用すら無視とは…つくづく恐ろしいね。本当に神の所業だよそれは。」
当たり前のように言ってのけたアルトに驚きなれたはずのスゥが声を上げる。
エフェルですら頬を引きつらせた。
「いいから聞いてくれ、その間にやって欲しい事が二つある。不死化の方法発見と各地の浪費の防止だ。俺一人がが無尽蔵に注いだ所で、ホースから海を満たそうとするようなもの、大規模実験を乱発されたら追いつかないし、俺が死んだら供給が途絶える事になる。」
「は、はい…分かり…って、そ、それを丸投げするって事はアルトはここから動けなくなるんですか!?」
アルトからの頼み。
珍しく、また嬉しい事だったため考えもせずに頷きかけたスゥは、それが示す事実に気づく。
星に力を供給する『部品』になる。
そんな話に、アルトは躊躇い無くうなずいた。
「そ、そんな馬鹿な話」
「一つはこれでいいだろう。」
叫びかけたスゥに割り込むように、エフェルは小瓶をアルトに投げ渡した。
「不老化の薬だ。死ねば死ぬから不死ではないが、代謝機構に普通治らない古傷や組み込まれていない部分も組み込む為の薬剤だよ。」
「…お前も十分神に喧嘩を売っていると思うぞ。」
「不死性生物は実在するからね、君とは違うさ。」
とめる間もなく話を進める二人。
アルトは躊躇い無く受け取った薬を飲み干し、自身の身体への効果を確認しながら変化を待つ。
「父さん!」
「何、生きていれば会える。どの道あの薬では食事は取らないと死ぬからね、通い妻になるだけだ。どうせ彼は外ではしゃぐタイプでもない。」
「あぁ、気にするな。」
簡単に片付ける二人。
だが、アルトはいつも表情に変化が無く、エフェルはいつも飄々としているだけで、その心中を図り知る事はスゥには出来なかった。
どの道、アルトにしか出来ない。
どの道、星が終われば皆死ぬ。
あまりに早過ぎる話だが、アルトは一人、研究所を抜け出したときからずっと、禁忌から星の終わりまで全てに一人で対処する気でいて…
(私なんかでも…できる事があるだけ…いいのかな。)
何も出来ないまま自身を魔力供給炉に書き換えようとするアルトを眺め…
アルトは、動かなかった。
静かに自身の胸元に構えた腕が、そのまま固まったように動かないアルト。
「…やれやれ、アルラート君?こんな最高のタイミングでそんな間抜けな失態を晒さないでくれないかね。」
「え?」
「始動の為の魔力尽きたようだよ。まぁここが弱まった分魔法に必要な消費が大きくなっているようだし、アレだけ戦えばそうなるのも分からんでもないがね。」
冗談のような真実。
全く笑えないそれに、しかしアルトは何も言わなかった。
と、エフェルはスゥに歩み寄って、その頭に手を乗せる。
「少し楽にしておいてくれ。」
「え…ぇっ!?」
何をするのか分からず戸惑うスゥに、唐突に何かが流れ込んできた。
分からないまま、スゥの中でフラッシュバックのようにバチバチと何かが明滅する。
「エフェル!」
「インストールまでだよ、フルオート化は私ですらまだ完全に制御できてないんだからね。」
とめようとしていた事を今になってやってしまったのかと慌てるアルトを前に、スゥから手を離したエフェルは、今度はアルトに近づいて…
自身の左手首を切った。
「お前…っ!?」
驚くアルト。
だが、驚いたのは単純にその行為を見たからではない。
エフェルが何をしようとしているかを察してしまったから。
右手を翳しているだけの傷口からは、血の一滴も流れない、流れ落ちない。
全てが尽く『使用されている』。
「仕方あるまい、現状一番余力があるのが私だろうしな。魔結晶をアレだけ服用すれば当然だが。」
言いつつ、エフェルはアルトに赤い結晶を投げ渡した。
魔結晶。
魔力増幅の役割を持つ、竜種や魔法使いなどの魔力を含む精や血を多量に用いて作り出す薬剤。
世界の力が絶えかけた中で、自身の血液を材料にそれを精製したエフェルは…
そのまま、背後に倒れた。
「と、父さんっ!!!」
慌ててエフェルに駆け寄るスゥ。
その光景を…そのままの傷口から一つの出血も見えないエフェルの左手を見てアルトは硬く目を閉じた。
僅かに開いた目で、一瞬、その手に残った魔結晶を見たアルトは、再び世界の核へ向き合うと、魔結晶を飲み下しその力を使う。
法則操作、魔力の無限化。
急ぎ、しかし焦って制御を誤らないよう、自身の身体に異なる法則を植えつけたアルトは、それを維持する事のみに集中し、手放しで自身の力を格に向けて明け渡した。
常世の理を無視する力を以って変化した自身の魔力を用いて、その変化を維持しながら、まるで逆さにしたグラスのように自身の力の全てを無限に流し続ける。
「待って!今転移するから!血が抜けただけなら輸血すれば」
「無理だ…ここが回復しなければ…それに、入れただけの知識もまだなじむのに時間が要る。」
「っ…」
核の力が枯れかけている今、入れられた人の知識を用いて高難度の長距離転移を行うなど、錯乱近い今のスゥに出来るはずもなかった。
分かっていて、エフェルはアルトを指差す。
「理…操作…私にも分からない技…料理なら失敗しても不味いだけだが…自分の身体の変化に失敗したなら…」
「ぁ…」
搾り出すように告げたエフェルの言葉に、スゥは恐怖しながらアルトを見た。
身体の変化に失敗。そんなもの考えるまでも無く死に直結する。
「支えてやれ…それはお前の役目だろう?」
「…はぃ…」
遺言のように告げたエフェルは、それで動かなくなった。
しばらくして、スゥは入れ込まれた知識と技術がなじむと、転移の方法をさらい、エフェルの遺体を抱え研究所に戻った。
アルトの食料を確保しなければならなかったし、遺体は遺体で放置もしておけなかったから。
スゥが戻ってきても、まるで反応も示さず核と向かい合っていたアルトは、どれほどそうしていたのか、やがて胸元に翳していた手を下ろすと、後ずさりして崩れ落ちた。
「アルト!」
「問題ない…核はとりあえず落ち着いた。」
言いつつ、それを指し示すアルト。
紐のように伸びた光は途絶えていたが、核そのものの光は強くなっていた。
「…今後…どうするんですか?本当にずっとここに?」
「俺が下手に何かに巻き込まれるのも、ここの存在が他人に知れるのもよくは無い。だが…お前がもう関わりたくないなら…」
「馬鹿言わないでください!アルトだけ不自由が過ぎるって怒ってるだけで貴方を支えないなんて選択肢はありません!変わってなかったのなら尚更です。」
互いに心配から聞いた事が無意味だと悟った二人は、覚悟を決めるように頷きあった。
数年後、スゥは掃き溜め都市を魔科学研究による学院都市とするために動いていた。
さすがに諸事情を説明せざるを得なかった両国の長に、消費の乱用を避けて禁忌の研究を潰してもらうよう頼み、アルトを守りながら都市と魔科学を維持する為。
そして、何より…
(あらゆる偏見、固定観念をなくして願いを叶える力…)
開祖である父の真意を知ってからではあまりにも恐ろしいこの言葉に…
(皆を幸せに…)
本気で目指したアルトが編み上げた扱いに困るほどの力に…
言葉の表面上しか分からなかった、スゥが感じた『夢』。
その、ある意味で『嘘』を、そのままの形で皆に届けたいと、スゥは思った。
偏見、固定観念を無くして願いを叶える力で、皆に幸福を。
本物であったが故に狂ってしまったその力を、スゥが感じた『夢』のまま届ける為に。
あとがき
『幸せになりたいかー!』
『嫌だよ!!!』
と、ここだけ見たら『何言ってんだコイツ』と思われそうな言葉が当てはまる本作ですが、いかがでしたでしょうか。
毎度の如くある題ですが、今回は『絶対的幸福への疑念』と『戦闘が必要な時点で僅差の高位技能』の二つでした。
前者については、幸せの定義は人それぞれとか、そういうレベルの話ですらないです。
作中にあったとおり、直接頭いじくって幸福の状態にしてるので、何がどうでも幸せです。何がどうでも、絶対に。だからっておそらく誰もなりたくは無いでしょう。
とは言え、不幸になろうぜ!ってふざけたお誘いでもなく、幸不幸を感じられる感覚を大事にしよう…って感じになるのかな?
大人含め、『慣れたから何も感じません』的な方は、それ雪山の『なんだか眠くなってきた』って状態なんじゃないでしょうか。泣いても怒っても…世の中様だと駄目だし食らうのも多々あるけど、それ堪えてノイローゼになるくらいなら無視していい気がします。
一番いいのはタイミングの調整が出来る事?かな?作者は大人じゃないのでわかりま(殴)
後者は、前者の願いを叶えるとか世界中を幸福にするとかが実現可能なレベルの人ってなると、自然に化物になるので行き着いた所です。
攻撃力がとか、スピードがとか、そういう問題飛び越えてますからね今回(汗)。
範囲内幸福化(ニヤニヤして気絶する)とか強制機器干渉(使用者関係なし)とか命中発動による短距離転移とか。
挙句、世界法則の操作。その世界で出来る全てを用いても干渉不可能な効果発生可能という完全ワンサイドゲーム(苦笑)。
時間操作とか多次元とか入れてとんでも攻撃法追加してみようかとも思ったのですが、それが出来る設定だと普通に死者蘇生研究すると思いそれは断念。心臓位なら治(以下略)。
・登場人物について。
『スウィーティア=エリウス』
チート対チーターの観客にして普通の強キャラ。
二人にしてみればお互いは『さすが、凄いね』程度なので、驚く人がいないと成立しない為観客でいてもらいましたが…最初から最後までついていけないとかえって頭が麻痺して驚けもしないんじゃないかと。
部隊引き連れてアルトの幻影術見抜いて程度までは頑張ったんです、ええ頑張りましたとも。世界設定の中では強いほうで、空戦近中距離戦闘可能な人間がそもそも設定の都合上ほぼいません。
『アルラート=エクス』
チーター主人公。
シンプルイズベスト。とは言いますが、世界の法則上皆幸せになるの難しいなら法則かえちゃえばいいじゃない。を地で行くのは中々ぶっとんだ選択な気がします。
誰かのギフトとか生まれ着いての能力以外でこんな事やってられないですよね(汗)。
『エンフェイル=エリウス』
チート級ボスキャラ。
禁忌を余す所なく使ってるから出力でアルトを上回れましたが、自白した通り法則操作の事を除いても魔科学技師としてはアルトに若干及んでいません。
ただし、研究所運営の関係で外にも顔を出してるのでエリクサー含めて普通見れないものも見てきていて、実は解析して作ってます。この時点で十分人外です。
そして、アレだけ大立ち回りしておいてなんですが、この二人『純研究者』です。戦闘要員じゃないんです。
博識と思考速度で生身のチェスゲームをやってたようなもので、戦闘関係は特に何も磨いてきてません。…速射中級魔法(軽災害級)使える時点で大概の人類には負ける要素皆無なんですけどね(苦笑)。
以上、駄々甘作…あれ?
ヒロイン死亡3件、主役死亡1件、生きてるけど孤独放浪、身体欠損、半永久拘束…あ、あれ?
ね、狙ってるわけじゃないのに何だか甘めじゃない気が…い、いや違うんですよ?敵方でも地獄へ堕ちろ!みたいなノリで倒すの好かない位には甘ちゃんなはずなんですよ?
ハッピーエンドでほんわかしたりいっそ喜劇だけでもいいよとか思ってるんですよ?
題に考えるものを挙げてるとこういう方向に行かざるを得ないのかも…いっそ初めから終わりまで頭が溶けそうになる話とか考えたほうがいい気が…甘いとかお子様とかはいいけど、病み系作者とは名乗りたくないので考えてみよう(汗)。