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9 夏休み帰省時 狩野皇人の記憶

9 夏休み帰省時 狩野皇人の記憶


 幼馴染という言葉が決して心地よく聞こえない時が、故郷では流れている。

 なにかの折にかの子も、両親かもしくは近所の人から、聞いているはずだ。

 ──狩野さんちの息子さんは、結婚の口約束をしたくせに、いざ縁談を持ち出されると即刻断った。その代わりすぐにきれいな青潟のお嫁さんをもらって連れてきた。口約束を反故にされた、ほら、あそこの文房具屋さんとこの娘さんは、それ以来家に閉じこもったまま、誰とも会おうとしないってよ。



「皇人さーん、早く行きましょうよ!」

 甘ったれた声でかの子が助手席に座り込み、スカートを丁寧にひざの裏に畳み込んでいた。しわになると困るのだそうだ。夏休み、所詮僕の実家に戻るだけのことだ。気をいれてしゃれ込む必要もなかろうにと思うのだが、女性にはいろいろ事情もあるのだろう。

「ほら、途中でね、おなかすいたら困るでしょ? ケーキも持っていかなくちゃ! 『アルベルチーヌ』お盆休み、開いてるかしら?」

 かの子がこよなく愛する喫茶店のケーキだ。三時間のドライブ中、しかも真夏、クリームが溶けるだけではなくあめてしまう恐れありだというのに。わがままな姫君を乗せて僕は、「アルベルチーヌ」の前を通り過ぎた。ぶうぶうふくれているかの子の髪が、僕の肩に触れた。薄いシャツにも響くくらい、かの子の髪は豊かだった。


 周囲からは、「どうしてこういうタイプの女を選んだのか?」と飽きるほど質問を浴びせ掛けられたものだった。友人たちも、家族も、そしてかの子自身も。

「どうして私みたいないいかげんな女が気に入ったわけ?」

 時々すねられて困り果てたこともある。もちろんかの子は、僕がうんざりして投げ出したくなる寸前でぱたっとわがままをやめ、

「まあいいわ、長く付き合っていけばわかるわよね」

 とつぶやくのが常だった。

 見合い結婚という、いささか古風な出会いとはいえ、与えられたかの子関連の情報にはそれほど眼を引くものはなかったはずだった。アパレル会社で経理を担当していたので数字には強いとか、派手な容姿にもかかわらず今まで浮いた話がなかったとか、その程度のことだった。もちろん見合いの釣書にかの子自身の情報を事細かに書くわけにはいかないだろう。付き合った男たちとはいろいろごたごたを起こして別れてきたらしいとか、もしかしたら同性愛者かもしれないとか、結婚しても別の男とは付き合い続けたいとか。

 そういうかの子の防御服を、僕は幸い、この手で脱がすことができた。

 女性とのかかわりをそれほど求めてこなかった僕が、初めて我が物にしたいと感じた、たった一人のひとだった。


「皇人さーん、あそこ、なに? ほら、赤い筒型のポストのとこ」

 すねて騒いで甘え続けた三時間過ぎ、まだまだ元気いっぱいのかの子は窓をたたき、指差した。少しスピードを落とした。赤い筒型のポスト……なかなか青潟では見かけなくなった旧型のポストがかの子には珍しいらしい。僕にはそれほど珍しいものでもないのだけれども、そこらへんがかの子の都会育ちなところだろう。

「ここは、昔の郵便局だよ」

「昔のって、えーっ、だってこのうち、昔のほら、江戸時代の呉服屋さんとかそういう雰囲気の建物なのに?なんで?」

 歴史にはそれほど詳しくないかの子。時代劇で観たものをさしているのだろう。

「大学を出る頃まではここの郵便局が現役だったんだよ」

「えーっ!」

 黄葉町に来るのはかの子にとって初めてではないはずなのに、なぜか彼女ははしゃぐ。

「そんなあ、だって、ちゃんと年賀状とか、郵便の仕分けとか、できてたの?」

「もちろんだよ。僕もここから、大学の願書を出したりしたものだから」

「ちゃんと届いた、のよね?」

「あたりまえだよ」

 

 このポストから斜め向かいの家には、かの子は一切関心を示さなかった。

 本当ならば、「こんなところ通らないでよ!」「私を馬鹿にするつもり!」とわがまま言って、わざと迂回させても不思議はないだろう。それだけのことをかの子は僕にされてきた。僕はかの子を傷つけるようなことを、してしまった場所だというのに、それでも関係ないかのように楽しげにはしゃいでいる。


「じゃあ、このポストに乾杯ね! そうだ、セシルにおたよりだすのに、ここのポストから出してもいいよね!」

「別に、違うところがあるだろう?」

「いいの、このポスト、なんか気に入っちゃったの!」

 かわいらしいもの、華やかなものが好きなかの子には、筒型のとぼけたポストがいとおしく思えたのかもしれなかった。僕は黙って車のスピードを上げた。斜め向こうの家には一切眼を向けず、かの子はまた肩に頭をもたせかけてきた。首筋にかかる髪の毛が痒くて、軽く押しやると、

「いーだ、せっかく甘えてやったのに!」

 唇を尖らせた。


 ポスト斜め前の家は文房具店だった。そこの娘と僕とは、いわゆる「幼馴染」の関係だった。旅館の一人息子と三人姉妹の末っ子の彼女と。親同士のつながりもあって、無理やり仲良くさせられたような感じがあった。町内の会合が行われている間は子ども同士で集まって、安全な場所で遊んでいるように言いつけられたりもした。あまり群れることを好まない僕には苦痛な時ではあったけれども、しかたないとも感じていた。話をうまくあわせて、それなりに気遣いをする程度のことだった。

 いつからだろう。文房具屋の彼女が僕に好意を示してきたのは。

 おそらく彼女自身の意思では、なかっただろう。

 親同士、なんとなく「あそこの息子と娘を娶わせたい」というような意思が芽生えてきて、意識的にふたりを見合いさせるような雰囲気が、黄葉町には存在していた。そのあからさまな態度が好きになれず、僕は中学を青大附中にしたいと言い張ったのだった。周りからは青大附高からにするよう説得されたが、僕は一刻も早く黄葉から出たかった。このまま、親のいいなりで学校も決められてしまうのだけは避けたかった。恋愛感情などはまったく理解できず、それどころか女子たちの視線がなぜ将来につながってしまうのか、そのあたりの事情が耐え切れなかった。小学生の段階でなぜ、結婚の意識をもたなくてはならないのだろう。結婚青田買いの町だとわかっていても、耐え切れなかった。

 男子の場合は「学業」でなんとか切り抜けることができた。でももし、女子でそれほど「学業」の切り札が生きない子だったとしたら? 文房具屋の彼女はそういうタイプの子だった。また、無気力と言っては失礼だが、とにかくおとなしすぎて存在感の薄い少女だった。同じようなタイプの僕とはきっとうまくいくだろうと、周囲の大人たちは感じていたのだろうが、結局のところかの子を選んでしまったのだから世の中わからない。

 僕自身が、彼女のことをまったく眼中になく、青潟に逃げ出した後、周囲の大人たちは彼女をターゲットにしていろいろと言って聞かせたらしい。このあたりの事情も両親および故郷の友だちから聞いたにすぎないけれども、僕が高校を卒業する頃には

「私は皇人くんのお嫁さんになるの! もう決まってるの!」

と口にするようになったという。

 彼女の両親も、僕の両親も、そして彼女本人も。

 

 就職が決まった段階で縁談を持ち出された。最初から気持ちもなければ結婚の意志もなかった。両親の目の前できっぱり断った、それだけだ。

最初のうちは両親も「面子が立たない」と文句を言っていたけれども、次に用意されたかの子との縁談がすぐにまとまったこともあって、とりあえずは丸く収まった。

 すでに文房具店も不景気のあおりを受けて店じまいを考える時期だったということもありそれ以上の責め立てはなかった。

 親同士で盛り上がったものであって、子どもたちとは関係のないことだった、ただそれだけといえばそれまでだ。

 両親に言わせると

「ちょっと断られただけですぐにいじける陰気な子を嫁さんにしたらあとあとお前が苦しむだけなのだから、かえってそれでよかったのだ」

そう納得したらしい。


 僕はもっと早く告げておくべきだった。

 小学校の時に僕がきっちりと拒絶しておけば少女時代を僕の面影追いで終わらせずにすんだだろう。たとえ彼女をずたずたに傷つけたとしても……たとえば僕のクラスで起きた生徒恋愛問題のように……時間を無駄にせずにすんだはずだ。

 生徒たちに僕の過ちを繰り返させてはならない。

 かの子の笑顔と長い髪の毛の快感に酔うかわりに、僕は罪を償わねばならない。

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