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8 中学三年 ゴールデンウイーク 難波利武の記憶

8 中学三年 ゴールデンウイーク 難波利武の記憶


 写真集というもんは、やたらと厚ぼったくてしかも高級な紙を使っている。破くのに人一倍力がいる。古書収集……主にシャーロック・ホームズに関するもの……を続けている俺にとって、書籍を引きちぎるっていうことは、絶対やっちゃいけないことだと思っていた。どんな薄っぺらい冊子だって、スーパーで配られているお歳暮カタログだって、少しでも指紋や傷をつけてしまったら、本の神様にぶん殴られる。

 俺は橋の欄干にもたれたまま、かばんの中から一冊、A4版の冊子を取り出した。

 本、というよりも文集、って言った方が正しいだろうな。これは。

 俺の持っている「日本少女宮」写真集にくらべると実にちゃちい代物だった。一応は写真集なのだが、やたらとてかてかしているのにページがしのらないという、読みづらいことこの上ないものだった。観る側のこと、ちっとも考えてねえってことは、手に取った瞬間すぐに伝わってきた。


 午前中は結城先輩の友だちが住んでいるアパートにもぐらせてもらった。俺が「日本少女宮」のコンサートに行きたいと言い出したのを聞きつけて、「交通費と食い物代だけあれば、チケットただでやるぞ!」とお誘いしてくれた。ただ青潟ではなく、汽車で少しばかり遠くの街だったので、親の説得には若干時間がかかった。まあ、結城先輩の「友だち」が大人ということと、ある芸能プロダクションの社長さんらしいということもあって、両親の抵抗は程なくやんだ。とはいえ、俺だって金持ちなわけではない。買い食いをあきらめ、缶ジュースは買わずに蛇口から水を飲み、貯金通帳にぶち込んだお年玉を全部下ろした。もっともらっていたはずなのに、ずいぶん少ないのは、きっとうちの親がくすねたかなんかしたんだろう。交通費と食い物代はまかなえる程度の量だったのでまだ文句は言ってないけれども、帰ったらさっそく金返せってわめかなくちゃあならない。

 結城先輩とそのお友だちは、よくよく聞くと結城先輩父の仕事仲間とかだという。「プロダクションの社長」も嘘ではないが、問題はタレントがいないことくらいだという。つまり、ちょうど独立したばかりなのだという。いろいろ忙しいこともあるとは聞いているけれども、俺が話をした感じだとそれほどあくの強い雰囲気はなかった。コンサート開演は六時半と聞いている。空き時間を使って俺は、その街の図書館で少し調べ物をしたかった。同時に、ひとりだからできることをひとつ、片付けてしまいたかった。

 この街に橋のかかった池が存在することに気づいた段階で、即思いついたこと。

 ──ここなら、誰にも気づかれまい。

 俺は、同じ表紙の素人っぽい写真集を十冊、かばんから取り出した。ビニールのかかったまま、手がついていないものばかり。古本屋で入手したものだから、ちゃんと値札が張ってあるのが笑えた。店によってぜんぜん値段が違っている。五百円のものもあれば五千円のものも。こんな薄っぺらい写真集なんぞに五千円なんて俺の小遣い二ヵ月分になるかならないかが飛んでいってしまう。こんなのに金使うなんて、やっぱり世の中、病んでいる。


 あえて表紙は見なかった。俺がこの写真集もどきをめくったのは一回きりだ。もちろん一冊のみだった。ビニール袋のかかっていない、傷のほとんどない写真集。「きらめきの少女」などという、安易な題名がついている。作ったやつらの頭の悪さがよっくわかる。もっと俺だったら「ロリコンおっさんいらっしゃい」だとか「アリスマニアの病人写真集」とか書いて、思いっきり読み手に罪悪感を与えてやるんだが。

 空の青さがなぜか、水辺には映っていない。緑色のおそらくこけが、水面いっぱいに広がっている。時々黒っぽい魚が不気味に下をもぐっていた。ほんとうだったらもっと、鯉だとか鴨だとか、かわいらしい感じの生物が哺乳類鳥類魚類関係なく漂っていても不思議はないのに。両手側に一杯広がっている、木々の葉と、時折咲いている白っぽい花。俺は花なんて知らないけれども、ここから橋の向こうを眺めているとすうっと自分も沈んでしまいそうな気になる。


 ──沈めるのは、俺じゃない。

 ──沈めて静めるのは、これだ。


 人はこない。

 今俺がしようとしていることを人が見たら何というだろうか。

 有名な観光公園の池に、何を血迷ってごみなんぞ捨てるのかと怒鳴るだろう。

 この街は青潟と違って俺の顔を知っている人がいないから、決めたことだけど。

 それに、あいつも。

 ──あいつの顔は、この街の連中、誰も知らないんだ。

 ──だから。

 まだ午前中、公園を巡る客なんてほとんどいない。

 今だ。


 俺は、すべての写真集をそのまんま、橋の上から水の中に落とした。

 ぱたっと、水っぽくない着水の音が響き、捨てた分の半分……だいたい五冊分……はすぐに沈んでいった。ビニールがかかっている分はすべてだった。なのに、一冊だけが表紙を表にしたままぷかぷか浮いている。水の流れがゆっくりしているせいか、俺の視界から消えようとしない。あれだけ目をそらしてきたのに、早く沈んでほしいのに、俺の顔を表紙の女子はずっと見つめていた。長い髪をふわふらゆらすような顔でもって、花束を抱えて微笑んでいる、あいつの顔だった。

 ──とっとと沈めよ!

 長い棒があったらすぐに、つつ、とつついて無理やり押し込んでいただろう。紙がしっかりと水分を吸い込んで、ゆっくりと消えていくはずだ。そう思ってもまだ粘っこく、写真の女子小学生はにっこりと笑いかけるままだった。


 この本はまだ青潟に出回っているはずだ。別にこんな趣味の悪いロリコン写真集などに金をかける必要なんてないし、第一俺の命は「日本少女宮」のつぐみちゃんだ。あんな小学生のにっこり女子なんかに関心なんてない。すっぱだかで寝ている姿をとられるなんて、うっかり女子銭湯に入り込んでしまうことでもしなければ、まずありえないだろう。こんな趣味の悪いロリコン写真集、俺にはどうだっていいんだ。

 ただ、せっかく古本屋でシャーロキアンな本を集めようとしているところに偶然、あんな勘違いロリータ女の写真集が飾られていたりしたら気分が悪くなる。俺とは天敵同士の、あの女子の過去の写真集で、裏ものだとわかっていて、そんなのたぶんほとんどの人が気づかないはずと頭ではわかっているけれども、だめだ。高校生の顔して金払い「兄のやつです」と頼まれてもいないのに言い訳して買っちまいたくなる。何もこんなつまんないもんに、なんで五千円も出そうとするんだろう。金の無駄だ。


 ──まだ青潟にはあるんだろうな。

 ──帰ったら、また古本屋回ってみるか。


 あんな見苦しいロリータ写真、青潟に一冊も残してはいけない。

 即、この世から消し去るべきだ。

 もう二度と、あんなものを手にされないようにするために。

 

 俺はもう一度水面を眺めた。ちょうど橋の下から白いアヒルか水鳥かわからんけど、ゆっくり泳いでいくのが見えた。うまく写真集を迂回して進む調子に、波がゆれた。息を呑む間もなく、ロリータ写真集は沈んでいった。

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