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7 中学三年・春 立村上総の記憶

7 中学三年・春 立村上総の記憶


 各学年の委員が決定するかどうか、大至急確認しなくてはならなかった。各クラス委員決定がすんなりいくかどうか、予定通りの面々か。これはかなり大きな問題だ。一年はまだまだ単なる顔合わせ状態だからしかたないとしても、二年、三年に関してはあまりにも予想外の人が選ばれてしまっても困ってしまう。「委員会優先主義」の青大附中だが、一応は各クラス、担任教師の権限ですべてが決まる場合もあるし、できるだけ早い段階で情報を集めなくてはいけなかった。

「どうだった?」

「うちのクラスはもうばっちり!」

「俺んところもまあ予想通りかな」

「うちは当然っしょ、ひっくり返るわけないじゃん」

 天羽、難波、更科、それぞれのクラス評議メンバーはまったく持って安泰。天羽のいるA組だけが女子評議の変更を要したもののこれは、前もって情報を得ているから大丈夫だった。近江さんという人、よくわからないけど清坂氏と仲がいいし、きっとうまくいくんじゃないだろうか。見捨てられた……と言っていいのかな……西月さんには申し訳ないし、あまりにもかわいそうだとは思うけれど、評議委員の立場からするとそれも仕方ないのではと感じる。

「で、問題は二年だよな」

「二Bだよな、問題は」

「立村が一番心配しているのは、そこだろ」

 三人それぞれ一番の問題点を突きながら話すのはいいが、僕がほしいのは正確な情報だ。

「悪い、俺、先に確認してくる」

 三人が「はあ?」と口を半開きにしている様を無視して、僕は即、二年教室の並ぶ廊下へ駆け下りていった。


 こういう場合誰が頼りになるか。本来だったら二年B組のおそらく評議委員に選ばれたであろう新井林をとっ捕まえるのが筋だが、そう簡単にはいかないだろう。一週間前に新井林の前で僕は、本条先輩に思いっきり殴られた。非常にばつが悪いが、そんなこと言ってられない。まだ戸が開いていない二年B組の教室前を何度か僕は往復した。ずいぶん長引いているようすだ。かなり荒れているのだろうか。廊下に聞こえてくる声は杉本梨南のものではないし、新井林のがらがら声でもなかった。もっとやわらかく、落ち着いた女子の声だった。

 ──やっぱり、杉本ははずされたな。

 一年時女子評議として活動してきてくれた杉本梨南をおろさねばならなかった現実は、いまだに尾を引いている。代わりの居場所は用意してあるし、そちらの方で活動させるという計画もすでに立っている。だからその辺は心配していない。あとで杉本本人から聞き出せばいいことだ。しかし問題は、次の女子評議が誰か?という一点にある。噂によると、杉本の元親友で新井林の最愛たる恋人・佐賀はるみではないか?という情報も流れている。

 ──けど、いくらなんでもな。俺のところに顔を出すことになるなんて、居心地悪くないか? ああいうことがあったんだからさ。

 ある意味、弱みを握っている、と言って過言ではないと、僕は思う。

 あそこまで深く愛情注がれている佐賀さんがだ、まさか水鳥中学の男子と……。

 新井林の前では百パーセント否定したので、まったく問題はないように繕っている。でも、ある程度真実に気づいている相手の前に出られるほど、心臓強い女子だろうか。佐賀さんは。男子受けはよく、女子たちも最近は杉本よりも佐賀さんをバックアップする方向に動いているとも聞く。でも、まさか評議にはこないだろう、いくらなんでも、僕と毎週顔を合わせて、あの佐川との関係を思い出させるような気持ちになるなんて、求めるわけがない。


 他の二年クラスがどんどん放課後に突入している中、B組だけはまだまだ討論している真っ最中だった。確かB組の担任・桧山先生が言うには、杉本を「保健委員にしたい」と口走っていたらしい。「人の心をわからせるため」だそうだ。ものすごく安易な発想だ。ただ、もしもそちらに入っていってうまくやっていけるのだったら、それでもいいだろうと僕は考えていた。うちのクラスの保健委員は、杉本が来るらしいという情報を聞きつけて無言でため息ついていたが。噂ばかりが広がっていっているだけだ。うまくはまればそれでいいだろう。保健委員の三年には、奈良岡さんもいる。奈良岡さんだったら女子に対しても面倒見いいから、それはそれでいいんじゃないだろうか。僕とはどうもずれてしまう感覚の持ち主だけど、女子同士だったらかえって杉本も心を安らがせるかもしれないし。

 ──どうせ俺は、不細工で頭の悪い裏切り者だからな。

 もう、去年のように、「立村先輩は顔が不細工ですけれども、まともな頭の持ち主ですね、男子で唯一の」と言ってくれることはないだろう。それならしかたない。不細工で馬鹿な頭の持ち主として、精一杯、努力するしかない。


 すでに他の二年クラス情報は通りがかりの二年たちから仕入れることができた。やはりこのあたりは予想通り、それほどのゆれも感じない。ただ誰もがB組の状況については、言葉を濁す奴が多かった。今度二年用の英語教科書完全和訳を用意することをえさにして、聞き出したところによると、

「なんか、三学期に入ってから、B組、ものすごく仲良くなっちゃったんですよね。それぞれの委員同士、ほら、男女すっごくあそこっていがみ合ってたじゃあないっすか。それがね」

「新井林が指示してか?」

 二人の証言者いわく、

「違うんですよ! それが! 二学期の大もめをきっかけにして、それぞれの委員がね、団結しちゃったらしいんですよ。『杉本に割り込まれたくないから、互い協力しあおう』って男子の方から折れだして!」

「そうそう、杉本さんとコンビ組むくらいなら、他の人とくっついた方がましって、男子たちみな思っているようで、とにかく必死に女子のご機嫌取ってるって、有名だったんですよ」

 ──そこまで嫌われてるのかよ。

 知らないわけではなかったけれど、こうやって第三者からはっきり言い切られると、やっぱりめげる。もちろん担任の桧山先生サイドからしたら「クラスの団結力がよくなる」からいいことだろうし、応援もするだろう。新井林も「いじめ」は決してしないというモットーでもって杉本に接することを誓っている。あふれんばかりの嫌悪感を押さえて、懸命に普通に接しようとしている。誰もが、ちゃんと評価されるやりかたでもって杉本を排除しようとしているわけだ。そして、その排除する側の一人に、僕もいたわけだ。もうクラスには親友もいない、ひとりぼっちの杉本を猫の子摘み上げるみたいに、ひょいと持ち上げて外に放り出した、それが僕だ。


 B組の前扉が開いた。一番最初に出てきたのは杉本だった。きちんとポニーテールに髪の毛を結い上げ、唇を一文字にして背を伸ばし、少し不自然に見えるくらい足をぴっぴとリズミカルに出して歩いていた。続々と他の連中が出てくるが新井林と佐賀さんのふたり、および主だった委員に選ばれたらしい連中……たぶん男女混じって桧山先生の教卓に集まっていたところみると、そうだろう……ははしゃぐように笑顔一杯先に語りかけていた。黒板には少しやわらかい文字で委員名が連ねられていた。しかたない、僕は杉本を追うことにした。


「杉本、少しいいか」

「何か御用ですか」

 思ったとおり、杉本は無表情のまま直角に身体を僕の方へ向けた。しぶしぶといったふうに九十度しっかりと身体を折り曲げ礼をした。

「途中までいっしょに帰ろう」

「いやです。先輩みたいな不細工で頭の悪い人と一緒に歩いたら、私のレベルが下がりますから」

「俺は杉本と歩くと自分のレベルが上がるからそれでいいけどさ」

 返事を待たず、隣に並んだ。生徒玄関で靴を履き替えるのもそこそこに、杉本に逃げられないようしっかりと足早に歩いた。

「委員の結果なんだけどどうだった」

「やっぱり私を物笑いにしたくていらしたのですね。結構です」

「いや、そういうわけじゃないよ。俺はこれから杉本にたくさん頼まないといけないことがあるんだよ」

「すべての委員から追い出された私を馬鹿にするためですね。立村先輩は頭が悪いだけではなくて他の男子たちよりもずっと、性格が冷酷だったということがよくわかりました」

 相変わらず、まっすぐな抑揚のない口調で続ける杉本。本人のくせだ。気にしない。

「つまり、今回は委員に特に入らないことになったんだな」

「相当私を馬鹿にしたいんですね」

 そう思われてもしかたないだろう。事実関係だけ確認できればそれでいい。僕は無視して続けた。ひょいと頭の上に花びらが降ってきた。まだ桜は咲いていない。梅、もしくは桃だろうか。何かの桃色の花だった。

「俺は事実を知りたいだけなんだよ。保健委員には」

「なる気ありません。私、保健委員には最初からなる気ありませんでしたから」

 唯一、委員会活動につながる可能性のあった「保健委員」も、手に入れられなかったということだろう。仕方ないといえば仕方ないことだし、想像してないこともなかった。でも、一年間しっかりと評議委員を務めてきた杉本にとってこれだけ屈辱的なものもないだろう。

「評議には新井林と佐賀さんが無条件で決まりました。私以外の人たちは、私を追い出すためにみな団結してます。結局この世に私はいないほうがいいということがよくわかりました。死んでもあの人たちは泣かないでしょうね。葬式になんてこない方がいいですけれども、そんなに死んでほしいのだったら私も殺したいと思ってどこがいけないのですか」

「いや、殺したいとは……」

「どうせ立村先輩は、私をもう二度と評議委員にしたいと思ってないんでしょうから、おろしたのですよね。最初は評議委員長に育てると言っていたくせに、手のひら返したような態度取って新井林に乗り換えて佐賀さんに色目使うなんて最低です。清坂先輩が哀れです」

 言葉はまっすぐ、きりりとしていた。

「私は、あの人のために、あの屈辱を耐えたのです。さっさと先輩、消えてください」

「消えないよ」

 反射的に僕は答えていた。

「杉本はいやかもしれないけど、俺は杉本にこれから、交流会メンバーとして活動してほしいから、思いっきりしつこく声かけるよ。西月さんの手伝いしてもらわないと困るしさ」

「それとこれとは別です」

「いやほんとだよ」

 何を言っても今の杉本には伝わらないってわかっている。横顔を覗き込めばいつもどおり無表情な杉本の表情が見えるし、その中にはちっとも傷ついていないという風にしか思われないなにがかある。三学期までだったらまだ、花森さんもいた。でも今は誰もいないのだ。同級の中で誰一人、甘えられる相手がいない。

 僕は杉本が無視しながらもしゃべりつづけるのを黙って聞いた。それしかできなかった。

「私は最初から保健委員になる気はありません。少しリサーチしましたが、保健委員の先輩たちとはどうしても肌が合いませんので、最初から落とされて楽でした」

「肌が合わなかった?」

 意外な言葉だった。ざらついたやすりみたいなものが、僕にこすりつけられてしまったような感触があった。杉本は続けた。

「みな、すべての人がいい人だと決め付けているところが好きになれません。みんなすべて楽観的に受け取ることは、もちろん必要なのでしょうが、私には賛成できません」

「楽観的、って、それは、誰のことだよ」

 思わず周囲を見渡した。思い当たる節がある人が約一名、内のクラスにいる。またもしその人が「楽観的過ぎる保健委員で好きになれない相手」だったらばれたら困る男子が約一名、またいる。聞かれたら大変だ。あいつに恨まれたら、いくら僕でも杉本をかばえない。

「人には裏と表があるはずです。立村先輩のように、私を正当に扱ってくれたふりをして、後ろから突き落とすくせのある人だっています。それは裏表としか私は思えません。佐賀さんのようにずっと私にかばわれていたくせに、いきなり寝返って私から評議委員の座を奪い取って踏ん反りかえっている人もいます。新井林は私の前では殺してやりたいくらいの行為をしますが、他の人間に対してはそれらしい行動を取っています。うちの親はずっと私を評価していたくせに、いきなり態度を変えて半殺しにしようとしています。人間はすべて悪魔の部分を持っています。それを知らないふりして、すべての事柄を平気な顔して、『私のそばにいる人はみんないい人よ!』と決め付ける神経が私には理解できません」

 僕はいったい何を言えばよかったのだろう。ただ黙って、杉本が言葉を飲み込むのを待つだけだった。決して個人名を出したりはしなかった。保健委員たちに対してというよりも「楽観的な価値観」を持つ人たちへの批判だから、悪口ではない。杉本の言う通り、きっと保健委員に回されてもうまくいくことはなかっただろう。それで、やはりよかったのだ。桧山先生の采配も、新井林と佐賀さんの行動も、すべて正しかったのだ。僕にはそれしか言えない。


 ──そばにいる人は、みないい人よ、か。

 前向きな価値観の持ち主たちに傷つけられている杉本の言葉は、僕とすっぽり重なっていった。羽飛も、清坂氏も、みな僕を大切な友だちだと思ってくれている。僕が本当はどれだけどろどろした汚い気持ちの人間か、殺意を持ってすべてを切り刻みたいと恨みを抱えていきていることを知らない。「昼行灯」と呼ばれている自分でいいと思っていた。逆恨みばかりして、回りの価値観を受け入れられない自分がいる。明るく楽しい価値観を押し付けられる、と感じて反抗したくなってしまう自分がいる。

 ──きっと、いい人なんだよな。俺の大嫌いな人たちも。

 ──でもどうしても、俺は嫌いにしかなれない。

 その考えをまた笑顔で押しつぶそうとする「楽天的」な人たち。

 ──そう考えるから、また不幸になるんだよ、立村くん。そんなの普通の人は気にしないんだから、さらっと流せばいいのよ。

 さらっとか。杉本も、僕も、感じてしまう。それすらも、許されない。

 感じるお前が悪いんだ、とあっさり切り捨てられてしまう。それに沿わない人間は、存在してはならない。杉本も、僕も。


「杉本、予定変更だ。これから話があるから、こっちへ来い」

「命令しないでください」

 きっと言い返す杉本を無視して、僕は反対側の林へ足を向けた。

「『おちうど』で、まずは水鳥中学との交流会についてのアウトラインを作ろう。それからだ。委員会活動がないということは、じっくりそちらに力注げるもんな、杉本」

 水鳥中学、という単語をアクセントつけて発音し、僕は杉本の腕をかばんで軽く押すようにし、方向転換させた。

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