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49 中学一年一学期終業式後・杉本梨南と立村先輩

一学期終業式後の梨南と立村先輩

 


 夏休み。梨南は素早く一年B組の教室を抜け出した。評議委員会の夏合宿はあと三日後だ。立村先輩に頼まれた「一年生評議委員会用デジュメ・一学期を終えて」をもっていかなくてはならない。とっくの昔に完成していたけれども、清書する紙を選ぶのに時間がかかったのだ。階段を駆け上がり、二年D組の教室前で十分間、じっと待った。汗がじんわりにじんでくるけれども気合で押さえた。だらだら流している連中なんてだらしない。そう梨南は思う。

「立村先輩!」

 一番先に飛び出してきたのが羽飛先輩、清坂先輩、その後別の知らない先輩たちがぞろぞろ続き、最後にひっそりと現れた。さすがに七月末とあってワイシャツにネクタイをしているだけ。半そでのままだ。顔だけが真っ白い。

「先輩、生きてますか」

「杉本か。待っててくれたのか?」

「当たり前です。先輩が忘れてしまうのは目2見えてます。私が覚えていないと大変です」

 きちんとまとめた封筒を取り出した。夏用の風鈴印刷和紙便箋だった。立村先輩は和風のなにかが好きだというのを、かなり確信していたからだ。

「先輩、今日はしっかり全部読んでください。家で目を通すなんてことをすると、先輩のことですから絶対に記憶に残りませんよね。『おちうど』までお付き合いします」

「ごめん、けど今日はさ、ちょっと羽飛たちと用事があるんだ。あした、あらためてどうかな」

 ひょいと眺めれば、A組前の廊下で羽飛先輩と清坂先輩がうろうろ手持ちぶたさにしている様子。清坂先輩と顔の位置がぴったり合ったので、まずは挨拶した。でも、次期評議委員長の立村先輩が、彼女に現抜かしていていいんだろうか。いや、本当の気持ちを梨南はよくわかっている。本当は梨南といっしょに出かけたいはずであろう。なのに、いろいろお付き合いがあって、ってとこだろうか。

 ──可哀想だわ、その辺は大目に見てあげよう。

 ──だって立村先輩は、二年同士でお付き合いが大変なんだから。そのくらいわかってあげなくてはいけない。私くらいの頭があればそのくらい、大目に見てあげるべき。

 奥歯をかみ締め梨南は、頷き手渡した。

「きちんと読んでください。これは私からの命令です」

「わかったよ。それにしてもきれいな用紙、使ったね」

 ──やっぱりわかってくれた。

 ちょっとだけ満足、かなり納得。

 立村先輩はかなりぼんやりしている人だ。本条先輩にはかなり買いかぶられているし、次期評議委員長になるのはお約束。たとえ天敵新井林たちが文句を言ったって、本条先輩の命令には逆らえない。梨南を唯一堂々と認めてくれる先輩だから、この人にはなんとしても、敏腕評議委員長として立っていただきたい。だから徹底して梨南は、立村先輩を守ろうと決意したのだ。九九がいまだに瞬時に言えないとか、テスト中にいまだ指を使って計算しているとか、頭数を数える時に五回数えて五回とも数が合わないとか。すべてをひっくるめて、梨南は守ろうと決めている。

 ──だって、私の能力をきっちりと認めてくれる男子なんて、この世で立村先輩だけ。

 ──私のことをこよなく好きでいてくれる男子はこの人だけ。

 ──だったら、徹底して私は、お付き合いしてあげます。いろいろ事情があって清坂先輩を選ばざるをえなかったのだったら、私の方で近づいてあげて、欲求不満を満たしてあげます。

 ──欲求不満?


 夏の風に吹かれて立村先輩は軽く前髪をかきあげた。すぐに落ちる髪の毛。きっとドライヤーを使っていない。今度の合宿の時は、父の使っている整髪料を持って行ってあげよう。すこしくらいはローエングリン様に近い感じになるかもしれない。

「先輩、読んでください。読んでくださったらご褒美あげますから」

「ご、ほうび?」

 きょとんと、まん丸な瞳で梨南を見つめる立村先輩。ワイシャツの袖から抜けた腕が細い。もしかしたら梨南よりも骨度が高いかもしれない。人形に大きめの服を着せたようなだぼだぼな感じ。だらしなくも見えるけれど、撫で肩の立村先輩にはちょうどいい。さすが、よくわかっているではないか。やはり清坂先輩の「彼氏」とあるだけあって、見た目には気を遣わざるを得ないのだろう。自分の不細工度をごまかさざるを得ないのだろう。同じ学年だったらいろいろ梨南もごまかしてあげるよう努力するのだが、いかんせん先輩と後輩。頭のレベルが違いすぎるとはいえども、辛いところだ。

 ──しかたないわ。私が男子の喜びそうなことをして、少し気合を付けてあげましょうか。

 梨南は一瞬頭の中を整理整頓した。一年B組の教室で、新井林とはるみが堂々と手を取り合い出て行ったのはいつものこと。しかし、最近になっておぞましいものを発見してしまった。

 昨日の放課後だ。授業、掃除が終わった後。 

 ──健吾、ごほうびになにがほしいの。

 ──言葉じゃねえよ。

 なんと、えせローエングリン新井林がいきなり肩を抱くしぐさをしていたではないか。はるみはうつむいて真っ赤になりつつも、されるがままになっていた。誰もいない教室内でだ。梨南がそれを見つけたのは偶然ではない。わざとだろう、梨南が花森さんと「和風バンド」についてのお話をしながら廊下を歩いていた時、ジャストタイミングでやってのけたのだから。

 花森さん曰く。

「へたね、あの二人。もっと感じさせるようなやり方あるのにね」

 ──汚らわしい。花森さんは別だけど。

 花森さんが彼氏とお泊り経験していても、ちっとも汚いとは思わない。でも、どうしてもはるみと新井林とだと、汗がにじんで干した跡のTシャツを着ているような気持ちになる。

 ──男子ってあんなことをごほうびにするのね。いったい何のごほうびなのかわかんないけど。あんな贅肉部分を触らせて、気持ち悪いなんて思わないのかしら。世の中、やっぱり、狂ってるわ。


 でも、ごほうびとして、ああいうことが通じるのだったら、梨南にも用意がある。何も減るものではないし、立村先輩好みのプレゼントを選ぶのに苦労するよりはましだ。それに、少しでも次期評議委員長としてまともになってもらわないと、ついていく梨南としても許しがたいことだ。

 立村先輩が戦う相手は、あの新井林なのだ!

 頭脳明晰、外見ローエングリン、こんな完璧な男を、どうやって「不細工・無能」の代名詞たる立村先輩が崩せるのだろう。梨南がいないとだめなのだ。清坂先輩では、役不足なのだ。

 ──あの人には。


「立村先輩、私は先輩に評議委員長としてきちんとしていただかないと困ります。ですからきちんと今日中に私のレポートを読んでください」

「わかったわかった。そんなに怒るなよ」

 分かっていない顔だ。向こうでふらついていた羽飛先輩と清坂先輩が近づいてくる。ちょうど、二人向かい合っている姿が、向こうに見えるはずだ。あっという間に廊下は人気なし。みな急いだんだろう。

「わかってない顔しないでください。いいですか立村先輩。男子はごほうびがないと燃えない馬鹿な生物ですからしかたないとわかっています。ですから、私も少しだけごほうびあげます」

 じっと立村先輩の瞳を覗き込み、力いっぱいにらみつけた。ちょっと引いたふうの立村先輩。絶対に梨南のことを嫌わないのはお墨付き。だから、目が壊れるくらいたっぷり見つめられるってわけだ。

「ごほうび? うれしいな。杉本のセンスは俺も好きだよ」

「手、出してください」

 梨南は、立村先輩のあいている手を素早く取った。軽く、右胸の頂点にしっかと手のひらを押し付けた。

「あ、あのさ、杉本……」

 隣りで立ち止まる気配あり。男子はえさでつるのが一番だ。羽飛先輩も、もちろん清坂先輩もご存知だろう。梨南は一年の段階でマスターしているに過ぎない。

「いち、にい、さん、しい、ご。終わりました」

 思いっきり立村先輩の触れた手を振り下ろす。ぶらんと下がった。身体が硬直したのか、目は梨南の顔をじっと見つめたままだった。

「立村先輩、一年B組のあの馬鹿男子評議委員は、こういうことをなんかの『ご褒美』だと勘違いしていたようです。でも、もしこういうことが立村先輩もきらいでなかったら、いくらでも差し上げます。なんで贅肉なんて触って楽しいのか意味不明ですが、先輩が評議委員長としてきちんと働くまでは、私がごほうびをさしあげます。きちんと、読んでください。命令です」

 口が半開きの羽飛先輩、清坂先輩にきちんと両手合わせてお辞儀をした。

「杉本さん、今、なにか、してたよね」

「清坂先輩、ご苦労さまです。本当に大変だと思いますが、私も清坂先輩が辛い思いをしないように努力します。お疲れ様でした」

 軽く羽飛先輩に一礼した後、梨南は背を向けた。夏休み前日。ひとつ、よいことができた。

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