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4 高校二年初夏 西月清明の記憶

4 高校二年初夏 西月清明の記憶


 父さんたちはふたりっきりでパドックに出かけ語らっている。学生は馬券購入禁止と言う決まりだということを僕は知らないわけではない。だから本日は素直に馬よりもルイ子を観察することを選んだ。

 平日で、大きなレースが行われているわけでもない。たまたま僕が開校記念日で休みだったことと、ルイ子の母の仕事柄どうしても競馬場に行かなくてはならなかったこと、ルイ子はいつでも学校を休んでかまわなかったこと、いろいろな要素が絡み合い、本日は四人、本当の「家族」として出かけることとなった。

「静かね」

 ギャンブルの場所とは思えない言葉を、ルイ子は発した。

「そうだよな」

「母さんもきっと、静かよ」

「ふうん」

 しばらく僕たちはサイダーを片手に移ろいでいた。まだ幼稚園にも入っていないであろう子どもをよちよちある歩かせながら拍手している親子連れ。カメラでその姿を撮っている父親らしき人。僕たちはぼんやりと彼らを眺めながら屋根のついた休憩所へと向かった。青潟から少し離れた場所にある地方競馬場。外馬場方面ではいわゆる競馬新聞と赤鉛筆を持ったおやっさんたちが群れている。いつもだったら僕も混じっていたのだろうが、せっかくのデートを邪魔するほど野暮でもない。真なる妻、真なる夫。子たる僕たちも、彼らを妨害するほど、幼くはない。

「お前、身体、大丈夫なのか」

 ベンチに腰掛けた後もまだ息が上がったままのルイ子に僕は尋ねた。ここ一ヶ月ほど、妙にルイ子が呼吸に困難をきたしているような気がしてならなかったからだった。ルイ子の身体が弱いということは、一度も聞いたことがなかったけれどもだ。まさかとは思うが僕の手がルイ子に触れたから、というわけでもあるまい。

「うん、大丈夫、清明くんのせいじゃない」

「ばか」

 頬をそっと撫でてみた。熱く、やわらかい。

 緑色に染まる目の前の樹木たち、その陰から荒々しく競走馬たちが駆け出していくのが見えた。外馬場からのけたたましいざわめき。僕たちとはまったく別の次元で行われているレースだ。父もルイ子の母も、大人の世界からそれを見つめているのだろう。僕も、おそらくルイ子も、「真」の場所から、たぶん馬たちのいななきを聞いているのだろう。

 レースは1200メートルの短距離戦だったこともあり、すぐに決着がついた。途中、一頭「落馬競走中止」……必ずしも騎手が落馬するわけではなく、競争馬が骨折したり歩様に異常を感じた時などにも使われる……の馬がいたらしく、緑色の馬運車がすうととおりぬけていくのが見えた。場内放送によれば特に問題はないらしい。配当金にも影響はない。僕たちは所詮、競馬を「観戦」するだけの人間だ。関係ないことである。


「競走馬は骨折したら、すぐ殺されちゃうのね」

「時と場合によるよ」

「私も、そうなるのかな」

 ルイ子の瞳は薄く茶色かった。髪の毛を指ですくうと、ところどころ赤茶けていた。手入れは行き届いているはずなのに、髪の毛の細さがあぶなっかしかった。

「一部の馬は、熱狂的なファンによって大切に守られたりもするらしいよ。もちろんほんの一部だけどさ」

 ルイ子にとって、その一部のファンが、僕であることに気づかないらしい。首を振るルイ子の肩を、僕は思わず抱きしめた。

「それに、変な話さ、G1をたくさん獲って、鳴り物入りで種牡馬入り、繁殖入りしても、いい仔を出さなければそれきり、畜産業者に処分されるらしいよ。これもすべてではないけどさ。ファンは移り気だから、忘れられた頃に、いつのまにか消えてしまった、そういうパターンだって多々あるわけさ」

 

 ルイ子がなぜおびえているのか、僕にはうすうすわかるものがある。僕の妹でかつ父の娘、さらに言うなら「望まれない子」であった彼女の将来について、僕たちが案じていることを彼女は察しているのだ。僕にとって妹とは、「悪の根源」でありかつ「生まれてはならなかった生き物」だった。早い段階で、そうだ、存在する前に淘汰されるべき子どもだった。父がルイ子の母の元へ馳せ参ずる直前に仕掛けられた、女の形をした爆弾だとも。

 父が妹をわずかも愛していない。男同士理解しているつもりだ。僕の存在でもって無理やり母とつながれた父に、僕なりの償いをしたくて、それが父の味方になるということだった。ならば、存在したゆえにたくさんの人々を傷つけ、縄で縛った妹にも、その一環を担ってもらうべきではないだろうか? もちろん真実を話す気もなければ、僕たち男衆も「可愛い妹を守る父と兄」の顔を崩す気はない。ただ、気が付かないうちに妹の存在でもって賠償を行うことは、父も、ルイ子の母も、そしてルイ子も願っていることではないか。少なくとも僕は妹にその賠償方法を教える前には死ぬわけにいかない。ルイ子を「妹」にできなかった僕としては、一生今の「妹」を許すわけにはいかないのだ。

 僕が存在した責任をとるためにも。


「今年の夏にさ、ルイ子」

 僕はひとつ、計画を口にした。

「妹があの御曹司のうちに長期滞在するらしいんだ。その時期を利用して、僕も長期一人旅をする予定を立てたんだ」

「一人旅? そんなに長いの?」

 僕は口を軽く覆って黙らせた。

「ついでに父も長期出張を入れる予定なんだ。地方競馬で知られる土地柄らしいけれども、観光にも事欠かない穏やかな場所らしいよ」

 よくわけのわからない顔で、ルイ子が僕を見つめる。

「そこでまた、今日と同じように、いっしょに四人で、馬を観るっていうのはどう?」

 

 天は曇り気味だった。雨が降らないうちに僕たちは父たちを探しに外馬場へ戻ることにした。まだ時間はある。少し贅沢をして、屋根付きの指定席を取って、そこでゆっくりと話をしよう。

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