38 中学二年十二月クリスマスイブ・夕方 立村家父子の会話
その38 中学二年十二月クリスマスイブ 立村家 父子の会話
1
──調子に乗りすぎたって言われるだろうな。
清坂氏をバス停まで送り届け、乗り込むのを見届けた。かるく手を振ってくれるので、振り返した。発車した拍子ににごった雪のしぶきが靴にかかり、一歩下がった。
──なんで帰ってくるんだよ、父さん。
こういうシュチュエーションを想像しないわけではなかった。清坂氏に、
「うちに誰もいないって言ってたけど、大丈夫なの?」
と真剣に尋ねられた時も、
「大丈夫だよ。食べるものあるし、かえって気が楽だろ?」
そうこたえたのだから。
話が決まったのが一週間くらい前。友だちをもてなすためには美味しいものが必要だってことは、母からいやというほど叩き込まれている。掃除をしとかなくちゃいけないし、料理の材料も用意しなくちゃいけない。うちにあるテーブルクロスとかも選ばなくちゃいけない。まあ、そんな気取る必要はないだろうけれど、清坂氏はもともとおしゃれな人だ。こだわりはあるだろう。帰り道一緒に歩いては、どういうものが好みで、食べるものは何が好物か、ケーキ類はショートケーキがいいのかチーズケーキがいいのか、みんな会話の中で取り込んだ。僕なりに努力はしたつもりだ。
十二月二十四日という日付も考えて、ちゃんとクリスマスツリーだって用意したし、赤いテーブルクロスと緑のコースター、ランチョンマットだって引っ張り出した。黒い漆塗りのコースターがあったから、ワイングラスの下に敷いてやろうと思ってちゃんと磨いた。
子ども用のシャンパンが安く売ってたから当然それも買い込んだ。
母がしていたことを真似しただけのことだからたいしたことじゃない。
お客様が来る以上、ホストたる僕としては当然のことをしただけじゃないか?
父さんに文句を言われる筋合いはない。ないはず、絶対にないはずだ。
しかし言い返せないのが僕の弱弱しいところでもある。情けない。
「上総、今日はいったいどうしたんだ」
玄関に入り、靴から雪を払っていると父がドアに持たれて待ち構えていた。
わかっている。なんで親のいない時に友だちを連れ込んだのかってことを説教したいんだろう。ああ、わかっている。しかも相手は友だちとはいえ女子だ。ふたりっきりだ。
「わかってる、ごめんなさい」
口先だけであやまっておけば、父はあまりうるさく言わないだろう。この人はもともと僕を怒鳴ったりしない。殴られたことなんてほとんどない。けれど、冷静沈着な言葉が、結構僕の中に深く入り込んできて落ち込むこともしばしばだ。母がいなくてよかった。あの人がいたら今ごろ修羅場だ。大変なことになっているはずだ。明日の太陽拝めない。
「あの、皿とかは」
「余ったものはみんな冷蔵庫だ。今夜の食事だな」
コートを脱ぎながら恐る恐る父の顔を覗き込む。たいていの場合、ぺろんとして無表情だったら大丈夫。笑みを浮かべていたら要注意。わざとらしい笑顔だったらすぐに部屋へ退散すべし。これが原則だ。幸い、何も読み取れないので背中を丸めて居間へ向かった。
「上総、ちょっと待て」
「今、片付けるから」
「いいだろう。今日はクリスマスイブだ。そのままで夕食を食べるのもいいだろう」
──もう見たくないって。
たぶん父さんのことだ。ちろちろ部屋の中の様子を覗き込んでいたに違いない。気付かなかった僕の馬鹿さ加減に腹が立つ。真ん中のソファーに清坂氏を座らせて、僕は隣りでいろいろ話をしたり、食べ物を用意したり、それなりのことをしていた。ちょうどふたりで、プレゼント交換をしようか、と箱を取り出していたところだった。かろうじて渡したけれども、父さんにもろ見られたのは失敗だった。僕の手元に残っている電卓だけが間抜けだ。
「まずはそこに座れ」
父は有無を言わせず僕に、ソファーを指差した。
──まずい、父さん本気だ。
僕の経験でいうと、父さんを怒らせてしまう可能性が高い点は、母さんのことをののしった時だろう。
一度ひどいめに合ったことがある。
「なんであんな人と結婚したんだよ!」と怒鳴ったとき、三日間口を利いてくれなかった。
でも今日は、母さんの話をしなくてすむはずだ。僕は黙ってソファーに座り直した。電卓をしまいこんだ。と同時に一緒に零れ落ちた小さなカードをポケットに押し込んだ。
2
父さんはまず、ローストビーフをつまんで口に放りこんだ。
「母さんと同じ味だな」
そんなの誉められたってうれしくもない。次にケーキのクリームを指でつまんでなめた。
「これも母さんの好みだな」
──いやみかよ。
悪いが全部、僕の好みだ。母さんなんて関係ない。
「食べるなら勝手に食べれば」
「お前はどうなんだ?」
「食べたけど」
僕もむっとしながら答えた。
「こういう時は、夜ならワインがほしいところだが」
「そんなのない。話があるならさっさと終わらせろよ」
父さんはつまみ食いを一通りした後、
「お前がどれだけ力をいれていたかはよくわかる。彼女は喜んでいたな」
「そんなの関係ない」
いろいろ事情があって、ここに連れてこざるを得ないなんてこと、話す必要ない。
「それよりも上総、ひとつ聞きたいのだが、いいか」
父さんの声音が、仕事口調となった。
「異性とふたりきりになるということは、どういうことか、少し考えたか?」
──やっぱりそこか。
もう僕は黙るしかない。頭下げるしかない。正論である。
「ごめんなさい」
一言だけつぶやいて目をそらした。
「上総、顔を上げろ」
「だから、俺が悪かったから」
「会話になってないぞ」
怒ってはいないけれど、顔を上げなかったら確実に怒る。しかたない。僕は斜向かいに父さんを見上げた。無表情ながらも、父さんはいつのまにかローストビーフをほとんど食べ終えていた。
「もちろん昼間だし、お前もそれなりに考えるところもあっただろう。もしここがどこかのレストランであり、学校の教室であり、大人のいる家だとしたら、まったく問題はない。それはわかっているな」
「わかってる」
「もてなしの努力も認める。ただ、今日、父さんがここに居ないということは、最初からわかっていたはずだな」
「友だちを連れてくるだけだって」
清坂氏が女子だということをまずさておいて、仲のよい友だちとして呼んだということならば、別に問題はないはずだ。
本当にそれだけなんだ。
ただ、たまたま女子だっただけであって。
「そうだな、友だち。それは間違っていないがな」
口元にわずかな隙間を開け、父さんは顔を斜めにしてつぶやいた。もちろん、僕の顔を覗き込み。
「二人っきりになった場合、お前はきちんと自分を律する自信を持っていたか、を聞きたいんだ」
──何考えてるんだこの人。
もって回った言い方をされるのもむかつく。要するに「むらむらしないのか?」とでも言いたいのだろう。
「失礼なこと言われたくない」
「上総、失礼なことではないよ。お前も気付いているはずだが」
また一口、今度はサラダを指で拾い上げ、押し込みながら。
「妊娠させることができるということを、自覚しているかということなんだ」
頭の中が真っ白くなった。日本語だと認めたくない。父さんの言葉なんか。
「ものすごく、失礼だよ」
父さんはまったく動揺せずに、僕の顔を覗き込んだ。
「やはり、これうまいな。母さんと同じ味付けだ」
なんて訳のわからないことを繰り返しながら、
「毎晩儀式をすませる前に、そのことはきちんと頭に入れておくように」
また、にやりと笑った。
3
「うるさいな、何ふざけたこと考えてるんだよ!」
名誉毀損で訴えてやりたい。いくら親とはいえ、言っていいことと悪いことがあるはずだ。
「たかがうちに友だち連れてきただけだろ! なんでそんな大げさなことになるんだよ!」
「いや、大げさじゃないだろう。お前、否定できるか」
「そんなの関係ないだろ!」
立ち上がって思いっきりテーブルの脚を蹴りつけた。ついでに父さんの食べ終えた皿を思いっきりひっくり返してやった。空っぽになっていたから食べ物は無駄にしてない。父さんの大好きな母さんの教えはきっちり守っているから、僕に文句を言われる筋合いはない。
「片付けるのはお前なんだから、あまり散らかさないように」
何様のつもりなんだろうか、本当にこの人は。全身が燃えたぎるくらい熱い。テーブルに両手を突いてやった。ここまで馬鹿にされるんだったらこちらだって言いたいことがある。
「人のこと言えるかよ! 順番間違えた結婚しやがったくせに!」
親戚回りをする時いつも僕は、「上総くんのご両親は本当にお若いわよねえ」とか「お若いからやはり、いろいろとわからないことも合って当然よね」とか「親になるにはある程度の年齢を重ねないとねえ」とか、いやみったらしいことを大量に言われつづけてきたのだ。ふざけるなといえなかったのが子どもの悲しさだ。父さんの言う通り、そうさ、僕は妊娠させることができるんだろう。それは認める。だけど、父さんや母さんのように、本能だけで子どもを作ったりするもんか。自分自身のことを棚に置いて、息子を物笑いの種にする資格があるものか。ふざけるな。まだまだあるさ、言いたいこと。殴りたいなら殴れ!
「自分の子どもを変態扱いするなよな! 自分たちがそうだったからって言って俺がそうだと決め付けるなよ!」
「おいおい、今度は八つ当たりか」
ちっとも動じない。これが例の熱血担任だとしたら思いっきりぶん殴ってやりたい。かっとわめけばこちらも噛みつきがいがある。だが父さんって人は、よっぽどのことがない限り怒らない。僕も殴られたことはまったくない。とことんののしってやろうか。
「息子の成長を喜んでいるのだと気付いてほしいがな。大人の身体にめでたく成長しても、男子の場合だとなかなか誉める機会ないからな」
「誉められたくもないさ!」
「女の子なら、お赤飯でも炊いてやるところなんだが」
徹底してからかいつくそうとしている。どこが「誉める機会」なんだか。そんなこと死んだってされたくない。女子ならお赤飯、の意味もわからないわけではないけれど、そんなの本当にうれしいものなのだろうか。どっちもどっち、そんなの無視してくれたほうがいいに決まっている。
「まあ怒るな、母さんには言わないから安心しろ」
清坂氏が使っていたフォークで思いっきり顔を突き刺してやろうか。僕はこの人の遺伝でのんびり受け止めるだけの器を受け継いでいない。
「だが、本の選び方は感心しないな」
「本?」
言われている意味がつかめない。父さんの目をまじまじと見詰めてしまった。
「男なんだからそういうことはうるさく言いたくないが」 初めて大きくため息を吐いた父さん、ゆっくりと両手を組み、テーブルにつけた。身をかがめてきた。
「女性の尊厳を傷つけるような写真ばかり見るのはよくないよ。言いたいことはわかるな、上総」
──俺の親って根本的になんかおかしいよな!
もう何も考えられなかった。今まで真っ正面からこんな、いわゆる「保健体育」のような言葉をぶつけられたことはない。父さんにも確か去年の半ばくらいに「妊娠だけはさせるなよ」とか言われた程度だ。その時は僕もさらりと流していた。こんなにしつこくつっこまれることもなかった。知らないわけじゃないけれども、そんなこと親になんて説教されたくない。僕以外の男子もみな、同じだろう? 僕に関して言えば、その手の知識は本条先輩から全部教わっている。いまさら、ねちっこく性教育なんてされたくない。
──殴らないだけ母さんよりましだと思ってたけど、結局は夫婦かよ!
血がすうっと昇っていく。頬が燃える。全身が震える。
「なんだよその尊厳傷つけるって! 意味不明なこと、なぜ!」
レディーファーストをきっちり仕込まれた僕に対してよくもまたそんな無礼なことが言えるものだ。自慢じゃないけど、僕は女性に対しての礼儀を卑屈なくらい守っているつもりだ。今だってそうだ。ちゃんとバス停まで迎えにいったし、できるだけ料理もおいしそうなもの用意したし、向こうが疲れてきたなと思ったらお菓子用意したりしたし。とにかくいろいろやったはずなのだl。
なのに、なんで僕が、「女性の尊厳を傷つける写真」だなんて見たというんだろうか。
「そんなのどこにあるんだよ! 子どもに濡れ衣着せるのって根本的になんかおかしいだろうが!」
父さんは僕がひっくりかえした皿を元に戻し、まずは「ごちそうさま」と手を合わせた。
「具体的にどんなものか言ってみろよな。俺がそんなこと、いつしたってさ!」
「ああ、そうか。悪かったごめんごめん」
鼻で笑いながらも、父さんはまったく動じずに、
「お前、縛ったりたたいたりするような趣味、もっている
わけじゃないんだな。安心した」
「叩く? 縛る? なんだよそれ!」 言ってしまった後で後悔した。代わりに出てきた言葉にも。
「父さんもしかして俺の部屋勝手にかき回したんじゃないだろうな!」
「お前が出しっぱなしにしてたのを見かけただけだよ、上総。この前たまたま枕もとで見つけただけだが」
「父さん……!」
理由がわかってしまった以上、僕は何も言い返すことができない。ああそうさ、この前、例の評議委員会関係のいざこざで僕が壊れてしまった時、本をあちらこちらに投げ出して、あとで片付けたはずだった。かっとなってしまった時は自分でも押さえきれなくて何をやらかしたかわからなかった。その後できちんと本棚に戻したはずだったのだが、たぶんその際、タイミング悪く父さんに見られてしまったのかもしれない。それしか考えられない。なぜならあの本はいつも、「グレート・ギャツビー」の函に隠してあるか、もしくは鍵つきの引き出しのどちらかにしまったはずなのだから。
「人の部屋をかき回すのはやめろよ! それに、表紙だけ見て、なぜ勝手に変態扱いするんだよ! 勝手に決め付けるなよ!」
絶叫するしかない。
「ごめんごめん、そうだな。お前が、大切な人の気持ちを無視して欲求ばかり押し付けるような子でないことは、よくわかっているつもりだよ。そう怒るな。そうだ、せっかくだ、この機会にこっちにおいで」
あっという間に父さんは僕の腕を取り、自分の部屋へと無理やり引きずっていこうとした。抵抗したいが、かなり力が入っていて抜けられない。子どもみたいに暴れるのはプライドが許さない。頭が混乱した中、僕はしかたなくついていくしかない。
父さんの書斎にはめったに入ることがない。仕事部屋で、本棚もうずたかく床に、本棚に、積み上げられている。でも基本としてはきちんと片付いている印象のあるモノトーンの部屋だった。黒い本棚と机、カーテンだけなぜか緑色。センスがいいのかわるいのか、僕には理解できない。はっきりしているのはこの部屋のセンス、母さんが手を出したものではないという点だけだ。
「お前もこういうとこだけ、大人になったよな」
独り言をつぶやくのはやめてくれ。僕の顔を覗き込みながらしみじみ言うのもやめてくれ。
「まだまだ早いとは思うんだが、身体がそうなってきている以上、上総にも教えておく」
なにが「身体がそうなってきている」だ。赤飯なんて炊いてもらいたくもない。きっぱりお断りだ。
父さんはまず、母さんの寝室……厳密に言うと父さんと母さんの寝室で、母さんが泊まりにくる時専用の部屋……へ入っていき、
「ここで待ってなさい」
言い捨て、何かの紙箱を持ってきた。白い箱で、だいたいB4程度の大きさだ。特に何も表書きがない
。 次にふたたび父さんの書斎に戻り、一度きちんとそれを開けた。中には四箱ほど、紫色の小箱が納まっていた。こちらはまったく手付かずのままだった。ちらと、何かこれはと、感じるものがある。初めて見たものではない。そう、確か、保健体育の時に渡されたもの。
洋服ダンスを開き、父さんは中に入っているものと同じ大きさの箱を二箱、取り出した。やはり紫色のものだが、だいぶ手がついている。「上総、これが何かは、わかっているな」
無言、それしかない。そんなもの見たくもない。僕は父さんの本棚だけじっと眺めていた。「広辞苑」を一冊用意して家庭内暴力やらかしたい気分である。
「使ったことあるか」
「知るかよそんなこと!」
ない、とあっさり言ってやるのがいいんだろうが、それも情けない。どうせ「やっぱりお前、ガキだからなあ」とにやにやされる顔が目に浮かぶ。冗談じゃない。父さんはその箱から、薄いビニール小袋を取り出した。やはり、僕の想像していたものと一緒だった。
「しばらく父さんも、使う機会が減るだろうし、お前も少しこれで、練習したほうがいい。実践はもちろん、まだ早いことはよくわかっているだろうが、ただこれから先、出会う人のためにもきちんと、手早くつけられるよう、練習しておきなさい」
「練習って」
声が出なくなってきた。何か頭の中に炎が燃え盛っている。大火事だ。
ずっとまえ南雲から聞いた話では、
「うちの父さんに、中学入学した時、コンドームを一箱渡された」
とか言っていたけれども、まさか僕が、その立場に立つとは思わなかった。僕だってその、人生でこれから先、避妊具を使うことは必要だと理解している。本条先輩にも口すっぱく言われている。でも、それはまだまだ、本当に、まだ先の話だろう。まかり間違っても清坂氏を前提に考えたことなんて、まったくない。あるわけない。
「上手につけられないと、面倒になってつい忘れてしまうこともないわけではないからな。練習用ということなら、いくらでも使っていい。必要な時に取りに来なさい。だがな、上総」
暴発寸前、こぶしが震える。片手にぽんと、母さんの部屋から持ってきた分を一箱、渡された。受け取るしかない。
「それは決して、実戦を勧めているわけではないことも、わかっているな」
──実戦、ってどういうことだよ!
紙箱を指でつぶしてやりたい。
「お前が男として、生命を与える能力をもっていることを自覚し、かつ女性の身体をいたわるだけの余裕ができて、さらに面倒くさがらずに装着できるようになるまでは、実戦で試すべきではないと、父さんは考えている。もちろん上総もそのあたりはきちんと理解しているはずだと思うが」
もう限界だった。僕は手元にあった手付かずのコンドーム一箱を思いっきり床に叩きつけた。
「うるさい! 俺がそんなに、非常識な人間かと思ってたのか! ふざけるな!」
父さんがどんな顔をしていたかなんて、知ったことではない。
後片付けなんて、誰がやるか!
僕は自分の部屋に飛び込み、しっかり戸を閉められるような箱を用意してつっかい棒代わりにした。
4
部屋に戻り、まず確認したのは「グレート・ギャツビー」の函に入っているはずのものだった。
──先入観もいいとこすぎ。
今年の秋、南雲がこっそり古本屋で手にいれてくれたという写真集が収まっていた。
大荒れに荒れた夜、このあたりの本も思いっきり投げつけた記憶がある。その時に散らばったのだろう。でもすぐに隠したし、つい最近も開いた記憶がある。油断大敵とは、このことだ。
──紐? 縛る? そんなとこばかり見てたと思ってたのか!
親だから言い訳ができない。それが悔しい。もしこれが友だちだったらまた別なのだろうが。
単に、この中のモデルさんが僕好みの顔をしていて、雰囲気も気品があって、どう考えてもこういうタイプの写真集には出ないようなタイプの人だったから、ほしいなと思った、それだけだ。別のグラビアで見かけて、えげつない格好をしていないところが、なんとなくいいなと思っただけだ。たまたま今年の夏、その人の写真集が出ていたから、手に入れようかなと思っていたのだけれども、父さんの言うとおり「女性の尊厳を傷つける」内容に思えて、買うのをあきらめたのだ。あたりまえだ。僕には女子をいじめたりののしったりする趣味なんてない。けど、南雲に打ち明けたらしっかり覚えていてくれて、プレゼントしてくれた。それだけなのだ。もちろんたまに観てはいろいろなことを感じたりするけれども、断じて、紐とか縛るとか、そんなものではない。かえって痛いだろうに、とか思って解いてあげたくなる。
父さんが追いかけてくるかもしれない。急いで本を閉じ、本棚にしまいこんだ。
次に、生徒手帳に収まっている薄い袋を確認した。
──なんだよ、そんなの知ったことかよ。
去年の保健体育で、男子だけ集められて第二次性徴について学んだ。ほとんど本条先輩から教えてもらったことの方が多くてあまり興味もなかったのだけど、終了時に避妊具を一枚渡された。そんなのいつ使うんだ、と思ったけど受け取るしかない。だけどまさか、父さんに、「練習しろ」と言われるとは……思ってもみなかった。
──誰がそんなことするか! ばかにしやがって!
本条先輩から教えてもらったこともあって、こっそりやってみたことがないわけではない。それでいいじゃないか。そんなに必死に慣れる必要なんてないだろうに。どうせ僕は、そういうチャンス、もしかしたら永遠に回ってこないかもしれない。そんな当てのない日々を楽しみにして、つけたり抜いたりする練習をしろだなんて、何考えてるのだろう、うちの親は。そのくせ、「実戦はするな」ときた。妊娠させる身体に育った、そりゃあたりまえだろう! 僕がそうなりたくてなったんじゃない、勝手に育ってしまったんだ。そんなことをめでたいと思う気にはまったくなれない。かえって、惨めなことの方が圧倒的に多いのに。赤飯なんてノーサンキューだ。ふざけるな!
ふと、ポケットに、かさこそ言う気配がした。
取り出すと、さっき清坂氏からもらった銀色の電卓が。
──電卓、だよな。
小さな赤いカードを開いてみると、
──立村くんへ 今年も素敵な一年をありがとう。来年も仲良くしてね。メリークリスマス!
金色の丸っこい文字で、美里のメッセージが綴られていた。
少しだけほっとして、頬が緩む。そうだった、清坂氏と話をしていたあの三時間ほどは、なんにも考えないですんで、気が楽だった。
けど、電卓か。
──俺が数学できないから、電卓なんだよな。
余計なことを思い出してしまい、また雲がふうっと浮かんでくるようだ。そうだ、そろそろ清坂氏も青潟駅にたどり着いている頃じゃないだろうか。無事に到着しただろうか。そして、僕の渡した、緑色の袱紗、喜んでもらえただろうか。勘違いしたプレゼントでなかっただろうか。食べ物満足してもらえただろうか。
──父さん、まさか。俺が清坂氏をそういう目で見てたと思ってたのかよ! 最低だ! 自分らがそうだったからって勝手に決め付けるなよな!
赤いクリスマスカードが、さらに全身、あおってくる。
まったく父さんは僕の怒りなんて無視して、さらに神経を逆なでしてくる。
息子は親のおちょくりに耐えるのが義務なのか!
「上総、さっきのもの、戸口に置いとくからな」
いらいらするくらい冷静な、父さんの声が響いた。わざわざ追いかけてきてくれたらしい。ご苦労なことだ。誰がありがとうだなんて受け入れるものか。
「うるさいな! そんなの知るかよ!」
怒鳴り返し布団にもぐりこもうと思った。が、気になって細く戸のところを開けてみた。
さっき投げ返した、紫色の小箱が上のほうだけ少しへこんだまま、置いてあった。しかも二箱。
無視してごみ箱に投げこんでおこう。箱を部屋に持ち込んだ後、一度開いてみた。本体の封を切ったら負けてしまうような気がしてやめた。つくえにまずは置いてみた。使い方は知っている。本条先輩から聞いている。
今のわけのわからない「保健体育」授業だが、要するに父さんは、僕が清坂氏にそういったいやらしいことをしでかすのではないかと危惧したんだろう。まさか、そんなこと、絶対にありえない。つきあっているとはいえ、中学生の段階でそっちまで進むだけの力があるのは本条先輩くらいしかいない。本条先輩のようにすごい人でなければ、ゴムを使う実戦をするなんてこと、ありえない。
けど、僕は……。
いつかは、使う日が来るだろう。来ないと困る。本条先輩と同じようになる日が来たら、かならず。
本条先輩のように堂々と振舞える時が来るまでは、まずありえないとは思うけども。でもそれは僕だけではない。本条先輩以外の人がそういう経験をするなんて、まずありえないことだろう。まだまだ、先のことだ。いるわけない。青大附中の現二年生に、そんな奴がいるわけない。だから、僕も今はまだ、ありえない。ありえないけども。
──本条先輩は、どう言うだろう?
本条先輩は僕に、一年の頃から、
「お前とにかく避妊だけはきっちりしろよ」
としつこく話していた。もちろんそれ以前の問題だったので聞き流していたけれども、ここまでうるさく言うということは先輩なりに何か思うところがあるのだろう。うちの父さんが息子をおちょくるために言うのとは訳が違う。
としたらだ。
すばやくつける練習というのも、あながち間違っているわけではないのかもしれない。これから先、現実問題として、さほどのことがない限り。
ならやはり。
──本条先輩に聞いてみよう。
父さんなんて信用できないけど、本条先輩がやったほういいと言うのなら。
僕はいったん、その箱を鍵つきの引き出しにしまいこむことにした。




