33 中学三年・二月中旬 清坂美里の見た生徒相談室(2)
その33 清坂美里の見た生徒相談室(2)
たぶん、立村くんをここまで近くで見たのは、うちのお母さんも初めてだったと思う。もちろん電話の取次ぎはしてくれるし、私も何気なく男子の評議が立村くんであることを伝えてあるので、それなりのことは知っているはずだ。あまり隠し立てしたくないけど、陰でこそこそ「あの、母子家庭の子よねえ」みたいな悪口を言い合うとこなんて、子どもとしては見たくない。だからあえて、それ以上の話はしないでおいた。
母が食い入るように立村くんの顔を見つめている。
──そんなみっともない顔で見ないでよ! 動物園じゃないんだから!
本当だったら思いっきりけり入れたかった。こんなとこでできるわけないじゃない。
貴史のお母さんもそおっと覗き込むように立村くんを見上げ、
「ほら、貴史」
小さな声でささやいている。貴史は男子だから、それなりに立村くんのことをおおっぴらに紹介しているはず。ということは、私の母さんにも貴史的視点でもって立村くん情報が流れているんだろうか? なんかいやな予感がした。
──絶対、立村くん、変だって思ってる。
目の前でしばらく立ちすくんだ立村くんは、一度真正面に座っている自分のお母さんをにらみつけ、その後で私と貴史の母さんをそれぞれ静かに見回した。その時の視線の違いがあからさますぎて、ぞっとした。なんか、いかにも、うまくいってないって感じだった。ううん、違う、なんか私たちが言う「お母さん」に対する態度じゃなくって、菱本先生を見る時と同じっぽかった。それぞれ方向を変えて丁寧に礼をした。うちの母さんたちはみな、視線を立村くんからはずさずに、そのまんま頭を上下させただけだった。もう、みっともない!
──立村くん、どうして私を見てくれないんだろう。
いきなり貴史が直立不動、ぴっと立ち上がった。真正面に向かい、直角になるくらい頭を下げた。
「たあちゃん」
母さんが何か止めようとする。やめなさいよ。貴史が謝りたいんだから邪魔するんじゃないの。軽く手をひっぱたいた。
「立村、さっきはごめん!」
頭を動かさなかった。するといきなり貴史のお母さんも立ち上がった。しっかり片手を貴史の頭をぎゅっと押さえようとしている。
「うちの貴史が、もう、ごめんなさいね」
いきなり貴史の母さんの本名を口走るうちの母さん。
「なんで由布子まで」
すすっと腰をかがめたままテーブルを横切り、手をぎゅうっと握り締めた。
「由布子、ほら、落ち着いて、そんなあんた」
いったいどういう関係なんだろう? 私には母さんたちの関係がいまだによくわからない。こういう場でなければ貴史も「なあにべたべたしてやんの、け、気持ちわりいな」みたいなこと言いかねないのに。貴史は母さんたちの会話なんて無視したまま、そのまま九十度を保ったまま突っ立っていた。
ってことは、私がうちの母さんをひっぱり戻すしかないってことかな。
しかたない。こういうわけのわからない親を持った私がすべて面倒見るしかないのね。
今度は私も母さんの側に近寄り、思いっきり腕をひっぱった。いいかげんにしなさいよ。
「黙っててよ! 貴史が真剣に謝ってるのになんで母さんたちがじゃまするのよ。こっちにもどってよ!」
「あんたの方がうるさいのよ!」
「あ、僕は大丈夫です」
立村くんが口を開いた。わやわややっていた女三人、思わず立村くんの方を向いた。そっと自分の席に戻り、おずおず様子を伺った。立村くんはもう一度椅子の面子を見渡した後、誰の顔も見ず、ソファーの後ろを通り「お誕生席」に向かった。そこがちょうど、空いていた。けど、座らないだろうと思っていた。だって菱本先生と並ぶんだもの。硬い表情を崩さず、自分のお母さんの顔は一切見ず、いつものように腰掛けた。足を軽く開くような格好で、でもだらしなくおっぴろげるわけでもなく。私の方を一切無視しているのがありありとわかる。ついでに言うなら貴史の方も、だった。あんなに謝ってるんだから、私らの母さんたちよりも、まず貴史に「いいよ、もう大丈夫だ」みたいなこと、言うのが筋でしょうに。
いっとくけど、私は清坂美里。立村くんの彼女であろうがなかろうが、納得しないことは受け入れない。あとで絶対、話しよう。そう決めた。
うちの母さんが落ち着いて席に戻り、でも貴史母子は立ちっぱなしのまま。
しばらくだんまりが続いた。菱本先生も、きっと自分から立村くんが席についたのに満足してたのかもしれない。うっすらと笑みを浮かべて、
「立村、大丈夫か」
なんて声をかけていた。立村くんは相変わらず無視をしつづけている。もう、どっちが礼儀知らずなのかわかんない。すると、「お誕生席」に動きが見えた。
「羽飛くん、もう頭を挙げてちょうだいな」
──え? 貴史?
なんか変。絶対変。
だって、その人の息子は、立村くんなのに。
なんで貴史に声かけるわけ? 手を差し出すわけ? 座るように促すような合図。でもふたりはそのまんまだった。とにかく座ればいいのに。私も貴史にそう言いたかった。けど言えない。立村くんのお母さん、何か、少し、怖い。
「本日私が参りましたのは、うちの馬鹿息子に謝っていただきたいということではないのですから、先ほど申し上げましたように」
さっき話したことを、声音を和らげるような口調で続けた後、
「羽飛くん、利き腕どちら?」
やわらかく尋ねた。
「右です」
ぶっきらぼうに貴史も答え、立村くんをじいっと見つめた。貴史の方はちゃんと見返すこと、できるみたいだった。
「ありがとう」
やさしい口調だけど、脈略のない言葉。わからない。私も立村くんのお母さんから目を離すことができなかった。身体の向きを変え、立村くんに向かった。名前を呼んだ。
「それと上総」
それだけだった。
こっち向きなさいとも、反省しなさいとも、謝りなさいとも言わなかった。
いきなり、立村くんの右頬を張り飛ばした。真っ赤なマニキュアがライトに当たって白く光った。
「立村、おい大丈夫か!」
菱本先生が間に入ったから二発目はなかった。貴史が硬直したまま、動けないでいる。うちの母さんたちが目と目を合わせて「どうしよう、どうしよう」とテーブル越しに相談している様子が見える。けど私は。
──どうして?
みんなの前で、しかも、菱本先生と、貴史と、そして私と、みんないるのに。
──立村くんが一番、見られたくないとこなのに。誰にも見られたくないとこなのに。
「立村くん!」
呟くことしかできなかった。あの時の私は、本当の清坂美里じゃ、なかった。
立村くんは一度ソファーにもたれるように倒れ、すぐに身を起こした。いかにも慣れっこって感じで、同じきつい眼差しを自分のお母さんに向けた。見比べてわかった。やっぱりこの二人、親子だ。そっくりだ。いつも菱本先生をにらみつける時の顔と同じだ。
「あんた、うちにセールス電話がかかってきた時、くどい話をそのまま聞いて、受け入れてあげる? それともさっさと切る? 普通は切るわよね。時間がもったいないし、迷惑だし、話を聞いてあげる義務なんてないものね。もしそのセールスマンが、電話切られたからといって傷ついた、悲しい、お前のせいだとか言ってあんたを訴えたらどうする? 自業自得って言うわよね、普通。上総、あんたがしてほしがってるのはね、そのセールスマンと同じことよ。断られて当然なのに、断った相手が悪いって逆恨みして、無理やり自分の売り物を押し売りしようとしているだけの、勘違い野郎よ。いいかげん気付きなさい」
立村くんのお母さんがヒステリーを起こすのかと思っていた。
だってひっぱたくなんて、頭に火がつかないと絶対にできない。
けど冷静だった。真正面に立村くんを迎え、再接近し、とうとうとまくし立てた。
話していることは、いたってわかりやすいことばかり。うちのお母さんとは大違い。
思わず私は聞き入っていた。菱本先生が途中立村くんの肩を抱くようにして、
「あの、お母さん、今ここでは」
「少し黙っていていただけますか。見苦しいところをお見せするようですけれども、これも母親の義務ですから」
仲裁に入ろうとするのだけど、勝てるわけがない。ぴしゃっと跳ね除けられた。立村くんも露骨に手を払いのけている。どうしてそこで「結構です」って一言が言えないんだろう。ほんと、立村くん、子ども過ぎる。そう言いたい。
うちの母さんたちも、最初の段階で完全に立村お母さんの観客と化している。本当の意味での「崩壊序曲」ってこれなのかもしれない。立村くんは唇をかみ締め、頬を真っ赤にしたまま、ずっと自分のお母さんをにらみ据えている。なんでこんなにほっぺたが赤いんだろう。今気が付いた。すうっと私も、頭の芯が締まったような気がした。
──さっきなんで貴史の利き腕聞いたか、わかった。
──おんなじとこ、重ねて叩かないように、したかったんだ。
「今、こちらで全部聞かせていただいたけれども、ここで間違っている人間はあんただけだってことがよくわかったわよ」
すごい。そこまで普通、誰も言えない。言いたくたって、言えない。
「もちろんそれはあんたを育てた私と和也くんの責任でもあるし、あんた自身にもどうしようもなかったところがあるのは理解しているつもりよ」
──和也くんって、誰?
頭を必死に働かせて、「和也くん」なる人が立村くんのお父さんだということをやっと理解した。三年間立村くんと一緒に過ごして来て、気付かなかったなんて。お母さんがお父さんのことを「くん」付けで呼ぶ家庭。そんなのがあるなんて、信じられない。私、立村くんのことを全然、本当に教えてもらっていないんだ。
──そういえば立村くんのお母さん、二十歳の時に産んだって、言ってたよね。
──それも、「順番間違えた結婚」だったって。
頭の中はこんがらがっておでんができそうだった。
「でもね。上総、あんたはいつも、周りが何もしてくれない、理解してくれない、だから当然こういうことをしているんだってことばかり言ってるでしょう。菱本先生に対してもそう、羽飛くんや美里ちゃんに対してもそう、すべて出会う人に」
いきなり私の名前が出てきてびくっとした。貴史と目が合った。いきなりあいつが、「黙ってろ」のサインを送ってきた。見分けるのは簡単、片目をしわしわにするとこ。了解した。
「あんたがいわゆる普通の同年代の子とは違って、神経質だってところは重々承知しているし、有る意味それは仕方ないことだわ。でも、それを他の全く関係ない人に押し付けたり要求したりする権利は、上総、あんたには一切ないのよ。他の人たちにとっては、あんたの繊細な感受性ってのはね、どうだっていいわけよ。いい? 上総、あんたは自分をもっと尊重してほしい、こんな傷つきやすいぼくちゃんを真綿で包むように扱ってほしい、高級品なんだとばかりに威張りくさっているように見えるわけよ。親である私にもそれはびんびんと伝わるわ。その証明をするために、『いじめられっこ』だとか『運の悪い評議委員長』だとかいろいろな肩書を集めて、『こんなに努力しているのにどうして周りはわかってくれないんだ』って一生懸命アピールしようとしているのが丸見えなわけ。わかる? だけど周りの人たちからしたら、そんなのちゃんちゃらおかしくて相手にする暇なんてないのよ。いい? 他の人たちはあんたに普通以上の関心を払う義務なんてないわけだし、迷惑を掛けられる筋合いもない。あんたの一方的にやらかす迷惑行為から身を守る権利だってあるわけよ。そうでしょう、羽飛くん」
今度は貴史に話を振ってきた。どう出るか。出方によっては私も考える。貴史は横に首を振った。「迷惑なんて、かけられてない」という意味と受け取った。私は身動きできなかった。
──どうしてだろう。私、一応、つきあってるんだよね。
なんでかわかんないけど、くうっと泣けてきそうだった。
──こんなに努力しているのにどうして周りはわかってくれないんだ。
それは私が言いたいことなのに。
私がどんなにわかろうとしたって、立村くんはちっとも受け入れようとしてくれなかった。
けど、それって向こうも同じだったってこと?
私、受け入れようとしてないように、見えたわけ?
涙をこらえた。うちの母さんたちの前では、死んでも泣けないから。
「『どうして自分を受け入れてくれないんだ、それは親が、社会が、学校が』とかなんとか一方的に叫んでいるようだけど、あんた以外の誰もはあんた以上に大切にしたいなんて思ってないわよ。いいえ、そうね、少なくともここにいる人たちは精一杯上総のことを、尊重しよう、理解しよう、なんとか受け入れようと努力しているわけよ。わがままいっぱいのお坊ちゃまを、なんとかして仲間に入れよう、受け入れようとね。あんたはそれを、白々しいお仕着せだと思い込んでるでしょうね。そう感じる自分が正しいとか思い込んでいるでしょうね。そうやって上総、あんたはたくさんの人を傷つけてきたわけよ。羽飛くんの立場にもし私が立っていたとしたら、たぶんあんたを半殺しにしていたでしょうね。友だちとして精一杯の善意を仇で返されたようなものだものね」
思わず貴史と目が合った。さっきの「黙ってろ」サインはなかった。ただ、じいっと私を訴えるように見つめてきた。なんでだか、こらえきれなくなりそうでうつむいた。すぐに視線を戻し、立村くんのお母さんの言葉に聞き入った。
──そうだよ、立村くん。私、いつだって仲間に入ってきてほしかったのに。
──それじゃ、どうしてだめだったの?
──どうすればよかったの? どうすれば、理解できたの?
「上総、でもそれをあんたは絶対に認めようとしない」
びしっと、言葉が響いた。呼吸する音、せきすらも今は騒音になってしまいそう。心臓の音だけを聞きながら、私は唇をかみ締めた。立村くんの肩が震えていた。泣いてしまいそうだった。見ちゃいけないってわかっていても、見つめてしまう。
「あんたがね精一杯自分が自分がと訴えていれば、ずっと被害者でいられるからね。傷つけた羽飛くんが悪い、理解しようとしない菱本先生が悪い、ずかずかと心の中に入り込んでこようとする他の人間たちがすべて悪い。繊細で傷つきやすいぼくちゃんをきちんと取り扱ってくれない社会が悪いってね。上総、あんたがずっと前、なんで『きらわれて』いたのかわかる?」
──「きらわれて」いたって、そんな違う!
思い切って「違うんです!」そう叫びたかった。
けど、その出所が違うとすぐに気が付いた。
立村くんの形相が明らかに変わっていた。
触れるのも、怖い。あのふたりには近づけないなにかが漂っていた。
「そうよ、あんたは『いじめられて』いたんじゃないの。『きらわれて』いたのよ。まずそこから考え直しなさい。あんたはねずっと、周りから迷惑がられてきたわけよ。自分を誰も面倒みてくれない、わかってくれないってすねて、他の子たちが一生懸命なじませようとしても殻から出てこなかった。ずっと殻に篭っているもんだから、他の子たちもどう接していいかわからなくてばたばたしている間にあんたは『いじめられた』と思い込んで恨みがましい目で見つづけたってわけ。あんたはひとりで被害者ぶっていたようだけど、他の子たちがどのくらい傷ついたか一度でも考えたことがある?」
──私のこと、一瞬でも考えてくれたこと、あるの?
──立村くん、ずっと、ずっと待ってたの、気付かなかったの?
さっきまで立村くんのお母さんの言葉をどう受け止めていいかわからなかった。
なんで自分の子をそこまでけなすのか、その理由が全く理解できなかった。
でも、続く言葉に、自分が水になり流れてしまいそうな気がしてならない。
だって、すべて。
みんな、すべて。
──私の言いたいこと、みんな、言ってくれてる。
──絶対言っちゃいけないこと、だけど。
私の本質が変わってなければ、好きだからといって目を瞑ってごまかせる性格に変わってなければ。
──どうしてこんな形でしか、伝えられないんだろう。もっと、もっと別の言い方、あったはずなのに。
「どうすればいいんだろう、どうすれば上総を仲間に入れて仲良くやっていけるんだろうって考えていた子たちの気持ちを、あんたは真剣に考えたことがある? 自分のことばかり考えて、一瞬でも他の子たちの気持ちを受け入れようと努力したことがないから、何もうまくいかないわけよ。あんたが普通の子よりも何倍もハンデがあるのはわかっているしそれは私と和也くんができる限りのことをするわ。それが親の勤めだから。でもね、ここにいる菱本先生も羽飛くんも美里ちゃんもその他の子たちも、あんたにそれ以上のことをしなくてはならない義務なんて全くないの。そうよ、理解する義務なんてさらさらないのよ。理解しなくたっていいし、本当だったら無視したっていい。それを上総、あんたは『理解することがあんたらの義務だ』とばかりに要求を吊り上げていったのね。ここだったら自分がしてほしいこと全部してくれるものだと思い込んでね。だから菱本先生に嫌がらせして、他の子たちの気持ちをずたずたに傷つけて、『もっと自分を丁重に扱ってくれ!』とか言ってるわけよ。そんなことずっとされつづけて、怒らないですむとしたらそれは神さまよね。上総、あんたは何様のつもり? 『理解してほしい』ってのはね、最大のわがままなのよ。あんたのすべきことはね、その人たちと同じくらいのレベルで理解をするよう努力することなのよ」
「これ以上なにしろって言うんだよ!」
初めて立村くんが反撃の烽火を上げた。
お母さんは全く動揺せず、今度は自分の息子の言葉を封じた。
「さっき言ったでしょ。あんたのしていることは、失礼千番なセールスマンが、断られた人たちを逆恨みしているのと一緒だって。あんたには、水掛けられたって電話をがちゃりと切られたって相手を恨む権利なんてないのよ。でもね、そういうセールスマンにだってちゃんと逃げ場はあるのよ。理解してくれる場所はあるの。たとえば電話セールスだったらコールセンターという場所があってそこの上司や同僚たちが『なぜ断られたのか』とか『今度はいいお客さんに会えるといいね』とか言い合って、支えあうものなのよ。彼ら彼女らは断られた痛みを知っているし、さらにセールスの方法をレベルアップしていこうと応援することもできるのよ。それは彼ら彼女らが互いを受け入れあっているからなの。決して、断ったお客さんをうらむのではなくて、『どうして嫌われたのか』その理由を自分の中から見つけ出すためなのよ」
「正当な恨みも許されないってわけか」
「正当? 勘違いするのもいいかげんになさい。上総、あんたはね、いつも自分のことしか見ていないし、自分自身を変えようなんて一度も思ってないわけ。どうしてあんたは自分自身に目を向けようとしないわけ? 理解できないって言うのなら、どうして彼ら彼女らがそういうことを訴えようとするか、考えようとしないわけ?」
「考えてるさ、だからって」
「あんたの都合のいいように考えてるってことよね。あんたの考えていることはだいたい手に取るようにわかるわ。『人のことを深く考えようとしない勘違いした人たちが、僕たちみたいな繊細で傷つきやすくてけなげな奴を勝手に決め付けようとしているんだから、当然相手が悪い』ってことでしょう。あんたは一度も、『自分ひとりを被害者に仕立て上げて、相手の精一杯の好意をつっぱねて、相手を傷つけてもそれから目をそらしっぱなし』って思ったことないのよね。そりゃあ、みんなあんたが百パーセント満足できることをしてあげられるとは限らないわ。親である私だってあんたがしてほしがってることを理解できるわけじゃないし、してやることだってできないわよ。でもそれはお互い様。理解できないからこそ、いい方法を考えようとするわけよ。さっきのセールスマンと同じ。大クレームの後どうやってこれから自分のセールストークをレベルアップしていけばいいのか、どういう風にアプローチしていけばいいのかを、自分自身の中で考えていくだけのことよ」
なんとなくだけど、立村くんのお母さんが何を訴えたいのか、うすうすと伝わってきた。
目の前で身動きせず聞き入っている菱本先生も、後ろの方で口を真一文字にしている貴史も、そしてさっきまで好奇心丸出しで見入っていた母さんふたりも。
──聞いてる。
本当のことを感じ取ろうとしている。うまく言えない。けどわかる。
この人の言葉には、嘘がないんだって。
ちらっと私と視線がからまった。なぜか、怖くなかった。
「上総、あんたは人が受け入れてくれることを当然のように要求しているわけだけど、要求する権利なんてもともとないの。あんたを受け入れられるのは、上総、あんたひとりだけだってこと、いいかげん元服の歳を過ぎてるんだから気付きなさい!」
──元服の歳。
そういえば私も、立村くんも、貴史も。
「十五歳だともう、そうなのよね」
えらくまともなことを、後ろの母さんたちが呟いていた。
私たち、本当は大人にならなくちゃいけないのに。
目の前で震え上がっている立村くんを私は、まどろっこしい気持ちでで射た。
──どうして、私たち、大人になれないんだろう。どうして、わかりあえないんだろ。
──どうして、お互い、分かり合おうって、できないんだろう。
今の私にも、できないこと。だから立村くんにもできるわけないって、頭ではわかっている。けど、どうしても、わかってほしい。今、こんなに一緒にいたいってみんな思ってるのに、立村くんだけが逃げようとする。
貴史が片手で「立て、立て」とばかりにあおるしぐさをする。
──わかってる、けど。
いつもの私だったら、絶対そうしているはずだ。
小学校の頃の私なら、ううん、中学一年の、二年の、今よりずっと子どもだった私なら。
──立村くんをこれ以上責めるのはやめてください!
そう叫んでいるはずだった。でも、できない。
「上総、理解されないからいじけるくせをいいかげん直せってことよ」
立村くんのお母さんは足を深く組みなおし、ため息をついた。マニキュアと靴のつま先に小さな星がちらついているように見えた。しぐさひとつひとつが、大人の女って感じで、かっこいい。それでいて上品。確か日本伝統芸能の何かイベントを仕切る仕事をしているってこと、立村くんから聞いたことがある。少しだけ声が和らいでいた。
「人間、親子であっても夫婦であっても理解できないのが当然なの。百パーセント受け入れられるなんてそれはわがまま。七十パーセントでも五十パーセントでも、受け入れられるところを探して自分でその器をこしらえていくそれが大切なの。あんたは自分が傷つきやすいからといって百パーセント受け入れろって叫んでいるけど、そんなのとんだ迷惑なの。一割でも二割でも受け入れてもらえたことを感謝する以外、あんたは他人に何も要求できないということを知りなさい」
最後に、一呼吸置き、同じにらみ方をしたまま、告げた。
「自分の面倒は自分でみなさい。あんたに言いたいのはそれだけよ、上総」
──私も、そう。
自分で決断するしかない。
それにしても思うのは、ふたり並ぶとほとんど姉と弟という感じ。親子のような年齢差を殆ど感じさせない。計算してみると、二十歳プラス立村くんの年齢十五歳とすると、三十五歳! そうか、そんなに若いんだ! うちの母さんたちのむっくりずんぐりした格好とは大違いだった。そんなお母さんに育てられた立村くんが、どうしてあんなに大人っぽく見えるのだろう。中身は全然だけど、それを打ち消すようなしぐさや口調、なんでだろう。
無理やり腕を引っ張り上げ、立村くんのお母さんは背筋をぴんと伸ばした。
「本日はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
さっき立村くんを叱った時とは違う顔を見せ、お母さんはやさしく笑った。
また貴史に一声かけた。そうとうお気に入りの様子。貴史もまた直立不動状態。笑っちゃいけないけど、笑いたくなる。あんた、好みは鈴蘭優じゃなかったの?
「羽飛くん、さっき言ったように、君が罪悪感を感じる必要は全くないの。この馬鹿息子はね、実際そこまでされないと理解できないの。辛い思いさせて、ごめんなさいね」
貴史はまた頭を横に振ろうとしている。「そんなことない」の意味なんだろうけど、きっとあのお母さんには伝わっていない。次に貴史のお母さんに向かい、また暖かい口調で、
「子ども同士のいさかいに親が口を出す格好になってしまいましたが、本来は私が加害者の母として謝るべきところです。申し訳ございません」
ついでに私のお母さんにも一礼してくれた。なんか唖然としていた様子だったうちの母さん、余計なこと言わずに頭を下げた。また変な目で見ようとしてたら今度こそなんか言おうと思ったけど、大丈夫だった。安心。そしたら今度は、
「美里ちゃん」
私に、そっと向かいあってくれた。どうしよう、なんか、緊張してしまう。貴史に救援を頼みたいとこだけど、あいつも自分のことで精一杯みたい、動こうとしない。
「あ、はい、私」
どもってしまう。ほんとに、皺なんてひとつもない、きれいな女の人だった。
本当に、立村くんを二十歳で産んだ人なんだろうか? 信じられない。
「あれの親としてではなく、女性として一言伝えておくわ」
「じょ、せい?」
言葉がうまく出てこない。
──「女性」って、今、言ったよね。
立村くんのばつの悪そうな顔が視界に入った。あんなに気になっていた立村くんの表情なのに、真正面から見られない。私のことを「美里ちゃん」と呼ぶってことは、きっと、私が立村くんのつきあい相手だってことも知ってるはず。うちの母さんも変なこと思ってないだろうか。息が苦しい。立村くん以上に真っ赤になりそうだ。
「上総みたいな優柔不断な男に惚れたら、美里ちゃん、あなたの本当のよさが見えなくなるわよ」
かきん、そう脳天で音がしたような気がした。
「親としてではないの、女の先輩として」
どうしよう、足が震えている。こんなみっともないとこ、見られたくないのに。
誰がどう見てるかなんて、考えている余裕なかった。目の前の女の人……まさしく「女性」……は、そんな私にまた笑顔を見せた。
「早い段階で見切りをつけたほうがいいわ」
言われた意味が、わからなかった。わかりたくなかった。
──どういうこと? 立村くんと、私が。
「いいかげんにしろよ!」
「お黙り」
立村くんが怒鳴り無理やり扉を開けようとした。菱本先生が立ち上がって見送ろうと近づいてきた、それを勘付いたのだろうか。ううん、違うと信じたい。今、立村くんのお母さんは私に向かってはっきりと、「親として」の言葉をぶつけたはずだから。あれは「女性」としてじゃなくて、「お母さん」として、としか思えない。
だって私はまだ、「女性」と言われるほど、大人じゃない。
母子の会話はまだ続いていた。隣で私の母さんがそっと背中をさすってくれていた。涙が出そうで出ない。去り際の言葉だけが耳に響いていた。
「女の目から見てあんたがタイプじゃないとしてもね、上総、いやおうなしに一番愛しい男になるのが、自分の息子というものなのよ」
──女の目。
あんな幼稚なことばっかりやっている立村くんと私が付き合っていること、それが母さんたちにばれたから慌ててるわけじゃない。彼氏のお母さんに付き合いをやめるようやんわり言われたから、動揺してるんじゃない。そんなことで立村くんと付き合いやめるようだったら、とっくの昔に崩壊序曲が流れてる。
けど、違う。あの人が言ったことは、もっと重たいこと。
「しっかりした方だったわね、あの、立村くんのお母さんは」
穏やかな声で私にささやきかけるお母さん。私はわけわからぬまま首を振りつづけた。
──女の目、なんていらない。
元服の歳なんて関係ない。「女の目」なんてほしくないのにどうして、私はあの人の言葉に頷いてしまったのだろう。
私は必死に冷静を保ちながら、はやく一人になってぎゃあぎゃあ泣き喚く場所を探していた。あおむけになっておもちゃ欲しがるちっちゃい子みたいに騒ぎたい。貴史ととっくみあいのけんかができたあの頃に戻りたい。立村くんに見切りをつけられないのが子どもなら、私はまだ幼いままでいさせてほしいのに。




