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32 中学三年・二月中旬 清坂美里の見た生徒相談室(1)

その32 中学三年・二月中旬 清坂美里の見た放課後の生徒相談室 (1)


 本当だったら貴史が最初に手を出したのだから、あいつが怒られるはずだった。

 どう考えたって私から見たら喧嘩両成敗だったし、親を呼ぶほどの騒ぎでもなんでもないって気がした。

 要は、立村くんが殴られた拍子に後頭部を打って倒れてしまい、意識を軽く失ってしまったのが大事になってしまっただけってこと。

 保健室の都築先生によれば、

「大丈夫、ちょっと腰抜かしただけみたい。だからぼおっとしているだけよ」

 脳天気なこと言ってたし、私はそれほど心配なんてしてなかった。

「やべえよ、立村、ほんと、まじで」 

「そんなあんたがあせることないわよ。もっとしゃきっとしなさいよ、しゃきっと」

「美里、お前なあ」

 私は貴史と隣り合い、生徒相談室の前でぼんやりとソファーに腰をおろしていた。一通り、菱本先生から事情聴取され、そのあとで都築先生から立村くんの状況について説明をうけ、要するにたいしたことはないのだ、と認識するとこまではきていた。こういう時って変だ。男子の方が真っ青になってあせってしまうなんて、おかしい。

「親、呼び出しになっちまうとはなあ」

「小学校の頃なんていっつもだったじゃないの。大丈夫よどうせ、うちの母さんも一緒にくっついてくるわよ」

「そっか、そうだよなあ」

 貴史はいったいどんなこと心配してるんだろう? 永年の付き合いある私が読んだところによると、決して自分の身のことを案じてるわけじゃないと思う。

 ──立村くんのこと、それしか考えてないに決まってる。

 きっと貴史のお父さんはすっごく怒るだろう。一発二発どころじゃないかもしれない。けど、そんなの慣れっこに決まってる。

 ──こんなすごいことになっちゃったんだもの、立村くんがこれからどうなっちゃうか、だよね、きっと。

「お前さあ、一応あいつの彼女だろ」

 貴史は片手をまだ頭にのっけたまま、私を見た。

「もう少しな、俺に文句言うとかな、けんかをやめてとか、普通言うだろうよ」

「私はそんな甘くないの。おかしいことはおかしいってはっきり言うの。彼氏であってもなくてもよ」

「けどなあ」

 なによいったい、なんで説教しようなんてするの。貴史、私に対してだけ、妙に偉そうだ。むかつく。

「いくらなんでも『急所だけははずせって言ったでしょう』はねえだろ?」

「事実じゃない。あんた、ちゃんとそれは守ったみたいだけどさ」

 その点も実は、まったく心配してなかった。たぶん貴史と立村くん、いつかはぶつかり合うだろうと思っていた。場所がちょっとまずかったけど、貴史がぶっちぎれて殴りかかる展開は私なりに覚悟はしていた。その時を迎えた時にどう振舞うかも、無意識だけど考えていたみたいだ。他の女子だったらかわいく「けんかなんてやめて! お願い!」くらい言うかもしれない。すがりつくかもしれない。けど、あの展開、明らかに立村くんのわがまま全開な言い分聞いて「お願いやめて」って貴史にすがりつくようだったら、私は清坂美里じゃないと思う。つきあったくらいで性格変わるような女子じゃ、私はない。

「かわいくねえなあ」

「鈴蘭優とは違うからね」

 再び貴史はちらっと私の方を見やると、だんまりを決め込んだ。言いたいことあっても、めんどうなんだね、男子ってなんも言わない。



 立村くんが貴史と彰子ちゃんに言い放った言葉を、私はそのまんま受け止めるしかないと思っていた。

 実際、もう私や貴史と友だちづきあいはしたくないって態度を取りつづけていたし、もしそうならしつこく追いかけるのも無駄だろうと、頭の中では考えていた。

 もちろん、わかってる。そうしなくちゃって。でも。

 ──そうできればね、どんなに楽かわかんないよ。

 

 立村くんが評議委員長から降りて書記に回された時、誰もが評議委員会の崩壊序曲だと感じたみたいだった。

 だって普通評議委員長が前期後期両方勤められないなんてこと、転校とかそういう要因でもなければ絶対にありえないことだったんだから。

 でも、実際評議委員会の後期会長は天羽くんが選ばれた。立村くんがずっとまとめてきていた評議委員会と生徒会がらみの交流活動はみな、天羽くんの背中にずっしりのしかかったようだった。それって大変なことだったんじゃないかってみんな思っていたはずなんだけど、ふたを開けてみたらなんでもなくて、あっさりと予定が決まり、進んでいった。私たち女子三年評議が手伝う場面もほとんどなく……厳密に言うと琴音ちゃんだけが混じっていたようだけど……トラブルもなんもなく、片付いていった。

 新井林くんとの対立も三年としては覚悟していた。三年を馬鹿にしているんじゃないか、だったら天羽くんとも喧嘩するんじゃないか、難波くんがかみつくんじゃないか、いろいろ不安材料は混じっていたのだけど、それもびっくり、難なくこなしてしまっていた。噂によると、どこかで天羽くんが新井林くんに「礼儀」を教えたとか聞いたけど、それ本当のこととは思えない。天羽くんの彼女とされる近江さんによれば、

「まあ、私はこれで、清坂さんと一緒に語り合う時間が増えたから、天羽くんを応援することに決めたわ」

 なんて、ものすごく天羽くんが忙しいらしいという情報は仕入れている。こずえがやっかむくらい、最近近江さんと私が行動することが多い。

 天羽くんが委員長になってから、特に増えた。

「天羽くんと、話す機会減った?」

「最初からあんなものだし、いたらいたでおもしろいけど、いなかったらいなかったらで私には清坂さんがいるし。落語や漫才を見に行くんだったら、やはり天羽くんの方がいいっていうのはあるわよ。でも、毎回毎回じゃないし」

 ──そんなので比べられないと思うけど。

 そう思えたら、楽だろうな、私はいつも近江さんにあこがれた。


 とにかく天羽くんが仕切ったことによってすべてがうまく回りだした。これは事実だった。

 琴音ちゃんがなぜ、立村くんと一緒に書記を担当するようになったのか、これも他の委員からしたら不思議なことだったけど、男子評議たちが誰も文句言わなかったし、文句を言いそうなゆいちゃんや小春ちゃんがもう評議から外れていることを考えると、これもあっさり決まってしまった。私は直接理由を難波くんと天羽くんに問いただしたけれども、

「まあいいじゃん、清坂ちゃん、それよか、あいつのことを少し、よろしくたのんますわ」

「ったくあいつ、何しでかすかわからねえ状態だしな」

 私が立村くんの専用保母さんになるよう言い含められて、それきりになった。

 

 もちろんそうしろって言われなくたって、私もその覚悟はしていた。

 立村くんにはっきり、「別れたい」そう言われてから、私だってもちろん。

 だけど、今こんな時にそれを受け入れたら何が起こるかわかってるんだろうか。立村くん、何にもわかってない。先のことを考えるのが男子は得意って言うけれど、立村くんに関して言えばそれは外れている。第一絶対に不可能。もし私が「立村くんと別れるわ」なんて言ってごらんなさいよ、すぐ他の女子たちから、

「だから美里は羽飛と付き合えばよかったのよ」

 っていうありがちな誤解を招くはめになる。貴史はもちろん「鈴蘭優」命のまんまだし、そんな面倒なことはないと思うけど、他のまとわりついてくる人たちがうっとうしい。

 それに、私だって大変なことになる。まがりなりにも二年近くカップル扱いされてきて、それがいきなりってことになったら、みんな理由をいろいろ詮索するに決まってる。

 ──美里って、けっこうもてるから、誰か好きな人ができたんじゃないの?

 ──もしかして新井林くんあたり?

 ──他の中学に彼氏がいるって噂も聞いたことあるよ。

 ──去年の卒業式に告白されたのに振った人がいるって。

 私もそれなりに誤解されたり噂されたりしているのだ。ほんと、ありもしないこと、ぺらぺらといわれるのだ。

 立村くん一筋なんだって言っておけば、余計なことかんぐられないですむ。だからなんだってこと、いくら言っても誰もわかってくれない。

 貴史が好きなのにって勝手に決め付けられる。

 そうよ、私だって迷惑するのよ。決して立村くんのためなんかじゃない。私だって好きじゃなくなったらさっさと振ってる。

 立村くんのためなんかじゃ、ないんだから。



 私はしばらく貴史とまったく関係のない話をしつづけていた。「砂のマレイ」の作者さんが行方不明になって半年経つため、続編を映画化できなくて頭を悩ませているらしいという、そんなスキャンダル。無難ともいえないけど、まあ、立村くんがらみのことを考えるよりは、まし。

「やべえよなあ」

 貴史も「砂のマレイ」の大ファンだし、しっかり話に乗って来た。

「作者がいねえなら、別のアシスタントとかに頼んで続編つくりゃいいのにな」

「できるわけないじゃない。だって戻ってきた時に『あれ、こんな話にするつもりじゃなかったのに』って怒られたらどうするのよ」

「しゃあねえだろ、自分でおっぽりだしたんだからな。ある程度いじくられても、自業自得」

「でも、自分の意志じゃないかもしれないじゃない」

 このあたりは強く、主張したかった。

「この前のワイドショーでも言ってたよ」

「お、さすがおばはん根性丸出し」

「うるさい! とにかくね、いつ戻ってきても大丈夫なように、仕事場はしっかり整えてあるんだってアシスタントさんがインタビューに答えてたよ。だって、予告もなんもなかったんでしょ。出て行きますとか、自殺しますとか」

「神隠し、ってたな」

 「砂のマレイ」は現在、第三弾の映画が撮影される予定ということで、私たちもむちゃくちゃ楽しみにしていたのだ。

 今までの展開はすべて原作をなぞる形だったのだけど、第三弾はまったくのオリジナル脚本になると聞いていたので、楽しみもひとしお。

 なのに、いきなり原作者が姿をくらまし、「誘拐か? 失踪か? なにか事件に巻き込まれたか?」などとかしましくテレビ・週刊誌を中心に騒ぎが激しくなっていた。最近は少しずつ別のニュースにトップの座を奪われているけれども。

「なんか理由あるのかな」

「さあ、けどいろいろあるみたいだぞ。金の問題だとか、愛の逃避行だとか」

「なによそれ、愛の逃避行って笑える」

「『週刊アントワネット』によればだ」

 貴史お得意の芸能ネタ最新情報を、わざわざ両手広げて披露するのはどうかと思う。私は少しクールな振りして聞いていた。

「アシスタントと作家との間で男の奪い合いとなり、結果、作家の方が逃げ出したと」

「どうでもいいけどあんた、ファンでありながら作者の正式名称いえないってのはどうかと思うなあ」

 男子ってそういうところ、抜けている。たぶん、覚えていないんだ。どうでもいいことなんて、覚えられないのが男子なんだもの。

 どうでもいいこと、くだらないこと、そういう話をしていられれば、あっという間に忘れていられる。

 貴史としゃべっている時って、いっつもそうだった。


 菱本先生と一緒に、私たちそれぞれのお母さんが入ってきた。きっとあせって飛んできたんだろうな。いつもそうだった。私たちがなんかやらかすと必ずどちらかのお母さんがやってきて、先生に頭を下げるのだ。最初のうちは私たちも必ずぽこっと拳骨を食らわされたものなんだけど、高学年になるにつれて事情が変わってくると表面だけを合わせる格好で片付けるようになった。特に、小学校時代あの沢口先生との対決が続いた頃はそうだった。

 ただ、青大附中に入学してからはそれほど、いわゆる呼び出しを食らうような悪事は働いていないつもりだった。もちろん私がするわけなくて、やるのは貴史。小学校時代は手に負えないほどの悪ガキ扱いされてきた私たちだけど、青大附中ではむしろ優等生だ。問題を片付ける方だ。いや、立村くんのしでかしたことを後始末する、そんなことの方が圧倒的に多い。

 ──だって、評議委員だよ、信じられないよね。

 貴史をつっついて立ち上がり、まずは菱本先生に頭を下げた。

 先手を打っておかなくちゃ。ついでにお母さんたちの顔を覗き見た。

「たあちゃん、どうもね」

 最初に声をかけたのはうちの母さんだった。

「みさっちゃん、ついていてくれてありがとうね」

 次に私に近づき、いきなり頭を撫でてくれたのは貴史のお母さんだった。なんか子どもっぽいことしないでほしい。先生いるんだから。

「それにしても、貴史、ほら、こっち向きなさい」

 その手で貴史のお母さんは、貴史のお尻を思いっきりぶった。頭じゃないところがみそ。

「いってえ」

「人様に手を出すなっていっつも言ってるでしょうが!」

「ごめん」

 素直に謝り、貴史はズボンの上からお尻をかいた。隣り合っている私たちを少しにらむように見つめている菱本先生が、

「とにかく、ふたりともそれぞれのお母さんの隣に行きなさい」

 指で分かれるよう指示をした。そりゃそうよ、素直に私も母さんにくっついて向かい合い座った。すると母さんはさっそく、

「美里、それにしても女の子なんだから、あんた止めようとしなかったわけ?」

「女の子であってもなくてもするべきことはいっしょでしょ」

 ああ、やだやだ。なんで「女の子」ってことで責められるんだろう。母さんの言ってること、よくわかんない。

「事情はさっき職員室で聞いたけどね、あんた、なんて言ったのよ。ねえ、たあちゃん」

 だからなんで貴史に話を振るんだろう。なんかここのところも、変だ。貴史は答えた。

「あの、急所狙うのはやめろって」

 いきなり誰かが吹き出した。貴史の母さんと、あと菱本先生だった。

「清坂、よく、知ってるなあ。急所、狙ったことあるのか」

 私のお母さんが頭をかかえている。なによ、女の子でも言うべきことはきっちり言うべきなのよ。

「女子は体力的に劣ってるのはしょうがないし、身を守るためにはしょうがないです。もっとも、青大附中でそんな心配ないですけどね。紳士であれって言ってるし」

「うそつけ」

 ぼそっとつぶやいた貴史の一言、しっかり耳で拾った。あとで本気で一発けりいれてやろう。



「つまり、今回は、子ども同士のけんかで勇み足、というところなんですよ。ですから本来でしたらおふたりにいらしていただく必要はないと、相手方のお母さんもおっしゃっているのですが」

 かなりかいつまんだ形で菱本先生は、貴史と立村くんとの一件をお母さんたちに説明した。

「要するにあれでしょうか?」

 うちの母さんが身を乗り出すようにして、菱本先生に確認した。

「たあちゃんとその、立村さんのお子さんとが口げんかして、その拍子で一発お見舞い」

 私に「女の子なんだから」なんていう権利、ないと思う。その言い方。「黙っててよ」そうささやいた。

「いや、実際は小突いた程度でしょうね。ただ、その際打ち所がわるいんでないかという倒れ方をしたので、僕もつい、先走ってしまった次第で」

「で、その立村くんというお子さんは」

 私の顔をちらっと見て、また母さんが尋ねた。

「大丈夫です。さっき保健室で確認したところ、まったく問題がないようです」

「でもやはり、私どもの息子がしでかしたことですからきちんと謝らないと」

 今度は貴史のお母さんが泣きそうな顔をしながら訴えた。貴史も大きく頷き、

「俺も、立村にきっちり謝ります。あいつ、大丈夫なんですかほんとに」

「ああ大丈夫だ。たまたま腰を抜かしただけだと言ってたぞ」

「腰を、抜かす?」

 思わず私がつぶやくと、菱本先生はにやっと笑った。

「要はバランスを崩してしりもちついて、ぱたっと転がっただけだってことだ。打撲もなければ特に何かあったわけでもない。すぐに羽飛が保健室に運んだし、特に問題はないぞ。安心したか」

「別にそんなわけじゃないですけど」

 また菱本先生はくすっと笑った。

「ですので、子どもたちがちょっとだけやんちゃしすぎただけというのは、立村の親御さんもよく理解してくださってるようです。ただ、念のためこれからこちらにいらっしゃるそうですので、もしすっきりしないようでしたら、その時にでも」

 ──立村くんのお母さん、来るんだ……。


 私は立村くんのお母さんに会ったことがない。二年の秋、確か詩子ちゃんの日本舞踊発表会の時に、貴史だけ楽屋で顔を合わせたことがあると聞いたことがある。貴史が言うには、

「すっげえべっぴん。唇真っ赤でさ、たぶん立村の姉さんって言ってもおかしくないくらいだな」

 ものすごい美人らしい。

「立村くんに似てた?」

「似てた、目のところ、まじ、そっくり」

 前にちらと、人となりについて教えてもらったことがあるけれど、とにかくヒステリックな人だとか、おっかない人だとか、あまりいい話を聞かされていない。

 だって、まだ十二歳の男の子を捨てて離婚してしまうなんて、私には信じられない。

 うちのお母さんも、貴史のお母さんも、たぶん立村くんのことは話だけ聞いて知っているはずだけど、あまりお母さんに関してはいい印象を持っていないはずだった。

 どちらも専業主婦だからかもしれない。仕事を取って息子を捨てるなんて、絶対ありえない、そう思ってるのかな。

「ではその時に、お詫びをさせていただきますが、やはり何か、その、ねえ」

 貴史の母さんはまるっこい顔をくぼませるようにして、先生と私の母さんと交互に顔を見合った。

「そうですよねえ、やはり、程度がどうにせようちの馬鹿息子が手を出したことは事実、きちんと謝りたいものですしね」

 神妙につぶやいたのをさえぎるように、今度はうちの母さんが口を出した。何言い出すんだろういったい。

「あのう、失礼ですけれど、その立村さんの奥さんは、お若い方なんでしょうか」

「母さん!」

 私は思いっきりお母さんの足を蹴飛ばした。ばしっと膝を叩き返された。

「黙ってなさい! とにかくあの、お若い方という話をうちの娘から聞いていたものですから、かえって私どもの話し方だと不愉快になられるかしら、なんて心配になりまして」

「失礼よ、お母さん黙ってよ!」

「うるさいのはあんたの方、とにかく黙って!」

 声音が本気で怖い。母さんが私を押しのけるようにしてさらに言い募る。

「こういったら失礼ですけれど、お仕事されてらっしゃってかなり先進的な方と伺っておりまして」

「そんなこと言ってないじゃない!」

 いやだ、何変なこと言うんだろう、うちの母さん。私、立村くんに対してそんな失礼な言い方なんてしてない! 立村くんのこと、うちの家族には絶対話さないようにしてきたんだもの。付き合ってからずっと、余計なこと言わないようにしておかなくちゃって思っていた。うちの親たちが私の彼氏に興味津々なのは承知していたけど、絶対に立村くんの話をしないようにって決めていた。だって、立村くんのことをきっと、うちの家族は嫌っちゃうに決まっている。一緒に暮らしている私がそんなこと、気付かないわけない。

 貴史があわてて母さんに話し掛けた。

「あの、立村の母さん俺会ったことあるけど、そんな怖い感じじゃ」

 ここでさらっと言ってくれればいいのに、貴史ときたらいきなり、

「いや、ちょっと、怖い感じかも」

 なんて口走るもんだから、母さんふたりいきなり顔を見合わせたじゃない。

「そうなの、たあちゃん、その立村くんて子は、厳しいしつけされてらっしゃるってことだものねえ」

「うん、まあそうらしいし」

 また貴史は言葉を濁した。男子ってほんっとに頭悪すぎる! なんでこんなくだらないこと口走っちゃうんだろう。

「いいところのお子さんだから、うちのがさつな息子と話が合うわけないとは思うのですけれどもねえ」

 くぐもった声でまたつぶやきため息をつく貴史の母さん。私に顔を向けて、

「みさっちゃんもねえ、うちの貴史じゃあ、やっぱり、困るわよねえ」

 ──別に何困るっていうのよ!

「母ちゃん、余計なこと言うんじゃねえ」

 いきなり貴史は顔をしかめ、ぷいっと横を向いた。


 いくら母さんたちが、

「たあちゃん、ちゃんとあんたも頭を下げるべきところは下げたほうがいいのよ」

「手を出したらだめだってあんた、何度言ったらわかるの!」

 いろいろと口を出しても、何かしゃべるのがいやそうな顔をしてうつむいていた。

 こういう時、貴史には何言ったって無駄だってこと、私だって知ってるのに。

 見かねたのだろう。

「あの、僕が思うにですねえ」

 さらに男子力でもって、話を混乱させようとしていた菱本先生の言葉が途中で止まった。

 ノックの音が響いた。いきなりぴしっと菱本先生が身を正して、

「はい、どうぞ」

 呼びかけが終わる前に戸が開いた。

「立村くんのお母さまです」

「どうぞ、お入りください」

 慌てて立ち上がり、菱本先生がドアノブを引いた時、私ははじめて立村くんのお母さんの顔を見た。

 ──似てる……。

 貴史の言う通りだった。

 すらっと背の高い、モデルさんのような体型。

 後ろに束ねた腰までたれるストレートヘアー。

 真っ赤な口紅と、ちょっと濃い目に頬骨を高くみせているチーク。かっこいい。

 ちっとも立村くんの持つ、おとなしめな雰囲気には重ならないのに、なぜか似ている。どこか見覚えある雰囲気がした。

 貴史が私に視線で、「立て」と合図した。母も同じくお尻をつっついた。もっと別のところにしなさいよって言いたい。

 大きな瞳と、じいっと深く見つめるようなまなざしが、確かに立村くんとおんなじものだって、気がついた。


「あなたが、美里ちゃん?」

 一言だけ耳元にささやき、その人はふかぶかと頭を下げた。片手に紙袋をぶら下げ、小さく黒いかばんの柄をつまむように持ち、次に先生に向かい、

「この度はうちの上総がみなさまにご迷惑をおかけしたそうで、誠に申し訳ございません」

「いえ、あの、うちの息子の方が、ほら、貴史頭下げなさい」

 貴史の母さんが無理やり頭を押さえつけようとするのをさえぎり、その人はまた紙袋を差し出した。

「いいえ、私のしつけがいたらなかったせいです。申し訳ございません。どうか、みなさまでお召し上がりくださいませ」

「立村さん、あの、それはそういうわけでは」

 慌てる菱本先生に、ぴしりとくぎを刺した。

「先生、どうかこの場は、私に免じて、お詫びさせていただければと存じます」

 三度目の、深い礼をし、またぴんと背を伸ばし、立村くんのお母さんは最奥の席についた。ちょうど私と母さん、貴史とその母さん、菱本先生に囲まれる形だった。いわゆる、「お誕生席」と言われる場所だった。



 何度か貴史のお母さんが頭を下げようとし、菓子折りを差し出そうとしたが、立村くんのお母さんは丁寧に断った。

「私の方こそ、うちの馬鹿息子が貴史くんによくしていただいてるのに失礼なことばかりしているようで申し訳ございません。今からみなさまに、お願いがございますが、よろしいでしょうか?」

 ──なんでこの人、立村くんのことを悪いって決め付けるんだろう?

「立村さん、息子さんの方ですが特に打ち所がわるいわけではなくて、少し子どものけんかが」

「ええ、よく存じております。この件はすべて、うちの上総の問題です」

 またぴしゃっと跳ね返した。ちらと私に視線を向ける時に微笑んでくれるのが、ちょっと不気味だった。だって「美里ちゃん」って呼んだんだもの。もしかして立村くん、私のことをお母さんに話してくれてるんだろうか? まさか「美里ちゃん」なんて呼んでくれたんだろうか。ううん、そんなことない。立村くんは私のことを下の名前で呼んだことなんてないんだもの。変なことばかり考えていて、ずっと立村くんのお母さんの顔ばっかり見ていて、うちの母さんの態度のことをすっかり忘れていた。興味津々でじっと見入っている様子に、頭のなかがかあっとした。何よ、じろじろ人のこと見てないでよ!

「うちの娘がお世話になっているようで、恐れ入ります」

 使い慣れない丁寧語を使い、じろっと母さんは立村くんのお母さんを一瞥した。もちろん丁寧なんだけど、何かを探ろうとしている目、なんかいやらしい。

「いえ、美里ちゃんのおかげでどれだけあの馬鹿息子が人間らしく成長したか、そう考えると涙が出てくるほどです。本当に、ありがとうございます」

「こんなおてんば娘が、お宅の礼儀正しいお坊ちゃんに何か失礼でも」

「いいえ、あの馬鹿息子をきちんと一対一で話のできるような人間に育ててくださったのは、美里ちゃん、貴史くんをはじめとする青大附中のみなさまのおかげ。本当にありがたく思っております。それで、先生、お願いがございますが」

 ぴしりぴしり、先生に対してのみ、はじくような言い方をする人だった。私は立村くんのお母さんが誉めてくれた言葉を素直に受け取っていいのかどうか迷い、しばらくだんまりを通した。


「うちの息子のことですが、菱本先生もご存知の通り、内向的と申しますか人嫌いと申しますか、いろいろとコミュニケーション能力が欠けているようです」

 立村くんのお母さんは席につき、背を伸ばしたまま膝に手を重ねゆっくりと語り始めた。誰にも口出しなんてできない。

「この点については私も反省すべきところがございますし、何よりもあの子の側から離れざるを得なかったという事情がございますので何も言い訳できないところなのですけれども。ただ、青大附中のみなさまのおかげで少しずつですがあの馬鹿息子も大人になってきているようです。今までは一切、何を言われても泣いていじけることしかできなかった息子が、まがりなりにせよ自己主張できるようになり、一対一で友だちと喧嘩できるようになり、恋もできるようになり、本当にここまで育てていただいた先生には感謝の気持ちしかございません。ですので、今回の件に関しましては、感謝の気持ちこそあれ、誰ひとり責めるつもりなど一切ございません。その点だけ、ご承知のほどを」

「いえ、ですからその件とはまた別として」

 貴史のお母さんがまた口を出そうとし、撥ね付けられた。

「今回あえてこのような席を設けていただいたのは、ひとえに私の、教育的事情に過ぎません」

 ──なによ、その「教育的事情」って。

 貴史と視線を絡ませた。

「うちの息子には、残念ながらまだ、身勝手と申しますか、いじけた根性が染み付いているようです。先生もご存知でしょうが、自分が変われば世界が一気に変わっていく、その現実を受け入れられず他人が変わるのを指くわえて待っていると申しますか、そういった甘えがまだあります。本来でしたらそういう意識を矯正するのが親ですし、私が全身全霊で正すべきなのですが、ご存知の状況ゆえにそれもままなりません。もちろんあの子の父親にあたる人とも連携を取っておりますけれども、こういう目に見える形できっちりと学ばせるのは至難の業でもあります。ですから、今回、申し訳ないのですけれども」

 次に立村くんのお母さんは菱本先生に向き直った。菱本先生が家来のように控えた。

「今からあの子に、親として伝えるべきメッセージを全力で伝えます。おそらく親と子、母と子、ふたりきりのところでは甘えもでるでしょうし、私も感情的になる恐れがございます。ここでしたらあの子の信頼しているお友達がいて、上総のことを本当の意味で心配してくださる大人たちがそろっております。あの馬鹿息子も逃げ場がないまま、もしかしたらわがままな本性をさらけ出すかもしれませんが、それでも決して嫌われることなんてないのだという事実を受け入れることができるかもしれません。簡単なことではありませんし、この一度きりですべてが変わるとも思っておりません。ですが、まったく何もしないよりはましだと認識しております。どうか、今、この場で、親としての言葉を伝えることをお許しいただけますか?」

 まっすぐ、凛とした態度で立村くんのお母さんは、以上の言葉を口にした。

 貴史と目が合った。何か言いたそうだったけど、がまんした。


 どう考えたって貴史の方が悪いのに。大人ってわからない。立村くんのお母さん、なぜそんなこと言うんだろう。

 ──うちのお母さんも、貴史のお母さんも、ほんとは立村くんのこと、嫌いかもしれないのに、そんなこと、大変だよ。

 言いたい、文句をいいたい。やめなさいって言いたい。でも口にできない。どうしてか、わからない。

 私はうつむいたまま、椅子にへばりついていた。言いたいことが言えない自分が、みっともなくっていや。

  

 いきなり今度は、更科くんの声が戸の向こうから聞こえてきた。

「先生、立村くん連れてきました」

 扉の向こうには、立村くんがうつむいたまま立っていた。そっと顔を上げ、息を呑んだ風に立ち止まり、片手をぶらつかせた。入ってくるのをためらっているようだった。

「上総、早くこっちに回ってきなさい」

 私の方もちらっと見た後、ソファーに近づき、また立ち止まり礼をした。

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