3 中学三年修学旅行四日目夕方・片岡司の記憶
3 中学三年・六月 片岡司の記憶
前から、聞いたことはあった。
青大附中始まって以来の語学の天才がいるってことを。
もちろん、聞いたこと、あるさ。
僕がいくら勉強したって、そいつにはかなわないってことを。
顔はわからなかったけど、去年の秋くらいから今度評議委員長になるのはあいつだって話、聞いたことはあった。
けどそんなの、僕には関係ないことだと思っていた。
僕がまともな点数を取ることのできる学科は、唯一英語だったけど、最初はぜんぜん、そんな「語学の天才」に立ち向かおうなんて思ってやしなかった。
修学旅行四日目夕方、あいつが、あの人とホテルの土産売り場でにこにこしながらしゃべっているところ見るまでは。
あの人はずっと言葉を発しなかった。
だけど、僕には見せないにこっとした笑顔を、ちらちら見せていた。何度か手元のお土産……鏡みたいなもの……をもってはふたりで「あれがいいこれがいい」っぽいことをしゃべりあっていた。いや、しゃべりあっていたって表現は間違ってる。あいつがひとりで一方的に語り尽くしていたってだけのことだ。
「ほら、これが絶対……に合うと思うんだけど、西月さん、どう思う?」
白いワイシャツにネクタイをそのまま締めたまま、黒い財布を握り締めたまま、一生懸命あの人を説得している。しかもあの人は、あいつに対して別の鏡らしいものを持ち上げては、首振ったり身振り手振りを大きくしたりして、楽しげに意思表示しているじゃないか! 僕とさっきまで一緒に歩いていたときは、じっとおとなしくうつむいていただけなのにだ。僕だってちゃんと、やることはやったつもりなのにだ。ちゃんと、荷物持たなくちゃって思ったし、アイスクリームも僕のお小遣いで……桂さんに「彼女にはな、自分からご馳走しないとだめだぞ! これはな、男としての、心意気なんだ!」とかわけのわからないこと言われたから……買ったのに。
それとも僕、また変なこと、言っちゃったかなあ。
ああ、泉州さんがいてくれたら、場が持ったかもしれないのにな。けどさ、あの人はちゃんと僕に向かって、何度か、本当に何度かだけど、にこっとしてくれたよ。無視は一度もしなかったよ。それだけで十分だって思っていたのに、なんで、あんな奴の前では僕の何十倍も語ってるって顔、するんだろう。
奴はずっとあの人と語り合った後、柄の長くついた鏡を持ってレジに向かった。僕がじっと背中越しに見つめているのたぶん気づいていないだろう。視線がレイザー光線だったら、きっと心臓ぐぐっと貫いてるはずだ。あの人が少しうなだれて指をかんでいたけれど、あいつまた変なこと、言ったんじゃないだろうなあ。
「ありがとう、西月さん、助かったよ。じゃあこれ、……に直接渡しておいてもらえるかな。俺だとやっぱりまずいからさ」
また、僕にはちっとも見せなかった笑顔、溢れ出してる。
ほっぺたのえくぼが、あんなに深いなんて。
──あいつが英語の天才なんだよな。
不意に、僕の方を振り向いた。絶対に、目線のレーザー効果じゃないはずだ。そんなびびらないでもいいのにな。
あの人は最後まで、僕に気づいてくれなかった。そのままエレベーターの方へ向かって歩いていった。