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29 中学二年宿泊研修二日目夕方・杉浦加奈子の回顧

29 中学二年・宿泊研修二日目夕方・杉浦加奈子の回顧


 

 到着して一番最後に降りた。しわだらけのスカートを指で伸ばしながら彰子ちゃんの背中に隠れてホテルまで歩いた。彰子ちゃんの片手には、おまる代わりに使ってしまったビニールバックがぶら下がっていた。隠そうとしない。彰子ちゃんがバックを持ったまま、

「加奈子ちゃん、誰にも気付かれないようにするからね、大丈夫だからね」

 励ますように声をかけてくれた。だったら、そのバックを隠してほしかった。ホテルの窓辺から手を振るふたりの男子に手を振り返そうとするとする彰子ちゃんの側から離れたかった。

 ──見ないで。

 きっと私がバスの中でしてしまったことを気付かれはしないだろう。証拠は彰子ちゃんのビニールバックにしか残っていなかった。せめてすぐ隠してほしかった。

「ごめんなさい、彰子ちゃん」

「ううん、大丈夫。けどね、みんなトイレが間に合ってよかったね! これからクラスミーティングあるけど、加奈子ちゃんはは部屋で少し休んでいた方がいいよ。車に寄って気分悪いんだって先生にもそう言っとくからね。それに男子たちも気付かなかったみたいだし」

 ちゃぽちゃぽと水音のするビニールバックごと彰子ちゃんがトイレへ持っていった。


 男子たちが見てなかったわけがない。

 バスの中で男子と女子が移動した時、私のほうにちらちらと視線向けていたのを覚えている。身体をくねらせて、悲鳴をあげそうだった私は、きっと男子たちからみたらみっともなくて、汚くて、馬鹿に見えただろう。

 一年前、清坂さんに嫌われてしまった事件がきっかけで、私は男子たちからも軽蔑されるようになったらしい。きっとみんな、いい気味だと笑うに違いない。

 ただ救いなのはそのきっかけとなった男子がバスに乗り込んでいなかったことだった。

 確か、風邪を引いて熱を出し、ずっとホテルで寝ていると先生が話していた。

 女子としての誇りを奪われてしまうようなあの出来事を見られずにすんだ。

 弱みを握られないですんだから。


 私はずっと部屋に篭ることにした。彰子ちゃんのお墨付きも得たし、男子たちの顔を見る勇気もなかった。無事だった女子たちは平気な顔して、

「杉浦さん、よかったね。間に合って!」

 そう喜んでくれるだろう。でも、実質あのバスの中で、女子として絶対にしたくないことをしてしまったのは本当のことだった。してない子たちに、何も言ってほしくなかった。四つん這いになって、スカートを持ち上げて、その後の瞬間を経験していない子たちには、私の敗北感なんてきっとわからない。

 服を脱いでシャワーを浴び、私はベッドの中にもぐりこんだ。


 ノックの音が、二回して目が覚めた。時計はもう一時間近く経っていた。とっくの昔にクラスミーティングは終わっているはずだった。同室の彰子ちゃんはまだ戻ってきていない。

「加奈子ちゃん、古川だけど入っていい?」

 古川こずえちゃんだった。


 こずえちゃんはいつもエッチな話ばかりして男子たちを驚かせているけど、本当はまっすぐですごくいい子だった。私が清坂さんに嫌われてしまった後も、いまだに友だちでいてくれる。はっきり言うけど、それでいてやさしい。

 私は戸を開けた。「ばあ」と両手を広げて手を振りながら入ってきたこずえちゃんに、私はこっくり頷いた。

「辛かったよねえ、もうあれね、美里にきっちりとお灸据えておいたからあんしんしてよね」

「お灸?」

 清坂さんの言葉にお灸なんて据える必要なんてないのに。

 こずえちゃんはベッドの上に座り込み、私の隣にぺたっとくっついた。耳元で小さく、

「あーあ、私もね、生まれて初めてよねえ、あやうく水害注意報発令になっちゃいそうだったんだよね。かろうじて美里のバックで救われたわよねえ」

「私も、彰子ちゃんの」

「彰子ちゃんっていい子だよねえ。だってあのバックってさ、言っちゃあなんだけど南雲から貰ったものでしょうが」

「そうなの?」

 南雲くんは彰子ちゃんの彼氏だった。

「すっごく勇気がいったと思うよ。彰子ちゃん落ち着いてたけどねえ」

 彰子ちゃんに酷いこと言ったかもしれない。私はしばらくうつむいた。あんなに一生懸命「大丈夫、大丈夫」って励ましてくれた彰子ちゃんに対して、私って、八つ当たりみたいなことばかりしていた。ごめんなさいって言いたい。

 こずえちゃんは私の耳元でささやいた。

「私もねえ、ちょっと調子こきすぎて、パフェ食べたのがまずかったのかなあ。でもまあいいよね」

 声に凄みを持たせて「大!」と続け、

「の、方でなくてよかったよねえ。とにかくみんなうちの男子たちは紳士だしね。彰子ちゃんじゃないけど、まあいっかってことにしとこうかな。でもさ、私も正直言って、やっぱり恥ずかしいよねえ。してない人にはわからないよほんっと」

「うん」

「他の女子たちもね、なんかみんな必死にがまんしてたらしいって彰子ちゃんが言ってたよ。だから、お互い様ってことよねえ、でもさー」

 こずえちゃんは照れ隠しっぽく髪の毛をつまみながら、

「加奈子ちゃん、今の彼氏とはどこまで行ってる?」

 どきっとした。

 こずえちゃんの大好きな人は、クラスの羽飛くんのはずだった。まだ付き合っていないみたい。清坂さんの幼馴染だし、私からすると羽飛くんはきっと清坂さんのことが好きなんだと思う。ただ、清坂さんが立村くんと付き合っているからしかたなくってところなんだろう。私もそれは本当にそう思う。

「まだよ」

「そっか、もしかしたらそろそろ、経験かなあって。だってさ、加奈子ちゃん最近すっごくぼいんになってきてるよね。もしかして開発されたのかなって思ってね」

 私は慌てて胸を押さえた。思い当たる節がある。

 小さな声で答えた。

「すごく痛いんでしょう、怖いから、いや」

 初めての時を思い出して付け加えた。足の付け根がやけどしたってくらいに、裂けそうなほどだった。

「愛してたら耐えられるてみんな言ってるよ」

 中学一年の冬にはじめてして、それ以来月に一回ずつだけど、ちょっといいなって思うようになったのは夏休み前だった。

「やっぱり、愛よね、それがあれば捧げちゃうって気になっちゃうらしいよ。私もああ、早く経験してみたいなあ。すっごく気持ちいいって話だし。でもやっぱり好きな奴とだよねえ、テクニックはともかく、最初は好きな人に捧げたいって気、するよね」

 ──そんなにいいものじゃないのに。

 こずえちゃんが自分の部屋に帰ってから私は、もう一度ベッドの中にもぐりこんだ。

 夕食までどうしても顔を出したくない。本当だったら早引きしたい。




  ──けど、どうして。

 なぜ清坂さんは私をかばってくれようとしたのだろう。


 こずえちゃんも言葉に出さなかったけれども、私と清坂さんがある時期をきっかけに、疎遠になったことを知っているはずだ。

 一年前、私と清坂さんとは仲良しだった。一緒の班にいて、古川こずえちゃんと三人でよく集まっておしゃべりしていた。ふたりが元気いっぱいに語る姿に合わせているのが私は一番好きだった。いつか、親友になれたらいいなって思っていた。

 中学一年冬、私が心に決めたひとつの出来事がきっかけで、清坂さんは私と絶交した。

 本当は清坂さんのためだと思っていた。私にとって大切な人のためにそうしたかっただけ。

 でも、わかってもらえなかった。

 あれから二年の夏休みにいたるまで、私は仲直りをあきらめざるを得なかった。もうあきらめていたのに。クラス評議委員の清坂さんが、もう一度友だちになりたかったのに。

 その清坂さんが、私のために、手を差し伸べようとしてくれた。

 バスの中、清坂さんの顔を見上げた時のことを、忘れはしない。

 先頭で、表情は読み取れない。まじめな声、まじめな目、すべてで訴えているのが伝わってきた。私のこと本当は嫌いだと思っているはずなのに、ざまあみろって思ってもちっともおかしくないのに、評議委員として精一杯に。



「今、話を聞いて分かると思うんですけど、ホテルまでは橋を降りてからあと三十分以上かかるそうです。いつ橋から降りられるかすらわからない状況です。途中休憩が入ったとしたらまだかかります。でも、女子の中には今、もうトイレが間に合わないって人が何人かいて困っているんです。降りて橋を降りることも考えたけど、それも駄目みたい。だから、はっきり言っちゃうけど。バスの中で、じゃあっと、しちゃう人が絶対いると思うんです」

 清坂さんの声が響いた。男子たちに、一生懸命メッセージを送っている。

 必死に身体をくねらせながら、私は清坂さんの言葉を聞いていた。

「私、五年の時に、間に合わなかったことがあって、教室でしちゃったことがあるの。嘘じゃないよ、貴史にきけばほんとだってわかるから。私は思いっきり、分かってるつもり。それで、みんな、きいてほしいんだけど。男子のみんなにお願いした通り、今女子の方を誰も振り向かないって約束してくれてます。これから降りて、かえるまでずっと。絶対約束って。言ってくれてます。だから、もう、もうだめって思ったら、その場でしいっとしちゃって、いいから。そして隣の子がそうなったら、その場で、気付かない振りをしてあげてください。お願いします」

 ──そんな、言いたくなかったこと、清坂さん、私たちの前で。男子がいるのに。

 


 そういう人だ、清坂さんはまっすぐな人。嘘は許さない。いんちきも陰口も大嫌い。

 だから、私のこと、嫌いになったのだろう。

 どんな理由があっても、陰でこそこそとしようとする私を、憎んでしまったのだろう。

 その理由をお願いだから理解してほしかったというのは、私のわがままだろうか。


 清坂さんが立村くんに一生懸命アプローチしていて、先月付き合い始めたと聞いた。

 一言も口を利かない関係となってしまった私と清坂さんとは、本当に縁が切れてしまったんだなって、寂しさが募った。

 私は清坂さんのためを思って、本当のことを話したのに、と。


 

 立村くんには、被害者ぶる資格なんてない。

 浜野くんがが精一杯、仲間に入れてあげようとしたのに、逃げるくせに。自分が可哀想だ、いじめられたと勝手に思い込むいじけた性格なんて、最低だ。

 ひとりの部活生命を奪う寸前のことをした過去を隠し、いまだに罰せられない理由が私にはわからない。彼は、とっくの昔に立村くんを許しているという。お互い一対一の決闘だっただけだし、すっきりしているって言っている。でも、そのせいで彼はいまだにサッカー部で希望のポジションにつけず、このままだとずっとベンチ入りできないかもしれない。時々足が痛み、ミスしてしまう、悔しいって話していた。

 ──それに、あれする時だって、痛がってたし。

 する時も、足を絡めるのが痛い、そう言っていた。

 あの日の後遺症だと浜野くんは決して認めないから、私はしかたなく黙っている。

 浜野くんはは、卒業式の決闘ををきっかけにすべてを失ってしまった。

 「余計なこと言うな!」と浜野くんは怒るけど、私は黙っていられない。彼がなんと言おうとも、私は青大附中で、自分の正しいと思うことをやり遂げたい。


 次期評議委員長として扱われ、クラスの男子たちからも信頼をもたれている立村くん。青大附中に来てからの立村くんは、あっという間に自分の地位を築き上げ、高い評価を得ている。それを責めはしないけどただ筋を通して、浜野くんに「申し訳ない」そう頭を下げてほしい。私の求めていることは、ただそれだけだ。ほんのひとことだけなのに立村くんにとってはそんなに難しいことなのだろうか。

 勝手にいじめられたと思い込み、周囲のやさしい気持ちをはねつけて、ひとりで逆恨みして、結果周囲の人たちを傷つけた立村くんなんか、決して清坂さんには似合わない。

 友だちに戻ってほしいなんて言わない。嫌われたままでもいい。 

 私は清坂さんを嫌いになんてなれない。だけど。


 ──私のことを、バスの中で守ろうとしてくれた清坂さん。

 ──清坂さん自身の過去まで打ち明けて、私をかばおうとしてくれたんだもの。

 ──あんなにりりしい清坂さんには、立村くんのような最低の男子なんて絶対に合わない。


 早く気付かせたい。あと一年半同じクラスで過ごす間に、どうか、わかってください、そう伝えたい。

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