24 中学三年十一月 藤野詩子の涙
24 中学三年十一月 藤野詩子の涙
頭がよくてもよくなくても、どこか拾ってくれる高校がある。私の場合、すでに私立の女子校推薦をもらうことに決めていた。バトン部で活動してきて部活動面でのプラスももらえたし、公立高校を受けてみてもたぶん、たいしたとこにはいけないってわかっている。これ以上勉強もしたくない。だったら、楽して入った方がいい。
やりたいことは、またいっぱいあるんだもの。
「よお、藤野、お前どこ受けんの?」
バトン部の練習が終り、着替え終えて体育館から出ようとすると、隣のクラスの木村に話し掛けられた。全身から汗の匂いいっぱい。私はちゃんとスプレーかけておいたけど、男子って全然そういうのかまわないからいや。一歩離れて廊下を歩いた。
「わかんない」
「俺さ、推薦貰ったんだ。いいだろ?」
まだ十一月になったばっかりだというのに、ずいぶん早いもの。
でも、木村なら考えられないこともないかなって思う。
「スポーツ推薦?」
「もち、すげえだろ」
自慢したがる男子ってばっかみたい。私は適当に聞き流した。
「夏休みに、サッカー部のキャプテンから手紙貰っててさ、絶対俺のミラクルシュートを炸裂させてほしいってな。期待してるから是非来てくれってな。すげえだろ」
「それが?」
木村は少しむっとしたみたいだ。別にこいつが怒ったって困ることはない。小学校の頃から木村はサッカー一筋でグラウンドを転がっていた。私は全く興味なんてなかったけど、クラスの女子たちが木村のことを追い掛け回してきゃあきゃあ騒いでいたのは知っていた。学生服をずるずるに、足が短くなるようなズボンのはきかた、見るからに間抜け。まあ、リーゼントしていないだけまだましだ。完全にスポーツ刈りなので、見た目には息苦しくない。
「せめておめでとうとか言えよ」
「あっそ、おめでと」
「もう少し心込めろよな」
かばんを肩にかけるようにして、木村は私の周りをハエみたいにぐるりと回った。
「で、藤野はどこいくんだ?」
「そんなのあんたに関係ないでしょ」
「お前の頭だったら、きっと俺と同じレベルのとこだよなあ」
「うるさいわね!」
セーラー服のリボンが少しずれているみたいだ。これ以上木村と歩いていると、汗の匂いが移ってしまいそうだった。何よ、そりゃ私は木村と同じくらいの学年順位よ。下から数えた方が早いかもしれない。木村がたぶん推薦を貰ったっていう学校は、私の行く予定の女子校が姉妹校で、いやおうなしに顔を合わせることになるかもしれない。でも、男子と女子が分かれているんだから、そんなの教える必要ない。
──頭がよければ。
これでも私は、小学校六年の冬に青大附中を受けたことがあるのだ。
親友、と思っていた子が、青大附中を受けると言い出したからだった。
もちろん、私だって自分の成績レベルがどのくらいなものなのか、わからないわけではなかった。青潟大学附属中学といえば、青潟の優秀な小学生が受験するといわれているエリート学校だし、入ったらきっと勉強一直線の灰色生活だろうとも聞いていた。けど、親友がいればそんなの関係ない、って信じていた。ずっと、そう。
私にとって、友だちが一番大切だったもの。
結果はもちろん落っこちたけど、だからといって友情がなくなるなんてこと、考えたこともなかった。中学が別になるだけじゃない。家を引っ越すわけじゃないんだし。いつだって遊べるざない。そう、信じていたのに。
──頭の悪い私なんかとは、遊びたくないんだよね。
もうだいぶ冷え込んでいた。木造校舎のせいか、風が隙間からすり抜けてくる。喉がいがいがしてきた。こっそりポケットに隠していたキャンディを口に放りこんだ。校内での飲食禁止だからきっとみつかったら怒られる。教室に戻って木村がさっさと廊下を通り抜けるのを待つつもりでいた。
三年二組の教室に戻ると、赤いビニールテープで二メートル四方の場所を区切られていたのが目についた。きっと石炭ストーブを置くためだろう。また馬鹿男子たちが上履きをストーブにかけてあっためて、ゴムがにおってくさくなるんだ。いやな時期がやってきた。私は手ぶくろをかばんから取り出して、指を覆った。
──美里が言ってたな。
かつての親友が、手紙に書いて送ってくれたこと。
──青大附中は全部セントラルヒーティングだから、隅から隅まで暖房が効いていて暖かいんだって。石炭運び当番なんてないんだもんね。
みしり、みしり、音が胸から響きそう。ひび割れそう。
「藤野、おーい」
なんだろう。またしつこく追っかけてくる奴。木村が飽きもせず私を追いかけてくる。何が楽しくてそんなことしたがるんだろう。もともと小学校の頃から木村ってそういう奴だった。私がバトン部に入ってあいつがしょっちゅう練習を覗きに来て、足を見て騒いでいたことだって覚えている。なんてスケベなんだろうっていっつも思った。あいつの顔でみんな許されているとこあったけど、私は全然そんなこと思わなかったんだから。
「おい、お前さ」
「何よ、しつこいわよ」
「お前、あそこの学校だろ? 受けるんだろ? 推薦で」
木村は私の受ける予定の学校名を口にした。
「だってお前、最初から私立専願だって言ってたじゃねえか」
「あんたになんて言ってない」
なんでそんな情報が勝手に流れてしまうんだろう。手袋をはめた手で思わずこぶしを作ってしまった。
全く何も考えていない木村は、私の目の前にでんとつったって、近くの机の上に座った。あーあ、ここの席の奴、明日くさいなって絶対思うぞ。心ひそかに同情した。
「じゃあ、俺と同じ推薦だろ?」
「だからどうして!」
「みんな知ってるだろ、推薦受ける連中同士、先公のしゃべってるの聞いてりゃ誰だって」
「そんなのあんたに関係ないじゃないの!」
手袋、投げつけて決闘申し込んでやろうかな。それとも急所を蹴り上げてやろうかな。
迷う間に、木村はいきなりにやっと笑った。顔が一瞬白く見えた。不覚にも、本場のスポーツ選手みたいにかっこよく映ったのは、やっぱり私の目がどうかしてたんだろう。
「関係あるぜ。だってな」
私の鼻先まで指を持ってきて、つんつんと差した。
「一緒に高校通えるじゃねえか」
「はあ?」
全く何考えてるんだろう。この男。
さらに想像力たくましくしゃべり続けている。
「藤野、高校行ってもバトン続けるんだろ?」
「一応ね」
「じゃあ、やっぱりあの女子校じゃねえの。あそこ、全国大会にも出てるしさ、それに俺たち男子高の応援によく借り出されるって聞いてるぜ」
「まだ受かったわけじゃないでしょうが。あんたも私も」
「もう受かったも同然じゃねえか。俺とお前のおつむでも入れてくれるありがたーい学校なんだぜ」
否定できないのが悔しい。頭がよければ、頭が。
「ほらさ、中学ではさすがになんもできねえけど、高校になればなんでもできるって先輩たちも言ってるしな。ほらさ、羽飛と清坂みたいに仲良くしようぜ」
「悪いけど、あんた美里に彼氏がいること知らないの」
つい意味不明なことを言い返してしまった。
今でも続いているんだろうか。あの、時辻さんの息子と、付き合いが。
真っ白い顔して、いつも折れそうな腕で荷物運びしている、紙みたいな顔した軟弱男をなんで美里は選んだんだろう。「彼が好き」ってどうして言えたんだろう。やはり、青大附中の同級生だからだろうか。やはり、私のように頭が悪いと、話しててもつまんないんだろうか。もう、なんだか頭の中が混乱してきた。ただ木村をにらみつけて、必死にこらえるしかなかった。
目の前の木村はなにが楽しいんだか、まだぺらぺらしゃべっている。
「いやな、なんか清坂の付き合ってる奴って、羽飛の友だちなんだろ。羽飛とたまにバッティングセンターに行ったりするんだけどな、あいつ運動能力ばりばりなのになんで部活やらねえんだろうっていつも不思議に思ってたんだ。バッティングセンターでホームランの嵐だってのによ。表向きは鈴蘭優の追っかけやってるからって言ってたけど、どうもそうじゃねえなあ」
「何があるのよ」
「あいつ、すべてにおいてだ」
木村はわざとらしく、言葉をためるようにして続けた。
「清坂最優先主義をとことん貫いてるってことよ」
「美里を?」
わからないわけじゃない。みしり、みしり、また心が割れてしまう。
「清坂の付き合ってる男って、なんだか情けねえ奴らしいな。運動神経はそれほどでもねえし、頭もそれほど切れねえし、悪い奴じゃあねえんだが、だから憎めねえよって言ってた。そんな間抜け野郎に、あいつの大好きな清坂を預けっぱなしにはできねえし、かといって付き合っちまったら別れた時悲惨だし、ってことで」
「あんた、そんなこと羽飛が言ったの?」
「俺の想像力万歳。お前よりも頭いいってことが証明されたろ?」
はあ、何考えてるんだろう。
けど、木村の言っていることは、みんな私の気付いてきたことと重なってる。
「あんたの言いたいことくらい、気付いてたわよ」
私は言い返すのが精一杯だった。
「美里は、羽飛と付き合ったら、別れた時に友だちでいられなくなるってわかってるのよ。だから、付き合わないのよ」
さっさと帰ってよ。消えてよ。一人にしてよ。
こんなみっともない私、さっさと消えてよ。
あの一言を言い切った瞬間、どうして泣いてしまったんだろう。
「お前さ、清坂となんかあったのかよ」
「縁、切られただけよ」
泣きじゃくりんがらずっと顔を手袋で覆っていた。消えて消えてってあれだけ言ってるのに、木村の奴、動こうとしなかった。匂いと体温の熱気だけが伝わってくる。
「私が、私がべったりしすぎてるからって、美里にべったいくっつきすぎてるから、あっち行ってって。美里には今の彼氏だっているし、羽飛だっているし。今の彼氏、あんな頭悪そうな奴なのに、それでも好きだから付き合ってるけど、別れたって羽飛がいるから平気なのよ」
「ふうん、それ何時頃なんだよ」
「去年の、十月」
「お前がバトン部始めた頃じゃねえか」
はっと顔を上げた。そんなの、なんであんたが知ってるのよ。
「だってさ、お前バトン部にいきなり入部しただろ。周りの連中も顧問もびびってたんだぞ。あれだけ日舞に夢中だったお前がだぜ。なんでいきなり方向転換したわけなんだってな」
「踊りだって続けてるわよ。なんでバトン部じゃあまずいのよ」
「いや、んなわけじゃねくて」
いやらしい顔して足見て喜んでる馬鹿男に何がわかるっていうのよ。私は目を手袋でこすりにらみかえそうとした。びっくりした。まじめな顔してた木村がいた。
「やっと、藤野にぴったりしたことやるなってな」
木村はゆっくり私の周りを回った。
「清坂が何言ったか知らねえけどな、お前も無視したっていいじゃねえか。なーに、あいつもばっかだなあ。藤野が今、こんなすげえかっこいい女になってるのに、全然知らねえで青大附中の連中と遊んでるんだもんなあ。藤野のすげえ足長いとことかな、はねてるとことかな、ぜんぜん知らねえんだ。もったいねえの」
何言われてるか全然わけがわからなかった。
「とにかくな、今度一緒にだ。そのことしゃべらね? どうせ今月中には推薦お互いに貰って合格するはずだろ。俺もお前もとりあえず部活が一息つけるだろ。そしたらまず、遊園地とかいこうぜ。それから、羽飛と清坂ごっこしてもいいだろ?」
「なにが、ごっこよ」
一方的にしゃべり続けている木村。
聞き流しながら私は、両手でもう一度顔をぬぐった。
木村の言う通りだ。私が「玉兎」でつまらない日舞演目を踊ってから、バトン部に入ったのも、美里の言葉を跳ね返すためだった。けど、美里は今この一瞬、全く私のことを思い出してなんていない。今こんなに私が泣いてるのに、気が付いてるのは目の前で汗臭い木村だけだ。また、涙があふれてきた。声を出して私は泣いた。




