2 中学三年・六月 片岡司の記憶
2 中学三年・六月 片岡司の記憶
──早く終わらないかなあ。
時計の針がなかなか進まない。先週のテストが返却され、僕は黙って結果の「七十点」を見据えるだけだった。僕の周りにいる同級生たち……と言っていいんだよな……はみな、ずっと年上の人ばっかりだった。日本人みたいな髪の毛と顔つきだけど、アジア系の人ばかりなんだって後で知った。みな、真剣な顔して、先生の答えを手写ししている。
僕と同じくらいの歳の子は誰もいない。
桂さんに「英語をもっと勉強したい」と訴えたら、つれてこられたのがここの塾だった。もっとたくさん青潟の中学生が全市から集まってくるところだと思っていたら、「司にはそういうとこ合わねえだろ」の一言で決められた。かなりショックだったけどしょうがない。毎週木曜と土曜、桂さんの車で通っている。
桂さんいわく、「英語を使う人ってのはな、西洋人ばっかじゃねえんだからな、そこんところよく覚えとけ!」。うん、そりゃ、わかってる。英語は世界共通語だから、アラビアの人もしゃべるし中国の人もベトナムの人もみーんなしゃべるんだって知っている。でも、それとこれとは違うだろ?って僕は言いたい。だってここの塾、日本語をしゃべること厳禁だっていうのはわかっていたけど、中国語や韓国語を始めとするアジア系の言葉はみな解禁だってこと、なにか不公平じゃないかって思えてしまう。そうだよ、日本語だって、アジア語じゃないか!
アジア語の「さよなら」を繰り返し、年上の同級生たちを見送った後、僕もやっと教室から出ることができた。教室といっても、以前は茶の間だったんだって、先生が言っていた。だからなんだ。畳にテーブル並べているのは。菅野先生……僕の知っている限り、唯一の日本人だ……が手で「つかっちゃん、つかっちゃん」と日本語で呼んだ。
「テーブル、たたむの手伝ってくれるか」
「はい」
断るわけにはいかない。一番年下の塾生だからこそ、断れないってわかっているから菅野先生は僕を指名するわけなんだ。細長いテーブルをまず畳にひっくり返し、足のところを軽く蹴飛ばして平べったくした。それをふたりがかりでよっこらしょと隅っこへ運ぶ。その繰り返しだ。
「ほんと、よくついてきてるよなあ、つかっちゃん」
「はあ」
たぶん狩野先生よりは年上で、駒方先生よりは年下だと思う。ひげがきれいに牧師さんみたくまとまっているところが、年齢不詳っぽい。白髪まじりじゃあない。細長い顔に銀縁めがね。ほんと、何歳なんだろう。
「ここはな、インターナショナルな世界だから、カルチャーショック受けただろ?」
「はい」
否定しない。ほんとだもん。菅野先生は最後の机を立てかけた後、僕の顔を覗き込み、
「いいか、これが、日本の中の世界なんだぞ」
意味不明なことをつぶやいた。
「日本の中にはいろんな世界の人がいるけれどもな。英語をしゃべるからといって必ずしもアメリカ人とかイギリス人なわけはないんだからな」
桂さんだって同じこと言ってる。
「日本にはな、アジアの人たちがたくさんいるんだ。もちろん顔でどこどこの国の人、とわかることもあるけれども、見た目にはまったくわからないこともあるだろ。しゃべってみても、日本語がぺらぺらだから日本人だと疑わなかったら、違うお国の人だったってことだってあるよなあ」
知ってるよ、ほんとそのくらい。僕がつまんないって顔しているのに気づいたのか、菅野先生は僕の額をいきなり手の平でたたいた後、
「ま、いっか。つかっちゃん、今日はここまでだ」
お許しを得て、僕はダッシュして教室を出た。ちゃんと日本語で、あいさつして。
「お先に失礼します!」