19 中学二年・七月・新井林健吾の独白
19 中学二年・七月・新井林健吾の独白
期末試験が終った。どういう結果かはわからねえけども、俺なりのベストは尽くしたつもりだ。百パーセント全力投球が俺のモットーだし、やるだけのことはやった。たとえあの女にまたトップを奪われようがどうだっていい。最近の俺はずいぶん悟った人間になってしまっている。闘争本能を失ったわけでもないんだけどなあ。
「健吾、私、評議委員のお仕事行って来るわ」
「適当に切り上げてもどってこい」
はるみがいつものように、耳のとこに片手を挙げるようなしぐさを残し、教室から出て行った。本当はあいつに評議委員なんぞ、いらいらするようなとこに押し込みたくなかったんだが、本人の希望なのだからしょうがないだろう。それに、俺なりにちゃんと見張りができるような環境に置いときたかったってのもある。やはり、どうしても、目の行き届かないところはあるわけで、俺なりにそれも考えてはいるわけだ。
「新井林、すごいぞ。お前ずいぶんはりきってるなあ」
桧山先生から呼び出しを受けて職員室へと向かった。夏の宿泊研修準備もだいぶ進んでいて、あとはクラス連中内でバスの座席とか部屋割りとかしおり作りくらいしか残っていない。上の三年生連中が言うには「かなり苦労するぞ」「前もって準備しとけ」などなど、ご助言賜ったがちょろいもんだ。現評議委員長が疲労困憊するような仕事ではないような気がする。「とうとうお前が一番だぞ!」
「なにがですか」
「期末だよ、今数字結果が出た」
まじかよ! 思わず俺は桧山先生の顔をまじまじと見つめてしまった。言葉が出ない。桧山先生が興奮気味で説明するのを聞くしかない。
「お前過去最高点数取ってるだろ。とにかくすごいぞ。数学百点、英語九十五点、国語八十九点でこれは惜しいな、その他……」
保健体育、美術、音楽、などの数字は入らない。五教科オンリーだ。
「とにかく、このままでいくと合計点数順位が学年トップだ。よくやったぞ!」
「ありがとうございます」
素直に「やったぜ!」と叫べないのは、一つ確認事項があるからだ。
「先生、ほんとに、俺がトップなんですか?」
「ああそうだぞ」
「けど、俺より上に」
言いたいことを桧山先生はさえぎるようにして、一応小声でささやいた。
「ああ、E組の姫だな。あれは例外だ」
「例外?」
「姫」と暗号を使って呼ぶのは、一応彼女も二年B組のクラスメートに属するからだった。形式上は、一応は。
「計算に入ってないんだ。一応、同じ試験は行うし点数も多分出ているけどな」
「けど?」
さらに潜めた声で。他の教師たちに気づかれぬように。
「大きい声では言えないが、別計算になるから、順位としては挙がってこない。今回の期末試験からそういう方式を取るようになったわけなんだけどな。今までは全部順位がずらっと出てくるもんだったんだがな、E組が出来たおかげでトータルでの順位決定ができなくなってしまったんだ。一応は順位発表はない」
「じゃあ俺が一番なんてわからないんじゃ」
俺もあまり認めたくねえことだが、あの女は常識の代りに頭脳をもらってしまったんじゃないかってくらい、頭が切れる。ずっと俺もあいつの学年トップを奪うことができずにいた。もし、正々堂々と結果を出しているのだとしたら、それはそれで納得するけれどもだ。
「いいか、新井林」
桧山先生はもう一度、断言した。
「同じラインの上に立っているもの同士での勝負なら順位もつけられるが、最初から勝負が決まっている連中とは、話が違うんだ。その辺もわかるよな」
勝負が決まっている連中。ごろんとした石が耳の奥に転がったような気がした。
「それとだ、今回の宿泊研修についてなんだがな。そろそろバスの席決めも絡んでいるからお前にだけは話しておくけどな」
またも桧山先生、俺にささやきかけてくる。どっちにせよ俺も、気にかかる問題が一つ絡まっていたこともあって、だまって耳を傾けた。
「例の姫の件についてだが、計算に入れないでどんどん進めてしまっていい」
「ほんとですか」
一年前の俺だったら「でかした! よっしゃあ!」とガッツポーズを決めていたに違いない。そうだった。俺もこのあたり頭が痛いところだった。
あの女が一応は二年B組のメンバーとして数えられているならば、バスの席決めも班分けもすべて、計算に入れなくてはいけない。すでに二年一学期の途中から「E組」という名の特別クラスへ振り分けられてしまったとはいえ、授業そのものは受けにくる。ただ、はるみのことがあるのと、うちの男子連中があの女を一切シカトしつづけていることもあって、一切会話はない。ほとんど幽霊扱いとなっているが、少なくともいじめをしないだけまだましではないかと俺は思っている。本来だったら半殺しに遭っても言い訳できないわけなのだ。俺のところにもたまに「あの女をリンチしようぜ」とお誘いがくるが、正々堂々たる行為でなければ受け付ける気はないし、きっぱり断っている。
そんな女を、もう二年B組で受け入れられるだろうか?
少なくとも、あいつが消えてから後、クラスの団結力と男女の交流がうまくいき始めたのは事実だ。
桧山先生以外の先生たちからも言われる。この前は菱本先生も、
「どうした2B、すごいなあ。何をやるにもみな、男子と女子が協力しあっているなあ。うちのクラスも見習ってほしいもんだ」
俺の背中をばしんと叩いて言い残していった。まあ、あの先生のクラスのこと考えたら、そりゃそうだわな、と俺は見送った。
一学期でだ。いや、一学期も丸々使ったわけではないのにだ。
せっかくうまくいったクラスの団結を、またこなごなに崩しにくるのか、あの女は。
はるみはもうあんな女のことなど一切関心ないかのように振舞っているし、女子連中も最近はごますりにきているようだ。はるみは出来た女子だからそのあたりもきっちりと受け答えしている。もっとも今まで無視しつづけた女子連中と仲良しこよしをするつもりはないらしく、他のクラス女子連中といつもは行動しているようだが。女子のことなんでよくわからん。
「つまりだな、本人の意志で、今回の宿泊研修は参加する気がないと、先ほど連絡が入ったというわけなんだ」
「本人の意思?」
あの女本人が怖がって身を引いたとは思いずらい。
「一応」と繰り返しながら桧山先生は続けた。
「宿泊研修は本来集団で行うべきものなんだがな、ただ特殊なケースの場合を除くとされているんだ。そのあたりもちゃんと説明を行った上でご本人の判断を待ったところ、ご両親と相談されたんだろうな。きっちりと、返事が来た」
要するに親が決めたのか。
納得はする。あそこの親は、少し変だ。
「じゃあどっちにしても、二十八人で編成していいっすか」
俺は一礼して職員室を出た。そろそろはるみが戻ってきているとこだろう。
「健吾、ごめんなさい、少し遅くなってしまったわ」
俺たちを遠巻きで眺めるように、他の女子連中が一歩、二歩と引いている。からかう奴はほとんどいない。ただ、おびえている、一線を引いて接しているそんな感じだ。はるみはそんな雰囲気をものともせずに、俺の隣に立った。さっき桧山先生が話した耳とは反対側の方からささやいた。
「さっきちょっと気になったので行ってきたの。宿泊研修のこと」
「ああ、桧山先生もなんか言ってたな」
「女子、十八人で班分けしていいかしらって」
唇に人差し指を当てるようにして、はるみは小首をかしげた。思わず呼吸が速くなりそうで、俺は時計をちらと眺めたふりをした。
「だって、梨南ちゃんを入れるかどうかによって班分けの形も変わってくると思うし、奇数でしょう。そうなったら。だから、本人に聞いてみたの。駒方先生もいらしたし、ちゃんと話をしてくれたわ。そしたらね」
「あんな女、無視しとけって」
「ううん、だめよ。そろそろしおり完成させなくちゃ」
はるみの言葉を聞きながら、俺はずっと時計の文字盤がデジタル文字で変化していくのを追っていた。
「お母さんが絶対に行かせないって決めてしまったらしいの。変でしょう。梨南ちゃんは意地でも行くつもりだったらしいけれどもね。ただ駒方先生が代りの単位になるような宿泊会みたいなのを行うから、問題ないとは話しておられたけど」
どういう事情かややこしいことはどうだっていい。
俺は俺、正々堂々たるやり方を貫くだけだ。
「佐賀、もう少し待て。はっきり決まるまでまだ時間あるだろ」
あの女を死に物狂いで守ろうとしている人間にその旨、きっちり確認しても遅くはないだろう。