表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/62

13 立村上総・中学三年・六月の記憶

13 立村上総中学三年・六月の記憶


 関崎がこの廊下を通り過ぎる前に、僕にはやるべきことがあった。

 誰がどんなに邪魔しようとも、これだけはしなくてはならなかった。

「どうしたの立村くん」

「悪い、少し待っていてくれないかな」

 隣で尋ねてきた清坂氏には悪いけど無視して、僕は向かい側に座っている水鳥中学の副会長に一声かけた。ふたりいるんだけども、やたらと馬鹿にしたような視線を送ってくる奴ではない。無口だが、じっと腰を据えて僕のことを待っている一人に対してだ。

「俺はかまわないが」

 ぶっきらぼうながら、OKはしてくれたようだ。

「ありがとう。すぐに戻るからさ」

 僕はすばやく廊下に出た。たぶん他の評議連中がいろいろ片をつけてくれるだろう。天羽がこれから後の裏打ち上げを近所の喫茶店借りてやってくれるはずだし、更科は他の先生たちに頭を下げまくって無事に終わったことを報告してくれるだろうし、難波は女子たちを使ってなんだかんだいってきちんとこの場を片付けてくれるだろう。他の二年生連中も、僕よりは女子三年評議たちの言うことを良く聞いてくれるはずなので、そのあたりは清坂氏たちに任せておけばいい。はりきっている霧島さんを表において後、轟さんが指示どおり動いた振りをして男子連中に連絡をいれてくれる。清坂氏と難波が表向ききっちりと片付けてくれるはずだ。後輩連中については、新井林と佐賀さんに一括しておけばすむことだ。僕なんていてもいなくても、丸く収まるのが現実なのだ。

 だから、僕しかできないことを、今するしかない。

 階段を昇り、三階の図書館まで駆け抜ける。息が苦しくて途中むせた。心臓の音がじわじわと響いてめまいがした。夏が近いからだろうか。いるだろうか、いないわけがない。

 図書館の戸を開け、カウンター席の図書局員たちに一礼。すばやく窓辺に向かう。一番端っこの、古い辞書とか児童書が放置されている棚へ一直線。

「杉本、待たせて悪かった」

 声をかけると、杉本はひとつにまとめた長い髪の毛を一振りして、じっと僕を見据えた。ほこりだらけの本をめくっているようだった。

「別に待ってません。時間があるからいるだけです」

「よかった」

 何がよかったのかわからないけど、僕はそれしか言えなかった。


 これから僕たち評議委員会の参加希望者と、水鳥中学生徒会たちとの間で、内緒の打ち上げ反省会を行うことになっている。もちろん学校側には内緒だ。少し離れた場所で、ジュースを飲みながら今後の流れについて話し合う予定だった。

 内容そのものは成功だったと思う。他の参加希望生徒がなかなか集まらなくて、規律委員長の南雲の後光を借りていろいろ声をかけたりしたけれども、結局は満席。企画を立てた評議委員長としての面目が立った。もっとも、当の本人南雲が、おばあさんの忌引休暇もあって欠席だったので大変顰蹙だったのはしかたないことだけども、だ。

 三年生たちがある程度脚本をこしらえて盛り上げていくつもりでいたが、ふたをあけてみると二年たちの積極的質問の嵐に飲み込まれてしまった。きっと僕たち三年が修学旅行でいない間に、後輩たちがみな団結して準備にいそしんでくれたのだろう。

 ──結局は、二年に飲まれたな。

 修学旅行中、霧島さんにかみつかれて女子たちをもっと有効に活用しなくては、とそれなりに振り分けしたのだが結局は、二年女子たちに三年女子たちが食われてしまった。これは嬉しいのか哀しいのかわからないけれども、誤算だった。霧島さんは完全な「華」として水鳥中学生徒会男子一同の視線をくぎ付けだったが、能力の点でいえば二年の佐賀さんがさりげなく新井林のフォローに回り、好感度ナンバーワンの人気を誇っていた。後で先生たちにも言われた。

 ──二年の佐賀がいればもう女子、要らないな。

 さすがにこの言葉、他の連中には言えない。言ってはならない。 

 杉本にももちろん。


 この会を終わらせて改めて、杉本が評議に「いてはならない」存在なのだと思い知らされた。それを気付かなかったとは言わない。僕も男子の目、先輩の目、評議委員長の目を持っている。いなくなったおかげで評議委員会がだんだんまともな活動路線に落ち着いてきた。それを認めざるを得ない。それ以上に佐賀さんという女子が、杉本以上の能力を持つ人だということを証明してしまった。決して割り込むことはしないけれども、相手に不快感を持たせない形で場を静かに盛り上げる能力。今の三年女子には誰も持っていない能力。

 たぶん、杉本には永遠に手の届かないものだろう。 

 ──いや、新井林以上かもしれない。


「何か御用ですか」

「今すぐ来い」

 僕は杉本の腕を軽く取ると、すばやく図書館から出た。怪訝な顔をして僕たちを見送る図書局員たちのことなんてどうでもいい。今の僕は、あの教室に戻るまでは評議委員長ではない。ただの、頭の悪く後輩たちに馬鹿にされきった、使えない三年D組の生徒に過ぎない。 杉本から、「先輩は救いようのない馬鹿」と言われるのも、しかたのないことだ。 

 だから、ここでは救いようのない馬鹿な先輩として、杉本に接するしかない。

 二階の踊り場窓辺に杉本を立たせた。

「ここからとにかく、外見てろ」

 それだけを指示した。

「何も考えるな、とにかくここから動くなよ」

すくっと窓辺にそびえる大木から、白い光りが杉本と僕に突き刺さり、反射する。

「窓を少しだけ開けて、外を見下ろしてろ。俺が戻ってくるまでそうしてろ。わかったか」

 それだけ言い放ち、僕は勢い良く階段を下りていった。あぶなく一段踏み外しそうだったが、かろうじてこけるのだけは避けられた。うっかり杉本の前でこけてみろ、「先輩はやっぱり、無能なのですね」と冷たく言い放たれるだけじゃないか。


 関崎たちはまだ僕が戻ってくるのを待っているはずだ。他の奴らはともかく、関崎とは約束したのだからいるはずだ。駆け足で戸を開いたとたん息が止まった。

「佐賀さん、あれ、外に行かなかったのか?」

「私も待ってました」

 相変わらずくるくると耳元に丸い玉をこしらえている佐賀さんが、関崎となにやら話をしていた。

「ひとり他校の人だけだと大変だと思いましたので」

「でも、それだったら清坂さんに」

 一応、清坂氏だけが僕を待っていてくれているものだと思っていた。なんで佐賀さん、二年がいるっていうのだろうか。

「じゃあ僕ひとりだけでいいよ。佐賀さん、先に会場に行ってても」

「いいえ、私、新井林くんに頼まれました。立村先輩と一緒に来なさいと言われました」

 ──新井林の奴、何考えてるんだ!

 思わず僕は心中罵った。

 つったったまま、関崎は衿のシャツを広げるようにして、額の汗を拭いた。

「悪い、俺ひとりでいいと思ったんだけどな」

 万事休すとはこのことだ。僕は顔に出さないよう、大きく深呼吸した後、ふたりに告げた。

「わかった。とにかく早く行こう」


 僕の計画としては、二階踊り場の窓から見下ろせる場所をわざと通り……そうなると遠回りになる……杉本に一瞬だけでも関崎と顔を合わせられるようにする、そこにあった。

 確かに僕は、あの問題が起こった際に「もう杉本と関崎を一切会わせないようにする」と約束はした。「会わせる」「会話をさせる」ことはしない。でも、一方的に見つめること、それは間違いではないはずだ。偶然下を見下ろしていたら、目が合った。それがどこ悪いのだろうか。もちろん杉本の性格上、勢い良く飛び出してきて関崎に飛びつくかもしれない。でもそれは百パーセントありえないだろう。杉本は決して約束を破らない。絶対に守る。見つめるだけでいい。きちんと守るはずだ。僕はそれを知っている。だから、たった一度だけでも杉本に、関崎の最近の顔を見させてやりたかった。

 しかし、佐賀さんとセットとなると、かなり苦しい。

 佐賀さんは前もって杉本に「絶対顔を出さないで」などと脅しをかけたのだという。

 杉本の「絶対に約束を守る」性格を逆手にとってだ。

 もちろんそれは「評議委員会」に余計な波風を立てさせないためには当然のことかもしれない。でも、それは決して僕の命令ではないし、一方的に勝手なことをするのは言語道断。最悪の場合は佐賀さんのアキレス腱である、「佐川とのこと」をにおわせるしかないかもしれない。そんなことは僕もしたくないから、できればさりげなく終わらせたかった。

 ──しかたないな。せめて顔だけでも覗かせてやればな。

 

「先輩、こちらは遠回りですけれども」

「いや、いいんだ」

 なんと言われようが、僕はこの計画を押し通すつもりでいた。佐賀さんがあとで新井林たちになんと報告しようが知ったことではない。

「関崎、悪いな。少しだけ付き合ってくれ」

「俺も道わからないからいい。でも、お前、これからやること、学校側には内緒なのか」

「大丈夫だよ、酒なんて入らないし見つかっても怒られない」

 本当のことだから困らない。

 佐賀さんは僕と関崎の顔を交互に見つめ、耳に手をやるようにして小首をかしげた。いきなり関崎が緊張した風に下を向いた。こいつ、まさか、こういうタイプが好みなのだろうか。

「とにかくさっさと行こう」


 突然、佐賀さんが走り出した。いきなりだったから僕も不意を突かれた。

「関崎さん、少し頭を下げて歩いてください」

 澄んだ声で関崎へ声をかけた。緑色の光が黒く目を焼いた。

「どうした、佐賀さん」

「先輩、関崎さんに顔を上げないようにお伝えください」

「どうして」

 息を呑んだ。なぜだ。なぜ見透かされている?

 佐賀さんは続けた。

「関崎さん、上に、梨南ちゃんがいるんです」 

 ──どこでばれた?

 僕の表情が変わったのを、はたして佐賀さんは見抜いただろうか。佐賀さんの瞳はかすかに潤んでいた。口元が引き締まっている。真剣な表情だった。

「え、杉本さん」

 関崎が呟いた後、足を止めた。ちょうど窓辺から十歩くらい離れたところだった。かろうじて頭を見ることはできるだろうか。僕は佐賀さんの出方を待った。いったい、どうして、どこで。

「梨南ちゃんと私、ちゃんと約束したんです。絶対に、交流会の時には顔を出さないでって。そうしたら交流会が大失敗してしまうかもしれないからって。私、心を鬼にして言ったんです。梨南ちゃん、絶対約束守る子だから、もし約束破ってしまったことに気付いたらショック受けてしまいます。関崎さんの顔を見るよりも、もっと辛い思いをさせてしまうんです。だから、お願いです。顔を見せないようにして歩いてください。大丈夫です。梨南ちゃんは顔を見なければ会ったことにカウントしません」


 ──約束を守る子だから、か。


 関崎は僕の顔を黙って見た。

 何も言わずに、問うように。

「そうだな、あいつは絶対に約束守るからな」

「俺は、どうすればいい、立村」

 何を言えばよかったのだろう。僕はやっぱり出来そこないの評議委員長でしかない。

「うつむいて歩いてくれ。悪い、俺も後でいく」

 僕は佐賀さんに何か声をかけようとちらっと思ったけれど、やめてすぐに背を向けた。

 黙っていたってあの人の能力だったら、ためらうことなく近道通って会場に連れていくだろうから。僕よりもはるかに、頭のいい人だから。


 ふたりに背を向けて玄関に飛び込み、階段を駆け上がった。

 杉本が壁にもたれるようにして、ひとつにまとめた髪の毛を握り締めるようにして立っていた。今の会話が聴かれたかどうか、わからない。聞いていなければいい。それだけを祈って声をかけた。

「杉本、あのさ」

「先輩は私をそこまで殺したいのですか」

 ──殺す?

 顔をあげると同時に、杉本は抑揚のない声で僕を刺した。

「私に約束を破らせたいのですか」

 大きな瞳が、かすかに潤んでいる。

「いや、破ったことにはならないよ」

「だったらなぜ、あの方の通るのを見させようとしたんですか!」

 決して高いトーンの声ではないのに、なぜちくちくと突き刺さるのだろう。

 あがっている息とは無関係に、心臓が苦しい。

「いや、たまたま通るから、説明したらいろいろまずいかなと」

「私をうそつきにしたいのですか!」

 叫びがかすかに涙交じりで、驚いた。僕は杉本の顔に何か変わったものがあるのかを探した。瞳が今までになく潤んでいる。こぼれそうなほどに。

「私が佐賀さんと約束したことを、先輩はご存知のはず。なのにどうして、佐賀さんが高笑いするようなことをさせようとするんですか!」

「お前、聞いていたのか」

 僕は尋ねた。杉本は答えずに、ただまっすぐ僕を見据えると、きびすを返して階段を下りようとした。不意に振り返り、

「あの方は、どちらから帰りましたか?」

 やっぱり感情のこもらない言葉を発した。

「たぶん、反対側から」

「会わないようにします。約束は守ります。見下されるようなことはしたくないです」

 かすかに揺れる一つに結んだ髪の毛を僕は、踊り場から見下ろしていた。これから会場に向かわなくてはならない。僕ひとりで緑色に包まれた黒い光りのおちる道を通っていかねばならない。佐賀さんの機転で杉本にも関崎にも傷のつかないようにできたことは、おそらく正しいのだろう。

 正しい、そう感じられない僕が、弱いのだろう。

 自分の立っている場所にまた暑苦しい光が刺して来て眩暈がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ