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11 天羽忠文の記憶 中学一年四月評議委員会直後

11 天羽忠文の記憶 中学一年四月評議委員会直後


 ──たぶん、あの時の女子だ。

 隣でやたらとうるさく話し掛けるクラスの女子を振り切るため、

「じゃあ、悪いけどさ、俺んち、門限あるし先に帰るわ、じゃあ、また明日会おうな!」

 と笑顔をこしらえ、俺は教室を出た。評議委員に選ばれたのは単純に、俺の名前が出席番号順でいくと一番最初だからだろう。俺の名前が書かれるやいなや、一番苦手なタイプの女子が女子評議に立候補しちまって、正直、身の不運を呪っていたのだが。

 でも意外な出会いというのはあるもんだ。俺はすばやく、先に教室を出たB組の女子を追いかけた。あの目、歯を忘れるなんてことは、そう簡単にできはしないだろう。俺だって、もちろん他の奴だって。

「ちょいと、そこのおねーさん」

 呼びかけたが気が付かないらしい。簡単に一言、

「おい、ちょっと待てよ、そこの出っ歯、出目金」

 と呼ぶのも一案だが、最初っから学校内に敵を作る気なんぞさらさらない。

「ええと、B組の女子評議さん、ちょっとこっち、むいてえな」

 二番目に呼びかけた時、やっとその女子は振り向いてくれた。

 顔を確認した。

 やっぱりあの時の女子だ。

「なんか、用事?」

 怒っちゃいないんだろう。俺は少しほっとして、近づいた。廊下を曲がり靴を脱ぐまではとりあえず待つことにして、

「悪いけどな、去年の十月ぐらいにさ、俺たち、会ったことねえか?」

 まずは確認をば。向こうは背中を丸め、下唇を歯で押さえながら首をかしげた。

「会ったこと、あったかなあ」

「まあ覚えてなくても、当然かもな」

 まずは校門を出て、それから確認した方がいいだろう。

「いいよ、それの方が私もいいと、思うんだ」


 思うに、その段階で向こうさんは、俺の顔を思い出したんだと推測する。

 顔がインパクト強いかどうかはわからんし、たぶん集団その一にまぎれこんでいた小学六年の俺なんて、記憶に残るとも思えない。ただ、あの時、俺くらいの年齢の奴は、二人くらいしかいなかったし、そのうちの一人は女子だ。途中俺の顔をじっと見上げるようにして、こっくり頷いたのは、たぶんそれが理由だろう。


 校門を出て、俺たちはのんびりと自転車を押した。

「天羽くんだっけ? よく私のこと覚えていたわよね」

 いきなり顔を合わせるなり切り出され、思わず自転車をこけさせるとこだった。

 覚えていたっていうのか、やっぱり。しかも名前まで。

「私も今日顔を合わせた時にね、もしかしたらあの時の小学生部長なのかなと思ったけどね。そんなことしゃべったら、あとあとまずいだろうなと思って言わなかっただけよ」

「いや、よくぞ覚えててくだすった」

 おどけて答えてみた。向こうさん、しっかり記憶してたってわけだ。

「口封じなら安心してよ。どうせ、知られたくないでしょ」

「そうしていただけると、本当に助かりますがな」

 両手を合わせて、お得意のくねくねポーズを取ってみた。こうすると結構、女子たちは受けてくれるのだ。幸い、向こうさんはあっさりと笑い、

「だけど、天羽くんも大変よね。あんな宗教、やめたくても、あの状況じゃあやめられないよねえ」

 俺は答えられず、しばし黙った。自転車を押していくうちに、白い花びらがさらっと落ちてきた。まだ桜は咲いていない。ひとひらだけだった。


「あんときの、あんさん、すごかったよなあ」

 向こうさん、とは呼べず、苗字も思い出せず、まずは「あんさん」でいくことにした。

「ああ、あのくらいたいしたことじゃないわよ」

 やっぱり覚えているらしい。「あんさん」はあっさりと細かく頷きながら、

「だって変よね。なんでそんなに寄付金が必要なのか、それがまずわからなかったもの。確か聖書では、十パーセントの寄付を要求していると聞いたことあったし、それはそれで理由聞いて納得したけど、あの人たちが求めているのはそれ以上よね。『寄付』が悪いことだとは思わないけど、十パーセント以上の寄付金を、いったい何に回してるわけ? あの巨大な建物? それともあのトリップしたようなこと口走るおじさんに? あ、ごめん。天羽くんはまだ信じているふり、してるのよね。立場上」

 「あんさん」の言う通りだ。俺はまだ「信じたふり」をしているだけだ。いや、信じなくちゃいけないと思い込んでいるだけだ。本当だったら、去年の十月に「あんさん」が俺の信仰する宗教団体の集会で、一気にまくし立てたことに対して、激しく言い返さねばならないはずだった。もう地獄に落ちるのは見え見えだ、今から悔い改めて俺たちの信じている路に進もう、と説得するのが、俺としての義務のはずだった。

「一応、俺もただいま、中学部のぺーぺーせざるを得ないんで、その辺はノーコメントな」

「もちろん、事情はよっく存じてますわよ」

 このあたりはおふざけ調に「あんさん」が答えた。


 俺もそうだし、家族も今、少しずつ「地獄」へ落ちる準備をしていることを、まだ「あんさん」には言えなかった。

 俺のじいちゃんがもともと書道家で、いろいろあってこの宗教に入り、家族にそれを無理強いした、というのが今の段階での答えだ。じいちゃんも最近は少しずつぼけてきたのか、あまり熱心な信者ではなくなったけど、それでも「寄付金」は毎回しつこいくらい出している。うちのとうちゃんはかなり気合入れて洗脳……もとい、信者を増やして押し倒すことに燃えている。けどかあちゃんはなんとなく、違うんでないかって顔をしていた。この当たりの温度差を俺はガキの頃から感じていた。ま、うちのかあちゃんの場合、じいちゃんととうちゃんには、絶対服従せざるを得ないんだもん。しょうがないだろう。ただ、あんまりにもあんまりな教えには反発してると言う気がした。何が、って聞かれると迷うけど、たとえば、「学校よりも宗教団体の合宿が大事」とかなんとか。これに関してはとうちゃんたちを必死に言いくるめてくれた。おかげで俺は修学旅行にも遠足にも行くことができたわけだ。他の信者の子たちは、行けねえの。悲惨すぎ。

 この宗教を信じたら、「天国」に行ける。信じない奴は死んだら「地獄」に落ちる。

 単純明快な答えだな、これは。

 かあちゃんと俺だけでも、「地獄」に落ちる準備を、ただいましている最中だ。

 ただ、できたらとうちゃんじいちゃんも一緒に、「地獄」へ行きたい。

 生きているうちはそれの方が、楽しいはずだもんな。

 かあちゃんはただいま陰で、その準備に没頭しているはずだ。

 俺はそれに気づいていながら、知らん振りを決め込んでいる、地獄候補生だ。


 たまたま十月の勉強会というのが開かれた時、この出っ歯出目金の「あんさん」が連れてこられ、小学部・中学部・高校部の連中を集めて熱くこの宗教について語ったわけだ。

 ところが俺たち……俺も一応小学部の部長だったし、かっこはつけなくてはいけなかったけど、ほとんど出る幕がなかった。なぜなら、「あんさん」の相手をする論客が、残念ながら高校部の部長と世話役の大人しかいなかったからだ。半分以上、情けなくも俺は理解できなかった。いったいなんで、そんなに熱く語れるんだこいつは? と思わずにはいられなかった。

「収入の一部を寄付することによって、人は痛みと苦しみを分かち合える。それを学ぶゆえの寄付金ならわかります。お小遣いが入ったら入れる、それも私は理解できます」

 いや、理解できねえよ、本当は。俺だって「小遣いもらったらそのうちの半分を寄付する」なんて決まり、納得できねえよ。ただでさえわびしいのに。

「ですが、なぜ半分なんですか? もちろん寄付がいけないとは思いません。ですがそのお金はどこに回っているのですか? 本当に苦しんでいる人のもとに流れている証拠があるのですか? あるならそれを見せてもらいたいんです。それを見て、もしまっとうにお金が使われているのならば納得しますが、こんな大きな建物代とか、全く関係のない人たちのもとに流れているとしたら、それはおかしいとしかいいようありません」

 いや、俺も半分以上理解できなかったが、半分寄付することによって、こころが安らぐということからして納得いかんぞ。

 いろいろと思うところはあった。けど、高校部の先輩たちがばんばん言い返していたので、結局は丸め込まれただろう。途中、いくら話しても平行線だと判断した高校部の部長が、

「わかった、君は地獄に落ちてもいいんだな」

 と切り捨て、「あんさん」が帰った。それだけのことだ。


 そうだよな、俺だって納得いかんよ。

 けど、「あんさん」みたいにばしばし切り崩せるだけの言葉がないんだよ、俺には。

 なんだか落ち込むぜ。


「あんさん、ちょいとお尋ねしやすが」

 しかたないんで俺は、おふざけモードで話を進めることにした。

「そういう知識、どうやって身に付けたっすか?」

「もちろん、本よ。あの時ね、うちの親が危うく丸め込まれそうだったから、私なりになんとかしなくちゃなって思ったの。たまたまよ、あてずっぽだったわよ。私もやばいなって思ったもん。でも、いやなものはいやだったしね。宗教をすべて否定しないけど、天羽くんのとこの教えにはどうしても納得いかないのよ。ま、うちの親については、知り合いのおじさんがすべてうまくとりなしてくれたから、無事逃げられたけどね」

「さすがっすねえ」

 本だけでそこまで語れるか? 俺には信じられん。

「天羽くん、もしよかったら、私、その時読んだ本のリスト、持ってるんだ」

「本のリストっすか?」

 いきなり「あんさん」は、歯の隙間からしゅうしゅうと音をさせながら、かばんを開けた。

「名簿観た段階で、あ、この人だって思ったのよ。なんか私の顔見て納得してたでしょ。あの時もさ。たぶんこの人、この宗教信じるのやなんだなあって思ったのよ。今日評議委員会で会えるとは思ってなかったんだけどね」

「俺も同意」

「いつか廊下ですれ違った時にでも、渡したかったんだ。いざとなったらラブレターのふりして」

 思わず吹き出す。何考えてるんだ、この人。ちっとも気負わずつぶやいてしまうこの態度。

 いかにも、本人の言う通り、白い封筒、これはラブレターののりだ。ごていねいに赤い色鉛筆で「ハート」が書かれている。

「この中に全部、私が勉強した本の名前が載ってるわ。私も全部理解したわけじゃないけど、あの宗教団体に関して疑問を持っている人とか、脱会した人とか、そういう人たちの本がいっぱいあるの。私みたいな小学生でも理解できたんだから、天羽くんならわかるわよ」

 

 やたらと心臓がどきどきしてきた。ラブレターをもらうより、痛い。

「じゃあね、また」


 俺はその「ラブレター」もどきの封筒をポケットに押し込んだ。

 すぐに封を切ることはできなかった。

 確かに俺は「あんさん」に対して「信じてない」っぽい信号を送ったのかもしれない。

 けど、もしそれがばれたらどうするんだろうか。

 今のところかあちゃんだけが動いているけど、もし俺が同じ風に動き出したら、絶対とうちゃんたちにばれるだろう。それに、あの中で俺は、ずっと呼吸してきた。楽に歩いてきた。いや、青大附中に入ることができたのも、実はそちらからまわされてきた寄付金のおかげだ。もっと言うなら、合宿や集団研修が行われ参加した時、なぜかすごく「快感」を感じるのも事実だ。


 今の俺は、それを捨てられない。

 けど、この手紙は捨てない。


 俺はかばんの隠しチャックポケットに、「あんさん」からもらった「ラブレター」を押し込んだ。

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