10 轟琴音の記憶 中学三年 修学旅行四日目午前
10 轟琴音の記憶 中学三年 修学旅行四日目午前
立村くんを図書館に向かわせた後、私はタクシーを拾いすべてのスタンプ経由地まで回っていった。青大附中の制服はそれほど目だたなかったけれども、たぶん一部のクラスメートたちには知られていただろうし、ばれることももう覚悟の上だった。いくら天羽くんと更科くんがうまく繕ってくれたって、所詮中学生のやること、期待はさほどしていない。むしろこれから、私たち……もちろん立村くんとだけど……が無事、修学旅行後生活できるかどうかを見極める時間が必要だな、とは思っていた。
団体バスツアーの人たちにまぎれて、まずは赤いスタンプを押す。
すぐに車に戻り、次は教会へ。
次は神社へ。
大急ぎ走って昔の城が残っているという濠へ。
タクシーの運転手さんにもけげんそうに尋ねられた。
「学生さん、修学旅行かい? 高校生かい?」
説明するとややこしいことになるのは目に見えていたので、当然答えた。
「はい、高校なんです」
信用してくれたかどうかわからないけど、ちゃんと仕事をしてくれたタクシーの運ちゃんに感謝だ。
直接図書館に乗り付けるのは危険だ。地図であらかじめ調べておいた、城下町の家前で私は降りた。歩いて図書館まではだいたい十分くらいかかる。昔の家老のお宅らしいけれども、中に入ってスタンプを押そうとしたら、なんと六畳くらいの広さしか庭が残っていなくてびっくりした。建物がなくて、ただ、放置された庭だけ。それでも湧き水と隣にスタンプ台は用意されている。パンフレットもある。二人分、しっかり受け取った。
きちんとゆがみなく押されていると思う。
私のもそうだし、立村くんのも。
二年半近く私は立村くんの言動を事細かに見つめてきたつもりだけれども、彼はさすがおとめ座の性格だけあってきっちりしている。そう、彼の誕生日は九月十四日なのだ。私よりもまだ、ひとつ年下のはずだ。評議委員グループの中では誕生日が一番遅い。
よく美里が、女子グループだけでしゃべっている時に、鼻の穴を膨らませるようにして、
「立村くんねえ、ほんっと、どうでもいいことにこだわるんだから。誕生日一番遅いとか、背が低いとか、そんなこと、誰も気にしてないのに、わざと気にしたようなこと言うんだもの、あきれるよね」
自分の恋人に対して、よくもそんなこと言えるものだ。帰ってから私は、日記にすべて美里へのののしり文句をつづった。もちろん読まれても困らないように、ひとりでマスターした速記文字でだけれども。私は彼女たちからしたら、速記文字の読解不能で醜い文字。一番身近な文字なのに、誰もわかりはしないってことを知っている。
◆
中学一年、評議委員会が初めて開かれた時、私は同学年の評議委員たちを眺めていた。
クラスで一緒に評議を勤めることになった難波くんやたまたま話をする機会の多かった天羽くん、その他うまく紛れ込んできた更科くん。不思議なことだけど、この三人とは女子たちの居ないところでいっぱい話をする機会が多くて、もうこの段階で友だちっぽい雰囲気が作られていた。特に天羽くんとは、とある場所で顔見知りだったこともあって、かなり濃い事情を語り合うようになっていた。もっともそれは、天羽くんの家庭事情もあって、あえて私も口には出さなかったけれども。
むしろ女子たちとどうやってなじんでいくか、が私のテーマだった。
大げさだけども、このあたりは難しい問題だった。
もともと私の顔は出っ歯の出目金。歯の矯正をする機会もなかったし、うちの親にもそこまでの財力はなかった。青大附中に入ったのは親戚が私の能力に惚れてあしながおじさんをしてくれたから。「あしながおじさん」の主人公が必死に手紙を書く気持ちが痛いほど、よくわかる。もっとも私の「あしながおじさん」は短足のでぶちんおじさんだった。おじさんとハッピーエンドを迎える主人公とは違う。きっと彼女は、私なんかよりもずっと美人だろうし、人受けもする子だったんだろうな。
私の場合、もちろん「若草物語」を読むといった、女子としての素養はそれなりに持っていたけれども、クラスの女子たちが読むくだらないマンガとかアニメに対して全く興味をもてなかった。テレビドラマについても、詳しく内容をチェックして矛盾点を探す方が面白かった。それであらためて、自分なりに構成しなおしてみる、そういう楽しみ方をする方がいい。でも、それをうっかり口に出すと瞬時に女子たちから袋叩きにあう、もしくは無視されることも知っていた。私が経験したわけではなくて、彼女たちが気づかないでしている子に行った態度を見て判断した。だからこそ、私は決して落ち度なく、振舞うことが必要だった。
美里たちはまさに、クラスのいわゆる、「いじめっこ」たちの代表だったから。
小春ちゃんやゆいちゃんにはそれほど、「いじめっこ」パワーを感じなかったのはなぜだろうか。なぜか彼女たちふたりには、私もやさしく感じることができた。当時から今までよくわからなかったのだけども、私は彼女たちがすべて、背伸びしているようにしか見えなかったからだと、今は思う。ゆいちゃんが懸命に男子たちへライバル意識をもつのは、全く自分に自信がなくて、一度おっこちたらそれで人生終りだ、と感じているからとか。小春ちゃんが一生懸命クラスに明るさをもたらそうとするのは、みんなから実は軽蔑されていることを感じてなんとか受け入れられようとしていることとか。
その中でひとり、美里に対してだけ、私はどぶくさい気持ちになってしまうのを抑えられなかった。決して悪い子ではないし、男子たちの受けも悪くないし。はっきり物事をいうのが悪いとは思わない。いや、それだったら小春ちゃんとゆいちゃんの方が目立っている。
理由がつかめなかった。ただ自分でもはっきりしていたのは、美里をうっかり敵に回したら、ろくなことにはならないという判断を下さねばならないことだった。
疑いない、「真」を持っている子。
私が知っている限り、そういう女子は、美里だけだった。
そしてその「真」が刃になることを、知らないでいるのも、たぶん美里だけだった。
私はとことん美里を代表とする女子たちにこびた。
「こびる」と言えば、それはいやらしく思われるかもしれない。
天羽くんにも、難波くんにも、更科くんにも言われた。
「トドさん、もう少しさ、女子たちをどんと突けよな。お前それくらいの才能あるだろが」
才能か。男子たちにはわからないのだと、改めて思う。
女子の世界において、頭のよさよりも一番評価されるものは、美しさなのだということを。
醜いことは、それだけで、相手に優越感を与えてしまうということを。
私の顔かたちを「嫌悪」として感じるか、それとも「見下し」の対象とするか。
女子たちのほとんどは、見下す対象として、私を受け入れてくれた。
──轟さんよりは、ましよね。目もふつうだし、私、歯もきれいだし。
ささやかれても、私は傷つかなかった。もう慣れていたから。
醜さを私は武器にして、女子世界を生き残らねばならなかった。
そして今も。私は「醜さ」ゆえに、他の女子たちを敵に回さずに、あの人とふたりの時を持つ。
◆
家老宅の門を出た後、ゆっくりと石畳を歩いていく。
松の木が両脇に立ち並び、大学生やハネムーンらしい観光客がうろうろしていた。
青大附中の生徒はいなかった。
楽しそうに語り合っている男女カップルを眺めると、みなきれいな顔をしていることに気が付いた。私みたいに醜い女子なんて、誰もいなかった。男性はみな、普通の人ばかりなのになぜ、すれ違う人たちはみな、見られる顔をしているのだろう。
嫌いな人ほど美しい。これが、私の現実。
好きでかつきれいな人は、立村くんしかいなかった。